#48-2 つじつま <征司視点>

文字数 4,428文字

嘘みたいに状況が動いていく。そんな気がしてる。
それがいいほうにだと思いたい。

明日の公演の準備をしている。バイオリンの音。これだけで俺はここに居る。

「恵まれてるな」

俺は小さい頃からバイオリンと一緒だった。初めの頃は嫌だった。友達が遊ぼうと誘ってくれても断ってレッスンに通っていた。両親が音楽関係って訳じゃないのに、やらされていた。俺がやりたいと言った覚えは無い。バイオリンなんて凄いね、とは言って貰えるけど、それだけだ。本当の俺は皆と一緒に走ったりゲームしたりして遊びたかった。

それでも、それが当たり前の生活になっていき、コンクールでも賞を取り出してくると、それが楽しく思えてきた。有名な演奏家が来れば聴きにいった。だんだん欲が生まれてくる。いかに技術を身につけるか。海外だ。ウィーンに行こう。

留学でウィーンに来た。そこでエリックに出会った。エリックのバイオリンの音を聴いて驚いたんだ。俺は「井の中の蛙」だった。こんな音を奏でるヤツが居たとは思わなかった。だけど、エリックはチェロを専攻してた。「俺はチェロの音に惚れてるんだ」そう言ってエリックは笑ったんだ。確かに、バイオリンよりもチェロの音が数段も良かった。

エリックと賞の数を競った時期もあった。「コンクールのハシゴだ」なんてあちこち参加してた。そのお陰かもしれない。奏者毎の音と技術に出会えた。エリックも同じだったんだろう。今や世界に名前が売れている。
そんなエリックの音に最近覇気(はき)がない。

(こんな事でエリックを潰されたくない)

そう思っていたら、戸が叩かれてシドが顔を出す。

「マリーが来ました。ミリファに伝えて会議室のほうに来て下さい」
「はい。直ぐ行きます」

ミリファを呼びに行き、二人で会議室に入る。

「わぁ。征司・北見だ。本物ね」

女性の声が部屋に響いた。シドの隣に座ってる女性が手を合わせてる。

「マリー。はしゃがないで」

シドが注意しても、お構いなしに口を開く。

「ミリファ・ガリアも居る! こないだ祥子と一緒に吹いてたの聞いたわ」
「マリー」
「はぁい。…ったく。兄さんたら厳しいんだから」

チラリとマリーを見てからシドが俺達に座るように言った。

「すみませんね。この子が妹のマリーです」
「マリー・ガーディナーよ。お二人に会えて嬉しいわ」
「ミリファ・ガリアよ。宜しくね」
「征司・北見です。宜しく」

マリーと軽く握手したのを見て、シドが立ち上がる。

「じゃ、私は席を外しますから。マリー、二人を困らせるんじゃないですよ」
「はぁ~い」

シドの背中にマリーは笑ってペロッと舌を出したのを見て、俺とミリファは笑ってしまった。
パタンと戸が閉まったのを見て、マリーが喋り出す。

「シェリルの事で聞きたいんだって?」
「え、えぇ。そうよ」

たじろいだミリファが俺を見る。

「そうなんだ。シェリルと付き合ってる男が居たって聞いたから。それを聞きたいんだ」

俺が言ったら、マリーが俺を見て笑顔を止めた。

「祥子とエリックの為?」
「そうだ」
「そう。なら、まず私の話も聞いて」
「あぁ。聞こう」
「えぇ。聞くわ」

俺達が頷いてマリーを見たら、マリーは少し緊張したようになった。

「あ、あの。変な事言うかもしれないけど。でも、私は祥子が悲しんでるのを見たくないから、色々考えたんだ。私の想像なんだけど」
「いいわよ。聞くわよ」

ミリファが言うと、マリーはホッとした顔になって喋り出す。

「あの記事は本当だけど、お腹の赤ちゃんの父親はエリックじゃないと思うんだ」
「私も、私もそう思うのよ!」

ミリファが身を乗り出してマリーに言ったら、マリーが嬉しそうに続ける。

「シェリルには確かに付き合ってる男が居たんだ。それもかなり親密な関係。モーテルから出てきたとか目撃されてたもの」
「うん。うん」
「あんなにベタベタだった男と別れて、直ぐにエリックと寝るなんて信じられないんだ。そのまま一緒になるって話でしょ。だから、何か思惑があった気がするんだ」
「そこが知りたいの。だから、マリー、力を貸して欲しいの。これを見て」

