#31-2 予兆 <祥子視点>

文字数 8,242文字

アパートを出た時にミリファの言葉を思い出した。

「エリック、ちょっと待ってて」
「あぁ」

私はアパートの玄関前の地面に視線を走らせる。変な物は見当たらなかった。

「祥子、どうしたんだ?」

昨夜、私の腕に傷を残したのは何だったのだろう。でも、エリックに心配をかけたくない。傷は絆創膏(ばんそうこう)で隠してる。

「何でもないわ。行きましょ」

エリックを後ろから押すように腕をとって促したら、私の手が挟まれた。不完全だけど腕を組んでいる感じになった。私の手はエリックの腕を掴んだまま、エリックの腕と体に挟まれている。

「祥子をエスコートしなきゃ」
「…」

エリックの温かさが手に伝わってきて、慌てて腕を掴み直した。地下鉄に乗るまで掴んでいた。



シュテファン寺院に着いた。エリックが説明してくれる。

「ここは第二次世界大戦で火災にあったんだよ」
「再建されたのね」
「歴史的な物は皆そうさ。オーストリアは…戦争が何度もあった。今は平和だけど」
「そうね」
「日本もそうだったね」
「えぇ」

第一次世界大戦はサラエボ事件、オーストリア皇太子夫妻暗殺から勃発したんだ。第二次世界大戦では、オーストリアはドイツに併合された。日本はドイツ側だった。

「戦争は起きないに限るね」
「そうね」

エリックが見所を押さえて見学させてくれる。さすが地元っ子。聞けばスラスラと返ってくる。

傍にあるカフェに連れて行ってくれる。

「ここは紅茶が美味しいんだ。種類が沢山あるんだよ」
「本当ね。迷っちゃうわ。どれにしようかしら」

よく分からなかったから、メニューから適当に選んだ。ザッハーメランジェという名前の紅茶だ。チョコレートとクッキーも頼む。

「いい香りね」
「ここは香りに加えて味もいいんだ」
「美味しいわ」

中庭のテーブルに落ち着いてる私達は、シュテファン寺院を眺めながらのティータイムだ。
チョコレートを(つま)んでいたらエリックの眼が細くなった。

「さすが女性だね」
「どうして?」
「甘いものはいくつでも入る」
「食べすぎちゃってた?」
「かなりね」
「あら」

確かに残りあとフタツ。

「持って帰る箱が要るかと思ってたけど、箱が祥子の胃だったとは」
「もうっ。エリックったら」

恥ずかしいけど、エリックが笑ってるから、私もつられるように笑ってヒトツ口に入れる。

「ねぇ」
「何?」
「チョコレートとエリックも好きよ」
「えっ? あ、ありがとう」

フェイントをかけて伝えたら、エリックが赤くなって最後のチョコレートを口に入れた。

「照れちゃった」
「つ、次、行こう」

散歩しながらハイリゲンクロイツァーホーフの綺麗な中庭を通り過ぎる。そして、聖ルプレヒト教会に着いた。

「ここがウィーン最古の教会なんだよ。ドナウ運河とフランツ・ヨーゼフ河岸が見えるんだ」

エリックの指さす方向に視線を動かす。太陽の光が水面を照らしている。

「ここからよく見えるのね」
「聖ルプレヒトは塩の運搬に(たずさ)わる船人(ふなびと)守護聖人(しゅごせいじん)なんだ。ザルツブルク近郊から切り出した岩塩を船でウィーンまで運んでたからね。この辺に船をつけてたって言われてる」
「ザルツブルクって聞いた事あるわ」
「ザルツブルクは「塩の城」を意味するんだよ」
「エリックって物知りね」
「歴史の先生が専門家並みに詳しかったから覚えちゃったんだ。あ、そうだ。ステンドグラスも見ていかなきゃ」

エリックに引っ張られてステンドグラスの前に来た。エリックが昔来てた場所を懐かしんでるような気がした。ゆっくり見て回り、ベンチで一休み。陽射しが傾いてきている。このまま夕方になると涼しさが襲ってくる。

「ねぇ、エリック」
「ん?」
「エリックの眼は、日差しに弱いの?」
「夏場の太陽はきついけど、なんとか大丈夫さ。祥子は?」
「日本人は強いみたいよ。瞳の色が濃いからなのかしら。エリックは茶色よね」
「そ、そう…だ…よ」

