#50 頼み <祥子視点>

文字数 5,655文字

ガド爺と一緒にドイツからスイスに飛んでウィーンに戻ってきた。

「二カ国のハシゴなんて初めてじゃろ」
「初めての国だから緊張しちゃいましたよ。でも、ガド爺と一緒だから心強かったです」
「こんな爺さんでも役立ったか」
「とぉ~ってもありがたいですよ」
「そうかそうか」

空いてる時間、旅慣れてるガド爺が私を観光に連れていってくれた。仕事なのに、観光写真が沢山あるのも変な感じがする。
ガド爺が練習所に行くと言ったから、一緒に練習所に戻った。私はその足でシドに報告しに行く。ガド爺は「挨拶でもしてくる」と、どこかに行った。

「もうオペラは大丈夫ですね」
「はい。よっぽど癖のある人だと困りますけどね」
「祥子はこれから国外に出て行く様になりますよ。ドイツ公演の評価も良く書かれてました。直ぐに依頼が入ってきましたよ。スイスのほうも上出来です」
「それは嬉しいです」
「次は明日から1ヶ月、イギリスで頑張ってきて下さい」

次の仕事のスケジュールを貰う。

「あら、随分移動が入るんですね」
「イギリス国内を堪能(たんのう)してきて下さい」
「はい」
「祥子、少し待ってて貰えますか。一緒に帰りましょう」
「はい。分かりました」

シドの部屋を出たらエドナが居た。

「祥子、お疲れ様」
「エドナ、お久しぶり。無事帰ってきたわ。お土産よ」

ありきたりだけど、チョコをいくつか買ってきていたから、エドナに渡した。

「チョコね。疲れた時に助かるわ。ありがと。明日からイギリスね」
「1ヶ月行ってくるわ」
「向こうの男に騙されちゃ駄目よ。帰って来たら楽しみが待ってるんだから。じゃね。お先に」
「何?」

私が聞き返しても、エドナは笑ってカバンを持って部屋をさっさと出ていった。
よく分からないまま、フルートパートの部屋に行った。
今日私が帰るのを伝えていたから、アガシが残っていた。

「祥子、お帰りなさい」
「ただいま。アガシには責任を押し付けちゃってごめんなさい」
「その為のセカンドですよ。使って下さい」
「ありがとう。明日から1ヶ月またお願いします」
「はい」

1曲合わせて、アガシの調子をみる。

「アガシ、あなたが急ぐとシャンドリーが慌てるわ。気をつけてやってね」
「はい」
「皆の調子は?」
「リサは今風邪をひいて休んでいます。彼女は音を保てるようになりましたよ。シャンドリーは…」

アガシが笑う。

「シャンドリーがどうかしたの?」
「シャンドリーは、祥子、あなたの真似を始めてますよ」
「私の真似?」
「そう。自分の情景を音に載せだしました」
「あら」
「まだ初めのうちだけですがね」
「音に負けないように引っ張ってあげてね」
「はい」

ずっと不在にしてた自分の小部屋に入る。
自分の小部屋と言っても、自分の物が置いてある訳じゃない。
掃除を始める。机を拭いて、鏡も拭いた。

今、エリックはどこに居るんだろう。
エリックと別れてから、私は意識してエリックのスケジュールを見ない様にしていた。
だけど、ドイツに居ても、スイスに居ても、ここに居ても、エリックに似た後姿を追いかけている。
情けないけど。

鏡に映る自分が眼に入る。

「次の出会い…あるのかな。きっとあるよね」

小部屋を出てミリファを探す。クラリネットの部屋は電気が消えていた。ふらふらとバイオリンの部屋に行った。そっと戸を開けたら征司の音が耳に入った。
私は戸を開けたまま、征司の音を聴いていた。征司の音も優しく柔らかだ。だけど、違う。
静かに戸を閉めた。シドの部屋に向かう事にする。

「祥子、今、迎えに行こうと思ってました」
「丁度良かったですね」
「帰りましょう」
「はい」

シドと二人で電車の中。この状態なら恋人に見られてもおかしくない。

(シドは私を愛してくれますか?)

シドと喋っていて思っていた。私がシドの記憶の中の女性を越えられるのだろうか。
家に着いて、リリアが作り置きしてくれた夕飯をシドと一緒に食べる。
マリーが途中で下りてきた。

