第70話 橘平、お役に立つ

文字数 3,004文字

 彼らの目の前に妖物が現れた。目が顔の半分はあり、口がない、そして通常の3倍の巨体を持つヒグマ型だ。目が鋭く光り、巨大な体がゆっくりと動き出した。

「きーちゃん離れて!」

 その声と同時に、橘平は走ってその場から距離を取った。比較的太い木の裏から見守ることにした。

 ヒグマは彼らの姿を認めるや、地面を思い切り叩いた。すると、大量の土が噴きあがり、目の前が見えなくなった。

 向日葵は見えないながらも感覚で走り抜ける。土を感じなくなったところで振り向くと、ヒグマは葵を追いかけていた。向日葵もそのまま、ヒグマの背を追う。

 葵は懸命に走るも、距離はどんどん詰められていった。近場の木を利用して蹴りあがりヒグマに日本刀を振り下ろすも、ヒグマは片手で刃を受け止めた。

 有術を最大限に出力し、つばぜり合いになりながらも、葵はヒグマの手を溶かしていく。だが、それだけでは致命傷にはならなかった。

 その間に、向日葵がヒグマに追いつき、後ろから転倒させた。

 葵は刀を振り上げたが、ヒグマは草と土の上をさらに早く転がって刃を避けた。起き上がって葵に襲い掛かる。

 すると向日葵が素早く葵の前に躍り出て、橘平のお守りが書かれた手のひらをヒグマに向けた。ヒグマは向日葵たちに襲い掛かりたくも前に進めず、手を宙にかいている。

 この状況を見ていた橘平も、妖物の動きにおかしさを感じた。向日葵がお守りを描いた手を前に出した瞬間、これ以上進めなくなっているように見えるのだ。

「葵!」

 向日葵の背から抜けた葵は、ヒグマの背後に周って胸のあたりから水平に真っ二つにした。

 日本刀から放たれる、青白くまばゆい光が周囲を照らした。

 橘平の目の前でヒグマが溶けていく。

「これが、村人が知らない日常……」

 橘平は最初、これよりも巨大で恐ろしい、動物の形ですらない鬼のようなバケモノに遭遇した。あれで終わりだと思ったし、何も知らないからこそ、勇気を出せた。

 しかし橘平は妖物について、封印について、悪神について、いろいろ知り始めてしまった。

 これが日常となるとどうだろう。葵も向日葵も、何も知らない一般人たちのために危険な日々を送っている。ここから彼らを解放するのが桜の目指すところならば、橘平ができることは何だろうか。

 向日葵が駆けてきた。

「きっぺーちゃん、大丈夫だった?」

「俺は全然!お二人こそケガとか」

「私はないよん。汚れただけ」

 日本刀を鞘に納めながら、葵も橘平のほうへやってきた。

「葵さん、ケ」

「橘平君のおかげだな」

 葵が穏やかな笑顔を向けた。

「え?お、俺は何にもしてないですよ。見てただけで」

「いいや、君の描いたお守りはやっぱり『有術』だ」

 葵の言葉に橘平はほんの少し、自分に希望を見出した。役立たずでもみんなの役に立てるのかもしれない、と。

 

