#1 ボレロ <征司視点>

文字数 7,944文字

アパートの窓からウィーンの森が見える。その広大な一部分だけだが。
この時期はマロニエの花。リラの花も賑わしている。
窓を開けて空気を取り込む。今日は少し肌寒い。
気温がコロコロ変わるこの気候にも体が慣れた。

ここに来て何年目になるんだろう。
留学してからだから…9年、10年か。
ここを拠点にあちこち飛び回っているのが現状だ。
日本にも呼ばれて行く時がある。行くって言い方も妙だ。

荷物を持って鍵を掛ける。

今日は定期演奏会のリハーサル。
いつもの様にバイオリンの調律をして具合を見る。
ソロのパートを通しで弾く。
今だから認められてる気がする。
外国人の、それも日本人がこの劇場で演奏するなんて、と好奇の眼で見られたのを思い出す。

昔の話だ。俺の音は認められたから、今ここで弾いている。
バイオリンを弾く時の気持ちは、昔も今も変わっていない。

征司(せいじ)。今夜つきあえよ」

エリックが声を掛けてきた。彼とは留学先の大学で知り合った。同じ時期に入ってきたから気心知る仲になっている。チェロの腕前は国内でも三本の指に入る。

「今日はドコに行くんだ?」
「ボレロ聴きに行こう」

エリックは音楽に関連する物にはうるさい。音を聴く能力には頭が下がる程だ。

「ボレロ? バレエか」
「チケット手に入ったんだ。手に入れるの大変だったんだぞ」

バレエはオーケストラの生演奏だ。バレエを惹きたてる演奏が要求される。



パンフレットを片手に席に落ち着く。劇場内の照明が落とされる。隣のエリックが囁く。

「敵情視察だな」

俺が頷くと同時に幕が上がる。
俺達はバレエを()に来たと言うより、その演奏を聴きに来ている。今回は国内で知られ始めてきた楽団に国外からのゲスト。

ボレロの出だしはスネアドラム(小太鼓)。リズムが刻まれていき、フルートが加わる。

その一音が耳に入った瞬間、俺は何かを思い出さなくてはならない気がしだす。
今は思い出してる時じゃない。
演奏に集中だ。

俺の耳がおかしくなっているのか?

全ての楽器の音が聴き取れているのに…フルートの音が、それだけが耳に留まる。

深みのある音。音が情景を観せてくれている。
いつの間にか、眼がダンサーを追い駆けていた。
音が眼に追い駆けろと促している。

同じリズムが繰り返され、基本のメロディパターンが奏でられている。楽器がバトンタッチしていき、次第に全てが一同に重なり合った。

ボレロが終わり、短い演目が続く。そのどれもが音に促されて魅入っていた。

終演後、ダンサー、指揮者、オーケストラの紹介挨拶がある。その中に日本人らしき名前が耳に届いたが、拍手と歓声に消されてしまった。



「荒削りだけど面白い演奏だったな」
「そうだな」

俺が答えると、エリックが席を立つ。

「エリック、どこに?」
「楽屋」
「楽屋? あ、ガド爺だな?」

パンフレットに載ってたし、指揮者で本人が紹介されていた。

「当たり。征司も来いよ」
「行く」

劇場を出て、人並みに逆らって歩く。

「こっちに居るか聞いてくる」

楽屋に顔を突っ込んだエリックが友人を見つけて入っていった。俺は入り口の傍で待つことにする。
俺だってこの業界で顔は通っている。チラチラと楽屋に入る関係者が俺を見ていく。知った顔だと気軽に声を掛けていく。大学時代の友人だっていたりする。

花束を持った人が行き来したり、家族や恋人と話している。公演後の風景だ。

「征司、征司! ガド爺が居た」

エリックが楽屋の中から俺を呼んだから、楽屋に足を踏み入れる。
モアッとする熱気の残りを感じつつ、エリックの後を追う。

部屋の奥に指揮者が居た。エリックと俺には知った顔だ。俺達を育ててくれた人で、何度か共演している。俺等の間では「ガド爺」で通っている。
そのガド爺が黒髪の女性と喋っていた。
女性は俺達に背中を向けていたが、どう見ても、ガド爺のお喋りから逃げたそうに長いスカートで隠れている足が動いている。スカートが揺れていた。

「ガド爺、またやってる」

エリックが俺に耳打ちしてニヤリと笑った。
ガド爺に気に入られると、お喋りから解放して貰えなくなる。俺もエリックも洗礼済だ。世界屈指の指揮者なのに、この癖は困りモノだ。

