#44 休暇 <祥子視点>

文字数 12,962文字

まだ半年も経ってないのに、久々の日本って感じる。

「姉ちゃん、早速ヘマやって送り返されたのか?」

迎えに来てくれた弟の一言目だ。

「友達の結婚式に出るって聞いてないの?」
「知らん。今日帰って来るからって言われて、休みだった俺が迎えに来ただけ」
「休みなのに悪かったね。あ、荷物持って」
「相変わらず人使い荒いなぁ」
「お土産あるよ」

ブツブツ言ってる弟を引き連れて歩いてる私は、ホッとしている。
周り中、私と同じ日本人ってのは嬉しい。日本の残暑は辛いけど。
と、浸ってちゃいけなかった。戻って直ぐの仕事が待ってる。紙を出して目的の場所に向かう。空港内の一部屋が書かれている。

「姉ちゃん、どこ行くんだよ」
「ついてきて。仕事なのよ」
「仕事? 俺、邪魔じゃないのか?」
「大丈夫よ。よっぽどじゃないと入れない部屋よ」

指示された部屋に入る。
雑誌記者の花崎(はなさき)さんが立ち上がって迎えてくれる。

「苅谷さん、お帰りなさい。今日は宜しくお願いします」
「お久しぶりです。お世話になります」
「そちらの方は?」
「弟です。迎えに来てくれたんです」
「そうでしたか。じゃ、弟さんはそちらでお待ちください」

花崎さんが部屋の隅のテーブルに弟の席を作ってくれてお茶とお菓子を出してくれた。
この待遇に弟が面食(めんく)らって私を見るから頷いて(うなが)した。

「お姉さんはお家ではどんな感じなのかな?」
「姉ちゃんは弟使いの荒い姉ですよ。姉って権力を使い放題ですから」
「こらっ! 何て事言うんだ!」

私の一喝で弟は肩をすくめて笑った。花崎さんも笑ってる。

「仲のいい姉弟なんですね」
「仲がいいのはこんな時だけですよ。顔作る位、外面(そとづら)はいいから」
「変な事を言うんじゃない!」

おっと。口紅がはみ出ちゃった。顔を直してる最中に怒るのは厳禁だ。弟が余計な事を話し出す前に終わらせなきゃ。花崎さんがメモとってないのを確認してるけど、変な事書かれたら恥ずかしい。

「お姉さんがウィーンに行かれてどうかしら。寂しくなった?」
「家が静かになりましたね。やっぱ、家族の一人が居ないとね。でも、雑誌やネットで姉ちゃんの活躍を知ると皆で喜んでますよ」
「え? ちょ、ちょっと。ネットって。どこまで知ってんのよ!」

私の慌て顔を見てニヤリと笑われた。

「噂になってる彼氏の事とかさ」
「あんた、それ…お母さんも」
「そりゃ。日本語で書かれてたら読んじゃうな」
「あぁぁぁぁ」

筒抜けでしたか。
オーストリアとの距離は関係ないのね。…当たり前か。
花崎さんが笑って私に向かう。

「そこまでご家族が知ってるのなら、深い処迄聞いてもいいってことですね。遠慮はしませんよ」
「手加減して下さい」
「さて始めましょうか」

フラッシュがたかれ、写真が撮られる。花崎さんがICレコーダーのスイッチを入れ、ノートを開く。質問が次々と投げられ、それに答えていく。

「楽団のコンサートマスターである、北見征司さんとは高校が一緒でしたね」
「はい。ウィーンで会う迄、忘れてたって位、私は酷い後輩になってました。でも、おあいこでした。北見さんも私の事に気づくのに時間掛かってましたから」
「一緒に活動されてどうですか?」
「高校の時とは違いますね。北見さんはコンマスの責任もありますし、技術も全てにおいて、私はまだ追いつけません。まだ後輩のまま、追いかけているのが現状です」
「同じ楽団に居る、エリック・ランガーさんは世界的に有名なチェロ奏者ですね」
「さすがに世界のトップに入ると思いました。私が辿り着いてない音の世界感を持っています。尊敬しています」
「ランガーさんとのプライベートのほうは?」
「恋人としても、楽団の先輩としても支えて貰っています」
「ゆくゆくは結婚まで考えてるお付き合いなんでしょうか?」
「まだ日が浅いですから。これからの話ですね」

