#41 我儘 <祥子視点>

文字数 8,001文字

カノンの夜会でも硝子のフルートの音は絶賛された。

「祥子、またこの音が聴けるなんて嬉しいわ。最高の音よ」
「ありがとうございます」

定期的に呼ばれるカノンの夜会にも慣れてきた。各界の有名人や財界トップの方々が集まるから、着ていく服は勿論、装飾品だって手を抜けない。だからレンタルショップは心強い味方(みかた)。たまにご子息を紹介される場合もある。上手くいけば玉の輿(こし)なんだけど。

(エリックと結婚しても玉の輿よ。何たって世界に通用している)

早く帰ってこないかな…と、目の前にあるキャビアを(つま)んでみる。フォアグラもある。ステーキだって美味しいです。舌も肥えていく気がする。豪華(ごうか)御褒美(ごほうび)だ。



定期演奏会の通達があり、練習の日程と楽譜が渡される。

「シェリル・ランバードってピアノ部門で優勝とった子よね」

リサが日程表に書かれてる、シェリルの名前を指で(はじ)いて言った。

「そうよ」
「祥子は、このシェリルって子と演奏したのよね。どうだった?」
「どうって」
「その顔だと良くなかったみたいね。そうでしょ?」
「私とは合わなかっただけだから」
「ふ~ん。祥子でそうだとすると、私達は心してかからなきゃ」
「皆は大丈夫よ。私が臨機応変(りんきおうへん)に出来ないから上手くいかないのよ」
「祥子が手こずったってのは大きいのよ」

手元の楽譜を見ていく。

ホルスト 組曲『惑星』7曲
コリン・マシューズ 「冥王星」
モーツアルト ピアノ協奏曲第24番ハ短調

「ねぇ、リサ。惑星が揃ったわね」
「本当ね。冥王星は取り除かれちゃったのに」
「ガド爺の事だから「ついで」なのかしら」
「元・太陽系にも光を!って感じかしらね」

二人で笑っていた。
シェリル用にオルガンがピアノに変わっているのに気づく。
壮大な宇宙を奏でながら、私の音はピアノの音に合わせられなくて、冥王星みたいに消し去られるかもしれない。

(まさかね)

「祥子、どうしたの?」

無意識に頭を振ってたら、リサが不思議そうに声を掛けた。

「何でもないわ」

笑って誤魔化して楽譜に視線を戻した。

楽団自体も、依頼があれば公演に出かける。テレビ中継の公演だってある。曲が変わるけれども一度吹いていればなんとかなる。ただ、初めての曲になると大変だ。まず、曲を知るところから始めなくちゃならない。資料室に走る。ここには定期演奏会の録音されたものや、市販されている楽曲のCD等が保管されている。
「冥王星」のCDを持ち出して練習部屋に戻る。

「冥王星ってどんな曲か、皆、知ってる?」

そう聞いたら、リサが知ってただけ。CDを流して皆で通しで聞いた。

ホルスト「惑星」の最後、「海王星」は消え入るように音が終るが、この「冥王星」はさらにその先の宇宙空間へ続いていくかのように終わる。

「ホルストからどうやって繋げていくんだろう」

アガシが言った。

「全ては「ガド爺のみぞ知る」ね。こうきたらそのまま休憩よ」

リサがガド爺の真似をして両拳を作ったら、笑いが起こった。



ガド爺がやってくる日だ。

「祥子! 早速、聞かせてくれないか」
「ガド爺、挨拶(あいさつ)も無しですか?」
「そんなの後回しじゃ。ほらほら」
「しょうがないなぁ」

フルートパートの練習部屋に忍び込んできた、このお爺さんは本当にワガママだ。
…なんて。

 ♪♪♪ ♪♪♪~♪♪♪~♪ ♪♪♪

硝子のフルートから出てくる音をニコニコと聞いているガド爺を眼にして、私の御祖父(おじい)さんのようで嬉しくなった。

「またこの音に出会えるとは嬉しい限りじゃ。前のよりもいい音じゃの」
「技術は進歩するんですよ。フルート自体、良くなってます」
「祥子も進歩しとるしな」
「そう聴こえますか?」
「ここに連れて来て正解じゃった」

そう言ってくれると、嫌な事があっても、日本に逃げ帰らなくて良かったって思える。



全体練習が始まる。
ガド爺が全員を見回してから口を開く。

「今回はシェリル・ランバードを迎えての演奏じゃ。皆も知っての通り、シェリルはコンクールで優勝する程の腕前じゃ。だが、オーケストラは、

  

 じゃからな」

ガド爺が「初めて」を強調して言った。
私達の調律(チューニング)が終わる頃、シェリルが来た。

「シェリル・ランバードです。宜しくお願いします」

(ほが)らかに挨拶をした。

(私の時と違うじゃない)

そして、シェリルは全体に視線を流していく。私をそのまま通り過ぎていく。

(おいこら。前に会ってるだろが。軽く頭下げるとかしないのか?)

