#44 休暇 <祥子視点>
文字数 12,962文字
まだ半年も経ってないのに、久々の日本って感じる。
「姉ちゃん、早速ヘマやって送り返されたのか?」
迎えに来てくれた弟の一言目だ。
「友達の結婚式に出るって聞いてないの?」
「知らん。今日帰って来るからって言われて、休みだった俺が迎えに来ただけ」
「休みなのに悪かったね。あ、荷物持って」
「相変わらず人使い荒いなぁ」
「お土産あるよ」
ブツブツ言ってる弟を引き連れて歩いてる私は、ホッとしている。
周り中、私と同じ日本人ってのは嬉しい。日本の残暑は辛いけど。
と、浸ってちゃいけなかった。戻って直ぐの仕事が待ってる。紙を出して目的の場所に向かう。空港内の一部屋が書かれている。
「姉ちゃん、どこ行くんだよ」
「ついてきて。仕事なのよ」
「仕事? 俺、邪魔じゃないのか?」
「大丈夫よ。よっぽどじゃないと入れない部屋よ」
指示された部屋に入る。
雑誌記者の花崎 さんが立ち上がって迎えてくれる。
「苅谷さん、お帰りなさい。今日は宜しくお願いします」
「お久しぶりです。お世話になります」
「そちらの方は?」
「弟です。迎えに来てくれたんです」
「そうでしたか。じゃ、弟さんはそちらでお待ちください」
花崎さんが部屋の隅のテーブルに弟の席を作ってくれてお茶とお菓子を出してくれた。
この待遇に弟が面食 らって私を見るから頷いて促 した。
「お姉さんはお家ではどんな感じなのかな?」
「姉ちゃんは弟使いの荒い姉ですよ。姉って権力を使い放題ですから」
「こらっ! 何て事言うんだ!」
私の一喝で弟は肩をすくめて笑った。花崎さんも笑ってる。
「仲のいい姉弟なんですね」
「仲がいいのはこんな時だけですよ。顔作る位、外面 はいいから」
「変な事を言うんじゃない!」
おっと。口紅がはみ出ちゃった。顔を直してる最中に怒るのは厳禁だ。弟が余計な事を話し出す前に終わらせなきゃ。花崎さんがメモとってないのを確認してるけど、変な事書かれたら恥ずかしい。
「お姉さんがウィーンに行かれてどうかしら。寂しくなった?」
「家が静かになりましたね。やっぱ、家族の一人が居ないとね。でも、雑誌やネットで姉ちゃんの活躍を知ると皆で喜んでますよ」
「え? ちょ、ちょっと。ネットって。どこまで知ってんのよ!」
私の慌て顔を見てニヤリと笑われた。
「噂になってる彼氏の事とかさ」
「あんた、それ…お母さんも」
「そりゃ。日本語で書かれてたら読んじゃうな」
「あぁぁぁぁ」
筒抜けでしたか。
オーストリアとの距離は関係ないのね。…当たり前か。
花崎さんが笑って私に向かう。
「そこまでご家族が知ってるのなら、深い処迄聞いてもいいってことですね。遠慮はしませんよ」
「手加減して下さい」
「さて始めましょうか」
フラッシュがたかれ、写真が撮られる。花崎さんがICレコーダーのスイッチを入れ、ノートを開く。質問が次々と投げられ、それに答えていく。
「楽団のコンサートマスターである、北見征司さんとは高校が一緒でしたね」
「はい。ウィーンで会う迄、忘れてたって位、私は酷い後輩になってました。でも、おあいこでした。北見さんも私の事に気づくのに時間掛かってましたから」
「一緒に活動されてどうですか?」
「高校の時とは違いますね。北見さんはコンマスの責任もありますし、技術も全てにおいて、私はまだ追いつけません。まだ後輩のまま、追いかけているのが現状です」
「同じ楽団に居る、エリック・ランガーさんは世界的に有名なチェロ奏者ですね」
「さすがに世界のトップに入ると思いました。私が辿り着いてない音の世界感を持っています。尊敬しています」
「ランガーさんとのプライベートのほうは?」
「恋人としても、楽団の先輩としても支えて貰っています」
「ゆくゆくは結婚まで考えてるお付き合いなんでしょうか?」
「まだ日が浅いですから。これからの話ですね」
エリックと結婚? そうなって欲しいけど、今はデートを沢山したい。エリックの普段の姿を見たい。そして、甘えたい。エリックの事を思い出して、少し引っかかる事があった。だけど、今は考え込む時間じゃない。
どんどん質問が投げかけられ答えていく。話している間にもフラッシュがたかれた。最後にフルートを吹いている姿を、と言われて一曲吹く。硝子のフルートを出して、そのCMに吹いた曲を吹いた。これは、このフルートを贈ってくれた企業への宣伝も兼ねてになる。なんたって、最近の雑誌インタビューって、ネット上でこんな感じでした、って動画が載ってしまう位だ。色々と大変だ。
花崎さんから開放されて、弟と一緒に部屋を出た。
「姉ちゃん凄いな。芸能人みたいだ」
「それは間違いだな。日本だと特技を持った人扱いね」
「でも、雑誌に載るじゃないか。今のなんか特集記事だろ」
「趣味の雑誌にね。ウィーンだと結構うるさいから困るけど、日本はまだラクよ」
「姉ちゃんが美人だったらひっぱりだこなんだろなぁ」
「悪かったね」
「でも、姉ちゃん、向こうで彼氏作ったなんて早いな」
「色々あったのよ」
「そうだな。結構叩かれてたな」
「知ってんの?」
「姉ちゃんが行ってから直ぐに情報をゲットしてた。やっぱ心配だろ」
「そう」
「母さん達には演奏会と彼の事だけを教えてるから」
「悪かったね。ありがと」
「まぁ、姉ちゃんがネを上げて帰って来てもいいようにしてるさ」
「心配無用よ」
「彼が有名人だし大丈夫ってトコか。で、姉ちゃん、外人と日本人って違ったか?」
「へ?」
「あっちだよ。あっちのほう」
「バ、バカッ!」
「なんだ。まだなのか。外人って手が早いって聞くから」
「あんたねぇ。いくら姉弟だからって、聞いて良い事と悪い事があるでしょ」
「姉ちゃんだって、俺がまだなのかって何度か聞いたじゃないか」
「そんなの忘れた」
「調子いいの」
車に荷物を乗せて、助手席に乗り込んだ。
「ごめん。飛行機の中で寝てられなかった。家に着いたら起こして」
「分かった」
眠りに落ちかけて、ふと思い出した。最近、エリックの態度がおかしい。私が変身してからだ。この私でいいってのは嬉しいけど、そんなに嫌だったのだろうか。
それに、何度も謝ってた。何でなんだろう。
(変身してシドと変な事してたって思われた?! 「夜は何してた?」って言ってたっけ)
エリックは嫉妬してたんだ。余計な心配掛けちゃってたな。
もう変身はしないよ。そう思いながら眠りに落ちた。
☆
家に着いて最初に食べたいと思ったのは、ご飯に生卵。ご飯に焼き海苔。豆腐の味噌汁。
おかずなんかはいらなかった。お茶を飲んで生き返る。なんて。
残りの日は本当の休みになる。だらけながら結婚式の余興の曲を練習し、街をうろついた。本屋に入って近くで何か公演してないかと調べてたら眼に止まる。
「アーチャーさんが来てるんだ。そう言えば花崎さんがそんな事を」
半分眠くて聞き流していた。「アイーダ」での競演を聞かれた時に耳にしたんだ。今日の演目は「カルメン」だ。
「主役がソフィなんだ。アーチャーさんはソフィと腐れ縁なんだな。えっと、場所、場所。チケットは。あ」
雑誌を買いましょう。お店の人が訝 しげに私を見ていた。
代金を支払って店の外で見てた頁を開いて電話を掛ける。
当日券が残っているか確かめる。時間を確認して、直ぐに向かう事にする。
「う。当日券がS席だ」
手持ちが足りない。明日のご祝儀も日本円じゃないと。急いで銀行に走る。ATMを探して引き出した。
「あぁ。日本のお札だ」
福沢さんが笑いかけて出てきたのが嬉しい。それを財布にしまいこむ。その動作は迅速 に。ウィーンで培 ってきた早業 だ。日本と言えども今は同じ。気を許しちゃいけない。
「そうだ。ご祝儀は新札にしないと」
慌てて案内の人に相談して無事新札に交換だ。
交換して貰ったらお札が違う。でも壱万円ってなっている。
「すみません。これ使えるんですか?」
「紙幣のデザインが変わったんですよ。大丈夫。使えますよ」
「あ。そっか。居ない間に変わってたのか。じゃ、これ、5千円と千円に交換出来ますか?」
「出来ますよ」
渋沢さんに津田さんと北里さん、お初にお目にかかります。
征司に見せよう。きっと驚くだろう。
チケットを買いに窓口に戻る。係員が、さっき逃げていった人が戻ってきたと言う感じで私を見た。
「当日券を1枚」
渋沢さん二人が、細かくなって返ってくる。野口さんも樋口さんも久々ね。
チケットを手に入れてから花屋に向かう。
大きな花束を作って貰い。メッセージをつける。
フランク・アーチャー様
お元気でしたか?