この女性に洗礼中と言う事は、ガド爺の耳に叶った音を奏でる腕を持っていると言う事になる。ガド爺に認められたとすれば、ここでの活動はし易くなる。いや、ここだけじゃない。ガド爺のお陰でエリックと俺は世界に名前を知らしめる結果になった。

「相変わらずだな」

俺は苦笑いしつつエリックの後に付いてガド爺に近づいて行った。
ガド爺が俺達に気づき、女性とのお喋りを止めた。
女性が振り向いて俺達を見て、体の向きを戻す。

「おおっ! エリックに征司! 来てくれてたのか!」
「ガド爺、最高だった」
「最高! まさに最高! エリックの誉め言葉だな」

ガド爺とエリックが挨拶を済ませる。続いて俺がガド爺に声を掛ける。

「ここで会えるとは思いませんでしたよ。お元気でしたか?」
「征司! ワシは元気じゃ。まだまだ棒は冴えてるぞ。どうじゃ、これからいつもの。ここで会えたからには付き合って貰うぞ」
「そのつもりなんだろ? エリック?」

エリックを見ると、エリックが笑いながら親指を立てる。

「当たりさ」

ガド爺が俺から離れ、思い出したように後ろに残されてる女性に英語で声を掛ける。

祥子(しょうこ)。この後暇かい?」

俺は名前から日本人だと気づく。
女性が振り向いて、たどたどしい英語で返事を返す。

「ごめんなさい。この後予定があって。また次の時に」

そう言って、俺達に軽く頭を下げた。

「ガド爺、紹介」

エリックがガド爺の腕を突っついた。

「おっ、そうじゃな。祥子、紹介しときたい子供達がいる。こっちにおいで」
「子供? ガド爺、そりゃないですよ。エリック、お前も何か言ってやれよ」
「そうだそうだ。初めて会った時と一緒にしないでくれよ」
「ワシにとっちゃ、お前達はまだまだ子供なんじゃよ」

ガド爺が指を立てて悪戯(いたずら)っぽく笑った。
少し強張(こわば)った笑顔を出して、祥子と呼ばれた女性が俺達の前にきた。
ガド爺がエリックを引き出す。

「こっちのハナタレがエリック」
「エリック・ランガーです。よろしく。チェロ弾いてるんだ」
祥子(しょうこ)苅谷(かりや)です。はじめまして」

エリックが彼女と握手してから、ガド爺に文句を言っている。

「ハナタレって何だよ!」

エリックを(はら)って、ガド爺が俺を引き出す。

「こっちは祥子と同じ日本人」

ガド爺の言葉に彼女がホッとしたような表情を出したから、

「はじめまして。北見征司(きたみせいじ)です。バイオリン弾いてます」

と、日本語で挨拶をした。それを聞いて、彼女は少し驚いた感じで俺を見る。

( ? )

苅谷祥子(かりやしょうこ)です。はじめまして」

そう言って彼女は笑って手を差し出した。日本語で対話したのは何年ぶりだろう。俺は日本語の響きに懐かしさを実感していた。

「はいはい、そこ~。日本を思い出してないで下さ~い」

エリックに茶化されて、慌てて握手を離した。ガド爺が笑いながら祥子の肩を叩く。

「祥子は公演が終るまでウィーンに滞在じゃろ? 何かあったらこの二人を頼るといい」
「はい。ありがとうございます」
「じゃ、祥子に番号教えとかなきゃな。ありがと。ガド爺」

エリックが傍のテーブルに置きっぱなしになってたカードに住所と番号を書く。

「ほら。征司も」
「ああ」

俺もアパートの住所と番号を書く。俺が書き終わったのを見て、エリックが祥子にカードを手渡す。

「何かあったら俺のトコに真っ先に電話よこしな。すっとんで助けに行くからな。祥子はドコに泊まっているんだ?」
「え?」
「ドコのホテルに泊まっているんだ?」
「…」

祥子が面食らっている。
俺はその訳に気づいてエリックの肩を掴む。

「エリック、ドイツ語は通じない。英語じゃなきゃ」
「あ、うっかりしてた。征司と一緒でいいかと。でも、さっきドイツ語通じたぞ」
「挨拶位は覚えてるだろ。外国語の基本文だろ」
「そっか。じゃ、英語か」

