第91話 向日葵、呼び出される
文字数 2,404文字
一般有術者が駆除の見学をしていた頃のこと。葵にまんまと誘導された向日葵は、ジャージを受け取りに朝10時に古民家へ……。
は、行かなかった。
葵から受け渡し場所に指定されたのは、車で3時間ほどの海水浴場だった。意味が分からず抵抗したが「来ないなら職場で、席で、渡す」と電話でおどされ、しぶしぶやってきた。職場よりは寂しい地方の海辺の方が、人の目が少なく安心と言えた。
夏は満車になる海水浴場目の前の駐車場も、3月後半はがらがらだ。駐車されている数台の車の中から、向日葵はすぐに葵の車を見つけることができた。近寄ってみたが、車の中には誰もいない。
「えー、どこ行ったのかな?トイレ?」
向日葵は底の丸い小さめのピンクのハンドバックからスマホを取りだした。
すると、目の前の海岸から葵がやってきた。
「おはよう。こんちはか」
「オハヨーでもコンニチハでもないよ。なんで海?」
「ジャージが渡せればどこでもいいじゃないか」
彼の真意がわかりかねる向日葵は、それ以上場所については追及せず「ジャージ洗ってくれてありがとう」そう言い手を出した。
葵はその手を取り、歩き出した。
「違う違う!」向日葵は手を振りほどく。「ジャージを渡してって意味だよーわかるでしょ」
「今日一日、俺に付き合ってくれたら渡す」
「なんでよお!?」
「俺に吐いたの2回目だろ。悪いと思ってるなら、罪滅ぼしだと思って遊んでくれ」
そう言われてしまうと、彼女も反論できなかった。確かに2回も彼に向かって吐いておいて、朝ご飯を作っただけというのも罪滅ぼしとしては軽すぎるかもしれない。着替えや洗濯までしてもらったのだ。
「さすがにこの時期、村の連中はいないだろ。夏なら遊んでるかもしれないけど」
「……せめてちょっとくらい変装してよお。帽子被るとか」
「なんでだよ。犯罪者か」
「犯罪者っていうか芸能人? いつまで経っても自覚ないけど、目立つんだよ葵は。だからめちゃくちゃ気を付けなきゃいけないってのに」
「金髪に言われてもなあ」
「今日は隠してる!」
知り合いに遭遇しても一目で見抜かれないよう、向日葵は念のために黒のキャスケットを被り、髪の毛をできる限り収納している。さらに、メイクはファンデーションのみにし、ウェリントンの真っ黒なサングラスを掛けて顔を隠した。服装も黒のテーパードパンツに白のカットソー、黒のテーラードジャケットと、いつもの派手色は封印し、職場服を使いモノトーンでまとめた。
葵と言えば、いつものボストンメガネに細身の黒デニム、オフホワイトのコットンシャツ、カーキのMA-1。隠れるつもりはいっさいないスタイルだった。
ゆっくりと歩き出した葵に、向日葵は仕方なくついていった。
犬の散歩をする老夫婦とすれ違ったほかは、白い曇り空の下で数名のサーファーが荒い波に挑戦しているだけの景色だ。
向日葵はずっと葵の後ろを歩き、隣に並ぼうとしない。葵から彼女の隣へ並び、話しかけた。
「何もないのに出かけようって言っても、来なかったよな」
「そりゃそうだよ」
「ゲロに感謝だな」
「ふ、二人になりたいだけならさー、別に家でご飯だっていいじゃん」
「だって、向日葵と二人で出かけたことないから。どっかに行ってみたかったんだよ」
彼らはこれまで、二人きりになったことはある。けれど、二人で遊びに行ったことはない。
出かけるときには常に桜や菊、友人らがいた。
「本当はバイクがよかったけど」
「バイク?」
「橘平君が免許取ったら、海行くって話してたから」
4人で円形の森へ入った日のことだ。桜がバイクに乗れると知った橘平と向日葵は、こう話していた。
『へーかっけー。外の高校だもんな。俺もバイク取ろうかな』
『わーい、取ったら乗せて!海いこーぜ!』
『いいっすね海、ぜひ行きましょ』
「あれか!はいはい、そんな話したわ~」