日本で公演されてるのを知り、観 に来ました。
今日の公演を楽しみにしてます。
日本での成功をお祈りしてます。
祥子・苅谷
チケットを見せてホールに入り、花束を渡して貰う様に頼んでから、パンフレットを買う。
指定の席におちついてパンフレットを捲 っていく。
「今日は観客」
そう自分に言い聞かせる。観客としてオペラを観るのは今日が初めてだ。
客席が埋まっていく。華々しく幕が上がる。
舞台でお話が展開されていく。音が声についてくる。
(この音の創り方に手間取ったんだ)
私ったら、皆を巻き込んで教わったんだ。手の掛かる奏者だった。
今だから分かる。声を載せる音。声に合わせた音だ。
「カルメン」はジプシーの女。婚約者のいる男ドン・ホセを誘惑しておきながら、闘牛士に心移りして捨ててしまう。カルメンを忘れられないドン・ホセがカルメンを刺し殺してしまう。自業自得と言えばそうなんだが、情熱的に愛を語るカルメンを憎めない気がする。
カルメン役のソフィの声に感動させられながら(カルメンの声設定はメゾソプラノだが、ソフィが見事にこなしていたので)別の声が耳に入って注目する。
声の主はドン・ホセの婚約者ミカエラ役の女性。透き通ったソプラノが響き渡ってる。
2幕目ミカエラのアリアを聞いて、私はどこかで耳にしたような気がした。
オペラ歌手の歌声を聴きなれてないから、そんな気がしたんだろう。ミカエラ役の女性は初めて見る人だ。それよりもこの女性、左利きなのかもしれない。左手の動きが大きい。
それよりもカルメンがドン・ホセを捨てて、闘牛士のエスカミーリョに走るんだが、そのエスカリミーリョ役にアーチャーさんとは。アーチャーさん本人は50歳を超えている。化粧して若々しく見えてるけど。
これが実生活だったら問題あるな。笑ってしまった。
アーチャーさんの声が響き渡る。人の声がここまで響くのは驚きだ。
カーテンコールでソフィとアーチャーさんの声を客席で聴くのは感動ものだった。この声を独り占めしているようだ。
☆
幕が下りて、場内が明るくなる。出口に殺到してるから少し座席で時間を潰す。パンフレットを捲る。ミカエラ役の女性。
「ルナ・アーチャー?」
突然、会場内がざわめいた。顔を上げたら、幕の横から男性が衣装のまま客席に降りてきた。あの衣装って…アーチャーさんだ!
私は周りに視線を飛ばす。外国人は? 有名人は? 政治家は? 居ない。…と、すると。
(私目掛けて来てる?!)
座席の下に隠れたい。
アーチャーさんは、愛想を振りまきながらも向かってくる。時折、携帯を向けられ、嫌そうに手で制止しながら、足を止めないで向かってくる。
その場に居た人達の視線が、アーチャーさんの向かう先に居る私に止まったのを感じた。
さりげなく座席に深く座る。
(逃、逃げたい)
アーチャーさんの表情が見える位置になる。周囲の好奇 の眼は気にならないようで、私の前で立ち止まり、手を差し出す。仕方なく立ち上がって、握手になる。
「祥子。ここで君に会えるとは思わなかった」
「アーチャーさん。お久しぶりです。でも、ちょっと、この状態では」
とても困るんです。それこそ不倫報道されちゃいます。日本でのゴシップは困る。
私が困ってるのに気づいて、アーチャーさんが周りを見て気づく。
「おっと。嬉しくてうっかりしてしまいました。こんな所で噂の元を作っちゃ、妻に怒られちゃいます。えっと、どうしようかな」
額を指で叩きながら考え込んでるアーチャーさんもジェントルマンです。と、見惚 れてちゃいけない。
指の動きを止めたアーチャーさんが笑って、周りの人達に向かう。アーチャーさんの口から日本語が飛び出す。
「オサワガセシマシタ。カノジョヲツレテクルヨウニ、ムスメニイワレマシタ」
「娘さん?」
私がアーチャーさんに声を掛けたら、アーチャーさんが笑う。
「そうですよ。私の娘も競演してます。付いて来て」
「はい」
アーチャーさんの後ろを付いて行く。
「アーチャーさんは日本語出来るんですね」
「少しだけね」
「娘さんって、ミカエラ役の?」
「そう。ルナです」
一緒に幕の横から滑り込んで楽屋に向かう。
「後で上手く言っておきますから」
「そうして下さい。日本でゴシップは困ります」
「すみません。あ、それと、花束ありがとう」
「届きました?」
「はい。メッセージ読んで祥子を探してました。残ってくれてたから、ついこのままで行ってしまいました」
そう言って立ち止まり、両腕を少し上げて衣装を見せる。笑ってしまった。
「そういう時は誰かに頼んで下さい」
「そうですね。うっかりしてました」
アーチャーさんが自分の控え室の戸を開けて、私を入れてくれた。部屋の奥の椅子に女性が座ってる。私が入ってきたのに気づき、椅子から立ち上がる。私と同じ位の女性だ。
アーチャーさんが女性の横に立つ。
「娘のルナです。彼女がフルートを吹かせれば一番の祥子だよ」
「アーチャーさん、大袈裟すぎます。祥子・苅谷です。初めまして」
「ルナ・アーチャーです。初めまして。父が驚かせたんじゃないですか?」
静かな声で挨拶された。この声があの会場一杯に響いてたなんて思えない位、静かな声だった。
「注目浴びちゃいました。どう記事に書かれるか怖いですよ」
「あら。ごめんなさいね。私が会いたいって言ったからなんですよ」
そう言って、ルナが手を差し出した。左手だ。左手。
私が躊躇 したら、ルナが慌てて口を開く。
「ごめんなさい。私、右手が義手なのよ。だからこちらで」
ルナが右手の手袋を少しずらす。そこから除いたのは皮膚じゃ無かった。
「あ。こちらこそ、ごめんなさい」
「いいのよ。左手で何でも出来るから」
ゆっくり左手を合わせた。ルナが手袋をきっちりはめ直す。
「どうぞ、座って」
「はい」
私が座り、ルナも座る。アーチャーさんがルナの隣に座って話し出す。
「まさか、ここで祥子に会えるとは思わなかった。って、さっきも言いましたっけ」
「はい」
「祥子の母国だけど、花束貰ってまさかと思いました。どうして日本に?」
「今、休暇中なんです。用事があって戻ってきたんですよ」
「なら、ラッキーな偶然だったんだ」
「ホントね。お父様」
ルナと笑ってるアーチャーさんは嬉しそうに見える。ルナがアーチャーさんに頷いて、アーチャーさんが私に向かう。
「祥子、ここに来て貰った訳は、君にお願いがあるからなんだ」
「お願いですか?」
「そう」
アーチャーさんがルナに視線を動かして、二人で頷いた。
「11月から1ヶ月、イギリスに来て欲しい」
「イギリスですか?」
「そう。私達、イギリス国内を回って歌うんだ。それに付いて来て欲しい」
「何故、私を?」
「祥子のフルートの音が気に入ったから。私の声や情景を見事に合わせてくる奏者は他に居なかった」
ルナが頷いた。
「えぇ。私もあなたの音を聞いたわ。「アイーダ」でね。そして、父との最後の曲も。とてもいい音だった。私もあなたの音に合わせてみたいと思ったの」
「ありがとうございます。ですが、フルートよりもバイオリンやチェロのほうがいいのではないですか? ピアノならもっといいと思いますが」
アーチャーさんが指を立てて振った。
「私達はずっと探してきてたんだよ。「アイーダ」の出演が来た時、祥子の噂を聞いてわくわくしてた。どんな音を出す子なんだろうってね。想像以上だった。だけど、君は声を載せる音が出せなかった。私がコツを教えてあげたね」
「はい。あの時はお世話になりました」
「声を載せる音が出来なければ、この話は無かったんだよ。祥子、君はどういう手を使ったかは知らないが、完璧にオペラの音を自分のものにしてきたんだ。それを耳にして、私の念願だった親子で歌う事が出来ると思ったんだ」
「私もそう思ったわ。あなたの技術そのものと、あなたとなら上手くいくわ」
アーチャーさんとルナの視線が私に留まる。
絶賛されているのに、恥ずかしい。
「ありがとうございます。私としても嬉しいのですが、スケジュールは楽団を通さないとならないので、シドのほうにお願いしたいのですが」
カツンと、ルナの義手が椅子に当たった音が響いた。アーチャーさんが気づいてルナを見た。ルナが私を見て口を開く。