そう言ったまま、エリックの声が出てこない。祥子がエリックと俺を交互に見ている。

「そこで固まるんじゃない。英語できるくせに」
「いや、あ~、英語で口説くのは慣れてないから」
「口説いてたのか。行動の早いヤツだな。俺が話す。お前がこの国の男代表に思われたら全国民が激怒するぞ」
「ん? おい!」

エリックが口をパクつかせている。
文句を言おうにもドイツ語にするか英語にするかでパニックになっているのだろう。
その隙に祥子に伝える。

「何かあったら、そこに連絡すればいい。エリックも英語は通じるから大丈夫。で、祥子、あ、苅谷さんはどこに泊まっているんだ?」

名前で呼んでも構わないのに日本人が相手だと気づき苗字に言い直してしまった。日本人の(さが)なんだろうか。祥子がそんな俺を見て笑った。

「ありがとうございます。ホテルはドナウ川傍のとこ」
「あそこだったら大丈夫だな」
「はい。日本人スタッフが居たから安心してます。カードありがとうございます」

カードに眼を通してから、エリックと俺に軽くお辞儀をして楽屋を出ていった。
エリックが横で呟く。

「祥子みたいな女性を、ヤマトナデシコって言うのか?」
「ヤマトナデシコ?」
「本で読んだ。日本の文化って本」
「あぁ、あれか。大和撫子ってのは今じゃ滅多に見かけない。祥子は、そうだなぁ、イマドキの女性だと思う。普通の」
「そうか。でも、いいなぁ。オリエンタルレディだもんな」

最近のエリックは日本かぶれになりつつある。
突然、俺達の肩に腕が絡まる。

「「うわっ!」」
「若いっていいのぉ。羨ましいのぉ」
「「ガド爺!」」
「じゃ、外で待っててくれ。直ぐ支度して出るからな」

ガド爺が大笑いで控え室に戻っていった。

「征司、俺いつもの準備してくるから」
「頼む」

エリックがガド爺との夜遊びの買出しに向かう。
俺は劇場の外でガド爺を待つ。
待っている間にパンフレットに眼を通す。

  フルート 祥子・苅谷

ゲストだからプロフィールが載っている。2年前に国際コンクールで銅。その1年後に金。他でも数々の賞を受賞。今回が初の海外公演。
歳はひとつ下。

結構遅いデビューだな。

フルートの音色が耳に残っていた。
柔らかい優しい音だった。



公演後に大学の温室に入り込んで(ガド爺の顔の広さだ)飲みながら感想を論じる。これが、ガド爺と俺達のいつもの夜遊びだ。
俺達は指揮者であるガド爺から、指揮者と演奏者の関係を学んできた。指揮者が要求する音や、曲の解釈の仕方、歴史上の事もあったり、世界中旅してきた話も聞かせてくれる。俺達はガド爺の事が好きなんだ。
演奏直後の洗礼だけは遠慮して欲しいが。
ガド爺にとっては、感動覚めやらぬうちに言いたい事を伝えときたいのだろうけど。

「さてさて、今日の音はどうじゃったかな?」

ガド爺が片手にワインを持って、空いてる右手を軽やかに高く上げて振った。
エリックもワイン片手だが、こちらはもう片方にパンを持っている。パンを流し込むようにワインを飲み込んだエリックが叫ぶ様に言う。