私がエリックの眼を覗き込んだら、エリックが慌ててる気がした。
茶色の瞳が揺れて、私の視線に捕まったように止まった。
エリックの顔が近づいて触れた。

「甘い…」
「さっきのチョコのせいかしら」
「祥子が誘惑してる気がする」
「今日は音楽から離れてるからよ。初めてのデートだし」

今日まで二人でいる事もあったけど、昼休みや夕食の時だ。休日はどちらかに演奏会が入っていた。今日が初めて合った休日なんだ。
だから、少し、勇気を出してみようと思ったのもある。

「そうだね。こないだは…まぁ、残念だったけど」
「それは忘れて」
「忘れ無いさ」
「情けなくなっちゃうから忘れて」
「忘れられないんだ。添い寝しただけで祥子の香りが俺に移ったんだ」

ドキリとした。私だって同じ事を思った。エリックの香りが残ってて。

「あ」

私の髪の毛をかき上げて、エリックが私の首筋に顔を寄せる。

「そう。この香りだ。おっと、ごめん」

慌ててエリックが私から離れた。

「誘惑するなら家の中でして欲しい」
「え?」
「祥子は有名人なんだよ。気をつけなきゃ」
「…ごめんなさい」
「俳優、女優は勿論だけど、ここは音楽の都だから演奏家も注目されちゃうんだ」
「気をつけるわ」
「俺としては凄く嬉しいんだけどね」

さっきのように、エリックの茶色の瞳が揺れてから、唇が触れた。

「エリックだって気をつけなきゃ。私よりもエリックのほうが注目されてるもの」
「そうかな」
「そうよ。ファンレターだって来てるんでしょ。シドから聞いたわよ」
「祥子程じゃないさ」
「私のは厳しい手紙が多いのよ。女性から来るのは半分以上あなたとの事を批判してるわ」
「男性からは?」
「音楽専門から熱れつな物までよ」
「熱れつ?」
「私の音で目覚めたいから結婚してくれって」
「け、結婚?」
「困っちゃうわよね。朝っぱらから騒音になっちゃうわ。それとも、そんなの関係ない位の豪邸に住んでる人なのかしら。そう考えたらその人と結婚もいいかもね」
「…祥子」
「冗談よ。丁寧にお断り出してるわ」

ファンレターは個人的にやり取りしないので、楽団に届く。楽団で開封され内容をチェックされる。過去に予告めいた手紙が届いた事があったそうで、意外と厳しい。そこをパスした手紙が各々(おのおの)に渡される。批判だろうが住所がキチンと書いてあれば丁寧に返事が出される。お決まりの文ってのが用意されているんだ。サインは必ず手書きだが、たまに一言追記したりもする。住所は楽団からとなる。

「良かった。さて、観光の最後はモーツアルト」

モーツアルトハウスに移動する。

「モーツアルト生誕250年を記念してリニューアルしたんだ」

入場料が必要なので、エリックにさりげなく渡した。

「この位いいのに」
「ここ位は私に払わせて。エリックのガイド料よ」
「ありがとう」

日本語のオーディオガイドを貰って、それでも、エリックにガイドをして貰う。
4階から下に見学していった。

「オープンなのね」
「そうだね」

二人して赤くなりながらも見学してた。そんなちょっとエロティックな展示があったんだ。

「ちょっとここで待ってて」
「うん」

モーツアルトハウスを出てからエリックは携帯を出して私から少し離れた。
どこかに電話してる。
私がモーツアルトハウスを見上げていたら、人が近づいてきた。

「ニホンゴ通じるますか?」
「はい」

日本人っぽい女性が二人だった。でも日本語がちょっと変。ならアジア系の人かもしれない。

「ココはこの地図ドコなる?」
「あ…私、この辺に詳しくないから分からないわ」
「ドコ?」

私の答えを気にも留めずに、ガサガサと大きなバックから地図を引っ張り出して私の前に広げる。
一応眼を通す。多分、見て回ったルートからだと…。

「祥子!」

エリックが小走りで私の横にくる。私に地図を押し付けてた女性が慌てて地図を引っ込めて、もう一人に声を掛けた。
エリックが私を引き寄せるようにして女性に向かう。

「彼女に用があるのか?」
「別に」
「道を聞いただけよ」

ドイツ語だ。二人共ドイツ語話せるじゃないか。わざわざ日本語じゃなくてもいいのに。
なら、エリックに聞くだろう。良かった。
なのに、女性が逃げる様に居なくなった。

「あら。ドイツ語分かるならエリックに聞けばいいのに」
「祥子」
「何?」

エリックが少し怒ってるように見える。

「今、何されようとしてたか気づいて無かったのか?」
「何かされてた? 私、ここの場所教えてって聞かれたのよ」
「地図を持ってないほうの女性が祥子のバッグを開けようとしてたんだ」
「え?」