「駄目なの?」
「いえ。私のスケジュールが空いているか、動かせればなんとかなります。1ヶ月だからどうなるか分からないので」
「そうか。なら、早速、楽団のほうに」
「お父様、今、書いちゃいましょう」
私の目の前でサラサラと書かれ、封をされて、私の手に渡る。
「祥子、これを彼に手渡してくれ」
「え? はい」
私が郵便配達員になるとは思わなかった。確実に届くけど。
二人と別れてから、エリックの言葉を思い出した。
「アーチャーさんは他にまだ企んでるかもしれないよ」
この事なのかな。でも、前に「イギリスに招待しますよ」と言われていた。
☆
深夜になって、この事をエリックに話した。電話ごしのエリックの声はいつもの声だ。私の話に耳を傾けてくれている。口数が少ないのは、離れているからかもしれない。
「しまった。アーチャーさんに年齢を忘れる出来だったって言うの忘れてた」
「そんなに若々しかったんだ」
「だって闘牛士の若者役よ。30代って言えば頷けちゃう位」
エリックの笑い声が聞えてきた。電話口でもエリックの笑い声は好き。
「エリック、好きよ」
「…祥子…ありがとう」
私は時折こう言葉に出して確認してしまう癖がある。後で反省する事になる。
これがエリックの重荷にならないといいんだけど。
☆
結婚式に出席するなんて久々だ。
皮肉な事に元彼の…いやいや、友達の結婚式だ。
ご祝儀を渡して、受付に名前を書く。名前が上手く書けない。特に筆ペンってヤツはプルプルと。
名前を記入したら受付の人達が「あの人もしかして」とか囁 いてるのが耳に入る。顔は知られてないけど、名前は知られているんだ。
日本を飛び出して女の品質を落とした日本の恥とか。まさか、同姓同名で大変ね。なんて言われたのか? 一人漫才を心の中で開催して、苦笑いだ。
そそくさと待合室のほうに移動する。
部屋の中を見て、元同僚の結婚式なのを思い出した。元上司や元後輩が眼に入った。
私は入り口が注目されてないのを確認してから、見知らぬ学生時代の友人グループの近くに歩いていき、隠れる様に椅子に座った。こっそりと座席表を開く。
「友人のテーブルにつかせて欲しかった」
友人の肩書きがついていたけれど、仕事関係のテーブルに名前がある。
会社を辞める宣言をした時に上司に言われた言葉を思い出した。
「へぇ。苅谷さんはフルートで食っていくんだ。簡単でいいねぇ。一回で大金が入ってくるんだって?」
仕事を優先にしていたけど、公演依頼が入って来るようになったから、会社を辞めたんだ。同期や後輩は応援してくれてたけど、仕事のシワ寄せがきたはずだから、良くは思って無かっただろう。
(欠席しとけば良かった)
元仕事関係の事なんか頭に無かった。よくよく考えてみりゃ思い出したんだろうけど、新郎が元彼で、三股掛けられてたと分かったほうが大きかった。
部屋の入り口に化粧の濃い女性が現れて、ぐるりと部屋を見回してから私に向かってくる。
「苅谷さんですか?」
「はい」
「今日の余興の事で。来ていただけますか?」
「はい」
披露宴会場に案内されて、演奏する場所とか、マイクは必要かとか。
「今日のご新婦様は羨ましいですわ。苅谷さんの生演奏を贈って貰えるなんて」
「友人なので」
結婚式に招待されて楽しくないのも変だな。お金を払って仕事に来てるみたい。
待合室に戻ると声が掛かる。
「祥子。来てたんだったら声掛けてよ」
「あ、ごめんね。会社辞めてたから」
「そんなの気にしないでよ。こんな時じゃないと会えないんだもの。祥子に会うの楽しみにしてたのよ」
「でも、ほら」
私が上司に視線を投げると言われた。
「祥子が有名になってからは、シュンとしてるわよ」
「そう」
「でも、凄いね。今ウィーンだって?」
「うん」
「私も祥子が音楽なんてって思っちゃったけど、今の祥子見れば良かったんだって分かるよ」
「ありがと。でも、私が辞めて直ぐなんて仕事大変だったでしょ。ごめんね」
「いいのいいの。もう昔の事よ。皆のトコおいでよ」
「うん」
そのまま会社の面々の中に連れ込まれて気づく。
私が成功してなかったら、こんな待遇は無かったんだな。そもそも、ここに呼ばれて無かったと思う。
皆に挨拶をして、嫌でもあの時の上司にも挨拶する。
「ご無沙汰してます。あの時はご迷惑をおかけしました」
「どんな調子かい? 音楽だけでも成功してるそうじゃないか」
嫌味は残されてる。
「はい。もう充分ですよ」
「休む暇もないそうじゃないか」
「その分報酬頂いてますから。1曲吹いて100万なんて時もありますから」
「え」
眼が点になってる。でも、これは本当。どこぞの富豪の御爺さんが、妻の誕生日に吹いてくれと私に依頼を掛けてきた。日時指定で無理だったから断ったら、いくらでもお金を出すからとなった。私が小切手に書いていいと言われたら数字を端迄書いてたと思う。シドが妥当な金額で渋々受けた依頼だった。御爺さんにシドが負けた意外な仕事だった。その時は何とか時間に駆け込んで演奏できたのだが、いたく感激されて私の手に分厚い封筒を押しつけてきた。断ったら、更に封筒が出てきたから最初の封筒だけ頂いて帰った。封筒の中身を見てシドと頭を抱える事になったが、「チップと言うことで」と私に渡されたんだ。
「そんな時は一瞬のミスが命取りなんですよ。翌日の新聞に載っちゃいますから」
「そ、そう」
披露宴会場に促されてさっさと上司から離れた。席に着いて、上司が隣のテーブルだからホッとした。食事中も嫌味を言われてたら美味しい料理が不味くなる。
高砂の新郎の位置に座ってる、潤 の顔を見て少しだけ腹が立った。
キャンドルサービスで火をつけにきた潤は、私を見つけて笑いかけてきた。
(こいつはどれだけ私を悲しませたか想像つかないのか)
係の人が呼びに来たから移動する。フルートを組み立てる。今日は金属を使う。司会者が私を紹介する。
新婦側の仕事関係以外の人達が驚いてる。私は顔で有名なわけじゃないから、名前とフルートで確認される。日本だとそれが当たり前。
簡単にお祝いの言葉を贈り、吹いていく。変な緊張感があった。情景はいらないと思っていたのに、吹いててシドの大部屋を思い出した。二人が踊って、嬉しそうに楽しそうに、お互いの事だけを見つめて踊る。くるくる、クルクル。時間がこのまま続けばいい。
(…エリック)
エリックに抱き締められたのは、つい先日。力一杯抱き締められていた。苦しかったけど、そのままで居たかった。何も喋らなかったけれど、エリックの息継ぎと鼓動が聞えてきて…時間がこのまま続けばいい。そう思っていた。
フルートを離す時、何故だか感動していた。大急ぎでお辞儀をした。拍手が降りかかるのを感じながら、フルートをしまう口実で披露宴会場を抜け出す。
(何で? 凄くドキドキする)
席に戻ると皆に言われる。
「祥子の音、初めて聞いたけど凄いのね。上手なんて言葉じゃないのよ。プロの音ね」
「当たり前だろ。CDだって出てるんだ」
「ウィーンで活躍してるんだから」
「聞いてたら映画見たくなっちゃった」
「私も。帰ったら見なくちゃ」
「ありがとう」
これで報酬貰ってるのよ。吹けなくなったら失業よ。
☆
披露宴が終わり、見送られながら会場を後にする。
「祥子、わざわざウィーンからありがとう」
「お幸せにね」
「余興のお礼よ」と渡された手提げの中にカードが入ってた。
祥子 ごめんな
潤の文字だ。破って近くのゴミ箱に捨てた。
☆
皆が写真だ、二次会だ騒いでるのを遠くに見て、さっさと帰る事にした。
引き出物を持ってフルートケースを持って。
「苅谷さん」
「はい?」
振り向くと男性が一人。
「二次会に出ないんですか?」
「はい」
即答したら、男性が笑った。
「あの。私…いや、俺に見覚えありませんか?」
「え?」
そう言われても。
「ごめんなさい。どこかで会ったのかしら?」
「棚倉 と一緒の合コンでね」
「あ、あら」
昔を思い出す。あの時って、潤の他に二人。一人は眼鏡かけて悪ぶれた感じでパスして、もう一人はうるさくてパスしたんだ。
(どっちだ?)