「大学生なのに貫禄(かんろく)あるのね」

隣に座ってたリサが私に(ささや)いたから、大きく頷いちゃってる。

「そうなのよ。大学生なのにね」

(ねた)んでるのか、ひがんでるのか、皮肉混じりになってしまった。
ガド爺が注意を促すから口を閉じる。イメージ合わせが始るからICレコーダーのスイッチを入れる。ガド爺の指示を譜面に書き込んでいく。

合わせてみて驚いた。今日は征司がいないからか、皆バラバラ。ガド爺ですら驚いて何度か止めた。

「シェリル。耳で他の音を聴くんじゃ。自分の音を他の音とヒトツにするんじゃ」
「はい」

何度か中断され、各パートのトップに注意が飛ぶ。コンマスの征司がいないから、ガド爺は音を纏める主導権を各トップに移していく。そのうち私に向けてくる。

「祥子、君の音が控えめじゃだめじゃ」

ガド爺は、今度は私に全体を引っ張れと言いだしたんだ。
ミリファもヘンリーも他のトップも、一斉に私を見た。

(やだ。やだやだ)

それでもガド爺が容赦なく棒を振り上げる。
シェリルの音を捉えていく。イメージは合ってるのに、シェリルは私の音に惹き寄せられない。近づこうともしてこない。私の音が壊される。ガド爺が私を見て「祥子の好きな様に」と指示を出してきた。シェリルの音を無視してやってみろと言う事だ。

なら、大手を振って吹いてやる。

シェリルの音を無視していく。いけない事だけど、それが凄く気持ちいい。ピアノ以外の音に合わせていくのが面白い。ミリファの音が私の音とヒトツになった。ヘンリーの音もつられてきた。ピアノ以外がヒトツに纏まった。
シェリルが気づいたのかもしれない。音が乱れてきた。ガド爺が声を掛ける。

「シェリル、フルートの音に合わせるんじゃ。耳で聴いて合わせるんじゃ」

ピアノの音が弱くなった。どうしたらいいのか分からないんだ。
ホルストが終わり、一旦綺麗に音を切ってから、静かに「冥王星」へと移行する。
ピアノの音がどこか遠くで聞こえてる。

ガド爺の棒が止る。

「シェリル、この機会にオーケストラと合わせる事を覚えれば、世界に通用するピアニストになれるんじゃ。ソロだけの公演しか出来ないようなピアニストは所詮(しょせん)そこで終わりじゃ」
「はい」
「先日、うちの祥子とデュオしたそうじゃが、その時に教わらなかったのか?」
「はい」

さらりとシェリルが言ったから、私は皆の視線にさらされてしまう。

「…(私がとりつく隙が無かったじゃない!)」

ガド爺がチラリと視線を飛ばして来た。

「それはすまなかった」

私が新人イジメをしてたようにされている。ガド爺にもそう思われたみたいだ。

「なら、ここで覚えていくんじゃ。いい経験になるじゃろう」
「はい。宜しくお願いします」
「20分休憩じゃ」

休憩の間、シェリルは私に近づこうともしてこなかった。ミリファが近づいてきた。

「祥子、気にする事ないわ。あの音に合わせるほうが大変だもの」
「そうよ。私達は祥子に合わせてるからラクなんだけどね」

リサが言ってくれた。ヘンリーもやってくる。

「こないだの時ってどうやって合わせたのかい? あれは成功したって話じゃないか」
「そうね。あれは成功したのよ」
「さっきみたいにピアノの音を無視したのかい?」
「そんな事しないわよ。オペラみたいに合わせたわよ」
「オペラ?」
「譜面に忠実に丁寧に吹いたってだけよ。ピアノの音を載っけてね」
「へぇ。さすがだね」
「征司が帰ってきたら上手くいくわよ」
「そうだといいけど」