慌てて肩に掛けてたバッグの中を確認する。大丈夫。何も盗られてない。
ウィーンに住んでるからって気が緩んでた。

「何も盗られてないわ」
「祥子、気をつけて。手元が隠されたり強引に来られた時は特に」
「分かったわ」
「祥子はここじゃ、どこからみても外国人なんだよ。住んでるなんて見た目じゃ分からないから」
「そうね」
「治安はいいんだけど、やっぱり居るんだよ。囲まれる時も注意するんだよ」
「気をつけるわ」

今になってドキドキしてきた。スリの被害にあうところだったんだ。

「何も無くて良かった。警察なんかに行ってたらデートの続きが出来なくなるからね」

そう言って、エリックが軽く私の肩を押して歩くように促す。
エリックに最近の犯罪を教えて貰いながら歩いて行く。

「不思議なんだけど、日本人観光客は金持ちに見られるんだよ」
「よく言われるわ。そんな人達は一握りなのに」



レストラン「音(Ein Klang)」に着いた。

「さて、デートの最後は最高にだ」

エリックが戸を開けて私を先に通す。中から威勢よくオジサンが飛び出してきた。

「おぉ。エリック。早かったな」

そのまま私に視線を走らせ口笛を吹く。この扱いにはヘンリーで慣れっこになっている。
エリックが私に手を向ける。

「こちらは俺の」

エリックの声をオジサンが遮る。

「可愛い恋人なんだろ? ミス 祥子・刈谷、お名前は新聞や雑誌で知ってるぜ。こんな汚いトコにようこそ。メシは最高に美味いのを出すから安心してくれ。俺はフィル。この汚いが超一流レストランのオーナー兼、名コックさ」
「宜しく」

グイッと太い腕が差し出されて手を合わせた。

「こんな細い腕であの音を出すんだな」
「あら」
「俺だって音にゃうるさいぜ」

豪快に笑って、ついて来る様に手招きする。
店内はお客で賑わっていた。奥でジャズの生演奏が始まっている。
生演奏の前のテーブルに案内された。
演奏してる人達がエリックに合図してる。

「知り合いなの?」
「俺、学生の時ここで弾いてたんだ」
「バイト?」
「そう。いい練習になった」

フィルがどんどんワインを持って来て、その合間に食事を運んでくる。

「フィルったら、私を酔わせる気なのかしら」
「今日は機嫌が良さそうだしね」

そう言うエリックも気持ち良さそうに酔っ払ってる。
酔っ払ってるから夢心地の中で喋っているみたいだ。

「ねぇ、祥子」
「何?」
「俺は音楽を優先にしてるけど、いいのかい?」
「私もエリックと同じよ。吹かせてくれるチャンスがあれば吹いて、皆に聴いて貰いたい」
「そうだね」
「エリックも大切なのよ。一緒に居たいもの。でも、我慢するの」
「俺もそうだ。祥子と一緒に居たいけど我慢してる」

綺麗事だ。だけど、エリックの音は認めるに値する。それを私が邪魔しちゃいけない。寂しいけど、我慢だ。エリックだって我慢してくれている。それが分かっただけで嬉しい。
自分の都合を押し付けてワガママにとられたら、そのほうが嫌だ。
今みたいに言うチャンスがあれば言えばいい。

フィルが私達のテーブルにワインを置く。

「さぁて。エリック。食事は済んだな。じゃ、いくかい?」
「あぁ」
「いくって?」

エリックに聞くと、エリックが笑う。

「祥子はお客さんさ。ゆっくり聞いててくれ。ワイン飲んでね」

トクトクとワインを私のグラスに注いで、エリックは席を立った。演奏してるステージに上がり置いてあった(用意されてた?)チェロを持つ。

フィルがマイクを片手に声を張り上げる。

「さぁてさて。お集まりの紳士・淑女の皆さん。今日はとっておきのゲストが登場だ。国内三本の指に上がるチェロの名手、エリック・ランガーだ。世界にも名前が売れてる男が、ふらりとここにやって来た。やって来たからにゃ弾いてもらうのが(すじ)ってもんだ。今日のお客さんはラッキーだ。彼の音、タダで聞けるなんて滅多にないぞ。じゃ、スタートだ」

