第55話 桜、冷たい拍手をする

文字数 3,647文字

「も、もしもし、向日葵さん?今、大丈夫ですか?」

 柏とひと騒動あった日の夜のことだ。橘平はベッドに正座し、向日葵に電話を掛けていた。

『OKだよ。なあに~?』

 橘平のスマホから、いつもの明るく、母のような姉のような優しい向日葵の声が聞こえてくる。

「俺、たいどーやります!」

 橘平は力強く宣言した。桜の役に立ちたい、その一心で彼は決意を固めたのだ。

『あらあ嬉しい!じゃあこれから毎週アレ以外の事で、きーくんに会えちゃうわけ?超プライベートじゃん。お稽古デートだわね』

 アレ、つまり悪神のことだ。稽古もアレ退治の一環ではあるけれど、桜はいないし、今のところ葵も見当たらない。向日葵とだけ会うのだ。

 向日葵のことを姉のように慕う橘平も、毎週「プライベート」で彼女に会えると思うと嬉しくなる。

 それと同時に、恋する優真の顔がちらつく。彼の知らないところで、彼の想い人と交流を深めるのは若干胸が痛む。しかもお稽古デートと言われた。

「デートはしません!こ、今週の稽古も行くんで、よろしくです!おやすみなさい!」



 今週のはじめ、橘平と向日葵の間にそんな電話があった。

 話はその週の水曜の夜、つまり、桜と葵が史料調査をすると約束した日に移る。

 しかし、その約束は果たされなかった。村に住む高校生以上の有術者全員がその夜、お伝え様の拝殿横の会館に集められたからだ。ちなみに、以前の青葉のように、理由があって外で働く人や他県で下宿中の学生などは不参加である。

 会館は普段、地元の人たちの各種慶事や行事などに利用されている。今日も一種の行事かもしれないが、全く面白い内容ではない。

 本日彼らが集められた理由。それは「妖物」だ。これから村として、有術が使える特殊な一族として、どう対応していくか。そういう話である。

 日々強さを増すバケモノたち。このまま村全体を恐怖に陥れる脅威となるのか、それとも突然この状況に終止符が打たれるのか。先行きは不透明だ。

 ただ、現状をみるにつけ、「妖物」の勢いは増し続けるか、この状況が続くのではないかとみた一宮家当主の吉野らは、今夜の会合を思い立った。 

 普段さまざまな職に就く有術者たちが一堂に会することは、非常に珍しい。剣術等の稽古も常に全員がそろうわけではないし、そもそも、これまでの歴史上、集まる必要性がなかった。

 有術を扱えるのは環境部の職員だけではない。一宮、二宮、三宮家の多くの人間が扱える。そして、もし子供たちに危害が及んだらと教員、そのほか消防署や警察など、成人有術者はさまざまな職種に配属されている。

 その中でも、有術や身体能力の比較的高い人間が、普段から妖物に対応する村役場の環境部野生動物対策課に置かれている。同部自然環境課は野生動物対策課が繁忙な時にサポートする役割があり、こちらも能力のある人員が集まっている。

 今日の会合、まずは現場をよく知る環境部が中心となって、今、村で起こっている妖物の現状を解説することになっている。そのため、職員たちは会場設営や資料などの準備をしていた。

「いやあ、実はこんなにいるものだったか、有術者」野生動物対策課係長の三宮伊吹が、マイクの準備をしながら会場を見渡す。

 まだ参加者たちは集まってはいないものの、葵と樹が設置するパイプ椅子の数をみて、そう漏らした。

 パソコンの設定をする二宮蓮が答える。

「よくよく考えれば、物騒な村ですよね。ひまちゃん、延長ケーブルどこ?」

 椅子に資料を置いていた向日葵、「はーい」と延長ケーブルを探しに行った。

「それにしても緊張するなっ!こんな大勢の前でしゃべるなんて、大人になってから初めてさ」

「そーいう仕事じゃないですからね、俺ら。緊張してど忘れしないでくださいよ、伊吹さん」

「ふふ、忘れたら蓮君にマイクを渡そうかなっ!」

「やめてください、人前でしゃべるなんて絶対嫌です。ああ、そしたらアイツにマイク渡そ」

「葵君か?」

「そうです。恥かかせてやろうかと」

「はっはっは、彼はきっと、僕よりプレゼン上手だよ」

 蓮は大きく舌打ちする。

「そーですよね、きっと。顔が良くて背が高くてプレゼンできそう?あー腹立つ」

 延長ケーブルを持ってきた向日葵は、蓮に渡す。資料配布に戻ろうとすると「ひまちゃん、アイツの弱点ないの?」蓮が葵の方に視線を投げながらそう呼び止めた。

「葵?」向日葵は葵の方を盗み見て「…弱点だらけだと思うけど…」ともらす。

「それって」

 蓮が効き返そうとした時、「向日葵、それらと喋ってないで早く資料配布してちょうだい」桔梗から注意が飛ぶ。急いで向日葵は仕事へ戻った。

 次第に、参加者たちもぽつぽつと集まって来た。

 妖物の現在の概要については、すでに、各家に伝えている。しかし、まだ身近な脅威となっていないこともあり、参加者たちのほとんどは、気安い気持ちで会場にやってきていた。会が始まるまで、あちこちで談笑していた。

