#23 月 <祥子視点>

文字数 3,913文字

エドナに教えて貰って定期演奏会の録音CDを借りてきた。
小部屋でランスの音に集中して聴いた。

「技術はこんなに素晴らしいのに」

私の音とは正反対の音だった。主張は激しいがコンマスの征司の音は壊していなかった。ただ、アガシやリサ、シャンドリーの音を伴奏の様に従えていた。



マーラー 第9交響曲 の合同練習だ。
カルシーニのおじさんも指揮者としての腕は一流だと思った。癖は(ひど)いものだったが。
この人が音に感動して体全体で指揮をするって事は無さそうだ。

小さいミスで中断される。
私のソロの箇所はそのまま流された感じがした。そんなものだろう。私は普通に吹いていたんだ。きっと鼻で笑いたいに違いない。

リハーサルは午後。通しである。
その時には、いじめられた仕返ししてやる。

(待ってなさいよ。一泡吹かしてやるんだから)

こんな歳になって子供みたいな事してる。

パートの部屋に戻って、最後のチェックだ。

「アガシ、音の切れが悪い時がある。ここの部分。タ、タタータがタータタータになる。気をつけて。リサ、後半急ぐわね。注意して。音を耳で聴くのよ」

録音していたのを再生する。

「この音を聞いて自分の音を探してみて。自分のミスは誰もカバー出来ないのが分かるから」

それで午前は終わり、私はリハーサルまで小部屋に(こも)る。

私は小部屋の中で情景の()り込みに入る。ミリファに言われた事、シャンドリーに言われた事、そしてヘンリーが言った事。

私の譜面は真っ赤に書き込みが入っている。何度も手直しが入ってて見づらい。

「新しいの貰ってこなきゃ」

廊下に出たらエリックが先を歩いていた。
声を掛けようと思いながら掛けられなかった。
建物の中でカメラを構えてる人は居ないのに…。



リハーサルの時間になり、移動する前にアガシとリサを呼ぶ。

「今日から、私の音と合わせて貰います。自分の音に責任を持ってください。自分の音を

為に、観客を招待するのだから、自分の今出来る最高の音を

ましょう」
「「 はい 」」

いつもは「聞いて貰う」と言う所だけれど、あえて「聴かせる」と言った。ランスの(かせ)が無くなった今、各自の音は自由に、()つ、責任を持って欲しかったからだ。アガシとリサが楽器を握りしめたのが分かった。



皆で移動する。本番と同じ場所で同じスタッフで始まる。

「祥子は征司の前に入って来て。定位置では無く指揮台の横」
「はい」

晒し者の位置だ。椅子があるけど、立って吹けと言っている。
硝子のフルートを吹いたのが遠い昔に感じられる。ここで吹いたんだ。この場所で。
本番通りに団員が座っていき、調律が始まる。暫くして静かになり、私が入り、椅子に腰を下ろす。征司が入って来る。そしてカルシーニ。

この人の隣で吹くのか…。

トンと音が響いた。カルシーニが私を見て指揮棒で促したんだ。
準備も何もない。私が吹き出せばそこからが開演。観客もさぞかし驚くことだろう。

バッハ 無伴奏フルート パルティータ
私の音が響き出す。劇場の中一杯に響いている。

 ♪♪♪ ♪♪♪

指揮を見なくて済むのは(らく)だが、視線の置き場に困る。音に陶酔(とうすい)して眼を閉じるなんてまだ出来ない。譜面でも追いかけていよう。
最後の楽章を吹いていたら、カルシーニの指が静かに上に動いているのが眼に入った。

(早くしろ?)

指がそう言っていた。テンポは合っているのに、早くして盛り上げろと指示が出てる。左手は握られてる。音を止めるとカルシーニが「席に」と指示を出す。静かに私は自分の席に移動する。
リサが隣で囁く。

「良かったわよ。カルシーニも満足してるわよ」
「満足した、ってどうして分かるの?」
「これよ」

と、リサが左手を握って見せた。

マーラー 第9交響曲

カルシーニの棒が伝えてくる。皆ヒトツに。静かに…静かに…恐れを込めて。
今回はミスがあるとカルシーニの(にら)みが飛んできていた。

ソロの部分もこなしていく。カルシーニがソロの終わりに左手を握った。
隣のリサに視線を飛ばしたら、ニコリと笑って頷いた。
この仕草が満足のサインなんだ。

曲が終わり、少しの休憩が入る。何故かカルシーニが大急ぎで引っ込んでいった。
その間に、また指揮台の傍に移動する。今度は征司とエリック、ヘンリーも一緒だ。
カルシーニが戻ってくる。

モーツアルト フルート四重奏曲ニ長調

私の情景はバッチリ固まっている。堂々と私のイメージした情景で吹いていく。弦楽器の3人の音色を壊さないように、それでも主役は譲れない。ここで私は主張しなくちゃならない。
カルシーニの視線がいつにも増して私に向けられるのを怖く感じていた。

