第84話 葵、真の一人になる
文字数 2,616文字
稽古の後半、有段者たちの試合形式での稽古が始まった。子供たちにとっては見取り稽古の時間だ。補足すると、躰道は体重などでクラスが分かれないため、練習試合も体格は関係なく行われる。
橘平は初めて葵の試合を見た。妖物相手でも人間相手でも、洗練された刀のように、切れ味が鋭い動きである。
相手は蓮だ。二人の実力は伯仲しているようで、技を繰り出しあうもなかなか決定打が出ない。素早いのは蓮の方であるけれど、技の重さがなく避けられてしまう。葵は手足の長さを活かしてはいるものの、蓮が素早く躱す。それぞれの体格をいかした動きで試合は進むも、引き分けで時間切れとなった。
「なまってる君なら僕でもぼこせると思ったのに」
「……毎日仕事してるから、なまりませんよ」
向日葵は男性陣を身軽さで翻弄し、余裕で勝利していた。他にも女性はいるものの、彼女らでは向日葵の相手にはならない。
ついに、橘平待望の対戦が始まる。葵と向日葵の試合だ。
助け合って戦う二人しか見たことがない橘平は、興奮で動画がブレそうだった。隣の小学生に「三脚持ってる?」と聞いてみたが「あるわけないじゃん」と返って来た。橘平はなるべくブレない持ち方を模索する。
さすがに向日葵相手は危険なのか、葵はメガネを外した。
ギャラリーはざわつく。蓮は舌打ちし、樹は「カワイイお顔」と見惚れていた。
「すいませ~ん、ギャラリーの方々。皆様のアイドルけちょんけちょんにしちゃいます!今から謝っておきまーす!」向日葵は元気よく宣言した。
保護者含め大半の人間は向日葵の強さを十分知っているし、長く通っている人間はこの二人の対決を何度か見ている。むっとする見学者たちだが「まあ仕方ない」と飲み込む。なにせ、葵が向日葵に勝ったところを見たことがないのだ。
蓮はコートに立つ前の葵に「久しぶりにかっこ悪い君が見られるね」と余計なことを一言を添える。
俺はいつもかっこ悪いけど。
その思いで葵はコートに立った。
葵は周りからの評価が子供のころから理解できない。自分の何がかっこいいのか、素敵なのか、優秀なのか、全然わからない。一人じゃ何一つできない人間だから努力しているのに、家族が医者だから勉強はできて当たり前、有術も見た目も生まれつきと言われる。彼の努力は評価されたことがなかった。
自分の持っているもの、どれにも自信がない。それが三宮葵の中身だ。
剣術は刀という「相棒」がいる。武術は己しかいない。
身一つで立つ場所は、無意識に委縮してしまう。そんな「自分しか頼れるものがない」場所で、試合が始まった。
「よろしくお願いしまーす!」
向日葵は元気の良い挨拶そのまま、積極的に葵を攻めた。軽くて速く、柔らい動きに、他の有段者は追いつくのがやっとであったが、葵は食らいついていく。
疲労を狙う戦略もあるけれど、力強さと体力もある向日葵には使えない。葵はすれすれで技をかわすのに精いっぱいで、自らの技をなかなか出すことができなかった。
向日葵は向日葵で、すべて寸前でかわされ、技が入らないことにやきもきする。他の男性陣ならもっと余裕で技があてられるのに、と。
多少疲れが見え始めた葵の隙をみて、向日葵の鋭い蹴りが彼の胴を狙う。
「もらった!」
素手ではほとんど、葵は彼女に勝てたことがない。向日葵が圧倒的な強さを誇ることもあるけれど、葵は心の奥底に「勝ちたくない」気持ちがあった。葵自身は気づいていないことだ。無意識が勝手に、彼女とはそれ以上争わないように仕組んでいる。
変体斜上蹴りが当たりそうになった葵は、それを紙一重で躱した。いつもならそれで逃げてしまうところだったのに、倒れた向日葵にいつの間にか突きを入れていた。
葵の眼下に向日葵がいる。
「…なんで俺…」
本来なら自分がとるべき態勢を彼女がとっていた。
そこで試合は終了。葵の勝利で終わった。保護者たちは「良いものみた」顔で溢れている。
「…葵が…勝った」コートの上で大の字に倒れ込んでいる向日葵がつぶやく。
葵も勝てるとは思っていなかった。本当に向日葵は強い。彼自身、びっくりしていた。
嬉しいはずなのに、なんとなく向日葵に対して申し訳ない気持ちが湧いてきた。