ジッと男性を見る。眼鏡掛けてる。でも、あの悪ぶれたイメージは無い。けど、眼鏡。
私が考え込んでしまったのを見て、男性が笑う。
「前は眼鏡掛けてなかったな。柴崎 ですよ」
眼鏡を上げられても覚えてません。でも、うるさいほうの人だ。
「ごめんなさい。すっかり変わられてて、思い出せなかった」
「変わった?」
「はい」
潤以外は眼中になくて忘れてた、なんて言えません。でも、今の柴崎さんなら潤の上をいくと思った。潤に騙されるなら、あの時、柴崎さんを選んでいれば良かった。
(そしたらエリックと会って無いか)
「ちょっと話せるかな?」
「でも、柴崎さん、二次会は?」
「この後、仕事なんで。だから、今も飲めなかった」
「それは残念ですね。でも、時間は?」
「大丈夫。2時間はあるからどうしようかと思ってたとこ。そしたら苅谷さんが逃げ出そうとしてるのが眼に入ってね」
「あら。帰ろうとしてただけです」
「場所変えようか」
「ここでなら」
「あ、そうか。苅谷さんは有名人だった」
「有名人じゃないですよ。荷物があるから動きたくないだけなんです」
「なら、そこの庭園に出ようか」
「はい」
柴崎さんと庭園に置いてあるテーブルに向かう。
「コーヒーでいい?」
「はい」
コーヒーを二つ持って柴崎さんが戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「ここで苅谷さんに会えるとは思わなかったな。棚倉と、だったね」
「昔ね。知ってたんですか?」
「一緒に合コン行ってたら情報交換はしてる」
「あら、なら、同時に彼女とって事も知ってた?」
建物の中でまだ騒いでる潤達の姿に視線を飛ばす。柴崎さんが私の視線を追ってから答える。
「それは知らなかった。棚倉は上手くやってたみたいだな」
「えぇ。この結婚式に呼ばれて初めて三股されてたって分かりましたから」
「もう一人居た?」
「そうよ。私が潤と別れたのは別の女性が発覚したからだもの」
「そうか。なら、あの時動いてりゃ良かったんだ」
「 ? 」
「合コンの後、俺、苅谷さんに連絡取りたかったけど、棚倉が先に君をおとしたって聞いて諦めたんだ」
「あら」
私の男を見る眼は悪かったんだな。今は、研ぎ澄まされてる筈だけど。
「君が棚倉と別れたって聞いてチャンスと思ってたら、俺の仕事が忙しくなって連絡取れなかったんだ。そのうち、君はウィーンに行っちゃうし」
「その間、色々あったんですよ」
「俺だって色々あったけど、今はフリーだ」
私をジッと見る柴崎さんは男らしくて、頼れそうで。でも。
「私には大切な彼が向こうに居るんですよ」
「…タイミングが悪いのかな」
「ですね」
顔を見合わせて笑ってしまった。柴崎さんがフルートケースに眼を留めた。
「良いケースだね。イタリアの物だ」
「分かります?」
「俺、海外関係だから。見せて貰っていいかな?」
「どうぞ」
ケースを渡すと、柴崎さんが視線を走らせた。
「ミラノの工房だ。日本には入ってこない物だね。それも君の為の一品。彼からのプレゼントだ」
「そうよ」
「「君を一生かけても守ります」ってケースだ」
「あらら」
征司もそんな事言ってたな。プロポーズに贈られる物だって。
「この工房の物は仕掛けが出来るんだ。これもあるのかな?」
「あるわよ」
「見せて貰えるかい?」
「いいわよ」
ケースを開けて、内側の板をスライドさせて二段にする。柴崎さんが楽しそうにそれを隅々まで見ている。
「へぇ。凄い仕掛けだ」
「私も教えて貰って驚いたのよ」
「まだ仕掛けがある」
「どこに?」
「ここ。ここに小さいけど穴がある」
そう言って、柴崎さんが一段目の裏を私に確認させた。
丁度、フルートが入ってない部分の空間だ。
「穴がありますね」
「ここも仕掛けになっているはずだ。引っ張ってみて」
「はい」
裏底に指を滑らせて穴に引っ掛けて引っ張ると、底板が外れ、カタンと小さい箱が転がり出てきた。
「あ…」
箱から予想がついた。ゆっくり蓋を開ける。指輪が入っている。ダイヤの付いたシンプルな指輪。ウィーンの店の物だ。
「凄いプレゼントだ。エンゲージリングを贈ってきてる」
「…(エリックったら)」
「こりゃ、俺に勝ち目は無さそうだな。苅谷さん、良かったな」
「えぇ。あ、ごめんなさい」
「いいさ。タイミングを掴めなかった俺が悪い」
指輪のケースを元の場所に戻した。
「一曲贈りましょうか。柴崎さんに」
「いいのかい? 俺なんかに」
「指輪を見つけてくれたお礼と、柴崎さんに応えられなかったお詫びです。何かリクエストあれば」
「なら、そうだな。ショパンの「別れの曲」。って、この場所じゃ縁起悪いから駄目か」
「大丈夫。吹けますよ。「別れの曲」って題名ですけど、そこから始めるって曲でもありますから」
今日は吹かないと思っていた硝子のフルートを組み立てていく。
「苅谷さんがフルート吹くなんて想像出来なかった」
「潤を忘れたくて高校の時のフルートを引っ張り出したんです」
さっきまで賑やかだったガラスの向こうは、次の披露宴が始まったのか人が居なくなっている。
「棚倉が君の人生を変えたのか」
「そうですね。辛かったけど、今思えば、私の人生の転機だったんですね」
「それで成功したんだ」
「毎日が崖っぷちですけどね。ちょっとだけ時間貰いますね」
「どうぞ」
譜面がないから、頭の中で思い出す。曲は知ってるから大丈夫。イメージを「別れ」にしちゃうと営業妨害で怒られそうだから気をつけなくちゃ。
ブレスレットを外して軽く音を出す。マニキュアは無視しなきゃ。
「じゃ、柴崎さんに」
♪~♪♪♪~♪♪♪♪~
悲愴感 ではなく思い出のイメージで吹いていく。後半は悲しみよりも、希望を込めて吹いていく。
吹き終わったら柴崎さんが拍手をくれた。
「君がウィーンに呼ばれたのが分かった気がする。日本なんかじゃ君の音を世界に押し出せない」
「ありがとうございます」
「音楽に素人の俺にだって、君の音が伝えてくるのが分かった」
柴崎さんが顔を伏せた。
「どうしました?」
「悔しいと思った。棚倉に…君が傷つけられて」
「柴崎さん。ありがとうございます。私も見る目が無かったんですよ。いい経験でした。でも、今、幸せですから」
「そうか。君が幸せなら、俺にも良い事あるかもしれないな」
「そうですよ」
「ありがとう」
そう言って柴崎さんが手を差し出す。
「苅谷さんはウィーンで頑張れ。彼と幸せにな」
「柴崎さんも、お元気で」
柴崎さんの手に合わせた。
☆
家でもう一度、指輪を取り出した。
エリックはこれを私に見つけて欲しかったのか。それとも、ケースの時のように私を驚かす為に仕込んだのか。意図 が分からない。
キラリと光ったダイヤを見て指にはめる。左手の薬指。緩 い。詰めて貰わなくちゃ。
外して眺めていたら内側に私の名前が刻印されているのに気づく。
間違いなくエリックが私に宛てて用意した物だ。イタリア公演に行く前に作って、ケースに仕込んだ事になる。
「エリックったら気が早いんだから。エンゲージリングはプロポーズする時に買う…ぁ」
私を結婚相手として…みてくれてたんだ。まだ付き合って一緒の時間が少ないから、ケースの中で眠らせてたのかもしれない。私が見つけたら、そのつもりで付き合ってるんだ、って伝えてくれるのだろう。
「その前に愛想つけられたら、こっそり回収されたりして」
結構役に立つかもしれない。暫く知らない振りしていよう。
もう一度、薬指にはめてクルクル回してから、ケースに戻した。
- #44 F I N -
「姉ちゃん、早速ヘマやって送り返されたのか?」
迎えに来てくれた弟の一言目だ。
「友達の結婚式に出るって聞いてないの?」
「知らん。今日帰って来るからって言われて、休みだった俺が迎えに来ただけ」
「休みなのに悪かったね。あ、荷物持って」
「相変わらず人使い荒いなぁ」