エリックと結婚? そうなって欲しいけど、今はデートを沢山したい。エリックの普段の姿を見たい。そして、甘えたい。エリックの事を思い出して、少し引っかかる事があった。だけど、今は考え込む時間じゃない。

どんどん質問が投げかけられ答えていく。話している間にもフラッシュがたかれた。最後にフルートを吹いている姿を、と言われて一曲吹く。硝子のフルートを出して、そのCMに吹いた曲を吹いた。これは、このフルートを贈ってくれた企業への宣伝も兼ねてになる。なんたって、最近の雑誌インタビューって、ネット上でこんな感じでした、って動画が載ってしまう位だ。色々と大変だ。

花崎さんから開放されて、弟と一緒に部屋を出た。

「姉ちゃん凄いな。芸能人みたいだ」
「それは間違いだな。日本だと特技を持った人扱いね」
「でも、雑誌に載るじゃないか。今のなんか特集記事だろ」
「趣味の雑誌にね。ウィーンだと結構うるさいから困るけど、日本はまだラクよ」
「姉ちゃんが美人だったらひっぱりだこなんだろなぁ」
「悪かったね」
「でも、姉ちゃん、向こうで彼氏作ったなんて早いな」
「色々あったのよ」
「そうだな。結構叩かれてたな」
「知ってんの?」
「姉ちゃんが行ってから直ぐに情報をゲットしてた。やっぱ心配だろ」
「そう」
「母さん達には演奏会と彼の事だけを教えてるから」
「悪かったね。ありがと」
「まぁ、姉ちゃんがネを上げて帰って来てもいいようにしてるさ」
「心配無用よ」
「彼が有名人だし大丈夫ってトコか。で、姉ちゃん、外人と日本人って違ったか?」
「へ?」
「あっちだよ。あっちのほう」
「バ、バカッ!」
「なんだ。まだなのか。外人って手が早いって聞くから」
「あんたねぇ。いくら姉弟だからって、聞いて良い事と悪い事があるでしょ」
「姉ちゃんだって、俺がまだなのかって何度か聞いたじゃないか」
「そんなの忘れた」
「調子いいの」

車に荷物を乗せて、助手席に乗り込んだ。

「ごめん。飛行機の中で寝てられなかった。家に着いたら起こして」
「分かった」

眠りに落ちかけて、ふと思い出した。最近、エリックの態度がおかしい。私が変身してからだ。この私でいいってのは嬉しいけど、そんなに嫌だったのだろうか。
それに、何度も謝ってた。何でなんだろう。

(変身してシドと変な事してたって思われた?! 「夜は何してた?」って言ってたっけ)

エリックは嫉妬してたんだ。余計な心配掛けちゃってたな。
もう変身はしないよ。そう思いながら眠りに落ちた。



家に着いて最初に食べたいと思ったのは、ご飯に生卵。ご飯に焼き海苔。豆腐の味噌汁。
おかずなんかはいらなかった。お茶を飲んで生き返る。なんて。

残りの日は本当の休みになる。だらけながら結婚式の余興の曲を練習し、街をうろついた。本屋に入って近くで何か公演してないかと調べてたら眼に止まる。

「アーチャーさんが来てるんだ。そう言えば花崎さんがそんな事を」

半分眠くて聞き流していた。「アイーダ」での競演を聞かれた時に耳にしたんだ。今日の演目は「カルメン」だ。

「主役がソフィなんだ。アーチャーさんはソフィと腐れ縁なんだな。えっと、場所、場所。チケットは。あ」

雑誌を買いましょう。お店の人が(いぶか)しげに私を見ていた。
代金を支払って店の外で見てた頁を開いて電話を掛ける。
当日券が残っているか確かめる。時間を確認して、直ぐに向かう事にする。

「う。当日券がS席だ」

手持ちが足りない。明日のご祝儀も日本円じゃないと。急いで銀行に走る。ATMを探して引き出した。

「あぁ。日本のお札だ」

福沢さんが笑いかけて出てきたのが嬉しい。それを財布にしまいこむ。その動作は迅速(じんそく)に。ウィーンで(つちか)ってきた早業(はやわざ)だ。日本と言えども今は同じ。気を許しちゃいけない。

「そうだ。ご祝儀は新札にしないと」

慌てて案内の人に相談して無事新札に交換だ。
交換して貰ったらお札が違う。でも壱万円ってなっている。

「すみません。これ使えるんですか?」
「紙幣のデザインが変わったんですよ。大丈夫。使えますよ」
「あ。そっか。居ない間に変わってたのか。じゃ、これ、5千円と千円に交換出来ますか?」
「出来ますよ」