「ガド爺、フルートだよ。フルート」
「そう。俺もそう感じた。フルートが全体を引っ張ってた」

俺だって片手にワインだ。
それを聞いてガド爺が嬉しそうに顔をほころばせた。

「お前達にも、分かったか?」
「また、子供扱いする。俺だって征司だって気づいたさ」
「そうそう。いつまでも俺達を子供だと思ってたら、ガド爺なんか追い抜いてるさ」

「そうかそうか。じゃがな、ワシを追い抜くなんて半世紀かかっても無理じゃ」

ガド爺の右手は軽やかにリズムを刻んでいる。
ガド爺がそのリズムに乗せて質問を歌う。

「さて、あのフルートは誰の音?」

エリックと俺は顔を見合わせる。演奏直後に話してたのは。

「「祥子」」
「ご名答。君達も耳が肥えてきたようじゃな」
「そりゃ、演奏後にガド爺が話し込むのは、ガド爺の耳を掴んだ音の持ち主って事だろ?」

エリックがそう言ってからソーセージにかぶり付いた。

「エリックにご褒美(ほうび)じゃ」

そう言って、ガド爺の前にあったチーズがエリックに投げられた。エリックがチーズを右手に入れる。

「ありがと」
「それで、祥子はどうして」

俺の言葉を遮る様に、ガド爺が話し出す。

「どうしてここに来たのか? が知りたいんじゃな。あんな新鋭楽団が、国外の人間を招いたのが気になるんじゃろう」
「ガド爺にご褒美だな」

俺の前にあったパンをガド爺に投げる。ガド爺が振り上げてた手で受け取った。
ガド爺がパンを一口かじってから喋り出す。

「ワシが呼んだんじゃ」
「「ガド爺が?」」
「そうじゃ」
「あ、分かった。ガド爺、ワガママ言ったんだ。「ワシが振ってやるから祥子を呼べ」って」
「征司にご褒美じゃ」

ガド爺からチーズが投げられた。俺は受け取って口に入れる。

「母国だとワガママだからなぁ」

エリックが大笑いしながらガド爺に言った。ガド爺の持っているワインが高らかと上がった。

「ワガママに乾杯じゃ」
「「乾杯」」

三人のワインが上がる。ガド爺がワインを飲み干して楽しそうに話し出す。

「ワシもこの歳じゃから、棒を振るのも選ぶ様になってきた。ま、ワシの国からの要望には出来る限り応えてるがの」
「ガド爺も歳を感じる様になったんですか?」
「征司、お前さんもあとちぃ~っと歳とれば分かる」
「まだいいですよ」

「で、今回の楽団から打診が来てたから行ってみたのじゃ。新鋭楽団じゃったが、それなりの評価を受けてて、バレエの演奏に選ばれたとくれば期待出来るからな」
「冷やかしに行ったんだ」
「エリック、冷やかしにじゃない。確認じゃ。確認。ワシの指揮に臨機応変に応えられる楽団か確認に行っただけじゃ。バレエを潰さない演奏が出来るか確認に行ったんじゃ」

ガド爺が喉を潤す様にワインを飲んだ。エリックが声を掛ける。

「ガド爺が振ったからにゃ、眼に適ったんだろ?」
「まぁな。個々の音は良かったんじゃ。じゃが、コンサートマスター(演奏をとりまとめる職をいい、一般には第1バイオリンのトップ)がまだ経験浅い若造で、ボレロになると上手い事全部を引っ張れなかったんじゃよ。普通の人にゃメリハリあって面白く聞こえるじゃろうが」
「個性がぶつかってたって事ですか」
「その通り」

ガド爺が俺に向かってワインを上げる。

「ボレロは基本のリズムの繰り返しだ。それに基本のメロディーが楽器を替えて繰り返される。征司もエリックも知ってるな?」
「はい」
「そりゃ」

ガド爺の右手が早くもそのリズムを取り出し始める。

「新鋭楽団の(もろ)いトコロだ。ボレロみたいに単純で単独のメロディを引っ張るのに躊躇(ちゅうちょ)する。ミスが怖いんだろうな。覚えがあるじゃろ?」

ガド爺が昔の俺達を知っているだけに見栄は張れない。黙って(うなず)いた。
それを見てガド爺が笑う。

「スネアドラム(小太鼓)のリズムまでも楽器が加わってくると、微妙に狂ってきおってな。バレエを合わせてみたら、正に不協和音。その一言だったのじゃ」

俺達だってバレエに合わせたことがある。音と踊り。独立した物をヒトツに調和させる。踊りがあって音が情景を紡ぎ出す。その逆も要求される。

「そのままでも観客は誤魔化されるだろうが、ワシはそんなの嫌じゃ。振るからには最高の音を創りあげたい。分かるじゃろ?」

世界屈指の指揮者のこだわりだ。エリックと俺は頷く。

「そこで、征司とエリックに声を掛けようと思ったんじゃが、お前達、最近ギャラが高いそうじゃな?」
「ガド爺ほどじゃ無い」
「そうだそうだ」

エリックが俺の言葉に同意する。ガド爺程になると名前があるだけで観客が入る。ガド爺を呼んだ事で楽団の名前も上がる。一石二鳥だ。その分ギャラは破格の値。

「楽団のほうから、お前達を呼ぶほどの金が出せないと言ってきてな。で、ワシは考えた訳じゃ。まだ知名度の薄い誰か。ワシの耳に適う音を出す誰か。ボレロの最初のメロディはフルート」
「祥子だ」

