#11 理由 <祥子視点>

文字数 3,597文字

五人で建物を後にした。私は観客ではなく演奏家として出てきた。
フルートケースがいつもよりも軽い。軽い分が私の不安の重さだといいのに。

シドが歩きながら楽団の練習所を教えてくれた。といっても演奏した劇場の隣の建物。

「シド、明日、私練習したいです。使っても構わないですか?」
「勿論。もう君の場所も用意出来てるから自由に使って構わないですよ。来たら誰かに案内する様に伝えときます」
「俺が案内するから」

エリックが言うと、ミリファがくすっと笑った。

店に入り席に座る。外で食べるのは久しぶりだ。一人で観光なんて出来なかったし、食事はホテルかガド爺に教えて貰ったお店で買った位だ。栄養面では偏りすぎているはずだ。日本で馴染みのお店もあったけど、注文で失敗したくなくて入ってない。

「祥子は何にする?」
「えっと…」

ミリファに聞かれ、メニューを見て戸惑っている私に気づき、征司が言う。

「祥子、苦手な物は?」
「私、油ぎってるの以外なら、肉、魚、何でも大丈夫」
「じゃ、色々取り揃えて注文しよう。口にあうか試してみるといい」
「ありがとう」

私に合わせて皆ゆっくりな英語で喋ってくれる。ミリファも英語は私と同じ位だったから、時折、ドイツ語や日本語が入り混じる時があった。
食べながら、さっきの出来事をシドに話していた。話の内容は征司が簡単に説明してくれた。
シドが征司と私を見て口を開く。

「祥子と征司には、嫌な思いをさせましたね。楽団員も多国籍になってきているのに、今でも国籍や人種に(こだわ)る人が居るのも現実です」

シドはミリファに視線を止める。

「ミリファ、祥子、女性に対する偏見もまだ残っています。音楽には関係ない事なのに」

最後にエリックに視線を向ける。

「エリック、君が居てくれたから皆無傷だったのかもしれない。君は音と人を認める事が出来るからね」

そう言ってから、シドは口を閉じた。誰も口を開かなかった。シドの話を待っていた。
シドがゆっくり口を開く。

「まずランスの理由からですね。ミリファ、今年になってフルートパートから何か聞いていませんか? または何か見ていませんか?」

シドがミリファに視線を投げたら、ミリファが思い出す様に手を頬に当てる。

「最近ランスが荒れるって話を聞いたわ。あと、演奏会近くなると誰かしら怪我してたわ」
「私はアガシからランスに殴られたと報告を受けた時に、ドラッグだと見当がついたんです」
「何故?」
「顔つきが変わってきてたのに気づきましたか?」
「確かに。頬がこけてたし、目つきが怖かったわ」
「ランスがドラッグに依存していた。その兆候です。ランスの音も変わってた筈です」

シドが征司に視線を移す。

「あの頃からかも。エリック覚えてるか? あの定期演奏会」
「あぁ。ランスの音が狂ってるって言った時だろ」
「ランスのスポンサー契約が切れた後の演奏会だ。フルートだけが纏まらなかったんだ。それからの演奏会はランスの音が飛びだしてくるのを押さえるのが大変だった」

征司の言葉を聞いてシドは満足そうに眼を細める。

「さすがに征司はコンマスですね。私もその頃からだと思います。先月のあの音を出しては楽団としてはもう終わりです。ランスに今月が最後と伝えました。依存を治してその上で完璧な音が出せる様なら、フルートトップに戻る事が出来るだろうと話をつけてね」
「治る迄セカンドの人に代役を頼めるじゃないですか」

私が話に割り込んで聞いたら、シドが静かに答える。

「祥子、ドラッグに依存した者が元に戻るのにどれだけの月日が必要だと思う? 今日のランスを見ただろう。あれだけ指の震えがきてるのを元に戻す。戻る確立は低いでしょう。先月の演奏は勢いのある曲でしたが、フルートは霞んでいた。ランスの音自体が駄目になっていた。だが、ランスがまだフルートを吹くのが好きならフルートトップに戻る為にドラッグを絶つ事が出来るかと」

シドにとってランスは友達でもあったんだ。

「トップは祥子に決めているとランスに伝えました。ランスの耳で(じか)に祥子の音を聴いて、その音と競い合える位にしてこいと私は言ったんです。だが、ランスは今日来なかった」
「逃げたのよ。自分が切られた理由を祥子のせいにしたのよ」