渋沢さんに津田さんと北里さん、お初にお目にかかります。
征司に見せよう。きっと驚くだろう。

チケットを買いに窓口に戻る。係員が、さっき逃げていった人が戻ってきたと言う感じで私を見た。

「当日券を1枚」

渋沢さん二人が、細かくなって返ってくる。野口さんも樋口さんも久々ね。
チケットを手に入れてから花屋に向かう。
大きな花束を作って貰い。メッセージをつける。

  フランク・アーチャー様
  お元気でしたか?
  日本で公演されてるのを知り、()に来ました。
  今日の公演を楽しみにしてます。
  日本での成功をお祈りしてます。
             祥子・苅谷

チケットを見せてホールに入り、花束を渡して貰う様に頼んでから、パンフレットを買う。
指定の席におちついてパンフレットを(めく)っていく。

「今日は観客」

そう自分に言い聞かせる。観客としてオペラを観るのは今日が初めてだ。
客席が埋まっていく。華々しく幕が上がる。

舞台でお話が展開されていく。音が声についてくる。

(この音の創り方に手間取ったんだ)

私ったら、皆を巻き込んで教わったんだ。手の掛かる奏者だった。
今だから分かる。声を載せる音。声に合わせた音だ。

「カルメン」はジプシーの女。婚約者のいる男ドン・ホセを誘惑しておきながら、闘牛士に心移りして捨ててしまう。カルメンを忘れられないドン・ホセがカルメンを刺し殺してしまう。自業自得と言えばそうなんだが、情熱的に愛を語るカルメンを憎めない気がする。

カルメン役のソフィの声に感動させられながら(カルメンの声設定はメゾソプラノだが、ソフィが見事にこなしていたので)別の声が耳に入って注目する。

声の主はドン・ホセの婚約者ミカエラ役の女性。透き通ったソプラノが響き渡ってる。
2幕目ミカエラのアリアを聞いて、私はどこかで耳にしたような気がした。

オペラ歌手の歌声を聴きなれてないから、そんな気がしたんだろう。ミカエラ役の女性は初めて見る人だ。それよりもこの女性、左利きなのかもしれない。左手の動きが大きい。

それよりもカルメンがドン・ホセを捨てて、闘牛士のエスカミーリョに走るんだが、そのエスカリミーリョ役にアーチャーさんとは。アーチャーさん本人は50歳を超えている。化粧して若々しく見えてるけど。
これが実生活だったら問題あるな。笑ってしまった。

アーチャーさんの声が響き渡る。人の声がここまで響くのは驚きだ。

カーテンコールでソフィとアーチャーさんの声を客席で聴くのは感動ものだった。この声を独り占めしているようだ。



幕が下りて、場内が明るくなる。出口に殺到してるから少し座席で時間を潰す。パンフレットを捲る。ミカエラ役の女性。

「ルナ・アーチャー?」

突然、会場内がざわめいた。顔を上げたら、幕の横から男性が衣装のまま客席に降りてきた。あの衣装って…アーチャーさんだ!

私は周りに視線を飛ばす。外国人は? 有名人は? 政治家は? 居ない。…と、すると。

(私目掛けて来てる?!)

座席の下に隠れたい。
アーチャーさんは、愛想を振りまきながらも向かってくる。時折、携帯を向けられ、嫌そうに手で制止しながら、足を止めないで向かってくる。
その場に居た人達の視線が、アーチャーさんの向かう先に居る私に止まったのを感じた。
さりげなく座席に深く座る。

(逃、逃げたい)

アーチャーさんの表情が見える位置になる。周囲の好奇(こうき)の眼は気にならないようで、私の前で立ち止まり、手を差し出す。仕方なく立ち上がって、握手になる。

「祥子。ここで君に会えるとは思わなかった」
「アーチャーさん。お久しぶりです。でも、ちょっと、この状態では」

とても困るんです。それこそ不倫報道されちゃいます。日本でのゴシップは困る。
私が困ってるのに気づいて、アーチャーさんが周りを見て気づく。

「おっと。嬉しくてうっかりしてしまいました。こんな所で噂の元を作っちゃ、妻に怒られちゃいます。えっと、どうしようかな」

額を指で叩きながら考え込んでるアーチャーさんもジェントルマンです。と、見惚(みと)れてちゃいけない。
指の動きを止めたアーチャーさんが笑って、周りの人達に向かう。アーチャーさんの口から日本語が飛び出す。

