第53話 向日葵、秋田犬と闘う
文字数 2,210文字
野生動物対策課は、朝からてんてこまいだった。
続々と妖物が出現し、感知器課長こと二宮公英は、続々と「感知」してしまう自身の妖物センサーに辟易していた。
公英は現場には絶対出ない真の裏方能力者で、人をちょっと小ばかにしたような発言や人の気持ちを無視しがち、子育てには参加してこなかった姿勢から、部下たちに煙たがられている。
定時には帰り、休日出勤もなるべくしない面も、孤立を加速させる。
ただ、それには理由があった。彼も非常に高い能力を持つ者として、悩みを抱えているからだ。
公英は他の感知能力者よりも、妖物の場所や能力を詳細に感知できる。そのため、体全体の疲労がすさまじい。彼によると、1回の感知で唐揚げ定食1食分お腹がすき、プロ棋士のタイトル戦に3連戦出場した後のように脳が疲弊するのだという。桔梗は飲みの席でこれを聞いた時に「プロ棋士じゃないのによくお分かりになりますね」そう言い氷をがりがり噛んでいた。
要は疲れるから早く休みたい、酒が飲みたい。平気そうな顔はしているけれど、意外と隠れた苦労もしているのだった。土日は退職した感知能力者、自分の父親に依頼して休めるが、平日はフル稼働。夜に現れないのがまだ救いである。
そしてまた、彼は感知する。疲労を感じながらも、部下たちに連絡するが、今、手隙の人員は皆無。「ごめん、もう今日は本当に手が足りない。応援くれないかな?」隣の自然環境課に応援を要請した。
これまで、妖物駆除は1日に一件くらいのものだった。この忙しさが毎日になったらと考えると、たまったものではない。公英は、定時に帰って街で買った地ビールを飲む姿を頭に浮かべた。
愛妻弁当(と思っているのは彼だけで、妻は…)を食べ終えた瞬間にも、感知してしまった。
「えー、誰に電話すれば…確か桔梗ちゃんたちが」
ホワイトボードを眺めて迷っていると、タイミングよく課長代理の桔梗と向日葵が帰って来た。
「5分で食って行ってくれない?」何の前置きもなしに命令する。
桔梗は猟銃ケースを背負ったまま、課長の席の前に立った。
「何を5分で食べ、どこへ行くんですか?主語がありません」
「分かるでしょ、ご飯食べて妖物駆除だよ」
「申し訳ございません。課長ほどアタマがよくないので。それで、場所はどこですか?それは言っていただかないと困りますよ。課長の頭の中に出現されましたか?日本刀刺しましょうか?」
「い、いや、うん…西…」
◇◇◇◇◇
課長が指示した場所は、西地区の山だった。北西にある役場からならすぐの距離だ。向日葵の運転で目的地へ急ぐ。
桔梗と向日葵が向かった先にいたのは、秋田犬風の妖物が2匹。大アリクイのような長い爪を持ち、口はない。
葵と同様の有術をもつ桔梗が「秋田犬って、本当はとても可愛いのにねえ」と日本刀を構える。
「じゃ、私ひきつけるんで!あとはよろしくです!」
言葉通り、身軽な向日葵が犬をひきつけ、後ろから桔梗が挟み込んだ。あまり頭の良くない妖物のようで、目の前の向日葵しか見えていない。周りの木をうまく使い、うねうねと走らせ、距離を詰めさせないように誘う。
向日葵が軽やかに犬を誘導し、大木の前で急にぱっと止まると、犬たちが向日葵めがけて飛びかかってきた。爪が向日葵の肩を触るか触らないかという、寸前のところで、彼女は両手をひっくり返した。
一匹は宙返りして後方に飛んでいき、桔梗が青緑色の閃光とともに八つ裂きにした。
しかしもう一匹は半分帰ったところを元に戻る。鋭い爪で向日葵の肩を作業着ごと、ざっし、と切り裂いた。