ミリファがマリーの前にノートを広げて置いた。俺達が確認してた頁だ。

「マリー、いつ頃別れたか分かる? 大体でいいんだけど」
「えっとね…」

マリーが考え込む。

「えっと。確か祥子と演奏会の時は居た。「王子様」があったから覚えてるわ」
「王子様?」
「そう。祥子から聞いたんだ。演奏会の司会者が「お二人の王子様は?」って聞いたらシェリルは「答えたくない」って言ったんだって。翌日二人が歩いてるの見て、私、笑っちゃったんだもん。だから、ここあたりかなぁ」

そう言って、マリーは定期演奏会の練習が始まる前を指した。ミリファが印をつける。

「この辺ね。別れた理由って分かる?」
「同じ大学だもん、噂になってるよ。シェリルが一方的に別れを切り出したんだって。理由も何も無かったんだって」
「そう。ねぇ、マリー、その彼に会えるかしら」
「任せて。でも、時間かかっちゃうかもしれない。最近、見かけないんだ。シェリルに振られたのが、相当こたえてるって」
「出来るだけ早い事を祈るわ」
「うん」
「マリー、何かあったら連絡頂戴。私のほうが直ぐ動けるから」
「うん。分かった」

- シェリルと付き合ってた男が居るのか?

この項目を線で消してミリファは書き直す。

- シェリルには親密な男が居た。定期演奏会練習の前に別れている。

ペンを置いてノートが閉じられる。ミリファがノートの上に手を置いた。

「いいほうに動くのを祈るわ」
「私もそう思う」
「マリー、今日はありがとう。ちょっと待ってて。ご馳走するわ」
「わぁ。ありがとう」

ミリファが俺を見る。

「征司は?」
「いや、俺はもう少し、明日の準備がある」
「そう。じゃまた頼むわ」
「あぁ。でも、無茶するなよ」
「えぇ」



マリーと会ってから何日か過ぎた。定期演奏会の練習が始まっていた。

「まだなのかなぁ」

ミリファが毎日の様にぼやく。

「上手く会えないんだろな」
「祥子は今回居ないし、来月はずっと居ないんでしょ。どうすんのよ」
「ミリファ。ひとつずつだ」
「うん。…そうだけど」

そうこうしながら、定期演奏会が終わる。
いつもの様に食事に行こうとしていたら、ミリファの携帯に着信が入る。

「マリーよ!」

ミリファが大急ぎで通話を始めた。そのまま、俺を掴んで歩き出す。
携帯をしまったミリファが俺を急かす。

「征司、マリーが今、一緒に居るって。行きましょ」
「そうか」

二人でマリーの居るカフェに入る。

「ミリファ、征司、ここ、ここよ!」

マリーの声でテーブルを見つける。マリーの前に男性が座ってる。
ミリファと俺が来て、驚いた顔を向けた。

「ミリファ・ガリヤよ。宜しくね」
「征司・北見だ。宜しくな」
「はい。俺、リチャード・ハマーです。4年生です」

ハキハキとした好青年。そんな印象を受けた。
ミリファがマリーに向かう。

「マリー、ありがとね」
「リチャードとなかなか会えなくて、ごめんなさい」
「いいのよ。早速始めましょう。リチャード、いいかしら?」
「はい」

ミリファがシェリルとの事をリチャードに確認していく。

「シェリルと付き合ってたのね?」
「はい。確かに俺とシェリルは付き合ってきました」
「どの位つきあってたのかしら」
「1年過ぎようとした位です」
「別れた理由は?」
「さぁ。一方的にシェリルが「別れましょう」って。それ以降は電話にも出ないし、俺を見るとさっさと行っちゃうし、他の男と…」

