第33話  葵、橘平を大いに利用する

文字数 3,698文字

「冷静冷静、いつも通りいつも通り、笑顔笑顔、デカい声デカい声…」

 向日葵は通勤中の車内で呪文のように唱えていた。眉間に皺寄せ、苦い顔。呪いをかけているようだ。

 土曜日、葵に抱き寄せられてしまった向日葵。職場の前の席に座る彼に、おかしな態度を取らないよう自分を落ち着けるのに必死だった。無視はお互いに利益のないことで、今回は「いつも通り」を演じようと昨日の就寝前に決めたのだ。といっても、全く寝つけず、朝まで考え続けてしまったのであるが。

「主演女優賞、助演女優賞…」

 彼女はずっと演じてきた。自分の内面をさらさないように、弱さをみせないように。

 特に「なゐ」の消滅を決めた時からは、調べていることや封印を解こうとしていることを誰にもばれないよう、より演じている。

 今日だって、うまく演じられるはずだ。向日葵は自身に強く言い聞かせる。

 呼吸で心を落ち着けながら向日葵が役場の玄関を入ると、葵と兄の樹が作業服を来て早速出動するところだった。

「え、もう行くの!?」

 樹は葵よりもさらに背が高く、アメフトやラグビー選手のようなしっかりした体格。ぼろぼろの役場が特撮のミニチュアセットに見えるほどだ。

「おはよ、ひまちゃん!遅刻してるのはそっちよ」

 向日葵並みの大きな声で超低音、字に起こせば柔らかそうな喋り方なのに、実に漢らしかった。

「じゃあねん」

 二人は早足で現場へ向かっていった。

「ちこく…しちゃったのか、私…」

 落ち着くことに気を取られ、向日葵は時間を失念していた。もう始業から15分経っている。走って課へ向かった。



◇◇◇◇◇

 

「あら向日葵、遅刻なんて珍しいわね」

 席に着くと、さっそく桔梗がそこを指摘した。

「すいません、最近あまり眠れなくて…」

「疲れてるのかもね、無理しないで。寝る前にお風呂入るとか、あったかい飲み物飲むとか、工夫してみたら?」

 桔梗はあくまで優しく注意を促す。

 ところが課長は、「ほんとだよ。体調管理しっかりしてよね?社会人の基本じゃん?シゴト忙しいんだよ?定時で帰りたいよね?え?」と、詰めてきた。

 遅刻に関しては100%自身に非があるのに、課長に指摘されると拳が飛びそうになる。向日葵はいつも抑えていた。

 体調管理が社会人の基本であるなら、その腹と糖尿予備軍はいかがなものか。と言いそうにもなるが、これも抑える。

「そうそう、今日の午後から新しい子来るんだ。みんな仲良くね。伊吹君、面倒みてあげて」

「分かりました。誰が来るんですか?」

「それがさ、誰かまで教えてもらえなかったんだよね~。使える子だと定時に帰れるなあ」

「一体誰が来るんでしょうね。男子か女子か?強いのか?」

「ここに配属されるくらいだから、そこそこじゃないですか。ほんと、使えるといいな」課内一の小柄、二宮蓮が答える。

「てことは、誰かは限られてくるわね。あのあたりかしら」

 午前中いっぱい、葵と樹は駆除に追われ役場へ戻ってくることはなかった。新人の話題などもはさみながら、向日葵は「いつも通り」を演じる必要なく過ごすことができた。

 午後の始めのうちは、新人のこともあり課内は騒がしかった。

 また向日葵は課長から雑務もドッサリと頼まれ、忙しくて葵の事を気にする暇もなかった。やっとトイレに立ち、手を洗っている時にふと、「忙しいのもたまにはいいな…」彼女は思ってしまった。

 仕事に追われていれば、プライベートに思考を割く必要がない。

 でも結局、忙しさは今日をやり過ごす手段。この気持ちを解消する根本的な方法にはならないのだ。

 向日葵は水玉模様のタオルハンカチを握りこみ、課に戻ったのだった。

 

 今日はもう、葵と関わる事はなさそうだと思った矢先。

 夕日が挨拶する時間に課長が感知した。伊吹と樹は新人とともに駆除、桔梗は他の仕事があるため必然的に外された。

 残るは蓮、向日葵、葵。しかし、

「蓮君は!?なんでいないのー!?」 

 ずるがしこい蓮は、課長が感知したことを「感知」し、どこぞへと逃げていた。必然的に残り2人。

「相変わらずクズね。向日葵、今日、残業になっちゃうかもしれないけど…」

 向日葵は葵との仕事が気まずい以前に、押し付けられた雑務を消化しきれていなかった。桔梗の言うように、今日は残業決定である。

 また出現場所は東南地域。北西地域にある役場からだと正反対。単純に遠かった。



◇◇◇◇◇

  