自分の無力さを噛みしめながらも、向日葵は血が流れる肩を押さえずにまた走り始めた。追いかけてきた犬の鼻に思い切り水平蹴りを食らわせる。一瞬怯んだ隙を狙って、体をひっくり返すことができた。
そして桔梗が倒れた犬を踏みつけ、日本刀でめった刺しにし、犬はどろどろと溶けていった。
犬の最後を見届けた桔梗は、木にもたれかかっている向日葵に駆け寄った。
「すごい出血じゃないの!」
桔梗は向日葵のリュックから応急箱をとりだし、患部にガーゼをあてた。さらに上から三角巾でしばる。
「…ありがとうございます」
普段の彼女とは程遠い、かすれた弱弱しい声だ。
「歩ける?ごめんね、私じゃ男の人みたいに運べなくて…」
「すんません、無駄にでかくて…」
向日葵は肩から流れる血の生ぬるさを感じながら、立ち上がった。
痛みに耐えつつ一歩一歩、慎重に歩く。桔梗も向日葵の肩を抑えながら、歩みを合わせる。
「つらいよね。唐揚げに電話してみる」
「いや、かちょーに来てもらっても…」
「治療できる人をここに呼んでもらうとかさ」
「あー、なるほど…」
本当に私は妖物相手には役立たずだよ……。
向日葵は最近、毎日のように実感していた。
能力上、葵や桔梗のように妖物を駆除できない。ならば彼らが安全に闘えるよう支援できればいいものの、こちらも有術の性質上、どうしても相手の懐に飛び込む必要があり怪我をしやすい。周りに一番負担をかける一番の役立たずだ、と。
「なんで出ないのよ、あの唐揚げ定食!ごめん、車までもう少し…」
向日葵は痛みと出血で頭が回らなくなってきていた。歩くのも限界になり、その場に倒れ込んでしまった。
「ちょっと!どうしよう、他に誰か」
意識が遠のく中、向日葵の頭に浮かんでくるのは葵の姿だった。
「向日葵!!」
葵の声がした。
続々と妖物が出現し、感知器課長こと二宮公英は、続々と「感知」してしまう自身の妖物センサーに辟易していた。
公英は現場には絶対出ない真の裏方能力者で、人をちょっと小ばかにしたような発言や人の気持ちを無視しがち、子育てには参加してこなかった姿勢から、部下たちに煙たがられている。
定時には帰り、休日出勤もなるべくしない面も、孤立を加速させる。
ただ、それには理由があった。彼も非常に高い能力を持つ者として、悩みを抱えているからだ。
公英は他の感知能力者よりも、妖物の場所や能力を詳細に感知できる。そのため、体全体の疲労がすさまじい。彼によると、1回の感知で唐揚げ定食1食分お腹がすき、プロ棋士のタイトル戦に3連戦出場した後のように脳が疲弊するのだという。桔梗は飲みの席でこれを聞いた時に「プロ棋士じゃないのによくお分かりになりますね」そう言い氷をがりがり噛んでいた。
要は疲れるから早く休みたい、酒が飲みたい。平気そうな顔はしているけれど、意外と隠れた苦労もしているのだった。土日は退職した感知能力者、自分の父親に依頼して休めるが、平日はフル稼働。夜に現れないのがまだ救いである。
そしてまた、彼は感知する。疲労を感じながらも、部下たちに連絡するが、今、手隙の人員は皆無。「ごめん、もう今日は本当に手が足りない。応援くれないかな?」隣の自然環境課に応援を要請した。
これまで、妖物駆除は1日に一件くらいのものだった。この忙しさが毎日になったらと考えると、たまったものではない。公英は、定時に帰って街で買った地ビールを飲む姿を頭に浮かべた。
愛妻弁当(と思っているのは彼だけで、妻は…)を食べ終えた瞬間にも、感知してしまった。