エリックが口を挟んだ。ガド爺が笑う。

「そうじゃ。祥子じゃ。ワシのイメージ通りの音を奏でられる子。まだデビューして間もないから、こちらでのギャラも出せるじゃろう。日本での活躍を聞いてたが、海外はまだのハズじゃ。祥子にとってまたとないチャンスじゃ。それをワシがプレゼント出来る」

ガド爺がその時を思い出してるかの様に、手に持ってた物を置いて立ち上がり、両掌を上に、自分の前に持ち上げる。

「あの子ならここでも通用する。バレエの演奏じゃが、あの子なら大丈夫。あの音なら大丈夫。ワシが祥子をここから世界に飛び立たせてみせる」

ガド爺をこれほど迄に惚れさせた音。確かにあのフルートの音、今でも俺の耳に残っている。それどころじゃない。バレエ迄も思い出せる。演奏を聴きに来ていたのに。
エリックも俺と同じ様に感じていたんだろう。眼を閉じて思い出しているようだ。
ガド爺が興奮しているのが分かる。両手が揺れている。

「あの子の音ならここウィーンでも通用する。過大評価してるんじゃない。ワシはあの子にこの指揮者の人生を掛けてもいいとさえ思ってた。だが」

言葉を切ったガド爺が萎れた様に座り込んだ。頭を抱え込む。

「「だが?」」

この言葉の後はこの場合良くなかった事だ。エリックと俺はガド爺を見つめる。

「祥子の返事は「ノー」だった」

暫しの沈黙。俺達はガド爺の声を待つ。

「じゃが、ワシはそんな祥子を無理矢理引っ張り出すことに成功したのじゃ」

ガド爺はガバッと頭を起して俺達を騙すように笑った。

「「ガド爺…」」

今、祥子がここに来ているのを思い出せば分かるだろ…。
半ば呆れた俺が先を促す。

「それで、祥子をどうやって丸め込んだんですか?」

俺の質問にガド爺はニヤリと笑ってワインを手に持ち、俺に掲げた。

「征司のお陰だ」
「俺?」
「そう。征司の名前を出したら「一度なら」ってOKが出たんじゃ。ワシゃ、電話片手に小躍りしてなぁ。こんな風じゃったかな」

ガド爺の空いてる腕が宙を舞った。

「何で征司の名前なんだ? 俺じゃなくて征司?」

エリックが少し拗ねた声を出した。
ガド爺が悪戯っぽくエリックにソーセージを勧めた。エリックは勧められるまま一本を口に入れた。

「そりゃ、同じ日本人だからじゃろ。会ってみたいと言ってたな」
「俺、あ、そうか、最近日本で公演してないか。でも、5年前に呼ばれて行った」

日本各地で演奏したんだ。興味あったら聴きにきてたはずだ。
ガド爺がソーセージをほおばりながら俺を見る。

「5年前じゃと祥子はフルートから離れてた頃じゃ。征司の名前はテレビでも雑誌でも出てるから知ってたんじゃろ。祥子はフルートを吹けたけど、音楽からかけ離れた生活だったんじゃ。悪く言えばフルートは単なる遊びじゃった」
「「遊び?」」

エリックと俺は眉をひそめた。
俺達が真剣に取り組んでるものを「遊び」でやってた人間のくせに、俺達と肩を並べようってのか。
ガド爺がそんな俺達を見て声を掛ける。

「征司にエリック。お前達の気持ちは分かる。だが、祥子はその環境に居なかっただけなんじゃ。我々の様に、小さい頃から目指す物が音楽じゃ無かっただけなんじゃよ。周りが祥子の才能に気づかなかったのもあるし、祥子自身が音楽の才能に気づかなかった。それだけの違いなんじゃよ。だから、遅いデビューになった。この世界各地に同じ様な子が居るんじゃ。ワシは祥子に出会えたのを、征司、エリック、お前達に会って以来の幸せじゃと思っとる」
「確かに俺達は…」

(小さい頃から奏でてきていた。音楽の環境の中で)

俺は口に出来なかった。エリックも口をつぐんだままだった。

「ワシが見つけたんじゃ。3年前に日本に招かれた時。偶然。まさに偶然、ワシと祥子が出会ったんじゃ。聞いてくれるか?」

「「はい」」

ガド爺がグイッとワインを飲んで眼を閉じ、思い出している様だった。
ゆっくりと眼が開き、語り始める。


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