 現場まで、役場の白い乗用車で向かう。運転は葵だ。

 車内は終始、無言だった。

 「あのこと」について、どちらも触れない。ラジオから流れる男女のパーソナリティのお喋りのおかげで、この場が保たれていた。

 向日葵は運転中、好きな音楽を流すタイプだ。ラジオから最新の音楽も流れてくるけれど、それよりも雑談の方が、気まずさを中和してくれていた。意外とラジオもいいかもしれない。そう思った向日葵だった。

 現場は遠かったけれど、妖物自体はそこそこに手ごわい程度。仕事自体は簡単に終わった。

 山の中はすでに暗く、向日葵が懐中電灯を点けている。

 葵は刀を鞘に納め「向日葵」と呼び掛けた。

「何でしょうか」

「…土曜日は、その…」

 次の言葉がなかなかでてこない葵を、向日葵は懐中電灯で照らす。

「早く言いなさいよ何」

 まぶしくて顔を逸らす葵を、向日葵は逸らした方向から照らす。また逸らした方向から照らす。執拗に照らし続ける。

「やめろそれ!」

「言わないからでしょ。土曜日は何?」

「も、もしかしたら、あれも向日葵を怒らすかもしれないと思って、確認を……」

 向日葵は懐中電灯を自分の顎の下に当てる。

「確認?」

「また無視されると困るから。怒らせたなら、謝らないと」

「怒らせるかもって自覚あるなら、しなきゃいいでしょ」

「…誰も見てないからいいと思ったんだ。それで……怒ってる?」

 手をぶらりとさげ、懐中電灯の明かりを下に向けた。

「別にあれくらいじゃ怒りません。だいじょーぶです」

「なら良かった」

 そう言って、葵は向日葵を抱き寄せた。彼女はもちろん抵抗した。

「言ったそばから…!!」

 本来の彼女の力なら、葵の腕から逃げることなど簡単だ。「私が葵を片手に抱えて逃げまくって」と吉野たちに話していたが、あれは嘘ではない。それくらいできる。それなのに、どうしても、本来の力で抵抗できなかった。

「…誰も見てないよ」

 確かにここは、村人の立ち入り禁止エリア内。風や草木のそよぐ音、鳥や野兎たまに害獣…そんな薄暗い山の中。彼ら以外にヒトはいないのだった。

 葵の体温は心地よく、これ以上距離感を崩されないように踏ん張れるのか。向日葵は自信が無くなってきていた。

 彼女らしくないか弱い声で反抗する。

「誰も見てないときの態度が、普段出ちゃうんだよ。葵、だから…」

 どうも、橘平と出会ったあたりから、向日葵も葵も調子が「狂い」始めているような気がしている。

 葵がさらに抱きしめてきた。その腕の締まった瞬間に、向日葵は橘平が「葵と仲直りする」お守りを書いたことを思い出した。

「そういうことか、きっぺー…!!」

「え?橘平?」

「きっぺーのバッカヤロー!!こーいうことじゃなーい!!」

 そういって葵の腕を思い切りはがし、向日葵は走っていった。

「また橘平君!?なんなんだよアイツ!!」

 葵も全速力で走り、向日葵を追いかけた。車のキーは葵が持っているわけで、逃げることはできないが。

 駐車していた場所につくと、向日葵はドアハンドルに手をかけ、座り込んでいた。葵はしゃがんで、彼女に問いかける。

「どうしたんだ、いきなりまた橘平君って」

「ゆう、じゅつ…アイツに有術、使われたあああ!!!私も葵も術にかかってたんだよ!!」

「何言ってんだ、かけられた記憶無いぞ」

「土曜日!!手にお守り書いてもらったの、見てたよね?」

 葵はうなずく。

「アイツ、書いた時に言ってたんだよ。『葵さんと仲直りできるように、お守り書きました』って!!」

「橘平君の有術は、トラをとめたやつだろ。関係ないじゃないか」

 ドアハンドルにかかっていた手は地面に落ち、向日葵は草を掴む。

「でも、そう考えないと説明がつかない!だっておかしいじゃない!葵が私の事抱きしめるのも、私が抱きしめられたままなのも!!いままで指一本、近づかな」

 突如、葵が爆発したように笑い始めた。大きな口を開け、大きな声で、腹を抱えて笑う葵。こんなにも感情が解放された葵を、向日葵は初めて見た。

「何がおかしいのよ!?」

「俺、橘平君の事、大好きになったよ」

「いきなり!?意味わかんない!!」

「いいじゃないか、その有術。意味はわからんけど、俺みたいに『破壊』しかできない力なんかより、よっぽど使える」 

 葵は橘平の有術だとは思ってはいない。少年の有術は妖物をある一定のエリアに踏み込ませない、そのようなものであると考えている。

 向日葵のことは自分の意志。けれど彼女がそう思っているならば。

 葵はボストンメガネを外し、「俺は術にかかってよかったよ、向日葵」と彼女に顔を寄せた。

 今日だけは、すべて術のせいに、橘平のせいにできる。

 存分に、橘平を言い訳に使わせてもらう葵だった。
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