「えー、誰に電話すれば…確か桔梗ちゃんたちが」
ホワイトボードを眺めて迷っていると、タイミングよく課長代理の桔梗と向日葵が帰って来た。
「5分で食って行ってくれない?」何の前置きもなしに命令する。
桔梗は猟銃ケースを背負ったまま、課長の席の前に立った。
「何を5分で食べ、どこへ行くんですか?主語がありません」
「分かるでしょ、ご飯食べて妖物駆除だよ」
「申し訳ございません。課長ほどアタマがよくないので。それで、場所はどこですか?それは言っていただかないと困りますよ。課長の頭の中に出現されましたか?日本刀刺しましょうか?」
「い、いや、うん…西…」
◇◇◇◇◇
課長が指示した場所は、西地区の山だった。北西にある役場からならすぐの距離だ。向日葵の運転で目的地へ急ぐ。
桔梗と向日葵が向かった先にいたのは、秋田犬風の妖物が2匹。大アリクイのような長い爪を持ち、口はない。
葵と同様の有術をもつ桔梗が「秋田犬って、本当はとても可愛いのにねえ」と日本刀を構える。
「じゃ、私ひきつけるんで!あとはよろしくです!」
言葉通り、身軽な向日葵が犬をひきつけ、後ろから桔梗が挟み込んだ。あまり頭の良くない妖物のようで、目の前の向日葵しか見えていない。周りの木をうまく使い、うねうねと走らせ、距離を詰めさせないように誘う。
向日葵が軽やかに犬を誘導し、大木の前で急にぱっと止まると、犬たちが向日葵めがけて飛びかかってきた。爪が向日葵の肩を触るか触らないかという、寸前のところで、彼女は両手をひっくり返した。
一匹は宙返りして後方に飛んでいき、桔梗が青緑色の閃光とともに八つ裂きにした。
しかしもう一匹は半分帰ったところを元に戻る。鋭い爪で向日葵の肩を作業着ごと、ざっし、と切り裂いた。
自分の無力さを噛みしめながらも、向日葵は血が流れる肩を押さえずにまた走り始めた。追いかけてきた犬の鼻に思い切り水平蹴りを食らわせる。一瞬怯んだ隙を狙って、体をひっくり返すことができた。
そして桔梗が倒れた犬を踏みつけ、日本刀でめった刺しにし、犬はどろどろと溶けていった。
犬の最後を見届けた桔梗は、木にもたれかかっている向日葵に駆け寄った。
「すごい出血じゃないの!」
桔梗は向日葵のリュックから応急箱をとりだし、患部にガーゼをあてた。さらに上から三角巾でしばる。
「…ありがとうございます」
普段の彼女とは程遠い、かすれた弱弱しい声だ。
「歩ける?ごめんね、私じゃ男の人みたいに運べなくて…」
「すんません、無駄にでかくて…」
向日葵は肩から流れる血の生ぬるさを感じながら、立ち上がった。
痛みに耐えつつ一歩一歩、慎重に歩く。桔梗も向日葵の肩を抑えながら、歩みを合わせる。
「つらいよね。唐揚げに電話してみる」
「いや、かちょーに来てもらっても…」
「治療できる人をここに呼んでもらうとかさ」
「あー、なるほど…」
本当に私は妖物相手には役立たずだよ……。
向日葵は最近、毎日のように実感していた。
能力上、葵や桔梗のように妖物を駆除できない。ならば彼らが安全に闘えるよう支援できればいいものの、こちらも有術の性質上、どうしても相手の懐に飛び込む必要があり怪我をしやすい。周りに一番負担をかける一番の役立たずだ、と。
「なんで出ないのよ、あの唐揚げ定食!ごめん、車までもう少し…」
向日葵は痛みと出血で頭が回らなくなってきていた。歩くのも限界になり、その場に倒れ込んでしまった。
「ちょっと!どうしよう、他に誰か」
意識が遠のく中、向日葵の頭に浮かんでくるのは葵の姿だった。
「向日葵!!」
葵の声がした。