#33 先輩 <征司視点>
文字数 2,513文字
祥子の家のブザーを押したが反応が無かった。部屋に灯りが点いてないが居る筈だ。
なら、電話するか。
♪
暫く待って通話が始まる。番号から俺の表示が出てる筈なのに、祥子の声は聞こえてこない。
「もしもし。北見だけど、苅谷さんだよね?」
「…はい」
日本語で喋ったら小さく返事が聞き取れた。
「具合、大丈夫か?」
「…はい」
「今、君のアパートの前に居るんだ。少し話せないかな?」
「…」
「ミリファは居ない。俺、一人だ」
「…開けます」
玄関の扉がゆっくりと開いた。祥子が外を伺うように頭を動かした。ミリファが居ると思ってたのだろう。
「俺、一人だ」
「…どうぞ」
階段を先に登っていく祥子の横顔には、二本の傷が残されていた。気づいたけど口に出さなかった。
祥子の家が開けられ、中に通される。
「今、明るくするから」
部屋の中はテレビの光だけがチラチラと動いていた。テレビから日本語が流れてきていた。
一日中、見るでもなく流していたんだろう。
パッと灯りが点いて、祥子と俺は同時に眼を瞬 かせた。そして直ぐに俺を見て動きを止めた。
「苅谷さんって言うのも変だな。日本語だと妙に改まっちゃうな。いつも通り祥子でいいか?」
そう声を掛けたら、祥子は俺を見たまま、控えめに笑顔を作った。
「えぇ。…どうぞ、座って。片付けるから」
テーブルの上に出しっぱなしになってたクラッカーをまとめて片付け、コーヒーを入れに行ったんだろう。カチャカチャと音が響いた。
コーヒーが俺の前に置かれ、祥子が座った。
祥子はコーヒーに視線を留めたままだ。
暫くそのままテレビの音だけが聞こえてきていた。
「征司がここに来たのは…彼から聞いたんですね」
ゆっくり祥子の口が開いた。
「そうだ。大丈夫か?」
「傷は大丈夫。でも、外に出るのが怖い。日本じゃないから怖い。私、帰りたい」
「帰りたいか。外人が怖いのか?」
「…凄く怖い」
ブルッと祥子が身震いをして、頬に手を当てた。そのまま肘をテーブルについて、両手で顔を覆った。
「あの時のランスの顔が残ってて。その恨みでレーザー光が当てられて撃たれるなんて」
祥子は頭を小さく揺らす。
「怖かったな」
「えぇ」
祥子が覆ってた両手を外して俺を見る。頬の傷が痛々しく俺の眼に映った。
「痛かったな」
「ぁ…」
自然と俺の手が伸びて祥子の頬に触れていたりする。祥子が驚きながらも俺の手を上から覆い自分の頬にくっ付ける様にして、眼を閉じた。
ドキリとした。こういう場合、抱き締めてやるのが一番効果的なのだろうが。
「祥子が望む事なら応 えてあげて」
ミリファに言われた言葉だ。…祥子が望めば。
「征司なら怖くない」
祥子の声が耳に届いて我に返る。
「それは嬉しい限りだ」
「…ごめんなさい」
俺の手を頬から外して返すように祥子の手が離れた。
「昨日の件はシドに話してある。これからの事を明日相談しようって言ってた。明日、出てこれるか?」
「…」
「祥子、嫌な事だけど思い出してくれ」
ビクリと祥子が視線を外した。
「ランスと初めて会った時、祥子の味方だったのは誰だったか言えるか?」
「…征司………ミリファとシドと……エリック」
「俺以外、外人だな」
「…そうね」
「なら、ランスだけを怖がらなきゃ駄目じゃないか」
「…」
「それとも、祥子の国籍を移してみるか?」
「え?」
「祥子がオーストリアの国籍とったら、俺は外人になるから、俺を怖がるのか?」
祥子がそれを聞いてふきだした。
「やだ。何か矛盾してる気がする。分かるんだけど変な気がする」
「皆が皆、悪い奴じゃないんだ。怖がる必要はない。祥子の周りには祥子を大事に思う人が居るんだ」
「…エリック」
「あいつかなり参ってたぞ。祥子に外人だから拒絶されたって」
「ぁ…」
「じゃ、このCD流していいか?」
テレビを消して、練習所から持って来たCDをセットする。音が流れ出す。祥子が息を呑んだ。
「これ、あの時の」
「定期演奏会の録音だ。モーツアルト フルート四重奏曲ニ長調。祥子とエリックが繋 がった曲だろ?」
「…うん」
「俺とヘンリーがすっかり脇役にされたんだ」