向日葵はうっすら涙を浮かべている。
「え、向日葵」
「リベンジ!」
彼女は勢いよく立ち上がり、葵を指さす。「次は勝つから!!もう負けない!!」
試合終了のあいさつもそこそこに、ずんずんとコートから出て行った。挨拶が適当だと、唐揚げ課長に叱られていた。
◇◇◇◇◇
「向日葵さん!」
稽古後、駐車場に向かう向日葵を呼び止めた。
熱気あふれる稽古場から一転、肌寒さを感じる野外。向日葵は道着からスカイブルーのジャージに着替え、上からウインドブレーカーを羽織っている。
「お、なーに?」
橘平は試合動画を桜に見せていいのか尋ねた。彼女が負けてしまった試合だ、あまりいい気がしないだろうと考えたのだ。
「いいよ。撮っていいって言ったわけだし。なーに、気にしてる?勝つっていったのに負けたから」
「い、いや…」
「もう、優しいなあ、きっちゃん。汗臭くなかったら抱きしめちゃうのにい!」
いつものようにふざけた口ぶりではあるけど、橘平はその裏に別の感情が隠されていることを感じた。
「…じゃあ、見せます。桜さん、うちに来るし」
「でも橘平ちゃんにさ、私が葵より強いとこ見せらんなくてショックだよ~。ほとんど負けたことなかったんだよ?ホントだからね?」
「疑ってませんよ!」
「うふふ。次は勝つからね!楽しみにしててね」
そういって、彼女は、作り笑顔で帰っていった。
橘平の背後から葵が声をかけてきた。
「お疲れ様」
向日葵に勝ったというのに、敗北したかのような暗い表情だ。その理由は橘平には見当もつかないけれど、こういう時こそ、自分がお役に立てるのだと葵の手を取った。
「なんだ?」
手のひらにお守りを描いた。
「は? なんで?」
「葵さん、勝ったのに負けた顔してるから。あったかい気持ちになれるように…おやすみなさい」
そう言うと橘平は駐輪場へ歩いていった。ちなみに、母は車でさっさと帰ってしまった。
◇◇◇◇◇
帰宅した橘平は、早速、桜に報告した。
〈どうだった?〉
〈葵さんが勝った〉
〈えええ!? そうなんだ!?〉
〈うち来た時動画見せるね。接戦だったよ〉
〈楽しみ~妹の看病今日までだから、明日は行けるよ!〉
〈まじで?OK明日来て!〉
橘平は初めて葵の試合を見た。妖物相手でも人間相手でも、洗練された刀のように、切れ味が鋭い動きである。
相手は蓮だ。二人の実力は伯仲しているようで、技を繰り出しあうもなかなか決定打が出ない。素早いのは蓮の方であるけれど、技の重さがなく避けられてしまう。葵は手足の長さを活かしてはいるものの、蓮が素早く躱す。それぞれの体格をいかした動きで試合は進むも、引き分けで時間切れとなった。
「なまってる君なら僕でもぼこせると思ったのに」
「……毎日仕事してるから、なまりませんよ」
向日葵は男性陣を身軽さで翻弄し、余裕で勝利していた。他にも女性はいるものの、彼女らでは向日葵の相手にはならない。
ついに、橘平待望の対戦が始まる。葵と向日葵の試合だ。
助け合って戦う二人しか見たことがない橘平は、興奮で動画がブレそうだった。隣の小学生に「三脚持ってる?」と聞いてみたが「あるわけないじゃん」と返って来た。橘平はなるべくブレない持ち方を模索する。
さすがに向日葵相手は危険なのか、葵はメガネを外した。
ギャラリーはざわつく。蓮は舌打ちし、樹は「カワイイお顔」と見惚れていた。
「すいませ~ん、ギャラリーの方々。皆様のアイドルけちょんけちょんにしちゃいます!今から謝っておきまーす!」向日葵は元気よく宣言した。
保護者含め大半の人間は向日葵の強さを十分知っているし、長く通っている人間はこの二人の対決を何度か見ている。むっとする見学者たちだが「まあ仕方ない」と飲み込む。なにせ、葵が向日葵に勝ったところを見たことがないのだ。
蓮はコートに立つ前の葵に「久しぶりにかっこ悪い君が見られるね」と余計なことを一言を添える。
俺はいつもかっこ悪いけど。
その思いで葵はコートに立った。
葵は周りからの評価が子供のころから理解できない。自分の何がかっこいいのか、素敵なのか、優秀なのか、全然わからない。一人じゃ何一つできない人間だから努力しているのに、家族が医者だから勉強はできて当たり前、有術も見た目も生まれつきと言われる。彼の努力は評価されたことがなかった。