ミリファが言って、ため息をついた。

「ミリファ、どうして? 征司だったら上手く合わせる事位出来るでしょ? エリックだって帰ってくるし」
「二人共、私達と同じなのよ」
「同じって何が?」
「シェリルに合わせる音を出しても、シェリルは(こた)えてこないのよ」
「だからこそ征司とエリックが居れば」
「応えてこない音を纏めるのは大変なのよ。祥子は無視したじゃない」
「そうだけど」
「無視するなんて祥子だけよ。私だって出来なかった」
「…いじめてた?」
「そうね。なんて、嘘嘘。荒療治(あらりょうじ)だけど、シェリルの音が弱くなったから、応えてくれるかもしれないわ。あら、シェリルは?」
「さっき、そそくさと出ていったわよ」

リサが出口を指さしたら、丁度、シェリルが戻ってきたところだった。ハンカチを口にあててる。

(相変わらず気持ち悪いのかしら。男性でもコロンつけてるから)

「具合悪いのかしら」

ミリファがシェリルの姿を見ながら言った。

「それにしては、ここに来ないのね。コツを教わらなくても大丈夫なのかしら」

シェリルがピアノの前に座ったのを見て、リサが言った。私のつけてる香水の香りが嫌いなのよ、とは言えなかった。ヘンリーが私を見て笑って言う。

「祥子が怖いんだよ」
「ヘンリー、それは(ひど)いわ。シェリルと話したのは数える位しかなかったわよ。ずっと、気持ち悪そうにしてて、控え室に居る時間が少なかったもの」
「へぇ。そりゃ、教えるなんて出来ないな」
「私はイジワルな女になってるわ」
「まぁまぁ。次はマシになりそうだし」
「そうであって欲しいわよ。それよりもピアノ協奏曲のほうが不安よ」
「木管とピアノのやり取りが多いからな」
前途多難(ぜんとたなん)よ」

ガド爺が戻ってきて、皆が席に着いた。



シェリルの音とヒトツにならないまま、ピアノ協奏曲に移る。この曲は協奏曲にしては奏でる楽器の数が多い曲だ。それでも残ってる人数は20人も居ない。

ガド爺が棒で叩いて注意を集める。

「この曲のイメージはフルコース」

ざわめきが起こる。ヘンリーの声が響く。

「食事ですか?」
「そうじゃ」

ざわざわとするのも分かる。この曲だと愛の変移とか、自然界の猛威とか、暗いけど情熱的なイメージを要求する指揮者が多い。なのに、ガド爺はそのへんの身近な題材を持ち込んできた。

トントンと指揮棒の音が響き、皆がガド爺に注目する。

「メインのピアノはシェフじゃ。最高の料理を作ってくれ。弦、ティンパニは給仕。木管は食材じゃ」

ガド爺のイメージが続いていく。

「食材じゃが、フルートはウズラ、オーボエは七面鳥、クラリネットはロブスター、ファゴットはサーモン、ホルンは牛、トランペットは羊、が美味しそうじゃの」

本当に美味しそうだ。

「第1楽章 アレグロ ハ短調 3/4拍子 ソナタ形式 。突然の依頼が舞い込んだ。明日、宮廷での晩餐会。シェフは大慌てで献立を考える。美味しい料理を作らなくては。献立が決り食材が必要だ。皆で狩りに出るぞ。さぁ、食材は捕まったら大変な事になる。罠を見破り、身を潜め、時に人間を驚かし。なかなか食材は集まらない。だけど、晩餐会に美味しい料理を並べなくては。シェフも給仕も大慌て」

「第2楽章 ラルゲット 変ホ長調 2/2拍子 ロンド形式。なかなか集まらない食材に、ならばとシェフが食材に話しかける。ウズラには砕いた米をあげるよ。七面鳥にはとうもろこしを用意しよう。ロブスターには気持ちいい水を掛けてあげる。サーモンには冷たい水の流れを提供しよう。牛には美味しい餌をタップリあげよう。羊は、そうじゃな、羊は毛皮を綺麗にしてあげよう。皆、一晩うちで過ごさないかい。食材達はそれを聞いて大喜びでシェフ達についていく」

