第97話 桜、いとこと掃除する

文字数 2,538文字

 ざっ、ざっ、ざっ。

 

 休日の早朝、桜は境内を竹ぼうきで掃除する。特に春休み、夏休みなどの長期休暇になると毎日だ。ラジオ体操のようなものである。

 拝殿前の参道を掃除しなが、桜は「大事なものや隠したいものって、どこに隠すかなあ」と考えていた。

 蔵や物置、もしくは金庫、鍵付きの机、はたまた裏山に穴を掘って埋めるだろうか。日々、蔵を捜索中であるが、めぼしいものはいまだ見つからない。

 ふと、神社なら大事なものこそ、神様の近くに隠すのではないか。そう思った。

 例えば、本殿。

 桜は、本殿の方に目を向ける。宮司の吉野しか立ち入ることができない聖域。隠し物が見つかる可能性は極めて低い。掃除の手を止め、じっとその方向を見つめる。

 竹ぼうきの音が一つ増えた。

 桜が音の方を振り返ると、いとこのあさひが浅黄色の袴姿で掃除をしていた。神秘的という言葉がぴったりな、まっすぐ質量のある黒髪、整った顔立ち、薄灰色の瞳を持つあさひ。まるで生きている日本人形だ。

「おはよう、桜」

 あさひを見ていると、桜は菊の顔が浮かぶ。

 菊を感じる。

 二人は顔がよく似ていたからと思っていたが、最近、そうではないような気がしている。雰囲気、オーラ、説明できない何かがよく似ている。

「おはようございます。どうしたんですか、役場勤めになってから掃除はしなくてもと」

「やっぱり、掃除は心がすっきりするからね。久しぶりに一緒に掃こう」

 二つのざっ、ざっ、という音が境内に響きわたる。参道を掃きながら、あさひは桜に話しかけた。

「駆除の見学会、どうだった?」

「妖物が危険な存在になっているとわかり、驚きました。私が以前見たものは、あんな恐ろしいものではありませんでした。あさひさんや皆さんのこと、尊敬します」

「尊敬?」

 あさひは馬鹿らしいとでもいうように、腹の底から笑う。

「環境部だって、あんなヤツらを駆除できるようになったのは最近だ。短期間で無理矢理適応したんだよ。僕なんかこの間まで神職だったのに、手が足りないからいきなり妖怪ハンターやれって命令されたんだから。無茶ぶりもいいところだよねえ」

 あさひはもともと、お伝え様の神職だ。役場の駆除班の手が足りないということで、吉野が神社から貸した人員である。

「無謀でしょ。それでもできたのだから、他の人だってすぐに大活躍だよ」

 あはは、と声を上げながら、あさひは掃き掃除を続ける。無謀とは言うが、あさひも有術の才能ある人間の一人であり、妥当な人事だと言える。

 あさひはぴたりと掃除の手を止めて、まっすぐ桜の目を見た。

「さっきさ、本殿、見てた?」

 ゆっくりと口角があがり、目じりが下がる。風が吹き始め、髪がさらさらと揺れ続ける。

「興味あるの?興味持ったの?」

 桜は息ができなかった。

 大したことは聞かれていない。あさひも変わった質問はしていない。それなのに。

 この年上のいとこは、たまに魔を目に宿す。

「べ…別に興味なんてありません。まあ、跡を継げば、いつかはあそこに入れるんだなあ~って思っただけです。だいぶ先の話ですけれど。おじいちゃんもお父さんもまだまだ元気ですから」

「今入りたい?」

 ざり。

 桜は見えない圧に耐えきれず、後退った。かかとが石畳をぎゅっとこすり、呼吸も乱れ始める。

 ぷっ、とあさひが吹き出した。

「あはは、興味なんてあるわけないよねー。そういうようにできているんだから、僕たちは。変なこと聞いてごめんね」

 笑いながら掃除を再開するあさひに、奇妙さが残った桜だった。



◇◇◇◇◇

 

 あさひへの奇妙な感覚と恐怖を抱いたまま掃除を終え、桜が部屋に戻ると、机の上のスマホが振動した。

〈今日、補講来る?〉クラスメイトの朋子からのメッセージだ。

〈うん、行くよ〉

〈お昼、ファミレス行こ。他の友達も一緒だけどさ、桜のこと話したら話してみたい手って〉

 朝から訳もなく怖い思いをした桜だったが、スマホを胸に抱き、思わずくるりと一回転していた。

 あまりに嬉しく、朝食の席で「今日お昼ごはんいらない。と…クラスの人たちとお食事会があります!」と家族の前で大告白をしたほどだ。まだ橘平以外を「友達」と呼ぶのは気恥ずかしく、「クラスの人」と表現した。

 クラスメイトと食事に行く。17年の人生の中で初めての出来事に心が躍る桜は、単純な伝達なのに心臓が口から飛び出そうだった。

「わかった。楽しんできてね」

 母のかおりは柔らかな笑顔を娘に返した。幼少から友達のいる気配がなければ、友達を作る時間も隙も与えられなかった娘に、高校生らしい日常が生まれたことが嬉しかった。

 そこに父の千里が水を差す。桜とそっくりの黒い瞳ながら、厳しさばかりが顕著な目つきで娘に問うた。

「クラスの人ってことは、みんな女子だよな?」

「当たり前じゃない。女子高なんだから」

「だったらいい。本当だな?」

「女子しかいないってば。担任も女の人なのに」

「そういや、お前が遊びに行ってる八神の、工作が得意なおじいさん。あそこの孫って女の子だったよな。モモだかリンゴだかそんな名前の」

 千里は桜の会う相手が、女子かどうかを異常に気にしている。かおりは消化不良のような気持ち悪さを感じた。

「え…ああ…うん、そう。ちょっとご挨拶だけはした。でもお話はしてなくて、お名前はしっかり覚えてないけど」

 モモだかリンゴだかという孫は、寛平の長男の子供たちのことだ。桜は、今、橘平兄弟の名前をぽろっと言わなかった自分を「エライ」と思った。同年代男子と会った、遊んだなんて言ってしまったら、八神家への出入りが禁止されてしまう。

 それよりも心配なのは、八神家に迷惑をかけるかもしれないこと。具体的な事はわからないけれど、一宮家は八神家へなんらかの「注意喚起」をするだろう。 

「ならいい。そうそう、今年の祭り、桜がお神楽担当だからな。今日から稽古だ。お昼ご飯食べてきていいけど、16時には戻れよ」

 一回転する喜びから、くるくる何回転もして地獄へ突き落されてしまった。

 今週は「野宿」がある。稽古で参加できなくなったらと考えるだけで、桜は涙が出てきそうだった。

 野宿だけは絶対勝ち取りたい。

 桜にとって、4人でのまもりの痕跡探しよりも遊びの方が大事になっていた。
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