#9 フルートトップ <エリック視点>

文字数 2,133文字

祥子の音と初めて合わせて興奮していた。
バレエで聞いた音と、今、一緒に奏でてみた音の違いに驚いている。
祥子はバレエの時の楽団とは質の違うこの楽団の音に合わせている。音を使い分けているんだ。本来なら客分である祥子に俺達が合わせていくものだが。

いや…違う。祥子の音が俺達の音を()き寄せている。俺の音すら()き寄せていく。音を奏でるのが気持ちいいじゃないか。

征司とのデュオ(二重奏:DUO)を聞きながら悔しく思っていた。俺がバイオリンだったら…今、祥子の音と響き合っていた筈だ。
祥子の音が柔らかく俺の耳に届いてくる。わずかな期間でこの技術を会得し、この表現力は天性のもの。
祥子は俺と同じ位置にいるんだ。

「祥子を我楽団のフルートトップに迎える」

昨夜のガド爺の言葉だ。楽団トップの了解も受けているという事だったから、現フルートトップのランスに問題がある事になる。

確かにここ最近のランスはどこかおかしなところがあった。
当のランスは欠席だ。連絡が無いままだ。
本来トップ奏者は公募で厳選に決定されてきた。祥子はいきなりの抜擢(ばってき)になる。それもランスを押しのけての抜擢だ。
昨夜残された団員はトップかセカンドの位置。皆、公募から決定されてきているから、不公平に思えたのだろう。
祥子がステージに出てきた時の皆の視線で分かった。他の団員だって、祥子の登場で驚いていた。
だが、祥子の音を耳にして、実際に合わせてみて、皆が祥子を認めた。俺だって認めている。この音ならランスの上をいく。
征司が立ち上がって祥子の手を軽く上げた時、観客もそうだが、楽団員全員が拍手を祥子に贈ったのがいい証拠だ。



楽屋に戻り真っ先に祥子を探したが見つからない。シドが楽屋口に来て皆を集め大部屋に移動した。
その部屋には、この楽団に係わる全ての人達が集められていた。スポンサーのお偉いさんや、多分、国の役人までいるんじゃなかろうか。ガド爺の横に征司が、その横に祥子が立っていた。
祥子が俺に気づいて、何事が起こってるのか分からない顔で首を傾げた。征司も教えていないのだろう。

シドが前に立った。部屋のざわめきが静まり返る。シドが前置きもなく話し出す。

「簡潔に用件を伝えます。本日をもって、フルートトップ、ランス・ダッカードは体調不良でその任を解き、()わってこちらに居る、祥子・苅谷にフルートトップを任せるものとする」

部屋の中は静かなままだ。祥子は隣の征司に通訳して貰ったのか、驚いた顔でガド爺を見る。ガド爺は祥子に目配せして笑った。

「この決定に異議のある者は今、この場で申し述べよ」

シドの声が部屋に響き渡った。部屋の中は静まり返ったままだった。

「ん? 祥子、何か?」

祥子が手を上げていた。シドが気づく。祥子がおずおずと口を開く。皆も祥子に注目する。

「あ、あの。急な事で困ります。この楽団の音もさっき分かりました。最高の音を出す楽団だと思います。突然そのフルートトップを命じられても困ります。私、ドイツ語が話せませんし」

ガド爺が祥子の言った言葉を簡単に通訳して皆に伝える。

「ランスの事は理由のある決まってた事なのじゃ。それを踏まえて考えてくれないか。祥子はこの楽団の音を最高だと言っておる。だが、祥子は辞退しようとしとるぞ。フルートトップが暫く不在でいいのか? 祥子の音を他の楽団に持っていかれていいのか?」
「ミス祥子の音を迎えたいと思います。フルートパート皆の総意です」

フルートセカンドのアガシが一歩前に出て言いきった。フルートパートには前もって伝えてあったのだろう。

「祥子はドイツ語が話せないからと言っておるが」
「まぁ、英語でもなんとか。それに言葉よりも音で通じるもんでしょ」

どこからか拍手が沸き起こる。つられる様に拍手が広がっていった。
ガド爺がそれを祥子に伝え、祥子の背中を押した。祥子は驚いたまま簡単に挨拶(名前と宜しくだけだった)した。そして解散となった。
祥子はガド爺に連れられて行った。今後の活動や手続きの事だろう。

楽屋に戻るとフルートパートに皆が群がっていた。ランスの事についてだ。

「ランスの体調不調ってなんだよ」
「確かにアイツここ最近危ない感じがあったけどよ」
「もとからじゃなかったか。本番前なんかすぐキレてたし」
「今日はどうしたんだよ」

質問攻めにもフルートパートの皆は口を堅く閉ざしていた。楽屋に戻ってきたアガシが騒ぎを収める。

「俺等は祥子の音を認めたんだ。ランスの事は…本人の事だ」

ザワザワと皆が散っていった。

団員が次々と帰っていき、楽屋が静かになってくる。ミリファが俺の小部屋に来た。

「ここにも居ないのね。まだ終わってないのかしら」
「征司?」
「そう。エリックは祥子の事待ってるんでしょ?」

悪戯っぽくミリファが笑って聞いてきた。

「もちろんそうさ。祥子の音聴いてまだ興奮が残っているんだ」
「私も…そうね。あの音を聴いたら認めざるをえないわ。凄くいい音だったわ。征司とのデュオなんか最高だったじゃない」
「悔しい程だよ」
「そうね。私の音とも合わせてみたいわ。そう思う」

パタンと戸の音が響いた。

「戻ってきたのかしら。エリック、後でゴハン食べに行きましょ。祥子も誘って、ね」
「いい考えだ」

ミリファが小部屋から出て行った。


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