「オサワガセシマシタ。カノジョヲツレテクルヨウニ、ムスメニイワレマシタ」
「娘さん?」

私がアーチャーさんに声を掛けたら、アーチャーさんが笑う。

「そうですよ。私の娘も競演してます。付いて来て」
「はい」

アーチャーさんの後ろを付いて行く。

「アーチャーさんは日本語出来るんですね」
「少しだけね」
「娘さんって、ミカエラ役の?」
「そう。ルナです」

一緒に幕の横から滑り込んで楽屋に向かう。

「後で上手く言っておきますから」
「そうして下さい。日本でゴシップは困ります」
「すみません。あ、それと、花束ありがとう」
「届きました?」
「はい。メッセージ読んで祥子を探してました。残ってくれてたから、ついこのままで行ってしまいました」

そう言って立ち止まり、両腕を少し上げて衣装を見せる。笑ってしまった。

「そういう時は誰かに頼んで下さい」
「そうですね。うっかりしてました」

アーチャーさんが自分の控え室の戸を開けて、私を入れてくれた。部屋の奥の椅子に女性が座ってる。私が入ってきたのに気づき、椅子から立ち上がる。私と同じ位の女性だ。
アーチャーさんが女性の横に立つ。

「娘のルナです。彼女がフルートを吹かせれば一番の祥子だよ」
「アーチャーさん、大袈裟すぎます。祥子・苅谷です。初めまして」
「ルナ・アーチャーです。初めまして。父が驚かせたんじゃないですか?」

静かな声で挨拶された。この声があの会場一杯に響いてたなんて思えない位、静かな声だった。

「注目浴びちゃいました。どう記事に書かれるか怖いですよ」
「あら。ごめんなさいね。私が会いたいって言ったからなんですよ」

そう言って、ルナが手を差し出した。左手だ。左手。
私が躊躇(ちゅうちょ)したら、ルナが慌てて口を開く。

「ごめんなさい。私、右手が義手なのよ。だからこちらで」

ルナが右手の手袋を少しずらす。そこから除いたのは皮膚じゃ無かった。

「あ。こちらこそ、ごめんなさい」
「いいのよ。左手で何でも出来るから」

ゆっくり左手を合わせた。ルナが手袋をきっちりはめ直す。

「どうぞ、座って」
「はい」

私が座り、ルナも座る。アーチャーさんがルナの隣に座って話し出す。

「まさか、ここで祥子に会えるとは思わなかった。って、さっきも言いましたっけ」
「はい」
「祥子の母国だけど、花束貰ってまさかと思いました。どうして日本に?」
「今、休暇中なんです。用事があって戻ってきたんですよ」
「なら、ラッキーな偶然だったんだ」
「ホントね。お父様」

ルナと笑ってるアーチャーさんは嬉しそうに見える。ルナがアーチャーさんに頷いて、アーチャーさんが私に向かう。

「祥子、ここに来て貰った訳は、君にお願いがあるからなんだ」
「お願いですか?」
「そう」

アーチャーさんがルナに視線を動かして、二人で頷いた。

「11月から1ヶ月、イギリスに来て欲しい」
「イギリスですか?」
「そう。私達、イギリス国内を回って歌うんだ。それに付いて来て欲しい」
「何故、私を?」
「祥子のフルートの音が気に入ったから。私の声や情景を見事に合わせてくる奏者は他に居なかった」

ルナが頷いた。

「えぇ。私もあなたの音を聞いたわ。「アイーダ」でね。そして、父との最後の曲も。とてもいい音だった。私もあなたの音に合わせてみたいと思ったの」
「ありがとうございます。ですが、フルートよりもバイオリンやチェロのほうがいいのではないですか? ピアノならもっといいと思いますが」

アーチャーさんが指を立てて振った。

「私達はずっと探してきてたんだよ。「アイーダ」の出演が来た時、祥子の噂を聞いてわくわくしてた。どんな音を出す子なんだろうってね。想像以上だった。だけど、君は声を載せる音が出せなかった。私がコツを教えてあげたね」
「はい。あの時はお世話になりました」
「声を載せる音が出来なければ、この話は無かったんだよ。祥子、君はどういう手を使ったかは知らないが、完璧にオペラの音を自分のものにしてきたんだ。それを耳にして、私の念願だった親子で歌う事が出来ると思ったんだ」
「私もそう思ったわ。あなたの技術そのものと、あなたとなら上手くいくわ」