 橘平のお守りは特殊能力らしいことが実証された。実際に使用した二人の感想や、自分が見たこと、桜の話を総合すれば、ほぼ確定である。

 葵は課長の父親に駆除終了の連絡をし、3人は車に戻るため歩き始めた。

「知らなかった。お守りって超能力の類だったのか」

「魔方陣というのか、何かを書いて発動させる有術自体が他にないからなんとも言えないんだが、お守りだけの力じゃないと俺は思う」

「じゃあやっぱり……」

「きっぺーも有術者ってことねん」

 そうは言われ、お守りの力を見たところでも、まだ橘平には自身のことが信じられなかった。お守りを書いている時に、体や心に変化はなく、超能力を使っている自覚がない。

「父さんやじいちゃんも使えるのかなあ。でもそんな話は」

「可能性はあるよね。お父さんもおじいちゃんもおじさんも、手先が器用だわ」

「手先が器用なのと有術、関係あるんすかね」

「わかんないけど。似てる技術を持ってるってのがさ、八神家のキモなのかな~って思ったの」

「あくまで推測でしかないから、八神家の他の人については、これから探っていく必要があるかもしれないな」

 橘平は太い木の根をまたぐ。

「家帰ったら父さんたち観察してみるっす。おかしなところないか」

「ありがとう。で、橘平君が有術を使えるとわかったところで問題なのは、この能力をどう扱うかだ」

 現代では一宮、二宮、三宮の血筋の者しか使えない有術。別の家の者が「使える」ことが彼ら以外の人間に知られた場合、どのように扱われるのかが分からなかった。

 各家に伝わる有術は、その家代々の能力もあれば、使わなくなった他の家から受け継いだものもある。今となってはどの能力がどの家のものだったのかは、分からなくなっていた。

「もしかして八神って、一宮家に有術を渡さなかった家なのかなあ。え、ってか渡さなかったとかできるの?何も言い伝え聞いたことないな!?うわ、謎が多すぎ八神家!!何!?」

「いや俺が知りたいですって!うちに大げさなヒミツなんてあるとは思えないし……」

 橘平の持つお守りの能力。彼らは聞いたことも見たこともない。

 未知の力があると一宮そのほかに知れた場合、

「歓迎されるか、排除されるか、それともいいように利用されるか、どれだろうな」

 その点が悩みどころだった。

「いいように利用されそうなんだよなあ。いっちゃん可能性ありそ。だってさ、すっごい使えるもん、このチカラ」

「そんな使えるんすか?」

「うん、駆除、めちゃ楽になると思う」

「誰かの役に立つなら使いたいです」

「いやいや、ほら、未成年の子も手伝わせる話、したでしょ?バレたらきっちゃんも投入されちゃうかも。それは嫌」

 向日葵が一番危惧するのはそこだった。もう巻き込んでしまっているとはいえ、妖物とは何の関係もなく育った彼を仕事にまでは巻き込みたくはなかった。

 これだけの能力だ。仕事関係の差配は優秀な課長辺りが便利に使い倒すような気がしてならない。向日葵と葵も彼を利用しているかもしれないが、他の大人よりは、橘平を大切にする自信はある。

「確かに、みなさんのお仕事に関わると『なゐ』のこと調べる時間も減るし、もしかしたら調べてることもバレちゃうかもしれない。それってみんなに迷惑かけちゃうなあ。それに」

 あと一歩踏み出せばアスファルト。その手前の土の上で橘平は立ち止まる。すでに山を抜けた向日葵と葵は、少年を振り返る。

「こんな能力があるって知れたら、八神家のみんなはどうなっちゃうんだろう。じいちゃんや父さん、おじさん、みんな……一宮の人に悪く言われたりするのかな」

 能力が明るみに出ることで、桜たちには迷惑がかかってしまうし、家族は一体どんな扱いを受けるのか。橘平はそれが気がかりだった。

「俺一人が何か言われたりされたりは平気だけど……家族はな」

 橘平はアスファルトと山の境界に視線を落とす。土で汚れた運動靴の上を、蟻が歩いている。

 家族や周りの心配をする心優しき少年の様子を、向日葵と葵はしばらく見つめていた。

「……取り合えず、橘平君の能力はバレないようにしよう。俺らも便利だからといって、普段の仕事には絶対使わない」

「うん、使わない」

「ええ、お役に立ちたい」

「ダメダメ、使い過ぎたらバレるでしょ」

 向日葵は橘平の背を押し、山から出るよう促す。

 彼らは車に乗り込み役場へ戻ろうとした。ところが向日葵のスマホに妖物出現の知らせが入り、そのまま急行した。

 やっと役場に戻れた3人は、向日葵が作ってきたハンバーグ弁当を食べ、午後に備えた。
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