「お土産あるよ」
ブツブツ言ってる弟を引き連れて歩いてる私は、ホッとしている。
周り中、私と同じ日本人ってのは嬉しい。日本の残暑は辛いけど。
と、浸ってちゃいけなかった。戻って直ぐの仕事が待ってる。紙を出して目的の場所に向かう。空港内の一部屋が書かれている。
「姉ちゃん、どこ行くんだよ」
「ついてきて。仕事なのよ」
「仕事? 俺、邪魔じゃないのか?」
「大丈夫よ。よっぽどじゃないと入れない部屋よ」
指示された部屋に入る。
雑誌記者の
「苅谷さん、お帰りなさい。今日は宜しくお願いします」
「お久しぶりです。お世話になります」
「そちらの方は?」
「弟です。迎えに来てくれたんです」
「そうでしたか。じゃ、弟さんはそちらでお待ちください」
花崎さんが部屋の隅のテーブルに弟の席を作ってくれてお茶とお菓子を出してくれた。
この待遇に弟が
「お姉さんはお家ではどんな感じなのかな?」
「姉ちゃんは弟使いの荒い姉ですよ。姉って権力を使い放題ですから」
「こらっ! 何て事言うんだ!」
私の一喝で弟は肩をすくめて笑った。花崎さんも笑ってる。
「仲のいい姉弟なんですね」
「仲がいいのはこんな時だけですよ。顔作る位、
「変な事を言うんじゃない!」
おっと。口紅がはみ出ちゃった。顔を直してる最中に怒るのは厳禁だ。弟が余計な事を話し出す前に終わらせなきゃ。花崎さんがメモとってないのを確認してるけど、変な事書かれたら恥ずかしい。
「お姉さんがウィーンに行かれてどうかしら。寂しくなった?」
「家が静かになりましたね。やっぱ、家族の一人が居ないとね。でも、雑誌やネットで姉ちゃんの活躍を知ると皆で喜んでますよ」
「え? ちょ、ちょっと。ネットって。どこまで知ってんのよ!」
私の慌て顔を見てニヤリと笑われた。
「噂になってる彼氏の事とかさ」
「あんた、それ…お母さんも」
「そりゃ。日本語で書かれてたら読んじゃうな」
「あぁぁぁぁ」
筒抜けでしたか。
オーストリアとの距離は関係ないのね。…当たり前か。
花崎さんが笑って私に向かう。
「そこまでご家族が知ってるのなら、深い処迄聞いてもいいってことですね。遠慮はしませんよ」
「手加減して下さい」
「さて始めましょうか」
フラッシュがたかれ、写真が撮られる。花崎さんがICレコーダーのスイッチを入れ、ノートを開く。質問が次々と投げられ、それに答えていく。
「楽団のコンサートマスターである、北見征司さんとは高校が一緒でしたね」
「はい。ウィーンで会う迄、忘れてたって位、私は酷い後輩になってました。でも、おあいこでした。北見さんも私の事に気づくのに時間掛かってましたから」
「一緒に活動されてどうですか?」
「高校の時とは違いますね。北見さんはコンマスの責任もありますし、技術も全てにおいて、私はまだ追いつけません。まだ後輩のまま、追いかけているのが現状です」
「同じ楽団に居る、エリック・ランガーさんは世界的に有名なチェロ奏者ですね」
「さすがに世界のトップに入ると思いました。私が辿り着いてない音の世界感を持っています。尊敬しています」
「ランガーさんとのプライベートのほうは?」
「恋人としても、楽団の先輩としても支えて貰っています」
「ゆくゆくは結婚まで考えてるお付き合いなんでしょうか?」
「まだ日が浅いですから。これからの話ですね」
エリックと結婚? そうなって欲しいけど、今はデートを沢山したい。エリックの普段の姿を見たい。そして、甘えたい。エリックの事を思い出して、少し引っかかる事があった。だけど、今は考え込む時間じゃない。
どんどん質問が投げかけられ答えていく。話している間にもフラッシュがたかれた。最後にフルートを吹いている姿を、と言われて一曲吹く。硝子のフルートを出して、そのCMに吹いた曲を吹いた。これは、このフルートを贈ってくれた企業への宣伝も兼ねてになる。なんたって、最近の雑誌インタビューって、ネット上でこんな感じでした、って動画が載ってしまう位だ。色々と大変だ。
花崎さんから開放されて、弟と一緒に部屋を出た。
「姉ちゃん凄いな。芸能人みたいだ」
「それは間違いだな。日本だと特技を持った人扱いね」
「でも、雑誌に載るじゃないか。今のなんか特集記事だろ」
「趣味の雑誌にね。ウィーンだと結構うるさいから困るけど、日本はまだラクよ」
「姉ちゃんが美人だったらひっぱりだこなんだろなぁ」
「悪かったね」
「でも、姉ちゃん、向こうで彼氏作ったなんて早いな」
「色々あったのよ」
「そうだな。結構叩かれてたな」
「知ってんの?」
「姉ちゃんが行ってから直ぐに情報をゲットしてた。やっぱ心配だろ」
「そう」
「母さん達には演奏会と彼の事だけを教えてるから」
「悪かったね。ありがと」
「まぁ、姉ちゃんがネを上げて帰って来てもいいようにしてるさ」
「心配無用よ」
「彼が有名人だし大丈夫ってトコか。で、姉ちゃん、外人と日本人って違ったか?」
「へ?」
「あっちだよ。あっちのほう」
「バ、バカッ!」
「なんだ。まだなのか。外人って手が早いって聞くから」
「あんたねぇ。いくら姉弟だからって、聞いて良い事と悪い事があるでしょ」
「姉ちゃんだって、俺がまだなのかって何度か聞いたじゃないか」
「そんなの忘れた」
「調子いいの」
車に荷物を乗せて、助手席に乗り込んだ。
「ごめん。飛行機の中で寝てられなかった。家に着いたら起こして」
「分かった」
眠りに落ちかけて、ふと思い出した。最近、エリックの態度がおかしい。私が変身してからだ。この私でいいってのは嬉しいけど、そんなに嫌だったのだろうか。
それに、何度も謝ってた。何でなんだろう。
(変身してシドと変な事してたって思われた?! 「夜は何してた?」って言ってたっけ)
エリックは嫉妬してたんだ。余計な心配掛けちゃってたな。
もう変身はしないよ。そう思いながら眠りに落ちた。
☆
家に着いて最初に食べたいと思ったのは、ご飯に生卵。ご飯に焼き海苔。豆腐の味噌汁。
おかずなんかはいらなかった。お茶を飲んで生き返る。なんて。
残りの日は本当の休みになる。だらけながら結婚式の余興の曲を練習し、街をうろついた。本屋に入って近くで何か公演してないかと調べてたら眼に止まる。
「アーチャーさんが来てるんだ。そう言えば花崎さんがそんな事を」
半分眠くて聞き流していた。「アイーダ」での競演を聞かれた時に耳にしたんだ。今日の演目は「カルメン」だ。
「主役がソフィなんだ。アーチャーさんはソフィと腐れ縁なんだな。えっと、場所、場所。チケットは。あ」
雑誌を買いましょう。お店の人が
代金を支払って店の外で見てた頁を開いて電話を掛ける。
当日券が残っているか確かめる。時間を確認して、直ぐに向かう事にする。
「う。当日券がS席だ」
手持ちが足りない。明日のご祝儀も日本円じゃないと。急いで銀行に走る。ATMを探して引き出した。
「あぁ。日本のお札だ」
福沢さんが笑いかけて出てきたのが嬉しい。それを財布にしまいこむ。その動作は
「そうだ。ご祝儀は新札にしないと」
慌てて案内の人に相談して無事新札に交換だ。
交換して貰ったらお札が違う。でも壱万円ってなっている。
「すみません。これ使えるんですか?」
「紙幣のデザインが変わったんですよ。大丈夫。使えますよ」
「あ。そっか。居ない間に変わってたのか。じゃ、これ、5千円と千円に交換出来ますか?」
「出来ますよ」
渋沢さんに津田さんと北里さん、お初にお目にかかります。
征司に見せよう。きっと驚くだろう。
チケットを買いに窓口に戻る。係員が、さっき逃げていった人が戻ってきたと言う感じで私を見た。
「当日券を1枚」
渋沢さん二人が、細かくなって返ってくる。野口さんも樋口さんも久々ね。
チケットを手に入れてから花屋に向かう。
大きな花束を作って貰い。メッセージをつける。
フランク・アーチャー様
お元気でしたか?
