第39話 向日葵、八神親子が大好きだと気づく

文字数 1,737文字

 話は昼に戻る。

 向日葵が総務部での用事を済ませ、自身の課へ戻る道中のこと。廊下で橘平の父・幸次に出会った。

「向日葵ちゃん、こんにちは」

「やっがみかちょ~!こんにちは~!」

「そういや今日、息子がお世話になるみたいで」

「お世話だなんてえ!私が誘ったんですから!」

 思い切り手を横に振り、向日葵は笑顔を浮かべる。

「それで思い出したんだけどさ、実は橘平ってちっちゃいころ、武道教室に見学いっててさ」

「ふえ?」

「そんときに橘平の面倒見てくれたの、向日葵ちゃんだったんだよね」

「ぬええ!?全く覚えてないです!」

 向日葵は間抜けな声で驚いた。言葉通り、全く記憶にない。

「あの子なんてもっと覚えてないよ。いやあ、それにしてもさあ」

 黒縁眼鏡の奥にある幸次の目じりが下がる。

「君は昔から変わらない」

「めっちゃ変わりましたよう!テンションとか、メイクとか髪色とか、なんかいろいろ!」

「見た目じゃないよ。心だよ。あの頃と変わらず、向日葵ちゃんは優しくて素敵な子だね」

 優しくて素敵。向日葵はその言葉に胸が「きゅん」となるのを感じた。

「息子と仲良くしてくれてありがとう。じゃあよろしくね」

 そういって幸次はすたすたと歩いていった。

 入職当時より、向日葵の中で幸次は「役場一、優しい紳士」である。

 彼女の金髪やメイクについて何一つ言わない、外見に惑わされることなく、内面に真摯に向き合ってくれる人物だ。橘平の素直で優しく、気配り上手なところは父親似なのかもしれない。向日葵はそう感じた。

「やーん、私もしや、八神親子がタイプってこと~?」

 軽くスキップしながら自席に戻った向日葵は、仕事を他所にして、とろけた顔でふふふ、っとにこにこしていた。

 その様子に桔梗が「良いことあったの?」と声をかける。

「うふふふ~私ってえ『優しくて素敵な子』、なんですって~!」

 桔梗が眉をひそめる。

「もしかして誰かに口説かれたの?どこ課のクソよ。それとも窓口に来た村人?」

 葵の耳がぴくりと反応する。

 先ほどからの彼女の嬉しそうな様子。とても気になっていたが、葵は向日葵と、職場では仕事以外の話は極力しないようにしていた。向日葵も同様である。

「違いますよお~!福祉の八神課長がぁ、向日葵ちゃんは子供のころから優しくて素敵って」

「八神幸次が?!無害な顔してクソだったのね、私の向日葵を」

「だから本当にそーいうんじゃないんです!あー課長素敵。いつも思うけど、外見じゃなくて中身を見てる人なんだもん。きゅんっとした!私もそーいう人と一緒になりたーい!」

 桔梗は立ち上がり、すたすたと向日葵の席までやってきた。

 そして向日葵の机をバン、と叩いた。

「向日葵、この世の男の9割はクソよ。口が上手いヤツはもれなくクソよ。あなた、騙されやすいかもしれないからクソには気をつけなさい」

「9割って」

「この課をみなさい。今、男がいないから言うけど、樹ちゃん以外クソだわ。はい9割」

 桔梗は樹のことを、なぜか相当気に入っている。しかし他の男性職員、特に課長のことは大嫌いを通り越して、表現の仕様がない。

 しかし今、課に「男がいない」と言ったが葵はいる。

「にしても、八神幸次ごときに陥落するなんてぬるすぎるわ。訓練しなきゃ。葵!」

 突然振られた葵は、おもわず肩がびくっと動く。一応、居たことは認識されていたらしい。

 桔梗は葵の隣席の椅子に座る。樹の席だ。

「あんた『向日葵ちゃんは優しくて可愛いね』って言ってみなさい」

「や、優しくて素敵、では」

「なんでもいいわよ、ほら言って」

 桔梗は手の甲で葵の頬を軽く叩いた。

「別に向日葵のこと何とも思ってないから言えるでしょ。訓練させなきゃ。クソに捕まったら可哀そうだわ」

 何とも思っていない。

 二人は周囲にそのように「見せてきた」。桜の守役も含め、子供のころからただの「同僚」。特に向日葵は慎重に、必要以上に「距離」を取ってきたのだ。

 先日、葵の方からその距離を詰めるという事件が起こったけれど、職場での振る舞いは別問題。外では向日葵と距離を取らねばならないことは、重々承知だ。

 ここで変に戸惑うのは逆効果だと判断した葵は、向日葵に言う。

「向日葵ちゃんは優しくて可愛いね」

 葵は時間が止まったような気がした。
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