「そ、そんな訳じゃない」
少し赤くなった祥子は両手を組んで顔を乗せた。嬉しそうに音を聴き始めた。
俺は傍にあったフルートケースに眼を止め、それを祥子の前に置いた。
「いい物貰ったんだな」
「えぇ。ミリファに聞いて驚いたの」
「ここの工房の物は頑丈で壊れないって有名なんだ。プロポーズでよく贈られる一品だな」
「プロポーズ?!」
「生涯愛します守ります、って意味を籠 めるそうだ」
「あら…」
「そんな言われもあるんだって事さ。エリックに聞いてみりゃ分かる」
「そんな事聞けないわよ」
「お陰で俺はミリファに「いいなぁ。私も贈って欲しいなぁ」って言われて大変さ。イタリア公演が入って無いから良かったけど」
「あらら」
「もう、大丈夫か?」
祥子の笑顔も見れたから俺は確認するように声を掛けた。
祥子は俺の顔を見て頷いた。
「大丈夫。エリックに謝らなくちゃ」
「電話掛けてやれよ。傍のバーでミリファと待ってるから」
「うん。ありがとう」
「CDは置いていくから。明日練習所に返せばいい」
「うん」
「じゃ、帰るとするか」
祥子が見送る為に横に来る。それを見て何となく体が動いた。
「もう心配かけんなよ」
「え? あ…」
ポンと祥子の肩を叩いてた。俺は自分の行動に驚いていたが、顔を向けた祥子が笑って口を開く。
「北見先輩、ありがとうございました」
あぁ。そっか。高校の時、良くやってたっけ。
「祥子の音掴む練習みてやってたな」
「はい」
「今度は男掴む面倒みてやったって事か」
「そんな事言う先輩は嫌いです」
「好きだって告白したのは誰だっけ?」
「私ですよ。でも、もう北見先輩よりも素敵な人が出来ちゃいました。先輩だってそうでしょ?」
「そうだな。だが、エリックか。俺のどこがアイツに負けたんだ?」
「さぁね。でも、征司の音、好きですよ」
「俺だって、祥子の音、好きだ」
「征司、お礼です」
そう言って、玄関を出る俺を振り向かせ、俺の頬にキスをした。
「ここだとお礼でキスできちゃうんですよね。私のキスなんか一文 にもならないけど、お礼です」
俺もお返しをしようとして、出来なかった。どこかでブレーキが掛かった。
- #33 F I N -
なら、電話するか。
♪
暫く待って通話が始まる。番号から俺の表示が出てる筈なのに、祥子の声は聞こえてこない。
「もしもし。北見だけど、苅谷さんだよね?」
「…はい」
日本語で喋ったら小さく返事が聞き取れた。
「具合、大丈夫か?」
「…はい」
「今、君のアパートの前に居るんだ。少し話せないかな?」
「…」
「ミリファは居ない。俺、一人だ」
「…開けます」
玄関の扉がゆっくりと開いた。祥子が外を伺うように頭を動かした。ミリファが居ると思ってたのだろう。
「俺、一人だ」
「…どうぞ」
階段を先に登っていく祥子の横顔には、二本の傷が残されていた。気づいたけど口に出さなかった。
祥子の家が開けられ、中に通される。
「今、明るくするから」
部屋の中はテレビの光だけがチラチラと動いていた。テレビから日本語が流れてきていた。
一日中、見るでもなく流していたんだろう。
パッと灯りが点いて、祥子と俺は同時に眼を
「苅谷さんって言うのも変だな。日本語だと妙に改まっちゃうな。いつも通り祥子でいいか?」
そう声を掛けたら、祥子は俺を見たまま、控えめに笑顔を作った。
「えぇ。…どうぞ、座って。片付けるから」
テーブルの上に出しっぱなしになってたクラッカーをまとめて片付け、コーヒーを入れに行ったんだろう。カチャカチャと音が響いた。
コーヒーが俺の前に置かれ、祥子が座った。
祥子はコーヒーに視線を留めたままだ。
暫くそのままテレビの音だけが聞こえてきていた。
「征司がここに来たのは…彼から聞いたんですね」
ゆっくり祥子の口が開いた。
「そうだ。大丈夫か?」
「傷は大丈夫。でも、外に出るのが怖い。日本じゃないから怖い。私、帰りたい」
「帰りたいか。外人が怖いのか?」
「…凄く怖い」
ブルッと祥子が身震いをして、頬に手を当てた。そのまま肘をテーブルについて、両手で顔を覆った。
「あの時のランスの顔が残ってて。その恨みでレーザー光が当てられて撃たれるなんて」