「第3楽章 アレグレット ハ短調 2/2拍子 変奏曲。食材達は皆、厨房に押し込まれ唖然とする。人間達にはめられた。騙されたと気づいても、シェフ達の包丁が向かってくる。第4変奏で、食材達は抵抗し、第6変奏では、食材達はシェフ達に丸めこまれる。「美味しい料理になる事は君達にとって大変名誉なことなんだよ」とね。「ならば、最高の味付けを」食材達が料理になって皿に盛られていく。第8変奏で、宮廷から使いが来て言う。「今夜の晩餐会は主人の急病で中止になった」シェフも給仕も食材も「なんてこった」で、終演じゃ」

ドッと笑いが起こる。

「木管はそれぞれの食材になりきるんじゃ。弦とティンパニ、君達はピアノの音を載せてくれ。ピアノがシェフだから指示を受けて動くんじゃ」

ミリファが私に体を寄せて囁く。

「もともと、チグハグな曲だから良かったわ」
「そうね。最後だけ合わせればいいもんね」

頷き合って笑った。
ガド爺の棒が上がる。ガド爺がシェリルにイメージを言いながら進めていく。私達はそれに合った音を返せばいい。
最後はピアノの音を載せて「なんてこった」で終わる。
本当はピアノの音に合わせるべきなんだけど、シェリルの音に合わせられる人は居なかった。



征司とエリックが帰ってくれば何とかなる。そう思っていたのにアテが外れる。

征司もピアノの音を無視した。エリックも諦めたように征司にならった。

夜にエリックと音を合わせる約束をしていたから練習室に行くと、エリックが先に来ていて横にシェリルがいた。笑ってたシェリルが私を見て声を掛けてくる。

「苅谷さん、待ってたんですよ」
「私を?」
「はい。音を合わせるのがどうしても上手く出来ないから、教えて貰おうと思って」
「私があなたに教えるの?」
「そう思ってここに来たら、エリックが居て教えて貰えました」
「良かったわね」
「また分からない事が出来たら教えて貰いに来ます」
「そう」

それはどっちに?とは聞けなかった。シェリルがエリックを見て言ったから歴然としてる。
少し苛立(いらだ)ってしまった。妬いているのかもしれない。

「じゃ、私はこれで。エリック、ありがとうございました」
「次はそれでバッチリ合うさ」
「頑張ります。苅谷さんお邪魔しました。失礼します」

そう言ってシェリルは私の前を通りすぎて行く。その時、フワリと香水の香りがたった。

(あの子、香水つけてるじゃない。なら、あの気持ち悪いのって単なる緊張からだったんだ)

とすると、私の香水の名前は気に入ってくれたから聞いたんだ。

(なんだ。いい子だったじゃない)

さっきの苛立ちが綺麗に解けた。

「彼女、あなたと同じ大学なんだってね」
「そうだってね。俺も言われて驚いた」
「で、可愛い後輩にどう教えたの?」
「調律と同じだよって」
「いい答えね。私もそう言ってたと思うわ」
「耳で聴いて音を合わせる。その音がヒトツになる瞬間って」

エリックが私を見る。

「気持ちいいよな」
「気持ちいいのよ」
「俺は祥子の音に合わせるのが好きだ。始めよう」
「うん」



次の合同練習の休憩中、ミリファが驚いていた。

「祥子、シェリルに何か教えたの? 私達に合わせてきたじゃない」
「私じゃなくて教えたのはエリックよ」
「エリックが?」
「技術は持ってるから、コツさえ掴んじゃえば出来る子だったのよ」
「やり易くなったわよね」

確かに、突っ走る時もあるけど、征司の音に合わせてきていた。征司に合うと言う事は、私達の音にも合ってきているんだ。



エリックと二人でいつもの様に合わせていたら、エリックの携帯が鳴った。エリックが通話を始めて直ぐに私に声を掛ける。

「シェリルが協奏曲で分からないとこがあるから教えてくれって」
「いいわよ。キリのいいトコだったし」

シェリルと時間を合わせて、エリックは通話を切った。

「祥子、遅いのに送っていけなくなってごめん」
「大丈夫よ。まだシドが居ると思うから」
「じゃ、明日」
「えぇ」

エリックが私にキスをして部屋を出て行った。私は帰る仕度をしてシドの部屋に顔を出す。

「シド」
「どうしました?」
「練習してたら遅くなっちゃって。シドはもう帰れます?」
「もう少し。いいですか?」
「コーヒー飲んで待ってます」
「終わったら行きますから」
「はい」