日本で公演されてるのを知り、
今日の公演を楽しみにしてます。
日本での成功をお祈りしてます。
祥子・苅谷
チケットを見せてホールに入り、花束を渡して貰う様に頼んでから、パンフレットを買う。
指定の席におちついてパンフレットを
「今日は観客」
そう自分に言い聞かせる。観客としてオペラを観るのは今日が初めてだ。
客席が埋まっていく。華々しく幕が上がる。
舞台でお話が展開されていく。音が声についてくる。
(この音の創り方に手間取ったんだ)
私ったら、皆を巻き込んで教わったんだ。手の掛かる奏者だった。
今だから分かる。声を載せる音。声に合わせた音だ。
「カルメン」はジプシーの女。婚約者のいる男ドン・ホセを誘惑しておきながら、闘牛士に心移りして捨ててしまう。カルメンを忘れられないドン・ホセがカルメンを刺し殺してしまう。自業自得と言えばそうなんだが、情熱的に愛を語るカルメンを憎めない気がする。
カルメン役のソフィの声に感動させられながら(カルメンの声設定はメゾソプラノだが、ソフィが見事にこなしていたので)別の声が耳に入って注目する。
声の主はドン・ホセの婚約者ミカエラ役の女性。透き通ったソプラノが響き渡ってる。
2幕目ミカエラのアリアを聞いて、私はどこかで耳にしたような気がした。
オペラ歌手の歌声を聴きなれてないから、そんな気がしたんだろう。ミカエラ役の女性は初めて見る人だ。それよりもこの女性、左利きなのかもしれない。左手の動きが大きい。
それよりもカルメンがドン・ホセを捨てて、闘牛士のエスカミーリョに走るんだが、そのエスカリミーリョ役にアーチャーさんとは。アーチャーさん本人は50歳を超えている。化粧して若々しく見えてるけど。
これが実生活だったら問題あるな。笑ってしまった。
アーチャーさんの声が響き渡る。人の声がここまで響くのは驚きだ。
カーテンコールでソフィとアーチャーさんの声を客席で聴くのは感動ものだった。この声を独り占めしているようだ。
☆
幕が下りて、場内が明るくなる。出口に殺到してるから少し座席で時間を潰す。パンフレットを捲る。ミカエラ役の女性。
「ルナ・アーチャー?」
突然、会場内がざわめいた。顔を上げたら、幕の横から男性が衣装のまま客席に降りてきた。あの衣装って…アーチャーさんだ!
私は周りに視線を飛ばす。外国人は? 有名人は? 政治家は? 居ない。…と、すると。
(私目掛けて来てる?!)
座席の下に隠れたい。
アーチャーさんは、愛想を振りまきながらも向かってくる。時折、携帯を向けられ、嫌そうに手で制止しながら、足を止めないで向かってくる。
その場に居た人達の視線が、アーチャーさんの向かう先に居る私に止まったのを感じた。
さりげなく座席に深く座る。
(逃、逃げたい)
アーチャーさんの表情が見える位置になる。周囲の
「祥子。ここで君に会えるとは思わなかった」
「アーチャーさん。お久しぶりです。でも、ちょっと、この状態では」
とても困るんです。それこそ不倫報道されちゃいます。日本でのゴシップは困る。
私が困ってるのに気づいて、アーチャーさんが周りを見て気づく。
「おっと。嬉しくてうっかりしてしまいました。こんな所で噂の元を作っちゃ、妻に怒られちゃいます。えっと、どうしようかな」
額を指で叩きながら考え込んでるアーチャーさんもジェントルマンです。と、
指の動きを止めたアーチャーさんが笑って、周りの人達に向かう。アーチャーさんの口から日本語が飛び出す。
「オサワガセシマシタ。カノジョヲツレテクルヨウニ、ムスメニイワレマシタ」
「娘さん?」
私がアーチャーさんに声を掛けたら、アーチャーさんが笑う。
「そうですよ。私の娘も競演してます。付いて来て」
「はい」
アーチャーさんの後ろを付いて行く。
「アーチャーさんは日本語出来るんですね」
「少しだけね」
「娘さんって、ミカエラ役の?」
「そう。ルナです」
一緒に幕の横から滑り込んで楽屋に向かう。
「後で上手く言っておきますから」
「そうして下さい。日本でゴシップは困ります」
「すみません。あ、それと、花束ありがとう」
「届きました?」
「はい。メッセージ読んで祥子を探してました。残ってくれてたから、ついこのままで行ってしまいました」
そう言って立ち止まり、両腕を少し上げて衣装を見せる。笑ってしまった。
「そういう時は誰かに頼んで下さい」
「そうですね。うっかりしてました」
アーチャーさんが自分の控え室の戸を開けて、私を入れてくれた。部屋の奥の椅子に女性が座ってる。私が入ってきたのに気づき、椅子から立ち上がる。私と同じ位の女性だ。
アーチャーさんが女性の横に立つ。
「娘のルナです。彼女がフルートを吹かせれば一番の祥子だよ」
「アーチャーさん、大袈裟すぎます。祥子・苅谷です。初めまして」
「ルナ・アーチャーです。初めまして。父が驚かせたんじゃないですか?」
静かな声で挨拶された。この声があの会場一杯に響いてたなんて思えない位、静かな声だった。
「注目浴びちゃいました。どう記事に書かれるか怖いですよ」
「あら。ごめんなさいね。私が会いたいって言ったからなんですよ」
そう言って、ルナが手を差し出した。左手だ。左手。
私が
「ごめんなさい。私、右手が義手なのよ。だからこちらで」
ルナが右手の手袋を少しずらす。そこから除いたのは皮膚じゃ無かった。
「あ。こちらこそ、ごめんなさい」
「いいのよ。左手で何でも出来るから」
ゆっくり左手を合わせた。ルナが手袋をきっちりはめ直す。
「どうぞ、座って」
「はい」
私が座り、ルナも座る。アーチャーさんがルナの隣に座って話し出す。
「まさか、ここで祥子に会えるとは思わなかった。って、さっきも言いましたっけ」
「はい」
「祥子の母国だけど、花束貰ってまさかと思いました。どうして日本に?」
「今、休暇中なんです。用事があって戻ってきたんですよ」
「なら、ラッキーな偶然だったんだ」
「ホントね。お父様」
ルナと笑ってるアーチャーさんは嬉しそうに見える。ルナがアーチャーさんに頷いて、アーチャーさんが私に向かう。
「祥子、ここに来て貰った訳は、君にお願いがあるからなんだ」
「お願いですか?」
「そう」
アーチャーさんがルナに視線を動かして、二人で頷いた。
「11月から1ヶ月、イギリスに来て欲しい」
「イギリスですか?」
「そう。私達、イギリス国内を回って歌うんだ。それに付いて来て欲しい」
「何故、私を?」
「祥子のフルートの音が気に入ったから。私の声や情景を見事に合わせてくる奏者は他に居なかった」
ルナが頷いた。
「えぇ。私もあなたの音を聞いたわ。「アイーダ」でね。そして、父との最後の曲も。とてもいい音だった。私もあなたの音に合わせてみたいと思ったの」
「ありがとうございます。ですが、フルートよりもバイオリンやチェロのほうがいいのではないですか? ピアノならもっといいと思いますが」
アーチャーさんが指を立てて振った。
「私達はずっと探してきてたんだよ。「アイーダ」の出演が来た時、祥子の噂を聞いてわくわくしてた。どんな音を出す子なんだろうってね。想像以上だった。だけど、君は声を載せる音が出せなかった。私がコツを教えてあげたね」
「はい。あの時はお世話になりました」
「声を載せる音が出来なければ、この話は無かったんだよ。祥子、君はどういう手を使ったかは知らないが、完璧にオペラの音を自分のものにしてきたんだ。それを耳にして、私の念願だった親子で歌う事が出来ると思ったんだ」
「私もそう思ったわ。あなたの技術そのものと、あなたとなら上手くいくわ」
アーチャーさんとルナの視線が私に留まる。
絶賛されているのに、恥ずかしい。
「ありがとうございます。私としても嬉しいのですが、スケジュールは楽団を通さないとならないので、シドのほうにお願いしたいのですが」
カツンと、ルナの義手が椅子に当たった音が響いた。アーチャーさんが気づいてルナを見た。ルナが私を見て口を開く。