そう口をつぐんでテーブルの上のカップに視線を落とした。

「…驚きました。別れて直ぐの事で。それも赤ちゃんまで。俺だけじゃ無かったのが分かって悔しいよりも悲しくて」
「いいえ。リチャード。記事の通りよ。エリックとシェリルはあなたと別れた後で出会ってるのよ」

ミリファがリチャードに優しく声を掛けたら、リチャードが疑うように顔を上げる。

「…嘘だ」
「本当よ。それは、エリック本人から聞いてるのよ。ね、征司」
「あぁ。そうなんだ。俺がエリック本人から聞いたんだ。それに、エリックには祥子がいた。君には悪いが、エリックから手を出したんじゃないんだ。シェリルにそう仕向けられた。俺達はそう思っている」
「シェリルから…何故?」
「それを俺達も知りたいんだ」

「そうだ、リチャード。別れる前、シェリルと話さなかった? 妊娠したとか、赤ちゃんの事とか」

マリーが言うと、リチャードが考え込んだ。

「そんな話は…」
「体調が悪いとかは? 気持ち悪いとか」
「あっ。そういえば、そんな話をした」
「「 どんな? 」」

マリーとミリファが同時に詰め寄ったから、リチャードがたじろいだ。

「えっと…。「初めて他の人と合わせるから緊張しちゃう」って。それで、「つわりみたいになっちゃってるわ」って。確かに気持ち悪そうにしてたんだ」
「あなたはそれにどう答えたの?」

ミリファが聞いた。

「「馬鹿言うなよ。子供はまだ早いから堕ろせよ」って」
「「 それよっ! 」」

マリーとミリファが同時に叫んだから、リチャードと俺は同時に飛び上がってたりする。
ミリファがマリーと顔を見合わせて頷きあった。

「マリーもそう思うわよね」
「うん。それ。それが理由よ」
「え? それが? 俺、冗談で言ってると思って、冗談で返して…。まさか…」
「そのまさかだと思うわ。シェリルのお腹にはあなたとの赤ちゃんが居たのよ。あなたとの赤ちゃんだから産みたかったのよ。でも、あなたは望んでなかった」

ミリファが言って、その後をマリーが続けていく。

「お腹に赤ちゃんが居ると分かったら、あなたに堕ろさせられるとシェリルは思ったんだ。だから、仮の父親を探したんだ。赤ちゃんはあなたの子だけど、それを誤魔化せるうちに父親になってくれる人を。それがエリックだった」
「そんな…。俺、冗談だと。俺の子だったら…」

リチャードが指を口に当てる。

「リチャード、君はどうするんだ? いや、どうしたいんだ?」

俺が声を掛けたら、リチャードが俺を見た。

「俺は、シェリルと話さなきゃならない。産みたいのなら産ませてやりたい。俺が父親で産ませてやりたい」
「今、シェリルと話したいか?」
「はい」
「分かった。エリックがシェリルと一緒に居るはずだから、ここに呼んでいいか?」
「はい」

俺はエリックを呼び出す。シドから預かった物があるから、と理由を作った。
シェリルにも久々に会いたいからと言って、一緒に来る様にした。

「直ぐ来るから。まずは、俺とミリファで迎えてから、リチャード、君が出てきたほうがいいな。シェリルが逃げるかもしれないからな」
「はい」

離れたテーブルにミリファと移ってエリック達を待つ。

「良かった。これで祥子は…」
「おいおい。まだ泣くには早いぞ」
「うん。分かってるんだけど…だけど」
「ミリファは優しいな」
「だって、祥子の事なんだもん」
「ミリファのそういう所が好きだ」
「征司、こんな時に言うのは反則よ」
「そうか?」
「…そうよ」

そう言ってミリファがハンカチを目に当てた。



- #48 F I N -
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み