アーチャーさんとルナの視線が私に留まる。
絶賛されているのに、恥ずかしい。

「ありがとうございます。私としても嬉しいのですが、スケジュールは楽団を通さないとならないので、シドのほうにお願いしたいのですが」

カツンと、ルナの義手が椅子に当たった音が響いた。アーチャーさんが気づいてルナを見た。ルナが私を見て口を開く。

「駄目なの?」
「いえ。私のスケジュールが空いているか、動かせればなんとかなります。1ヶ月だからどうなるか分からないので」
「そうか。なら、早速、楽団のほうに」
「お父様、今、書いちゃいましょう」

私の目の前でサラサラと書かれ、封をされて、私の手に渡る。

「祥子、これを彼に手渡してくれ」
「え? はい」

私が郵便配達員になるとは思わなかった。確実に届くけど。
二人と別れてから、エリックの言葉を思い出した。

 「アーチャーさんは他にまだ企んでるかもしれないよ」

この事なのかな。でも、前に「イギリスに招待しますよ」と言われていた。



深夜になって、この事をエリックに話した。電話ごしのエリックの声はいつもの声だ。私の話に耳を傾けてくれている。口数が少ないのは、離れているからかもしれない。

「しまった。アーチャーさんに年齢を忘れる出来だったって言うの忘れてた」
「そんなに若々しかったんだ」
「だって闘牛士の若者役よ。30代って言えば頷けちゃう位」

エリックの笑い声が聞えてきた。電話口でもエリックの笑い声は好き。

「エリック、好きよ」
「…祥子…ありがとう」

私は時折こう言葉に出して確認してしまう癖がある。後で反省する事になる。
これがエリックの重荷にならないといいんだけど。



結婚式に出席するなんて久々だ。
皮肉な事に元彼の…いやいや、友達の結婚式だ。
ご祝儀を渡して、受付に名前を書く。名前が上手く書けない。特に筆ペンってヤツはプルプルと。
名前を記入したら受付の人達が「あの人もしかして」とか(ささや)いてるのが耳に入る。顔は知られてないけど、名前は知られているんだ。
日本を飛び出して女の品質を落とした日本の恥とか。まさか、同姓同名で大変ね。なんて言われたのか? 一人漫才を心の中で開催して、苦笑いだ。
そそくさと待合室のほうに移動する。

部屋の中を見て、元同僚の結婚式なのを思い出した。元上司や元後輩が眼に入った。
私は入り口が注目されてないのを確認してから、見知らぬ学生時代の友人グループの近くに歩いていき、隠れる様に椅子に座った。こっそりと座席表を開く。

「友人のテーブルにつかせて欲しかった」

友人の肩書きがついていたけれど、仕事関係のテーブルに名前がある。
会社を辞める宣言をした時に上司に言われた言葉を思い出した。

「へぇ。苅谷さんはフルートで食っていくんだ。簡単でいいねぇ。一回で大金が入ってくるんだって?」

仕事を優先にしていたけど、公演依頼が入って来るようになったから、会社を辞めたんだ。同期や後輩は応援してくれてたけど、仕事のシワ寄せがきたはずだから、良くは思って無かっただろう。

(欠席しとけば良かった)

元仕事関係の事なんか頭に無かった。よくよく考えてみりゃ思い出したんだろうけど、新郎が元彼で、三股掛けられてたと分かったほうが大きかった。

部屋の入り口に化粧の濃い女性が現れて、ぐるりと部屋を見回してから私に向かってくる。

「苅谷さんですか?」
「はい」
「今日の余興の事で。来ていただけますか?」
「はい」

披露宴会場に案内されて、演奏する場所とか、マイクは必要かとか。

「今日のご新婦様は羨ましいですわ。苅谷さんの生演奏を贈って貰えるなんて」
「友人なので」

結婚式に招待されて楽しくないのも変だな。お金を払って仕事に来てるみたい。
待合室に戻ると声が掛かる。

「祥子。来てたんだったら声掛けてよ」
「あ、ごめんね。会社辞めてたから」
「そんなの気にしないでよ。こんな時じゃないと会えないんだもの。祥子に会うの楽しみにしてたのよ」
「でも、ほら」