「駄目なの?」
「いえ。私のスケジュールが空いているか、動かせればなんとかなります。1ヶ月だからどうなるか分からないので」
「そうか。なら、早速、楽団のほうに」
「お父様、今、書いちゃいましょう」
私の目の前でサラサラと書かれ、封をされて、私の手に渡る。
「祥子、これを彼に手渡してくれ」
「え? はい」
私が郵便配達員になるとは思わなかった。確実に届くけど。
二人と別れてから、エリックの言葉を思い出した。
「アーチャーさんは他にまだ企んでるかもしれないよ」
この事なのかな。でも、前に「イギリスに招待しますよ」と言われていた。
☆
深夜になって、この事をエリックに話した。電話ごしのエリックの声はいつもの声だ。私の話に耳を傾けてくれている。口数が少ないのは、離れているからかもしれない。
「しまった。アーチャーさんに年齢を忘れる出来だったって言うの忘れてた」
「そんなに若々しかったんだ」
「だって闘牛士の若者役よ。30代って言えば頷けちゃう位」
エリックの笑い声が聞えてきた。電話口でもエリックの笑い声は好き。
「エリック、好きよ」
「…祥子…ありがとう」
私は時折こう言葉に出して確認してしまう癖がある。後で反省する事になる。
これがエリックの重荷にならないといいんだけど。
☆
結婚式に出席するなんて久々だ。
皮肉な事に元彼の…いやいや、友達の結婚式だ。
ご祝儀を渡して、受付に名前を書く。名前が上手く書けない。特に筆ペンってヤツはプルプルと。
名前を記入したら受付の人達が「あの人もしかして」とか
日本を飛び出して女の品質を落とした日本の恥とか。まさか、同姓同名で大変ね。なんて言われたのか? 一人漫才を心の中で開催して、苦笑いだ。
そそくさと待合室のほうに移動する。
部屋の中を見て、元同僚の結婚式なのを思い出した。元上司や元後輩が眼に入った。
私は入り口が注目されてないのを確認してから、見知らぬ学生時代の友人グループの近くに歩いていき、隠れる様に椅子に座った。こっそりと座席表を開く。
「友人のテーブルにつかせて欲しかった」
友人の肩書きがついていたけれど、仕事関係のテーブルに名前がある。
会社を辞める宣言をした時に上司に言われた言葉を思い出した。
「へぇ。苅谷さんはフルートで食っていくんだ。簡単でいいねぇ。一回で大金が入ってくるんだって?」
仕事を優先にしていたけど、公演依頼が入って来るようになったから、会社を辞めたんだ。同期や後輩は応援してくれてたけど、仕事のシワ寄せがきたはずだから、良くは思って無かっただろう。
(欠席しとけば良かった)
元仕事関係の事なんか頭に無かった。よくよく考えてみりゃ思い出したんだろうけど、新郎が元彼で、三股掛けられてたと分かったほうが大きかった。
部屋の入り口に化粧の濃い女性が現れて、ぐるりと部屋を見回してから私に向かってくる。
「苅谷さんですか?」
「はい」
「今日の余興の事で。来ていただけますか?」
「はい」
披露宴会場に案内されて、演奏する場所とか、マイクは必要かとか。
「今日のご新婦様は羨ましいですわ。苅谷さんの生演奏を贈って貰えるなんて」
「友人なので」
結婚式に招待されて楽しくないのも変だな。お金を払って仕事に来てるみたい。
待合室に戻ると声が掛かる。
「祥子。来てたんだったら声掛けてよ」
「あ、ごめんね。会社辞めてたから」
「そんなの気にしないでよ。こんな時じゃないと会えないんだもの。祥子に会うの楽しみにしてたのよ」
「でも、ほら」
私が上司に視線を投げると言われた。
「祥子が有名になってからは、シュンとしてるわよ」
「そう」
「でも、凄いね。今ウィーンだって?」
「うん」
「私も祥子が音楽なんてって思っちゃったけど、今の祥子見れば良かったんだって分かるよ」
「ありがと。でも、私が辞めて直ぐなんて仕事大変だったでしょ。ごめんね」
「いいのいいの。もう昔の事よ。皆のトコおいでよ」
「うん」
そのまま会社の面々の中に連れ込まれて気づく。
私が成功してなかったら、こんな待遇は無かったんだな。そもそも、ここに呼ばれて無かったと思う。
皆に挨拶をして、嫌でもあの時の上司にも挨拶する。
「ご無沙汰してます。あの時はご迷惑をおかけしました」
「どんな調子かい? 音楽だけでも成功してるそうじゃないか」
嫌味は残されてる。
「はい。もう充分ですよ」
「休む暇もないそうじゃないか」
「その分報酬頂いてますから。1曲吹いて100万なんて時もありますから」
「え」
眼が点になってる。でも、これは本当。どこぞの富豪の御爺さんが、妻の誕生日に吹いてくれと私に依頼を掛けてきた。日時指定で無理だったから断ったら、いくらでもお金を出すからとなった。私が小切手に書いていいと言われたら数字を端迄書いてたと思う。シドが妥当な金額で渋々受けた依頼だった。御爺さんにシドが負けた意外な仕事だった。その時は何とか時間に駆け込んで演奏できたのだが、いたく感激されて私の手に分厚い封筒を押しつけてきた。断ったら、更に封筒が出てきたから最初の封筒だけ頂いて帰った。封筒の中身を見てシドと頭を抱える事になったが、「チップと言うことで」と私に渡されたんだ。
「そんな時は一瞬のミスが命取りなんですよ。翌日の新聞に載っちゃいますから」
「そ、そう」
披露宴会場に促されてさっさと上司から離れた。席に着いて、上司が隣のテーブルだからホッとした。食事中も嫌味を言われてたら美味しい料理が不味くなる。
高砂の新郎の位置に座ってる、
キャンドルサービスで火をつけにきた潤は、私を見つけて笑いかけてきた。
(こいつはどれだけ私を悲しませたか想像つかないのか)
係の人が呼びに来たから移動する。フルートを組み立てる。今日は金属を使う。司会者が私を紹介する。
新婦側の仕事関係以外の人達が驚いてる。私は顔で有名なわけじゃないから、名前とフルートで確認される。日本だとそれが当たり前。
簡単にお祝いの言葉を贈り、吹いていく。変な緊張感があった。情景はいらないと思っていたのに、吹いててシドの大部屋を思い出した。二人が踊って、嬉しそうに楽しそうに、お互いの事だけを見つめて踊る。くるくる、クルクル。時間がこのまま続けばいい。
(…エリック)
エリックに抱き締められたのは、つい先日。力一杯抱き締められていた。苦しかったけど、そのままで居たかった。何も喋らなかったけれど、エリックの息継ぎと鼓動が聞えてきて…時間がこのまま続けばいい。そう思っていた。
フルートを離す時、何故だか感動していた。大急ぎでお辞儀をした。拍手が降りかかるのを感じながら、フルートをしまう口実で披露宴会場を抜け出す。
(何で? 凄くドキドキする)
席に戻ると皆に言われる。
「祥子の音、初めて聞いたけど凄いのね。上手なんて言葉じゃないのよ。プロの音ね」
「当たり前だろ。CDだって出てるんだ」
「ウィーンで活躍してるんだから」
「聞いてたら映画見たくなっちゃった」
「私も。帰ったら見なくちゃ」
「ありがとう」
これで報酬貰ってるのよ。吹けなくなったら失業よ。
☆
披露宴が終わり、見送られながら会場を後にする。
「祥子、わざわざウィーンからありがとう」
「お幸せにね」
「余興のお礼よ」と渡された手提げの中にカードが入ってた。
祥子 ごめんな
潤の文字だ。破って近くのゴミ箱に捨てた。
☆
皆が写真だ、二次会だ騒いでるのを遠くに見て、さっさと帰る事にした。
引き出物を持ってフルートケースを持って。
「苅谷さん」
「はい?」
振り向くと男性が一人。
「二次会に出ないんですか?」
「はい」
即答したら、男性が笑った。
「あの。私…いや、俺に見覚えありませんか?」
「え?」
そう言われても。
「ごめんなさい。どこかで会ったのかしら?」
「
「あ、あら」
昔を思い出す。あの時って、潤の他に二人。一人は眼鏡かけて悪ぶれた感じでパスして、もう一人はうるさくてパスしたんだ。
(どっちだ?)