 そうした参加者たちの空気もあり、会合は緩やかな雰囲気で始まった。

 最初に、桜の父で権宮司の一宮千里から挨拶と今日の趣旨説明があった。彼の厳しい風貌と語調もあり、参加者たちの緩さは半分ほど引き締まった。よほどのことが起こっているのだろうかと、想像させる挨拶だった。

 そして、伊吹による現場説明。この日のために、写真や動画をふんだんに撮影しており、資料説明とともにそれらを流す。ちなみに撮影・編集は蓮が担当。課長による的確で厳しい修正指示とリテイクを経て完成した映像は、その辺のパニック映画よりも迫力ある作品に仕上がった。

 百聞は一見に如かずというけれど、この動画効果は大きかった。参加者たちは一気に身が引き締まる。有術を使わない職業に就いたとしても、能力者として稽古は積んでいるし、さらにいえば稽古の一環で、一度は実際の妖物を見たことがある。

 しかし、彼らが目にしたことのあるものは、ちょっと凶悪な柴犬や野兎程度。この映像に映っているような、巨大で尻尾が7本もある猿やするどい牙のある鹿、目のない虎、クマほどの大きさの狸…そんなものではなかった。

 次に、今後の対策については、野生動物対策課の二宮公英課長が担当。

「今後、休日限定で、高校生以上の若者に駆除のお手伝い願おうと思っています。ほとんどの人は動画にあったような妖物と出会ったことがないだろうから、近々、現場を見学する機会を設けたいと思っています。その後、環境部監督の下、実戦体験もします」

 参加者からどよめきが起こる。40代の男性が手を挙げた。

「すみません、話の途中で。高校生は早すぎやしませんか。うちの子も高校生ですけど」

「そんなことはありませんよ!うちの樹君と葵君、ひまちゃんもだっけ、偶然にも学生の頃、当時は数年に一度でるかっていう凶暴なクマタイプに出会っちゃって。頼れる大人もいない中、三人で駆除したんですよ」

 ただ山で遊んでいただけの三人は武器など持っているはずもなく、その辺の木の枝などで対応していた。当時から葵と樹は能力のレベルが高かったということもあるが、それでも駆除できたことを考えると、最近の妖物の強さがどれほど異常かうかがえる。補足すると、彼らが駆除した後に、当時の環境部職員が到着した。

 質問した男性は反論した。

「比べる相手が間違っているでしょう、彼らはレベルが高い」

「葵君とひまちゃんなんて小学生だったんじゃない?それに比べたら高校生だよ?全然、早すぎないから。大丈夫OK。じゃあ次に進みまーす」と質問について打ち切った。手を挙げても、公英は無視を決め込み、男性は仕方なく席に着いた。

 この説明パート、公英はこう締めくくった。

 「高齢の方やお体の具合の悪い方は、この現状を知ってもらうだけで構いません。ただ、もし、引退された方でも『支ふ』能力ならばお手伝いできるという方、ぜひ、ご協力を願いたい。特に私の補助求む!私の!」

 この一言には環境部職員一同、「余計なことを」とぴりついた。

 会の最後に、あらためて封印の歴史と守る意義を、お伝え様の宮司で一宮家当主の吉野が説いた。

「この村が悪神を封印しているからこそ、この世は平穏なのです。つまり、私たちが世界を守っているわけです。この事態の原因を早急に解明し、この世の平和を守りましょう。私たちの尊い使命に誇りをもって、共に、この状況を乗り越え、封印を守りましょう」

 二宮課長の説明に不満が湧いた参加者一同だったが、吉野の言葉には感動し、拍手が沸き起こった。さすが長年、村をまとめ上げてきた長老である。

 ただ一人、桜だけは「見かけだけ」の拍手を送っていた。

 このたびの妖物の脅威は、桜たちが森に入ったことが招いた結果かもしれない。しかし「封印を守る」ことしか、この場の人間たちは考えられないようにできてしまっている。

 全員の目を覚ますには「なゐ」を消滅させるしかないのだろう。

 桜は冷たい目で、大きな拍手を送る皆と、前で笑顔を見せる吉野を観察していた。
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