私が上司に視線を投げると言われた。

「祥子が有名になってからは、シュンとしてるわよ」
「そう」
「でも、凄いね。今ウィーンだって?」
「うん」
「私も祥子が音楽なんてって思っちゃったけど、今の祥子見れば良かったんだって分かるよ」
「ありがと。でも、私が辞めて直ぐなんて仕事大変だったでしょ。ごめんね」
「いいのいいの。もう昔の事よ。皆のトコおいでよ」
「うん」

そのまま会社の面々の中に連れ込まれて気づく。
私が成功してなかったら、こんな待遇は無かったんだな。そもそも、ここに呼ばれて無かったと思う。
皆に挨拶をして、嫌でもあの時の上司にも挨拶する。

「ご無沙汰してます。あの時はご迷惑をおかけしました」
「どんな調子かい? 音楽だけでも成功してるそうじゃないか」

嫌味は残されてる。

「はい。もう充分ですよ」
「休む暇もないそうじゃないか」
「その分報酬頂いてますから。1曲吹いて100万なんて時もありますから」
「え」

眼が点になってる。でも、これは本当。どこぞの富豪の御爺さんが、妻の誕生日に吹いてくれと私に依頼を掛けてきた。日時指定で無理だったから断ったら、いくらでもお金を出すからとなった。私が小切手に書いていいと言われたら数字を端迄書いてたと思う。シドが妥当な金額で渋々受けた依頼だった。御爺さんにシドが負けた意外な仕事だった。その時は何とか時間に駆け込んで演奏できたのだが、いたく感激されて私の手に分厚い封筒を押しつけてきた。断ったら、更に封筒が出てきたから最初の封筒だけ頂いて帰った。封筒の中身を見てシドと頭を抱える事になったが、「チップと言うことで」と私に渡されたんだ。

「そんな時は一瞬のミスが命取りなんですよ。翌日の新聞に載っちゃいますから」
「そ、そう」

披露宴会場に促されてさっさと上司から離れた。席に着いて、上司が隣のテーブルだからホッとした。食事中も嫌味を言われてたら美味しい料理が不味くなる。
高砂の新郎の位置に座ってる、(じゅん)の顔を見て少しだけ腹が立った。
キャンドルサービスで火をつけにきた潤は、私を見つけて笑いかけてきた。

(こいつはどれだけ私を悲しませたか想像つかないのか)

係の人が呼びに来たから移動する。フルートを組み立てる。今日は金属を使う。司会者が私を紹介する。
新婦側の仕事関係以外の人達が驚いてる。私は顔で有名なわけじゃないから、名前とフルートで確認される。日本だとそれが当たり前。

簡単にお祝いの言葉を贈り、吹いていく。変な緊張感があった。情景はいらないと思っていたのに、吹いててシドの大部屋を思い出した。二人が踊って、嬉しそうに楽しそうに、お互いの事だけを見つめて踊る。くるくる、クルクル。時間がこのまま続けばいい。

(…エリック)

エリックに抱き締められたのは、つい先日。力一杯抱き締められていた。苦しかったけど、そのままで居たかった。何も喋らなかったけれど、エリックの息継ぎと鼓動が聞えてきて…時間がこのまま続けばいい。そう思っていた。

フルートを離す時、何故だか感動していた。大急ぎでお辞儀をした。拍手が降りかかるのを感じながら、フルートをしまう口実で披露宴会場を抜け出す。

(何で? 凄くドキドキする)

席に戻ると皆に言われる。

「祥子の音、初めて聞いたけど凄いのね。上手なんて言葉じゃないのよ。プロの音ね」
「当たり前だろ。CDだって出てるんだ」
「ウィーンで活躍してるんだから」
「聞いてたら映画見たくなっちゃった」
「私も。帰ったら見なくちゃ」

「ありがとう」

これで報酬貰ってるのよ。吹けなくなったら失業よ。



披露宴が終わり、見送られながら会場を後にする。

「祥子、わざわざウィーンからありがとう」
「お幸せにね」

「余興のお礼よ」と渡された手提げの中にカードが入ってた。

 祥子 ごめんな  

潤の文字だ。破って近くのゴミ箱に捨てた。



皆が写真だ、二次会だ騒いでるのを遠くに見て、さっさと帰る事にした。
引き出物を持ってフルートケースを持って。

「苅谷さん」
「はい?」

振り向くと男性が一人。

「二次会に出ないんですか?」
「はい」

即答したら、男性が笑った。

「あの。私…いや、俺に見覚えありませんか?」
「え?」

そう言われても。

「ごめんなさい。どこかで会ったのかしら?」
棚倉(たなくら)と一緒の合コンでね」
「あ、あら」

昔を思い出す。あの時って、潤の他に二人。一人は眼鏡かけて悪ぶれた感じでパスして、もう一人はうるさくてパスしたんだ。

(どっちだ?)

