#5 祥子の回想 <祥子視点>

文字数 3,242文字

エリックが頼んでくれたルームサービスが届く。一緒にいくつかの花束も届けられた。

「大成功って新聞に載ってましたね。おめでとうございます」
「ありがとう」

このホテルで唯一の日本人スタッフが私の部屋の担当らしい。24時間って訳じゃないけど、日本語が聞けて喋れて嬉しくなる。
それでも相手は仕事中。私の相手は5分も出来ない。
部屋から出て行ってしまうと心細くなる。

テーブルに並べられたのはオートミール。お(かゆ)が恋しい。頼めば出てくるのだろうか。だけど海外でわがままは言えなかった。新聞に名前が出てる分、下手な事はしちゃいけない様な気がしていた。

「病気の時はお粥だよ。梅干と一緒のお粥」

モソモソとオートミールを口に運ぶ。半分も食べられなかった。
薬を飲んだ。まだ体が熱い。何もする気がおきないからベッドに入って布団に丸まる。

「ガド爺に会ってから私の人生が変わったんだ。新聞やテレビに出たりなんか想像出来なかった。普通のOLだったのに」

天井を見ながら口に出ていた。

「ここで北見先輩に会うなんて」

北見先輩の事が思い出されてきた。笑える位、淡い恋だった。



「北見先輩。私は北見先輩の事が好きです」

そう伝えたのは北見先輩の卒業式。

「ありがとう」

そう北見先輩は答えた。一緒に奏でてた曲名は覚えてないが、バイオリンとフルートの音が重なり合って心地よく響いていたのは覚えている。
あの時、私は先輩に何を期待していたんだろう。

俺も好きだよ。

だったのだろうか。

先輩の答えは「ありがとう」だけだった。私も「好きです」を伝えられただけで、その先の事は何も言わなかった。先輩は東京の大学に行って留学する、と聞いていたからだ。もし付き合えても離れ離れ。それが分かっていたからその先は言えなかったのかもしれない。



大学に入って、就職して、愛として受け止める様になって、私は何人かと出会い別れた。遊んでた訳じゃない。付き合っている間は本当に好きだったし愛していた。それが何かで壊れる。ちょっとしたすれ違い。我慢出来ない事。裏切り。色々あるものだ。

就職して付き合ってた人と別れて落ち込んでいた時、地元のアマチュアオーケストラの団員募集のチラシが眼に入った。高校の時使ってたフルートを引っ張り出して参加する事にした。フルートを吹いている間、他の事は忘れていられる。

その生活がガド爺に出会って一転した。毎日が忙しくて、余計な事を考えている暇がなくなった。それが楽しくなっていく。フルートを吹いている時間が一日の中で一番幸せに思えてくる。
どんどんフルートに夢中になっていった。

ガド爺との約束で二年間だけ。決められた時間だけだから打ち込めたのかもしれない。気がつけばコンクールに出て数々の賞を貰っている。二年目には国際コンクールで金賞だ。
普通のOLだった私がテレビでインタビューを受けたり、公演依頼が来る様になっていた。
周りから「遅いデビュー」と言われているのは笑い話。

そんな中、北見先輩の事を思いだしたんだ。硝子のフルートを頂いた時だ。いつも使っていたフルートをしまった時、私の頭に浮かび上がった。

「値段で音に違いが出るのは本当だ。だが、楽器は値段が高ければいい音が出る訳じゃない。演奏者がどう扱うかで音が変わる」

北見先輩の顔は思い出せなかったが、言葉を鮮明に思い出した。
私の使っていたフルートはその辺の楽器店で一番安かった物のまま。

巷で有名な北見征司は高校の時、私が好きだった先輩の事だった。今更気づいたのに可笑しくなった。

硝子のフルートを前に緊張した。私はこのフルートでどんな音を出せるのだろう。
何でもない一息を入れるのに緊張していた。

 ♪~

一息入れてイメージしていた音と違ったのに驚いた。金属の硬さじゃないのは予想していた。だが、こんなに角の取れた音だとは思わなかった。(まる)い。音が円く感じる。シャボン玉を吹いている感じで音が響いていく。