「祥子、お帰り。でも明日からまた居なくなっちゃうんだよね」
「イギリスなのよ」
「早く帰ってきてね。楽しみが待ってるんだよ」
「楽しみ?」

マリーは私に笑って目配せした。シドが軽く咳払いをしてマリーに言う。

「マリー、クリスマスはまだ先ですよ」
「あ、そうそう。でも、祥子はウィーンで初めてのクリスマスだよ」

クリスマスか。

「そっか。12月はクリスマスね」

だからエドナもマリーと同じように言ったんだ。

マリーが私とシドが食べてる間、横で飲みながら私の土産話(みやげばなし)を聞いていた。
食べ終えてから私は洗濯機を動かして、明日からの曲を確認していく。

「なるほど。確かにクリスマスがやってきてる」

クリスマスソングが多い。アーチャーさんのソロ。ルナのソロ。

「ハレルヤが入ってる。二人で歌うんだ。どうなっちゃうんだろ」

ディズニーの曲も何曲か入っている。

「星に願いを、美女と野獣、ララルー、定番ね」

この曲なら練習出来る。大部屋に入りフルートを吹いていく。
エリックの事ばかり想い出されてくる。

 願いが叶うなら、エリックとまたデートしたい。抱き締めて貰いたい。キスしたい。…願いを叶えて。エリックと一緒に居たい。ずっと一緒に…居たい。

「だめ、ダメ、駄目。私情が出ちゃう。仕事なんだ。切り替えなきゃ」

でも、今は練習だ。

 エリック、私はまだ忘れられない。…愛してる。

言葉に出来ないから音に載せる。音に載せて吐き出したから、気が軽くなった。一休みしようと大部屋を出たら、リビングから音が漏れてきている。

「ルナの声だ。相変わらずシドのお気に入りなんだ」

何か飲もうとキッチンに向かうと、私に気づいたシドが私を呼んで手招いた。

「シド、お邪魔していいんですか?」
「どうぞ。座って。祥子に話がありますから。今、休憩ですか?」
「はい」

言われるまま座る。用意されてたグラスにブランデーが注がれた。

「ブランデーなんて珍しいですね」
「祥子は飲めますか?」
「初めてです」
「なら、ゆっくり少しずつ舐めるつもりで飲んでいって下さい。無理そうだったら止めて下さいよ」
「はい」

ゆっくり一口。舌が熱くなった気がする。喉元が熱くなって胃に落ちていった。

「どうですか?」
「なんとか。味わうのは出来ないですけど」
「アーチャーさんと飲む時はブランデーが出ますから。予習ですよ」
「頑張ります」

シドがふき出して笑う。

「出されたからって全部飲まなくてもいいんですよ。一口すればいいんですよ」
「あ、一口ですね。でも、飲めそうだったら?」
「その時は全部飲んでも構わないですよ。でも、程々にですよ」
「はい」

今までの事を知られているだけに、何も言えません。
シドがそんな私を見て笑いながら立ち上がり、暖炉の上からフル-トケースを持ってきた。

「祥子にお願いがあるんです」
「何でしょうか?」
「イギリスでこのフルートを使って欲しいんです」

そう言ってシドはフルートケースを開けて、中のフルートを私に見せた。

「これを…ですか?」

このフルートはシドの愛してた女性の物。そんな大切な物を何故私に?
シドは何事も無い様に頷いた。

「これを使って下さい。本番は硝子で構いません。アーチャーさん達との練習に、一度使って下さい」
「 ? これを使えばいいんですね」
「そうです。いいですか?」
「はい。ですが、あの…理由を聞いていいですか?」

シドが視線をフルートに向ける。

「理由は…アーチャーさんが教えてくれますよ」
「アーチャーさんが?」
「はい。答えになって無いですが、それでいいですか?」

本当は聞きたいけど、シドがそのまま口を閉じるから聞けなかった。

「あ…はい」
「まだ練習しますか?」
「はい。ディズニーの曲だけですが」
「このフルートで合わせていいですか?」
「嬉しいです」

シドと大部屋に移動して、一緒に吹いていった。今日のシドは曲の節回しを変えてきている。
3曲を2回ずつ。シドの音が強調されてくる。「私の音に合わせて下さい」そう主張しているからシドに合わせていった。

「祥子、ありがとう。ちょっと強引になっちゃいましたけど」
「いえ。こういう吹き方も楽しいです」
「祥子、あなたに(たく)すのはズルイのですが」
「 ? 」

リビングに移動して、シドがフルートを分解して手入れを始める。私も硝子のフルートの手入れを始める。

「祥子の金属のフルートはこちらのケースで預かっておきますね」
「そうですね。じゃ、お願いします」

ケースの仕掛けを外し、金属のフルートを出してシドに渡す。シドのフルートを私のケースにしまった。

「いいケースですね。祥子が2本持ち歩けるように考えて作られてる。特注品ですね」
「はい」

胸が締め付けられた。このケースはエリックから貰った物。もうひとつの仕掛けの中には…。

「ケースを大事にして下さいね。それだけでも良い事がありますよ」
「え? クリスマスが近いから…ですか?」
「まぁ、そうですね。クリスマスですし」
「 ? 」

ウィーンのクリスマスって秘密めいたものなのだろうか。

「明日は私が空港迄送りますよ」
「シド、折角のお休みなんだから、ゆっくりして下さい。タクシー使いますから」
「そうはいかないんですよ」
「何故?」
「ハミルトン警部から連絡があったんですよ。昨日、取引最中に警察が踏み込んだのですが、ランスが逃げおおせたそうです」