ジッと男性を見る。眼鏡掛けてる。でも、あの悪ぶれたイメージは無い。けど、眼鏡。
私が考え込んでしまったのを見て、男性が笑う。

「前は眼鏡掛けてなかったな。柴崎(しばざき)ですよ」

眼鏡を上げられても覚えてません。でも、うるさいほうの人だ。

「ごめんなさい。すっかり変わられてて、思い出せなかった」
「変わった?」
「はい」

潤以外は眼中になくて忘れてた、なんて言えません。でも、今の柴崎さんなら潤の上をいくと思った。潤に騙されるなら、あの時、柴崎さんを選んでいれば良かった。

(そしたらエリックと会って無いか)

「ちょっと話せるかな?」
「でも、柴崎さん、二次会は?」
「この後、仕事なんで。だから、今も飲めなかった」
「それは残念ですね。でも、時間は?」
「大丈夫。2時間はあるからどうしようかと思ってたとこ。そしたら苅谷さんが逃げ出そうとしてるのが眼に入ってね」
「あら。帰ろうとしてただけです」
「場所変えようか」
「ここでなら」
「あ、そうか。苅谷さんは有名人だった」
「有名人じゃないですよ。荷物があるから動きたくないだけなんです」
「なら、そこの庭園に出ようか」
「はい」

柴崎さんと庭園に置いてあるテーブルに向かう。

「コーヒーでいい?」
「はい」

コーヒーを二つ持って柴崎さんが戻ってきた。

「どうぞ」
「ありがとうございます」
「ここで苅谷さんに会えるとは思わなかったな。棚倉と、だったね」
「昔ね。知ってたんですか?」
「一緒に合コン行ってたら情報交換はしてる」
「あら、なら、同時に彼女とって事も知ってた?」

建物の中でまだ騒いでる潤達の姿に視線を飛ばす。柴崎さんが私の視線を追ってから答える。

「それは知らなかった。棚倉は上手くやってたみたいだな」
「えぇ。この結婚式に呼ばれて初めて三股されてたって分かりましたから」
「もう一人居た?」
「そうよ。私が潤と別れたのは別の女性が発覚したからだもの」
「そうか。なら、あの時動いてりゃ良かったんだ」
「 ? 」
「合コンの後、俺、苅谷さんに連絡取りたかったけど、棚倉が先に君をおとしたって聞いて諦めたんだ」
「あら」

私の男を見る眼は悪かったんだな。今は、研ぎ澄まされてる筈だけど。

「君が棚倉と別れたって聞いてチャンスと思ってたら、俺の仕事が忙しくなって連絡取れなかったんだ。そのうち、君はウィーンに行っちゃうし」
「その間、色々あったんですよ」
「俺だって色々あったけど、今はフリーだ」

