第109話 オカジオナリスム(偶因論)
文字数 784文字
「わたしも他力本願なところがありますから」
マリアがベネディクトと話している。
「それは本来の使い方ではありませんね」
神父はたしなめた。
「何も努力せず、他人の力に頼ること、と思われていますが、そうではありません」
「親鸞聖人でしたか?」
「そうですね。本願他力が元々の言い方で、自己を超えた絶対的な慈悲の力は、一切衆生の救済を約束する仏の願いによって成立する、と明らかにしました」
「聖なる御子と、考えることは似ていますね」
マリアはいま誰を思い浮かべているだろうか。
「普段はあまり気付きませんが、自分一人でなんでもやれているようでいて、本当に色んな人のお陰で生きているんだなと、感じます」
飼い犬のエルが目元を細めて聞いている。
「私も身の回りのことは自分で出来ますが、食料を生み出すことは出来ませんし、車も造れなければ家も建てれません」
話を合わせて神父が少しおどける。
「デカルトの偶因論も、参考になるかも知れません」
「ルネ・デカルトですか?」
「森羅万象の変化の原因が天の父にある、とする説ですね。被造物である人間の行為も原因であるように思えますが、人間が行為する機会を神が作っているのだと」
「それだけ取られると、反発する人もいるでしょうね」
マリアは慎重に応える。
「間違いありませんね。狂信的な思想と紙一重です。ですが、偶因論の出発点は、心がどのように身体へ働きかけるか、というところからでした」
「さきほどの本願他力のお話だと、御仏が一切衆生の救済を願って、慈悲の力があらわれる、ということでしたね」
「その通りです」
「そうすると、自分勝手な願望をねがっているだけでは、奇跡は起きにくいのかなと思いました。その人にとっては、大変な状況だったとしても」
「世の争いごとは、果実の配分で起こるとも言えますが、主 の恩恵はいくら与えられても消えることのない、無尽灯 のようなものです」
マリアがベネディクトと話している。
「それは本来の使い方ではありませんね」
神父はたしなめた。
「何も努力せず、他人の力に頼ること、と思われていますが、そうではありません」
「親鸞聖人でしたか?」
「そうですね。本願他力が元々の言い方で、自己を超えた絶対的な慈悲の力は、一切衆生の救済を約束する仏の願いによって成立する、と明らかにしました」
「聖なる御子と、考えることは似ていますね」
マリアはいま誰を思い浮かべているだろうか。
「普段はあまり気付きませんが、自分一人でなんでもやれているようでいて、本当に色んな人のお陰で生きているんだなと、感じます」
飼い犬のエルが目元を細めて聞いている。
「私も身の回りのことは自分で出来ますが、食料を生み出すことは出来ませんし、車も造れなければ家も建てれません」
話を合わせて神父が少しおどける。
「デカルトの偶因論も、参考になるかも知れません」
「ルネ・デカルトですか?」
「森羅万象の変化の原因が天の父にある、とする説ですね。被造物である人間の行為も原因であるように思えますが、人間が行為する機会を神が作っているのだと」
「それだけ取られると、反発する人もいるでしょうね」
マリアは慎重に応える。
「間違いありませんね。狂信的な思想と紙一重です。ですが、偶因論の出発点は、心がどのように身体へ働きかけるか、というところからでした」
「さきほどの本願他力のお話だと、御仏が一切衆生の救済を願って、慈悲の力があらわれる、ということでしたね」
「その通りです」
「そうすると、自分勝手な願望をねがっているだけでは、奇跡は起きにくいのかなと思いました。その人にとっては、大変な状況だったとしても」
「世の争いごとは、果実の配分で起こるとも言えますが、