ミリファが吐き捨てる様に言った。シドが軽く頷いた様に見えた。
私は疑問をぶつけてみる。

「何故、私なんですか?」

私じゃなかったら、こんな事にはなってなかったと思う。少なくともフルートは無事だった。

「ランスが居ないから次じゃ駄目なんです。我々の音を聞きにくる観客の為に、いつでも最高の音を用意しなくてはならない。最高の音が欲しいんです」

シドが皆を見回す。

「皆に言える事です。最高の音が出せなくなったら、それはお(しま)いを意味するのですよ」

シドを見て皆、唾を飲み込んだ気がする。

「話がずれたね。本来なら公募でトップを決めるのだが、ランスの事情を公に出来なくて内輪で進めていたんです。アガシはまだその域に達してないと言ってきた。そうなるとこちらで眼についた奏者に直接当たってみるしかない。そこにガド爺が祥子、君を連れて来るから聴いてくれと言ってきた。ガド爺の目に(かな)ったフルート奏者。ランスの穴を埋められるか。それ以上の音を奏でられるのか」

言葉を切ってシドが私を見て笑った。

「ボレロの初日を聴きに行って驚きました。デビューして間もない初めての海外公演で、見事に奏でたその度胸もさることながら、私はその音に出会えて嬉しくなりました。直ぐに関係者に今日、祥子の音を聴きに来る様に連絡を打ちました。祥子には申し訳なかったが、少し試させて貰いました。打ち合わせ無しの征司とのデュオは見事でしたよ。楽譜がすっとんだ時も感じましたが、素晴らしい舞台度胸です」
「ありがとうございます」

変なとこまで誉められてる気がする。ミリファが笑って付け加える。

「楽譜飛んだ時、皆「失敗するぞ」って思ってたと思うわ。私達ランスの理由を知らなかったから、祥子に対して部外者として冷たく当たってた」
「そんな感じを受けてた」
「ごめんね。でも、祥子の音を聴いて、ハプニングがあっても平然と進めていくのを見て、祥子を認めたのよ。ランスの音よりもいいし、何よりも合わせ易い。征司とのデュオなんか私、妬けちゃったわよ。あんなに息の合ったデュオ、聴いた事が無いわ。私ともデュオしましょうね。絶対よ」
「ありがとう」

私とミリファを見てシドが嬉しそうな顔で口を開く。

「私も祥子の音、好きです。祥子の音を聴かなかった振りは出来ないと思いましたから。フリー奏者として野放しにしておくよりも、我々の楽団で更に最高の音を創っていって欲しいと思います。あれ? 祥子、どうしました?」
「祥子ったら照れてるの?」
「余り誉めないで下さい」

シドとミリファが私を覗き込むのを見て、エリックと征司が笑っている。
デザートのケーキと紅茶を飲みながら、シドが思い出す様に話し始める。

「ここからつまらない話になりますが聞いておいて下さい。君達が聞きたい事なのかもしれないですが」

そう言いながらもシドは言葉を詰まらせている。

「シドはどうしてインスペクターになったんですか?」

征司が聞いた。シドが頷いた。

「征司とエリックが入って来る前の話です。私とランスはフルートパートの同期でした。トップが辞める事になって公募の話が出たんです。ランスと私はチャンスだと手を挙げました。他にも何人か候補者が来ました。審査を受けていき、最終審査まで残ったのはランスと私でした。そして、私に決まったと連絡が来て、私はそれを辞退したんです」
「どうして? 決まったのに?」

ミリファがそんなのはおかしいと言う様に聞いた。

「この手を見て下さい」

シドは左手を開いて私達に見せる。人差し指と中指に傷跡が残されていた。

「小さい頃に事故に合いましてね。その傷の影響か、痛む様になってきたんです。普通に動くんですがね」

そう言ってゆっくり指を動かした。普通に動いている指だった。

「それでランスがトップになって、私はフルートを辞めインスペクターになったんです。今になってやっと皆さんの事を掴める様になってきています。前任者に鍛えられましたからね」
「あぁ、前のイリーナ婆ちゃん。厳しかったよな」

エリックが懐かしそうに言ったら、シドが笑う。

「「エリック坊やは出来るのを分かってるからやらない子なのよ」っていつも言ってましたよ」
「そりゃ誉めてるのか?」
「誉めてんだろ」

征司が笑いながら話に加わる。
私の知らない人の事だから、少し疎外感を感じながら見回したら、ミリファも同じだった様で、私と眼が合って笑う。

「祥子、私達は美味しい物でも追加しましょ。シドのオゴリで」
「そうしましょう」

男三人が昔話で花を咲かせている間に、ミリファと私はデザートを追加しながら、ウィーンと日本の最新流行をカタコト英語で話していた。


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