「君達4人は練習室でモーツアルトを合わせる事。残りの者に注意があるのでそのまま。君達は早く戻りたまえ」

追い立てられる様に征司、エリック、ヘンリーと私の4人は練習所に戻る。

「何か変だよな」
「あぁ。そうだな」

エリックが言うと征司が答えた。

「噂の娼婦がいい出来だったんじゃないか」
「ヘンリー」

エリックがヘンリーをたしなめた。征司が私を見て言う。

「音が良くなったな」
「征司、ありがとう」
「このフルート一本でいくのか?」
「これが壊れるまでね」
「予備は必要だと思うが」
「確かにそうだけど」
「物が変わってもその一番いい音を引き出す位もう大丈夫だろ」
「きっとね」

予備なんて考えてなかった。確かに何かあった時には必要だ。
4人で音を合わせながらチェックをしていく。
皆が戻ってきてカルシーニが部屋に入ってくる。

「本番もさっきのイメージでいって下さい」

そう私達に言うと、カルシーニが私に近づいてくる。

(鼻で笑うつもりか?)

身構えちゃってる。

「祥子。正直、今の出来は驚きました。今迄、騙してましたね」
「そんな事はないのですが (やった! 一泡吹かせた!)」
「明日は黄色でお願いします」
「は、はい。黄色のほうですね」

カルシーニが部屋から出て行ってから、ヘンリーが近づいてくる。

「なぁ、祥子」
「何?」
「リハの音、全然違うじゃないか。征司とエリックも気づいただろ?」
「あぁ。練習からどんどん良くなってる。エリックも気づいてるよな?」
「勿論だ。娼婦から女を出してきた」
「そう? じゃぁ、もう一息だわ」

「本番が楽しみだ。ところでさっきの黄色って何?」
「黄色? あぁ。あれはドレスの色よ」
「あれ? 楽団員は黒基調でいいんじゃなかったかな」
「カルシーニに言われたのよ。赤と黄色の単色のドレスを用意しとけって」
「赤と黄色。随分目立つ色だね」
「で、黄色になったって事よ」
「ヘンリー、俺等はシャツとか他も黒だ」
「え? そうだっけ? エリック聞いてたか?」
「最初に言われてたじゃないか。全身黒って」
「まずいっ。急いで帰ってシャツ用意しなきゃ。じゃ、明日な」

バタバタとヘンリーが出て行って、私達もパートの部屋に戻る。
レンタルショップに黄色のドレスになったと連絡を入れて、家に帰った。



そこからが緊張との戦いになる。本番迄のカウントダウンだ。
夕食も少ししか入らない。何度も譜面を見直して、音を出して…眠れない。
観客の中にカノンが居る。それも緊張の種になる。
失敗したら、全てが水に流れてしまう。

服を出す。と言っても移動用の服だ。演奏中の服はレンタルショップから劇場に送っている。
髪型を決める。何かしてないと緊張に押し潰されそうだ。本番前の緊張だけは慣れない。

夜が短いようでいて長く感じられる。ベッドに体を預けながら眠れないでいた。

♪~

突然響き渡った着信音に飛び上がった。エリックからだ。

「ごめん。寝てた?」
「ううん。寝れないから」
「そうだと思った。なら、外、見てごらん」
「外?」

起き上がってカーテンを開けた。月明かりが明るく部屋に降り注いでくる。

「月、出てるだろ」
「うん。明るい位よ」
「日本で見るのと違う?」
「同じ月よ。月だもの」
「俺には今日の月はいつもと違う」
「何故?」
「明日が楽しみだからかな」
「エリックは興奮するほうだったね」
「そうだよ」

エリックの低いトーンが心地よかった。この声で子守唄を歌ってくれたら静かに眠れそうな気がした。
月明かりが暖かい気がする。

「祥子?」
「何?」
「音が新しくなったね」
「分かる?」
「勿論さ。明日、その音に合わせるのが勿体無い気がする。俺の音が祥子の音を壊してしまいそうで…そんな気がする」
「大丈夫よ。エリックの音、好きだもの」
「それは嬉しいな」

月明かりが魔法を掛けてる気がする。胸の奥がドキドキしている。

「エリック」
「何?」
「久々にゆっくり話してるね。凄く嬉しい」
「そうだね」
「私が早く自由に動けるようにならなくちゃね」
「大丈夫さ。明日終れば上手くいくさ」
「頑張らなくちゃ」

「綺麗な月だな」
「そうね」
「何でも叶えてくれそうだ」
「星よりも大きく見えるもんね。一杯叶いそう。やだ、笑わないで」

笑い声の横でコーダの甘えた声が聞こえてくる。

「あら、コーダも一緒?」
「そう。今日は俺の部屋に入ってきてる。いつもは階段下で寝てるけどね。演奏会前は必ずここに居るな。あっ、こらこら」

コーダの鼻息が聞こえてきた。

「コーダも夜更かしさんね。飼い主と一緒ね」
「祥子、そりゃないよ」
「コーダにエリックを返してあげなきゃ怒られちゃうわね」

クーンとコーダの声が耳に入った。

「コーダが祥子を寝させてあげろって。そうだな。残念だけど、おやすみだね」
「うん。エリック、ありがとう。少し緊張から開放された。おやすみなさい」

携帯をサイドテーブルに置いて、ベッドに横になる。窓から月が見えている。

エリックの言う通り、何でも叶えてくれそうな、そんな気がする。


- #23 F I N -



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