エリックが紹介されると店内から口笛と歓声が上がった。エリックは有名人。確かにそうだ。劇場でもないのに歓声が上がってる。
それに応えるようにエリックが軽く頭を動かしてから座った。

店内にチェロの音が響き渡った。ジャズだけどエリックの音だ。この音に近づきたい。エリックの奏でる音の世界観は広くて深い。私にはまだ到達出来てない域をエリックは知っているんだ。

「祥子…愛してる」

そう、私は受け取っていた。幸せな気分。

ドスッと私の隣にフィルが座ったから、飛び上がってしまった。

「おっと。すまんすまん。聞き惚れてたのかな?」
「えぇ。彼の音、大好きだから」
「いい音出すだろ。昔はとんでもないガキだったんだがな」
「エリックが?」
「世間からキャーキャー騒がれてるあの男がね」

フィルがエリックを指さして笑う。つられて笑ってしまった。

「あいつがここに来た時の俺達は、ジャズはムードさえ創ればいいって思ってたんだ。ところが、あのガキ、いや、エリックだが、あいつは「ムードだけじゃだめだ。音ヒトツヒトツに情景を載せろ」とウルサイんだ。「この曲だったらこうイメージして弾け」、「音をいい加減に出すな」って、俺達にくってかかったんだ。皆、頭にきてな、一度やってやろうじゃねぇか、って、この店休んで特訓したのさ。ガキに言われて出来ねぇなんて大人の恥だ。ガキの言う音を出して、客の反応が悪かったらガキをクビにしちまえばいい話だからな」
「それで、どうだったんですか?」

フィルが両手を上に向けた。

「大成功。客の大喝采を受けて大繁盛さ」
「あら。凄い」
「それがエリックがハイスクールの時だった。小生意気なガキだったが、音を聴く耳を持ってた。音を創りだす素質を持っていた。そして、ガドリエル氏の眼に留まった。で、今は世界を相手に音を創ってる」
「えぇ」

エリックに視線を向けたら「何、話してるんだ?」って表情で返ってきた。
今は他の楽器の音が上手く溶け合って、ゆったりと店内に響いている。

「あいつの音、変わったな」

フィルがこそっと私に言った。

「変わった?」
「俺の耳はあいつの音を聴いてたから分かる。たまに演奏会だって行ってる。最近あいつの音に深みが増した。ワインが熟成されるって感じだ。祥子、あんたのせいかもな」
「私のせい?」
「あんたも、ここに来た時よりも音に深みが出てきてる」
「私も?」
「そうだ」
「あいつの音を変えさせる女なんか今迄居なかったぞ。いつも女のほうだけがいい音に変わってたからな。おっと、俺も酔っ払ってるのかな。口が滑っちまった」
「そんな話聞いた事があります」

リサが言ってたのを思い出した。
私のグラスにフィルがゴボッとワインを注いだ。

「あいつの音を変えさせる程の女だ。あんたはあいつにとって最高の女なんだな」
「なんでしょうか」
「少なくとも俺達はそう感じてる。俺達にとっちゃ、エリックは息子同然だからな。その音を良くする女なら、人種が違えど大歓迎だ。さて、出番だ。あんたも手伝ってくれよ。何か吹けるだろ?」 
「え?」
「フルートならある。エリックから電話受けて用意しといた。ほら」

フィルの指先のピアノの上にフルートが置いてあった。

「手伝ってくれたら、今日の飲み代は無しにしてやる」

やっぱり、私ってはめられ易い人間なのかもしれない。なら…。

「食事代も込みにして下さい」

フィルが大笑いになった。

「良し。このテーブルは俺のオゴリにしてやる」
「やった」

前にミリファと演奏した時の曲を思い出す。フルートを持ってエリックの傍に行った。

「こうなるの分かってたんでしょ」
「デートの最後は最高にだろ」
「最高よ。食事代フィルのオゴリにしたからね」
「え?」
「当たり前じゃない。二人分のギャラよ」

「高くついたぞ」

フィルが笑いながら楽譜を配って言った。

「さすが祥子だ」

エリックが笑って親指を立てた。

フィルがマイクを握る。

「さぁてさて。本日最後の時間だが、もう一人のゲストが登場だ。エリックの隣に(たたず)むお嬢さん。フルートのシンデレラ、祥子・苅谷の音を皆さんに贈ろうじゃないか。二人の事を詮索(せんさく)する野暮(やぼ)なお客は、もう寝る時間だから帰ってくれよ。この音までタダで聞けるなんてラッキーはこの店だからのお話だ。静かに聞いてくれよ」

小さなオーケストラだ。
小さいからそれぞれの個性がぶつかってくる。
ひとつひとつ音を聴いて合わせていく。途中からフィルの声が載ってきた。

面白い。ジャズも面白い。
エリックの音がゆったりと響いてる。それに絡める様に合わせていく。

(甘い?)