自分の持っているもの、どれにも自信がない。それが三宮葵の中身だ。
剣術は刀という「相棒」がいる。武術は己しかいない。
身一つで立つ場所は、無意識に委縮してしまう。そんな「自分しか頼れるものがない」場所で、試合が始まった。
「よろしくお願いしまーす!」
向日葵は元気の良い挨拶そのまま、積極的に葵を攻めた。軽くて速く、柔らい動きに、他の有段者は追いつくのがやっとであったが、葵は食らいついていく。
疲労を狙う戦略もあるけれど、力強さと体力もある向日葵には使えない。葵はすれすれで技をかわすのに精いっぱいで、自らの技をなかなか出すことができなかった。
向日葵は向日葵で、すべて寸前でかわされ、技が入らないことにやきもきする。他の男性陣ならもっと余裕で技があてられるのに、と。
多少疲れが見え始めた葵の隙をみて、向日葵の鋭い蹴りが彼の胴を狙う。
「もらった!」
素手ではほとんど、葵は彼女に勝てたことがない。向日葵が圧倒的な強さを誇ることもあるけれど、葵は心の奥底に「勝ちたくない」気持ちがあった。葵自身は気づいていないことだ。無意識が勝手に、彼女とはそれ以上争わないように仕組んでいる。
変体斜上蹴りが当たりそうになった葵は、それを紙一重で躱した。いつもならそれで逃げてしまうところだったのに、倒れた向日葵にいつの間にか突きを入れていた。
葵の眼下に向日葵がいる。
「…なんで俺…」
本来なら自分がとるべき態勢を彼女がとっていた。
そこで試合は終了。葵の勝利で終わった。保護者たちは「良いものみた」顔で溢れている。
「…葵が…勝った」コートの上で大の字に倒れ込んでいる向日葵がつぶやく。
葵も勝てるとは思っていなかった。本当に向日葵は強い。彼自身、びっくりしていた。
嬉しいはずなのに、なんとなく向日葵に対して申し訳ない気持ちが湧いてきた。
向日葵はうっすら涙を浮かべている。
「え、向日葵」
「リベンジ!」
彼女は勢いよく立ち上がり、葵を指さす。「次は勝つから!!もう負けない!!」
試合終了のあいさつもそこそこに、ずんずんとコートから出て行った。挨拶が適当だと、唐揚げ課長に叱られていた。
◇◇◇◇◇
「向日葵さん!」
稽古後、駐車場に向かう向日葵を呼び止めた。
熱気あふれる稽古場から一転、肌寒さを感じる野外。向日葵は道着からスカイブルーのジャージに着替え、上からウインドブレーカーを羽織っている。
「お、なーに?」
橘平は試合動画を桜に見せていいのか尋ねた。彼女が負けてしまった試合だ、あまりいい気がしないだろうと考えたのだ。
「いいよ。撮っていいって言ったわけだし。なーに、気にしてる?勝つっていったのに負けたから」
「い、いや…」
「もう、優しいなあ、きっちゃん。汗臭くなかったら抱きしめちゃうのにい!」
いつものようにふざけた口ぶりではあるけど、橘平はその裏に別の感情が隠されていることを感じた。
「…じゃあ、見せます。桜さん、うちに来るし」
「でも橘平ちゃんにさ、私が葵より強いとこ見せらんなくてショックだよ~。ほとんど負けたことなかったんだよ?ホントだからね?」
「疑ってませんよ!」
「うふふ。次は勝つからね!楽しみにしててね」
そういって、彼女は、作り笑顔で帰っていった。
橘平の背後から葵が声をかけてきた。
「お疲れ様」
向日葵に勝ったというのに、敗北したかのような暗い表情だ。その理由は橘平には見当もつかないけれど、こういう時こそ、自分がお役に立てるのだと葵の手を取った。
「なんだ?」
手のひらにお守りを描いた。
「は? なんで?」
「葵さん、勝ったのに負けた顔してるから。あったかい気持ちになれるように…おやすみなさい」
そう言うと橘平は駐輪場へ歩いていった。ちなみに、母は車でさっさと帰ってしまった。
◇◇◇◇◇
帰宅した橘平は、早速、桜に報告した。
〈どうだった?〉
〈葵さんが勝った〉
〈えええ!? そうなんだ!?〉
〈うち来た時動画見せるね。接戦だったよ〉
〈楽しみ~妹の看病今日までだから、明日は行けるよ!〉
〈まじで?OK明日来て!〉