「それもあるし、まあまあ近場で、村の人がいなさそうな場所ってことで」
「いちおー、考えてくれたんだね」
「それはな。向日葵だけじゃない、桜さんのためにも」
向日葵はキャスケットを外し、葵の頭に載せた。
「なんで」
「せめてものへんそー。桜ちゃんを思うのならね。ホントはサングラスもかけたいけど無理だからなー」
一つむすびの金髪を解き、向日葵はお団子にまとめた。
海岸の端の方まで歩いた二人は、街の方へ入り、近くのコンビニでマスクとドリップマシンのホットコーヒーを買った。向日葵はブラックにコーヒーフレッシュ、葵はカフェラテを購入した。
マスクは葵の変装用。店を出てすぐ、向日葵は葵にコーヒーを持たせ、マスクを着けてあげた。
コーヒー蓋のタブを起こすと、飲み口からつんと苦みのある香りが漂う。村のコンビニにはない味を楽しみながらまた海辺を歩き、彼らは駐車場へ戻った。
その後は近場にあった海の見える海鮮食堂でお昼を食べたり、車で少し離れた水族館にも行ったりと、休日を満喫したのだった。
◇◇◇◇◇
向日葵は水族館の駐車場で、本日の目的である「ジャージ」をやっと渡してもらえた。
「ありがとう」
受け取った紙袋を、向日葵はピンク軽の後ろの席に積んだ。
「こっちこそ、一日付き合ってくれて」そう言い、葵はキャスケットを向日葵の頭に被せ、マスクを取った。
「ううん。楽しかったよ。村の人の目を気にしないっていいね」
「『なゐ』が消滅すれば、もっと人目なんて気にしなくてすむ。明日、いい話が聞けるといいな」
葵は向日葵のサングラスを取り顔を近づけたが、彼女は葵の鼻をつまんだ。
「橘平ちゃんの有術、今日は『ない』です」
葵は向日葵の手を退かし「いや、俺は書いてもらったんだよ」
「いつ?」
「躰道の稽古の後」
「信じらんなーい、ばいばい」
葵の手からサングラスを奪い、向日葵は車に乗り込んだ。
彼女の車が走り出したのを見届けた葵は「きっぺーの役立たず!」ひとり勝手に、橘平に八つ当たりするのであった。
は、行かなかった。
葵から受け渡し場所に指定されたのは、車で3時間ほどの海水浴場だった。意味が分からず抵抗したが「来ないなら職場で、席で、渡す」と電話でおどされ、しぶしぶやってきた。職場よりは寂しい地方の海辺の方が、人の目が少なく安心と言えた。
夏は満車になる海水浴場目の前の駐車場も、3月後半はがらがらだ。駐車されている数台の車の中から、向日葵はすぐに葵の車を見つけることができた。近寄ってみたが、車の中には誰もいない。
「えー、どこ行ったのかな?トイレ?」
向日葵は底の丸い小さめのピンクのハンドバックからスマホを取りだした。
すると、目の前の海岸から葵がやってきた。
「おはよう。こんちはか」
「オハヨーでもコンニチハでもないよ。なんで海?」
「ジャージが渡せればどこでもいいじゃないか」
彼の真意がわかりかねる向日葵は、それ以上場所については追及せず「ジャージ洗ってくれてありがとう」そう言い手を出した。
葵はその手を取り、歩き出した。
「違う違う!」向日葵は手を振りほどく。「ジャージを渡してって意味だよーわかるでしょ」
「今日一日、俺に付き合ってくれたら渡す」
「なんでよお!?」
「俺に吐いたの2回目だろ。悪いと思ってるなら、罪滅ぼしだと思って遊んでくれ」
そう言われてしまうと、彼女も反論できなかった。確かに2回も彼に向かって吐いておいて、朝ご飯を作っただけというのも罪滅ぼしとしては軽すぎるかもしれない。着替えや洗濯までしてもらったのだ。
「さすがにこの時期、村の連中はいないだろ。夏なら遊んでるかもしれないけど」
「……せめてちょっとくらい変装してよお。帽子被るとか」
「なんでだよ。犯罪者か」
「犯罪者っていうか芸能人? いつまで経っても自覚ないけど、目立つんだよ葵は。だからめちゃくちゃ気を付けなきゃいけないってのに」