私がハミルトン警部に深夜捕まった時、アジトは押さえてるって言ってたのを思い出した。あれから随分経っている。

「それで今日、ガド爺が練習所迄、一緒に来たんですね。着いて直ぐに居なくなったから不思議に思ってました」
「そうですよ。ガド爺に頼みました」
「だから明日はシドが見送りなんですね。ありがとうございます」
「何も無いといいんですが。勿論、ハミルトン警部達もどこかで見張ってます」
「厳重ですね」
「ランスの状態が…薬物依存がどれだけ進んでるか、分からないんですよ」

ゾクッとした。ランスの依存が進んでて、私の事なんか忘れていればいいのに。



翌朝、シドの運転する車で空港に行く。車中のシドはどこか緊張している様に見えた。会話も直ぐに途絶えてしまう。
ランスの件があるからかもしれない。

「さて、荷物、降ろしましょう」
「はい」

シドが車からスーツケースを降ろしてくれて、私がカートに積んでいく。
1ヶ月分の持ち物は結構ある。普段着は着まわしするけど、演奏会が続く時は同じ服は避けなきゃならない。

「シド、ありがとうございます」

最後の荷物を受け取ってカートに積んだ。その瞬間、シドが私を見て顔を強張らせ、私の腕を引っ掴んで引き寄せた。

「わっ! えっ?」

私の後ろで何かが倒れた。私が振り向こうとする前にシドが動く。何かが人間だったのに気づく。傍にその人が被ってたんだろう帽子が転がってる。普通の、ごく普通の格好で髪の毛だって綺麗に(まと)まってる。
シドがその人に向かっていき、腕を掴んだ。そのはずみで顔が見えた。

「「 ランス! 」」

顔だけが異様だった。ギョロリと落ち(くぼ)んで見開いた眼が物語っている。ランスは何も言わずに空いてた腕を動かした。キラリと何かが光った。シドがその腕も押さえつけようと動く。

「っ!」
「シドっ!」

ナイフがランスの手から落ちた。バタバタと足音が集まってきた。警官だ。ハミルトン警部が突っ込んできてランスを羽交(はが)()めにして動けなくした。

「早く!」

ハミルトン警部の声が響いた。ランスは暫くもがいていたが、自分の両手に掛かった手錠を見て静まった。
ゆっくりランスの顔が私を向いた。私だと気づいたのか、一瞬で顔つきが変わった。さっきまでの凶暴さが無くなった。ごく普通の眼で私を見た。

「祥子…あんたの…音…は…素晴らしい。悪い……思う」

ボソボソと聞えてきた言葉に驚く。シドだってランスを見て驚いてる。
ところが、警官が落ちてたナイフを取り上げた時、ランスの顔つきが変わる。もがいて私に向かってこようとする。眼がドコを見てるのか定まっていない。はっきりとしたランスの声が響く。

「お前は二度と戻ってくるな!」

ランスが腕を振り上げようとするのを警官が取り押さえる。ランスは吠え続ける。

「日本に帰れ! このイエローめ!」

「車に連れて行け」

ハミルトン警部の声が冷ややかに響き、ランスは警官に連れていかれた。盛んに振り返るのを警官に邪魔されてわめき散らしている。
ハミルトン警部が私達の傍に来る。

「祥子、シド、大丈夫かな?」
「はい。あ、シド、怪我」

シドの左手から血が(にじ)んでいた。シドがハンカチを引っ張り出して傷に当てる。

「この位、大丈夫ですよ」
「見せて下さい」

シドが怪我に当ててるハンカチを外す。

「ほら、かすり傷です」
「でも、怪我ですよ」

私もハンカチを出して、シドの手を包むように巻いた。

「祥子、ありがとう」
「シド、私のせいでごめんなさい」
「祥子のせいじゃない」

「シド、咄嗟に動いてくれて助かった。礼を言う」

ハミルトン警部がシドの肩を叩いた。

「顔が見える迄ランスとは思いませんでした。祥子に向かってきたから慌てました」
「あぁ。普通に歩いて来たからな。帽子を深く被っていたから遅れをとった。怪我させてすまなかった」
「いいですよ。ランスが捕まった事ですし」

シドとハミルトン警部が見送ってくれる。荷物を預けた後で、私はハミルトン警部に質問をぶつける。

「ランスは、気が確かなんでしょうか? 突然、しおらしくなったり、わめいたりしましたよね」
「薬物中毒の症状なんだよ。人生バラ色みたいにハイになったり、その逆に現実に直面すると自分の正直で真面目な部分が顔を出す。ランスはもうごっちゃになっているのだろう。だが、ランスはどこかで君の音を聴いているんだ。自分の正直な気持ちは君に悪いって思っているんだな」
「そうであって欲しいです」

搭乗案内が響く。

「ハミルトン警部、お世話になりました」
「これからは、大手を振って生活できますよ」
「はい。ありがとうございました」

ハミルトン警部と握手をした。

「シド、仕事行って来ます」
「成功を祈ってます」
「はい」
「祥子、頼みましたよ」
「はい」

ロンドンに向かって飛行機が飛び立った。



- #50 F I N -
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み