そのフルートで数々の公演をこなすようになり、ギャラも入ってくるようになった。
思い切って仕事を辞めた。
音楽で食っていけないと思っていた私だったが、いつの間にか音楽が主体の生活になっていた。
音楽教室の補佐の(かたわ)ら、協会に在籍して定期演奏会に出たり、楽団や学校に招かれたりしていた。

そして、ガド爺からの電話。二の足を踏んでた私にガド爺の一言が効いた。

「ウィーンに北見征司が居る。一度会わせたいんじゃが」

北見先輩に会える。それが私の背中を押した。
バイオリンで成功している北見征司、その人を見てみたかったんだ。
顔なんか覚えていないから、好きなんて気持ちはとうに無くなっている。昔、一緒に奏でた時期があった先輩に会える。



ウィーンに渡り、楽団と顔合わせ。バレエダンサーとも顔合わせ。初めての海外公演でバレエの楽曲というのも緊張する。私が試されているんだ。
「日本人が…」という視線も、フルートの音で認められたようだ。
海外では実力がモノを言う。
演目毎の楽曲を確認し、情景のイメージを合わせ、ガド爺の指揮と合わせる。
リハーサルが続けられ、初日前夜は緊張して眠る事も容易じゃない。
まして海外の初公演。失敗は許されない。うつらうつらと朝を迎える。

バレエの演奏は舞台下の暗闇の中。それだけがいつもの演奏と違い心に少しの余裕が出来る。
持っていた緊張も最初の一息で消えていく。私の音をダンサーに聴いて貰い表現して貰う。それを観客に届けたい。私の音で観て欲しい。今、この場面を。
奏でているのが楽しい。
終演後の紹介挨拶でスポットライトを浴びた時の拍手が私への評価となる。

楽屋に戻ると安堵感に襲われる。ガド爺が興奮して飛びついてきたから、成功した実感が湧き上がってきた。ガド爺が私の演奏に対する評価をくれる。これは演奏後のお決まりになっている。
暫く話していると、ガド爺が私の後ろを見て顔をほころばせる。気になって振り向くと男性が二人。

ガド爺がエリックを紹介してくれる。
ドイツ語で緊張しながら挨拶をして手を合わせた。
ガド爺がもう一人の男性を引き出して言う。

「こっちは祥子と同じ日本人」

(もしかして北見先輩? 私の事、覚えてるかな)

少しだけ期待はあった。だけど、先輩の口からは

「はじめまして。北見征司です。バイオリン弾いてます」

と、全くの初対面。

「苅谷祥子です。はじめまして」

私だって挨拶されて、こんな人だったっけ、なんて思ったからおあいこだ。
今日から知り合いになったんだ。昔の事は昔でいい。私が告白したなんて思い出して貰うのも恥ずかしい。

周りが外人だらけで少し滅入っていたから、先輩と会えて嬉しい。日本語が通じるのが嬉しい。何かあっても頼れる人が居るだけで嬉しい。



そんなこんなで最終日も絶賛されて終える事が出来た。うっかり風邪ひいちゃったけど。

 ゴホッゴホゴホ

エリックにキスされたのを思い出した。

「外人ってオープンなんだ。ガド爺もそうだし」

キスだけで治れたら簡単なんだけど。だけど、移したから治りそうな気がしている。

「エリックって優しいよ。もう少し背が欲しいかな。私よりちょっと高いけど」

調子に乗って変な事考えてる。

「日本語覚えて貰わなきゃ。英語で会話するのも疲れるし、ドイツ語分からないし」

全くもって、エリックにとっては迷惑な話に進んでる。
それでも、私はエリックにキスされたのを実感してる。



昼ご飯にわがままを言ってみたら、お粥が出てきた。もちろんチップを(はず)む。
ちょっと味が違う気がするけど、お米だよ。日本人で良かったと思えるお米。
ホテルドクターが来てくれて、新しく薬を置いていった。飲んだら眠くなった。泥の様に眠っていた。

お腹が空いて起きた時は夜だった。
晩御飯が部屋に届けられ、そのすぐ後に手紙が届けられた。
封筒の中に明日のチケットが入っていた。

 ガド爺と、征司と、俺から。
 聴きに来てくれ。でも、無理するな。
            エリック

窓に寄って下を見た。月明かりの下に、コーダとエリックの後姿が見えた。



- #5 F I N -


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