「金髪に言われてもなあ」
「今日は隠してる!」
知り合いに遭遇しても一目で見抜かれないよう、向日葵は念のために黒のキャスケットを被り、髪の毛をできる限り収納している。さらに、メイクはファンデーションのみにし、ウェリントンの真っ黒なサングラスを掛けて顔を隠した。服装も黒のテーパードパンツに白のカットソー、黒のテーラードジャケットと、いつもの派手色は封印し、職場服を使いモノトーンでまとめた。
葵と言えば、いつものボストンメガネに細身の黒デニム、オフホワイトのコットンシャツ、カーキのMA-1。隠れるつもりはいっさいないスタイルだった。
ゆっくりと歩き出した葵に、向日葵は仕方なくついていった。
犬の散歩をする老夫婦とすれ違ったほかは、白い曇り空の下で数名のサーファーが荒い波に挑戦しているだけの景色だ。
向日葵はずっと葵の後ろを歩き、隣に並ぼうとしない。葵から彼女の隣へ並び、話しかけた。
「何もないのに出かけようって言っても、来なかったよな」
「そりゃそうだよ」
「ゲロに感謝だな」
「ふ、二人になりたいだけならさー、別に家でご飯だっていいじゃん」
「だって、向日葵と二人で出かけたことないから。どっかに行ってみたかったんだよ」
彼らはこれまで、二人きりになったことはある。けれど、二人で遊びに行ったことはない。
出かけるときには常に桜や菊、友人らがいた。
「本当はバイクがよかったけど」
「バイク?」
「橘平君が免許取ったら、海行くって話してたから」
4人で円形の森へ入った日のことだ。桜がバイクに乗れると知った橘平と向日葵は、こう話していた。
『へーかっけー。外の高校だもんな。俺もバイク取ろうかな』
『わーい、取ったら乗せて!海いこーぜ!』
『いいっすね海、ぜひ行きましょ』
「あれか!はいはい、そんな話したわ~」
「それもあるし、まあまあ近場で、村の人がいなさそうな場所ってことで」
「いちおー、考えてくれたんだね」
「それはな。向日葵だけじゃない、桜さんのためにも」
向日葵はキャスケットを外し、葵の頭に載せた。
「なんで」
「せめてものへんそー。桜ちゃんを思うのならね。ホントはサングラスもかけたいけど無理だからなー」
一つむすびの金髪を解き、向日葵はお団子にまとめた。
海岸の端の方まで歩いた二人は、街の方へ入り、近くのコンビニでマスクとドリップマシンのホットコーヒーを買った。向日葵はブラックにコーヒーフレッシュ、葵はカフェラテを購入した。
マスクは葵の変装用。店を出てすぐ、向日葵は葵にコーヒーを持たせ、マスクを着けてあげた。
コーヒー蓋のタブを起こすと、飲み口からつんと苦みのある香りが漂う。村のコンビニにはない味を楽しみながらまた海辺を歩き、彼らは駐車場へ戻った。
その後は近場にあった海の見える海鮮食堂でお昼を食べたり、車で少し離れた水族館にも行ったりと、休日を満喫したのだった。
◇◇◇◇◇
向日葵は水族館の駐車場で、本日の目的である「ジャージ」をやっと渡してもらえた。
「ありがとう」
受け取った紙袋を、向日葵はピンク軽の後ろの席に積んだ。
「こっちこそ、一日付き合ってくれて」そう言い、葵はキャスケットを向日葵の頭に被せ、マスクを取った。
「ううん。楽しかったよ。村の人の目を気にしないっていいね」
「『なゐ』が消滅すれば、もっと人目なんて気にしなくてすむ。明日、いい話が聞けるといいな」
葵は向日葵のサングラスを取り顔を近づけたが、彼女は葵の鼻をつまんだ。
「橘平ちゃんの有術、今日は『ない』です」
葵は向日葵の手を退かし「いや、俺は書いてもらったんだよ」
「いつ?」
「躰道の稽古の後」
「信じらんなーい、ばいばい」
葵の手からサングラスを奪い、向日葵は車に乗り込んだ。
彼女の車が走り出したのを見届けた葵は「きっぺーの役立たず!」ひとり勝手に、橘平に八つ当たりするのであった。