エリックの音からそう受け取ったから、驚いてエリックを見た。

「甘いキスだった」

エリックが曲の合間に囁いた。



「飲みすぎちゃったわ」
「あんなに飲むんだもんなぁ」
「だってタダなんだもの」
「だからと言って」

調子に乗って頼んでました。

「エリックと一緒だったから」
「誘惑してるのかい?」
「…うん」
「なら、断る理由はないな」

アパートの前に帰って来た。
鍵を取り出そうとして、眼にキラリと赤い光が入って顔を背けた。

(これって、撃たれる?!)

 パンッ

昨夜聞いた音がした。

「痛っ!」
「祥子!」

私が頬を押さえる前に、エリックの手が私の顔の前に出された。

 パンッ   パンッ

「ぅっ!」 「ゃっ!」

私の声のほかにエリックの声が耳に入る。

「エリック!」
「あそこからだ! 待て!」

向かいの建物の影で何かが動いた。エリックがそこに向かって走っていった。
直ぐに戻ってくる。

「自転車で逃げてった」

立ち尽くしてた私の前に来て、エリックが私の肩を揺する。

「祥子、大丈夫か?」
「私、狙われた?」
「アパートに入ろう。鍵を」
「…」

あの光。よく映画で見る。撃つ為の照準(しょうじゅん)レーザー光…。額に赤く光の点が写る。あの光だ。どうして私が?

「祥子。鍵、出すよ」

「…ぁ」
「祥子、大丈夫か?」

気づいたら自分の家の中だ。椅子に座っている。エリックが濡れたタオルを私の頬に当てた、その冷たさで我に返った。タオルを受け取って、自分で冷やす。ジンジンする。視線をエリックに動かす。

「私、狙われた?」
「あぁ」
「どうして? 何で? 撃たれたのに動けるのは何で?」
「エアガンだよ。子供が遊びで使うやつ。ほら」

エリックがテーブルの上から小さい銀色の球を摘み上げて私に見せた。
見た事がある。日本でもブームになって子供から大人迄遊んでる。でも、プラスチックの球だった筈。

「おもちゃだが、顔を狙うなんて危険な行為じゃないか。こんなのでも眼に当たったら失明する時だってあるんだ。それも改造したのか、威力がかなりあった。球も変えてる」

エリックが掌を気にしてるから覗き込むと、掌から血が出ていた。昨日の私の腕に残された傷よりも酷い。皮膚が剥けてえぐれた様になっている。

「エリックのほうが大変よ。すぐ消毒しなきゃ」
「俺よりも祥子のほうだ。君の頬に傷が出来てるんだ」
「傷?」

慌てて鏡の前に行き、冷やしてたタオルを外す。
頬に赤い線がニ本、くっきりと残っている。そのうちの一本から血が滲んでる。

「どうして? 私…恨まれる事なんかしてないのに」

恨まれる事。エリックと付き合ってるから? イヤガラセならこんな事じゃなくてもファンレターに紛れて出来るし、雑誌にだって投稿すりゃいいんだ。こんな狙ってまでするものじゃ…。

「ぁ」

思い出した。私を恨んでる人が居る。それも心底恨んでる筈だ。私が成功すればする程恨む人が居た。

「…ランス・ダッカード」

この人の事を忘れてた。
眼が飛び出すように見開かれていた顔が、今、目の前に居るように見えてくる。

「祥子」
「っ!」

名前を呼ばれて飛び上がってしまった。恐る恐る視線を声のしたほうに向ける。エリックなんだけど…怖い。

「血、止めなきゃ」

エリックの手が私の頬に触れようとして

「さ、触らないで!」

叫んでしまった。同時に体が震えだした。エリックが驚いて手を止める。

「祥子」
「あ…ごめんなさい。エリック、ごめんなさい。怖い、怖いの。…外人が…怖いの」

視線を合わせるのすら怖い。

「エリック…ごめんなさい。…一人にさせて」
「帰るから。ゆっくり落ち着くんだよ。一人で…大丈夫かい?」
「うん。…ごめんなさい」

パタンと扉が閉まった。


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