ジッと男性を見る。眼鏡掛けてる。でも、あの悪ぶれたイメージは無い。けど、眼鏡。
私が考え込んでしまったのを見て、男性が笑う。
「前は眼鏡掛けてなかったな。
眼鏡を上げられても覚えてません。でも、うるさいほうの人だ。
「ごめんなさい。すっかり変わられてて、思い出せなかった」
「変わった?」
「はい」
潤以外は眼中になくて忘れてた、なんて言えません。でも、今の柴崎さんなら潤の上をいくと思った。潤に騙されるなら、あの時、柴崎さんを選んでいれば良かった。
(そしたらエリックと会って無いか)
「ちょっと話せるかな?」
「でも、柴崎さん、二次会は?」
「この後、仕事なんで。だから、今も飲めなかった」
「それは残念ですね。でも、時間は?」
「大丈夫。2時間はあるからどうしようかと思ってたとこ。そしたら苅谷さんが逃げ出そうとしてるのが眼に入ってね」
「あら。帰ろうとしてただけです」
「場所変えようか」
「ここでなら」
「あ、そうか。苅谷さんは有名人だった」
「有名人じゃないですよ。荷物があるから動きたくないだけなんです」
「なら、そこの庭園に出ようか」
「はい」
柴崎さんと庭園に置いてあるテーブルに向かう。
「コーヒーでいい?」
「はい」
コーヒーを二つ持って柴崎さんが戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「ここで苅谷さんに会えるとは思わなかったな。棚倉と、だったね」
「昔ね。知ってたんですか?」
「一緒に合コン行ってたら情報交換はしてる」
「あら、なら、同時に彼女とって事も知ってた?」
建物の中でまだ騒いでる潤達の姿に視線を飛ばす。柴崎さんが私の視線を追ってから答える。
「それは知らなかった。棚倉は上手くやってたみたいだな」
「えぇ。この結婚式に呼ばれて初めて三股されてたって分かりましたから」
「もう一人居た?」
「そうよ。私が潤と別れたのは別の女性が発覚したからだもの」
「そうか。なら、あの時動いてりゃ良かったんだ」
「 ? 」
「合コンの後、俺、苅谷さんに連絡取りたかったけど、棚倉が先に君をおとしたって聞いて諦めたんだ」
「あら」
私の男を見る眼は悪かったんだな。今は、研ぎ澄まされてる筈だけど。
「君が棚倉と別れたって聞いてチャンスと思ってたら、俺の仕事が忙しくなって連絡取れなかったんだ。そのうち、君はウィーンに行っちゃうし」
「その間、色々あったんですよ」
「俺だって色々あったけど、今はフリーだ」
私をジッと見る柴崎さんは男らしくて、頼れそうで。でも。
「私には大切な彼が向こうに居るんですよ」
「…タイミングが悪いのかな」
「ですね」
顔を見合わせて笑ってしまった。柴崎さんがフルートケースに眼を留めた。
「良いケースだね。イタリアの物だ」
「分かります?」
「俺、海外関係だから。見せて貰っていいかな?」
「どうぞ」
ケースを渡すと、柴崎さんが視線を走らせた。
「ミラノの工房だ。日本には入ってこない物だね。それも君の為の一品。彼からのプレゼントだ」
「そうよ」
「「君を一生かけても守ります」ってケースだ」
「あらら」
征司もそんな事言ってたな。プロポーズに贈られる物だって。
「この工房の物は仕掛けが出来るんだ。これもあるのかな?」
「あるわよ」
「見せて貰えるかい?」
「いいわよ」
ケースを開けて、内側の板をスライドさせて二段にする。柴崎さんが楽しそうにそれを隅々まで見ている。
「へぇ。凄い仕掛けだ」
「私も教えて貰って驚いたのよ」
「まだ仕掛けがある」
「どこに?」
「ここ。ここに小さいけど穴がある」
そう言って、柴崎さんが一段目の裏を私に確認させた。
丁度、フルートが入ってない部分の空間だ。
「穴がありますね」
「ここも仕掛けになっているはずだ。引っ張ってみて」
「はい」
裏底に指を滑らせて穴に引っ掛けて引っ張ると、底板が外れ、カタンと小さい箱が転がり出てきた。
「あ…」
箱から予想がついた。ゆっくり蓋を開ける。指輪が入っている。ダイヤの付いたシンプルな指輪。ウィーンの店の物だ。
「凄いプレゼントだ。エンゲージリングを贈ってきてる」
「…(エリックったら)」
「こりゃ、俺に勝ち目は無さそうだな。苅谷さん、良かったな」
「えぇ。あ、ごめんなさい」
「いいさ。タイミングを掴めなかった俺が悪い」
指輪のケースを元の場所に戻した。
「一曲贈りましょうか。柴崎さんに」
「いいのかい? 俺なんかに」
「指輪を見つけてくれたお礼と、柴崎さんに応えられなかったお詫びです。何かリクエストあれば」
「なら、そうだな。ショパンの「別れの曲」。って、この場所じゃ縁起悪いから駄目か」
「大丈夫。吹けますよ。「別れの曲」って題名ですけど、そこから始めるって曲でもありますから」
今日は吹かないと思っていた硝子のフルートを組み立てていく。
「苅谷さんがフルート吹くなんて想像出来なかった」
「潤を忘れたくて高校の時のフルートを引っ張り出したんです」
さっきまで賑やかだったガラスの向こうは、次の披露宴が始まったのか人が居なくなっている。
「棚倉が君の人生を変えたのか」
「そうですね。辛かったけど、今思えば、私の人生の転機だったんですね」
「それで成功したんだ」
「毎日が崖っぷちですけどね。ちょっとだけ時間貰いますね」
「どうぞ」
譜面がないから、頭の中で思い出す。曲は知ってるから大丈夫。イメージを「別れ」にしちゃうと営業妨害で怒られそうだから気をつけなくちゃ。
ブレスレットを外して軽く音を出す。マニキュアは無視しなきゃ。
「じゃ、柴崎さんに」
♪~♪♪♪~♪♪♪♪~
吹き終わったら柴崎さんが拍手をくれた。
「君がウィーンに呼ばれたのが分かった気がする。日本なんかじゃ君の音を世界に押し出せない」
「ありがとうございます」
「音楽に素人の俺にだって、君の音が伝えてくるのが分かった」
柴崎さんが顔を伏せた。
「どうしました?」
「悔しいと思った。棚倉に…君が傷つけられて」
「柴崎さん。ありがとうございます。私も見る目が無かったんですよ。いい経験でした。でも、今、幸せですから」
「そうか。君が幸せなら、俺にも良い事あるかもしれないな」
「そうですよ」
「ありがとう」
そう言って柴崎さんが手を差し出す。
「苅谷さんはウィーンで頑張れ。彼と幸せにな」
「柴崎さんも、お元気で」
柴崎さんの手に合わせた。
☆
家でもう一度、指輪を取り出した。
エリックはこれを私に見つけて欲しかったのか。それとも、ケースの時のように私を驚かす為に仕込んだのか。
キラリと光ったダイヤを見て指にはめる。左手の薬指。
外して眺めていたら内側に私の名前が刻印されているのに気づく。
間違いなくエリックが私に宛てて用意した物だ。イタリア公演に行く前に作って、ケースに仕込んだ事になる。
「エリックったら気が早いんだから。エンゲージリングはプロポーズする時に買う…ぁ」
私を結婚相手として…みてくれてたんだ。まだ付き合って一緒の時間が少ないから、ケースの中で眠らせてたのかもしれない。私が見つけたら、そのつもりで付き合ってるんだ、って伝えてくれるのだろう。
「その前に愛想つけられたら、こっそり回収されたりして」
結構役に立つかもしれない。暫く知らない振りしていよう。
もう一度、薬指にはめてクルクル回してから、ケースに戻した。
- #44 F I N -
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