祥子は頭を小さく揺らす。
「怖かったな」
「えぇ」
祥子が覆ってた両手を外して俺を見る。頬の傷が痛々しく俺の眼に映った。
「痛かったな」
「ぁ…」
自然と俺の手が伸びて祥子の頬に触れていたりする。祥子が驚きながらも俺の手を上から覆い自分の頬にくっ付ける様にして、眼を閉じた。
ドキリとした。こういう場合、抱き締めてやるのが一番効果的なのだろうが。
「祥子が望む事なら
ミリファに言われた言葉だ。…祥子が望めば。
「征司なら怖くない」
祥子の声が耳に届いて我に返る。
「それは嬉しい限りだ」
「…ごめんなさい」
俺の手を頬から外して返すように祥子の手が離れた。
「昨日の件はシドに話してある。これからの事を明日相談しようって言ってた。明日、出てこれるか?」
「…」
「祥子、嫌な事だけど思い出してくれ」
ビクリと祥子が視線を外した。
「ランスと初めて会った時、祥子の味方だったのは誰だったか言えるか?」
「…征司………ミリファとシドと……エリック」
「俺以外、外人だな」
「…そうね」
「なら、ランスだけを怖がらなきゃ駄目じゃないか」
「…」
「それとも、祥子の国籍を移してみるか?」
「え?」
「祥子がオーストリアの国籍とったら、俺は外人になるから、俺を怖がるのか?」
祥子がそれを聞いてふきだした。
「やだ。何か矛盾してる気がする。分かるんだけど変な気がする」
「皆が皆、悪い奴じゃないんだ。怖がる必要はない。祥子の周りには祥子を大事に思う人が居るんだ」
「…エリック」
「あいつかなり参ってたぞ。祥子に外人だから拒絶されたって」
「ぁ…」
「じゃ、このCD流していいか?」
テレビを消して、練習所から持って来たCDをセットする。音が流れ出す。祥子が息を呑んだ。
「これ、あの時の」
「定期演奏会の録音だ。モーツアルト フルート四重奏曲ニ長調。祥子とエリックが
「…うん」
「俺とヘンリーがすっかり脇役にされたんだ」
「そ、そんな訳じゃない」
少し赤くなった祥子は両手を組んで顔を乗せた。嬉しそうに音を聴き始めた。
俺は傍にあったフルートケースに眼を止め、それを祥子の前に置いた。
「いい物貰ったんだな」
「えぇ。ミリファに聞いて驚いたの」
「ここの工房の物は頑丈で壊れないって有名なんだ。プロポーズでよく贈られる一品だな」
「プロポーズ?!」
「生涯愛します守ります、って意味を
「あら…」
「そんな言われもあるんだって事さ。エリックに聞いてみりゃ分かる」
「そんな事聞けないわよ」
「お陰で俺はミリファに「いいなぁ。私も贈って欲しいなぁ」って言われて大変さ。イタリア公演が入って無いから良かったけど」
「あらら」
「もう、大丈夫か?」
祥子の笑顔も見れたから俺は確認するように声を掛けた。
祥子は俺の顔を見て頷いた。
「大丈夫。エリックに謝らなくちゃ」
「電話掛けてやれよ。傍のバーでミリファと待ってるから」
「うん。ありがとう」
「CDは置いていくから。明日練習所に返せばいい」
「うん」
「じゃ、帰るとするか」
祥子が見送る為に横に来る。それを見て何となく体が動いた。
「もう心配かけんなよ」
「え? あ…」
ポンと祥子の肩を叩いてた。俺は自分の行動に驚いていたが、顔を向けた祥子が笑って口を開く。
「北見先輩、ありがとうございました」
あぁ。そっか。高校の時、良くやってたっけ。
「祥子の音掴む練習みてやってたな」
「はい」
「今度は男掴む面倒みてやったって事か」
「そんな事言う先輩は嫌いです」
「好きだって告白したのは誰だっけ?」
「私ですよ。でも、もう北見先輩よりも素敵な人が出来ちゃいました。先輩だってそうでしょ?」
「そうだな。だが、エリックか。俺のどこがアイツに負けたんだ?」
「さぁね。でも、征司の音、好きですよ」
「俺だって、祥子の音、好きだ」
「征司、お礼です」
そう言って、玄関を出る俺を振り向かせ、俺の頬にキスをした。
「ここだとお礼でキスできちゃうんですよね。私のキスなんか
俺もお返しをしようとして、出来なかった。どこかでブレーキが掛かった。
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