私をジッと見る柴崎さんは男らしくて、頼れそうで。でも。

「私には大切な彼が向こうに居るんですよ」
「…タイミングが悪いのかな」
「ですね」

顔を見合わせて笑ってしまった。柴崎さんがフルートケースに眼を留めた。

「良いケースだね。イタリアの物だ」
「分かります?」
「俺、海外関係だから。見せて貰っていいかな?」
「どうぞ」

ケースを渡すと、柴崎さんが視線を走らせた。

「ミラノの工房だ。日本には入ってこない物だね。それも君の為の一品。彼からのプレゼントだ」
「そうよ」
「「君を一生かけても守ります」ってケースだ」
「あらら」

征司もそんな事言ってたな。プロポーズに贈られる物だって。

「この工房の物は仕掛けが出来るんだ。これもあるのかな?」
「あるわよ」
「見せて貰えるかい?」
「いいわよ」

ケースを開けて、内側の板をスライドさせて二段にする。柴崎さんが楽しそうにそれを隅々まで見ている。

「へぇ。凄い仕掛けだ」
「私も教えて貰って驚いたのよ」
「まだ仕掛けがある」
「どこに?」
「ここ。ここに小さいけど穴がある」

そう言って、柴崎さんが一段目の裏を私に確認させた。
丁度、フルートが入ってない部分の空間だ。

「穴がありますね」
「ここも仕掛けになっているはずだ。引っ張ってみて」
「はい」

裏底に指を滑らせて穴に引っ掛けて引っ張ると、底板が外れ、カタンと小さい箱が転がり出てきた。

「あ…」

箱から予想がついた。ゆっくり蓋を開ける。指輪が入っている。ダイヤの付いたシンプルな指輪。ウィーンの店の物だ。

「凄いプレゼントだ。エンゲージリングを贈ってきてる」
「…(エリックったら)」
「こりゃ、俺に勝ち目は無さそうだな。苅谷さん、良かったな」
「えぇ。あ、ごめんなさい」
「いいさ。タイミングを掴めなかった俺が悪い」

指輪のケースを元の場所に戻した。

「一曲贈りましょうか。柴崎さんに」
「いいのかい? 俺なんかに」
「指輪を見つけてくれたお礼と、柴崎さんに応えられなかったお詫びです。何かリクエストあれば」
「なら、そうだな。ショパンの「別れの曲」。って、この場所じゃ縁起悪いから駄目か」
「大丈夫。吹けますよ。「別れの曲」って題名ですけど、そこから始めるって曲でもありますから」

今日は吹かないと思っていた硝子のフルートを組み立てていく。

「苅谷さんがフルート吹くなんて想像出来なかった」
「潤を忘れたくて高校の時のフルートを引っ張り出したんです」

さっきまで賑やかだったガラスの向こうは、次の披露宴が始まったのか人が居なくなっている。

「棚倉が君の人生を変えたのか」
「そうですね。辛かったけど、今思えば、私の人生の転機だったんですね」
「それで成功したんだ」
「毎日が崖っぷちですけどね。ちょっとだけ時間貰いますね」
「どうぞ」

譜面がないから、頭の中で思い出す。曲は知ってるから大丈夫。イメージを「別れ」にしちゃうと営業妨害で怒られそうだから気をつけなくちゃ。

ブレスレットを外して軽く音を出す。マニキュアは無視しなきゃ。

「じゃ、柴崎さんに」

 ♪~♪♪♪~♪♪♪♪~

悲愴感(ひそうかん)ではなく思い出のイメージで吹いていく。後半は悲しみよりも、希望を込めて吹いていく。

吹き終わったら柴崎さんが拍手をくれた。

「君がウィーンに呼ばれたのが分かった気がする。日本なんかじゃ君の音を世界に押し出せない」
「ありがとうございます」
「音楽に素人の俺にだって、君の音が伝えてくるのが分かった」

柴崎さんが顔を伏せた。

「どうしました?」
「悔しいと思った。棚倉に…君が傷つけられて」
「柴崎さん。ありがとうございます。私も見る目が無かったんですよ。いい経験でした。でも、今、幸せですから」
「そうか。君が幸せなら、俺にも良い事あるかもしれないな」
「そうですよ」
「ありがとう」

そう言って柴崎さんが手を差し出す。

「苅谷さんはウィーンで頑張れ。彼と幸せにな」
「柴崎さんも、お元気で」

柴崎さんの手に合わせた。



家でもう一度、指輪を取り出した。

エリックはこれを私に見つけて欲しかったのか。それとも、ケースの時のように私を驚かす為に仕込んだのか。意図(いと)が分からない。

キラリと光ったダイヤを見て指にはめる。左手の薬指。(ゆる)い。詰めて貰わなくちゃ。
外して眺めていたら内側に私の名前が刻印されているのに気づく。
間違いなくエリックが私に宛てて用意した物だ。イタリア公演に行く前に作って、ケースに仕込んだ事になる。

「エリックったら気が早いんだから。エンゲージリングはプロポーズする時に買う…ぁ」

私を結婚相手として…みてくれてたんだ。まだ付き合って一緒の時間が少ないから、ケースの中で眠らせてたのかもしれない。私が見つけたら、そのつもりで付き合ってるんだ、って伝えてくれるのだろう。

「その前に愛想つけられたら、こっそり回収されたりして」

結構役に立つかもしれない。暫く知らない振りしていよう。
もう一度、薬指にはめてクルクル回してから、ケースに戻した。


- #44 F I N -
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