第138話 Death, be not proud(死よ、驕るなかれ)

文字数 1,091文字

「しばらくぶりだな」
 ボスが抑揚の無い声を白馬に向けた。

「なんとか生きてますよ」
 白馬の服の下には、無数の傷が隠れている。

「メシヤ殿が悪の手から生きながらえているのも、お前達のおかげだ。この調子で頼むぞ」
 “達”という言葉が気になったが、ボスもめずらしく口を滑らせることがあるものだと白馬は自分を納得させた。

「世界中の悪党からちょっかいを出されて、メシヤも普通ならとっくに死んでいますね。それこそ、俺のおかげではなくボスの計らいだと思いますが」
 メシヤ周辺は絶妙なパワーバランスで成り立っている。これが東京住まいなら、話はまるで変わってくる。

「メシヤ殿のことを知らない輩は、ごくありきたりのターゲットだと処理するのだろう。ところがひとたび彼のことを知れば、自分たちが場を支配されてしまう」
 裁紅谷姉妹は、最初の指令といまの任務が途中で変更されている。

「ヨーコの手記に気になることがありましてね」
 白馬は元パートナーの名前を出した。

「世界五分前仮説のことかな?」
 話が早いのはありがたいが、こうも先を読まれてしまうのは相手の気分を害する。ボスはせっかちな性格だ。

「ええ。世界はたった五分前に作られたのかもしれないという思考実験がありますよね。それと似ているのですが、世界は1999年8月18日に作られた、という仮説です」
 その日はメシヤの生誕した日であった。グランドクロスで太陽系の惑星達が地球を中心に磔された日でもある。

 そんな馬鹿なことがあるものかとお思いになられたことだろう。大丈夫、あなたは正常だ。
「俺も20世紀末をほんの数年間過ごしましたが、1999年までの世界と、2000年以降の世界はなんと言いますかまったく変わってしまったような気がします」
 時代の変化という一言では片付けられない大きなファクターが、どうやら絡んでいるのではないかと、白馬は直感していた。

「白馬よ。お前もよく知っての通り、現代物理学においては時間は存在しないのだよ」
 ボスは頭がおかしくなった訳では無い。メシヤの生まれる前にも、世界はちゃんと存在していた。だがこの日が究極のゼロポイントで、何千年も前の現象が2000年以降に観測されるようになったり、古代の発明を現代に再現しようという動きが活発になったりもした。未来の出来事が過去に影響を及ぼすことは通常ならありえないが、2000年以降、新たな事実が古文書で続々と見つかり、歴史が次々に書き換えられていった経緯がある。

 歴史の偏在が、良い意味でフラットになる。どちらが過去でどちらが未来か曖昧な世界。過去と未来の優劣も、もちろん評価することは出来ない。







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