定期演奏会が近いからシェリルは焦ってるみたいだ。連続してエリックを呼び出してる。その度、シェリルの音が良くなってくるのに気づく。「エリックと付き合うと音が良くなる」それを目の当たりにしている。

「付き合ってるんじゃないの。エリックは後輩の面倒を見てるのよ」

征司が私にしてくれた事と、エリックの今を重ねて納得しようとしている。
私はこんなに嫉妬深いんだったっけ。

「祥子、お待たせしてすみません」
「いえ。大丈夫ですよ」

シドと二人で歩いてたら、エリックとシェリルの後姿がバーに入るのを見かけた。

(後輩の面倒を見てるのよ。私だってシドと歩いてるもの)



「エリック、明日の日曜日、オフよね。デートしましょ」

お決まりの様になったシェリルからの電話の後で、私がエリックを誘う。エリックが私を見てすまなそうな顔になる。

「悪い。明日もシェリルの練習相手をしなきゃならないんだ」
「一日中じゃないんでしょ?」
「大学のほうに行くから、帰りが何時になるか分からない。教授達に挨拶したいし」
「夜中でもいいの。明日、少しだけでも会いたいの」
「何かあるのか? 会わなきゃだめか?」
「…いいわ。また今度でも」
「ごめん。今度埋め合わせするから」
「楽しみにしてる」

私がエリックに軽くキスをして、先に部屋を出ようとしたら、エリックの声が掛かる。

「祥子は」
「え?」
「…何でもない。おやすみ」
「おやすみなさい」

そのままシドの部屋に顔を出したら、シドはもう帰る支度が出来ていた。

「祥子、軽く飲んでいきましょう」
「え?」
「たまには外で飲むのもいいと思いますよ」
「あ。はい。それなら、家の傍のお店にしませんか?」
「そんなに飲むつもりですか?」
「いえ。そのほうがいいかなと思って」
「そうしましょうか」

エリック達が入るであろうバーを避け、駅に向かった。

「バーよりもカフェのほうがいいんですけど、この時間ですからね」

そう言ってシドがさっさと注文を済ませた。

「どうして?」
「そう慌てなくていいですよ」

直ぐにウェイターがワインと小さいケーキとフルーツの載った皿を置いた。

「あら、可愛い。美味しそう」
「誕生日のお祝いです」
「誰の?」
「祥子、君のですよ」
「私の」
「明日ですよね」
「はい。でも、どうして?」
「エドナが言ってたんですよ。「隣に居たらパーティだったのに」って」
「エドナが?」
「エドナは楽団の契約書に眼を通してますよ。それに、祥子が住んでるアパートの契約書にもね。エドナは隣人の祥子の事が気に入ったんでしょう。覚えてましたよ」

シドがワインを注いでくれる。

「覚えてくれた人が居たんですね。嬉しいです」
「祥子。一日早いですが、誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」

グラスを軽く合わせて一口入れる。

「28でしたっけ」
「シド、女性に歳を宣告しないで下さい。それにまだ今日は27です」
「おっと。それは失礼しました。忘れましょう」
「そうして下さい」

ゆっくりとケーキを食べていく。明日、エリックに祝って貰いたい。電話でもいいけど。

「明日はエリックに祝って貰えますね」

シドに心の中を読まれたかと思った。

「残念ながら、エリックは朝からシェリルの練習に付き合うからって」
「余計な事聞いちゃいましたね。すみません」
「いいんです。今、シドに祝って貰ってますから」
「祥子、エリックに明日が誕生日って言って無いんですね」
「はい。シェリルが頑張ってるのを邪魔しちゃいけない気がして」
「誕生日位、ワガママ言っても許されますよ」
「いいんですよ。別に気にしてませんから」

強がってる。
私の音が不安定だったら、エリックはシェリルよりも私の練習に付き合ってくれただろうか?
誕生日を教えていたら私を優先にしてくれただろうか?

「祥子」
「あ、はい」

引き戻された。

「明日、マリーも一緒に皆で出かけましょう」
「嬉しいです」
「一緒に住んでいるんです。明日位は私達にワガママ言って下さい」
「は、はい。ありがとうございます」

シドの優しさが嬉しかった。


- #41 F I N -
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