#60 プレゼント <祥子視点>

文字数 5,400文字

別れた後も私はエリックの事が好きだった。忘れられずに想っていたんだ。(一緒に居たい)って。
私と別れた後、エリックはシェリルとキス位はしていたんだろう。結婚の話が出てた位だ。
胸が少し痛んだ。

「そんな事気にしてたら、エリックの過去の女性迄気にしなきゃならなくなっちゃう。過去の事は気になるけど、そんな事…気になるけど」

大きく息をはいた。

「気になるのは当たり前。だけど、エリックと一緒に先に進むのなら、見て見ぬ振りが必要なんだから。そうよ。そう…なの」

好きな人だから気になるんだ。

「あ、そうだ。あれ」

フルートケースを開ける。仕掛けを外す。一段目の裏の仕掛けを外す。「一緒に居たい」と願って、ここに私の想いを仕掛けてたんだ。

「無い?!」

そこに入れておいた小箱が無い。覗いてみても無い。

「記憶違い? そんな筈無い。ここに」

スーツケースを開ける。入れ替えた箱が。

「あった」

エリックが忍ばせてた指輪の箱。これがここにあるからには、私の記憶はあっている。私が買った小箱に入れ替えたんだ。
フルートケースをここに持って来てくれたのはエリックだ。仕掛けを作ったのもエリックだ。このフルートケースがどういう経緯(けいい)でエリックに渡ったのかは聞いてない。でも、仕掛けに気づく人はエリック以外居ない筈だ。

「エリックが持ってるとしたら、中身はどうなっちゃうんだろう。あら?」

見慣れない封筒が挟まってるのに気づく。中に手紙が入ってる。開いて読む。
このケースがエリックに渡った経緯が書かれていた。

「この人がエリックに送ってくれたんだ」

()ぐにお礼のカードを書いて、病院内のポストに出しに行く。
病室に戻り、開きっぱなしのケースを閉じようとして、もうひとつの封筒が眼に入る。ケースを送ってくれた人が書いてた。エリックの住所の書いてあるカードが入ってたって。封筒を開くとカードが見えた。

「これね。ん?」

何か色のついた物も入っている。

「花びら? どうして入っているのかしら」

一枚の花びらが入っていた。何で入ってるのか訳が分からない。
私の中でまだ忘れている事があるのかもしれない。そのままにしておこう。
小箱の事は、いつかエリックに聞こう。



退院して、アーチャーさんの家に厄介(やっかい)になる。本物の厄介者だ。皆に気を遣わせてる。松葉杖で移動、車椅子で移動。何かと手を貸してくれる。

(行動を最小限にしなくちゃ)

動けないから練習ばっかりだ。
エリックからもシドからも連絡が来ない。ウィーンのほうが大変なのかもしれない。私が帰る24日からの仕事の楽譜が届いただけだ。
それを見てため息が出て行った。

「シドったら、私をこき使ってる」

ビッシリ休みなしだ。年明けにはニューイヤーコンサートが入ってる。

「これから離れるのはいつになるんだか」

コンコンと右脚のギプスを叩いてみる。今じゃ体の一部になってる。これをパカッと割ったら何がでてくるんだろう。脚じゃないと困るけど、変な想像してしまう。



アーチャーさんの声と合わせ、ルナの声と合わせる。空いた時間は次の仕事の練習に入る。
イメージは譜面に書いてある。征司やミリファの字、見慣れない字はヘンリーの字と判明する。譜面の隅に「エドナも待ってるよ」って書いてあった。そして、細かく指示が書いてあるのがエリックの字。

「エリックに逢いたい」

退院して何度呟いたんだろう。
全てを思い出した訳じゃないけど、私はエリックに向かっている。

「祥子の事、出てるわよ」

ルナが持って来た雑誌に、バイオリン弾いてるエリックの横に私が居る写真が載っていた。

「バイオリンの音が絶賛されてるわよ。彼のほうもね」

記事にはフルート奏者である私、チェロ奏者であるエリックがバイオリンを弾ける驚きが書いてあった。

「私、祥子のバイオリンの音も凄いと思うわよ」
「ありがとう」



演奏会の初日が来た。久々の人前。緊張が張り詰めてる。二本のフルートを組み立てて舞台の小机に置いてきた。車椅子に座って脚を投げ出す格好になるから、向きに気をつけなくてはならない。

観客が入って来る。席が埋まるのを舞台袖(ぶたいそで)で見ていた。どんどん緊張してくる。

(深呼吸…)

深呼吸が出来ない。苦し紛れの金魚みたいに口をパクつかせていた。

「祥子。そんなに緊張しないで」

ルナが私の肩を掴んだ。

「ルナは緊張しないの?」
「してるわよ。でも、お父様と祥子の三人で楽しんで歌えるから大丈夫」
「私、久々で…こんなに聴きに来てくれるなんて」
「皆、祥子の音を聴きたいのよ。なんて、もっと緊張しちゃうわね」
「評判が一人歩きしてるから、怖い」
「何、言ってるの。祥子の評判は聴いた人達の感想なのよ。祥子は本番に強い。この界隈(かいわい)での噂よ。だから、私とお父様は安心して祥子と組めるのよ。祥子への仕事は、あなたの演奏してきた分の評価なのよ。自信持っていいのよ」
「ありがとう。でも、この時間だけは駄目なの。慣れないわ」

「さて、行きますよ」

アーチャーさんが車椅子を押した。ライトが私達を照らす。

「この位置でいいかな?」
「はい。ありがとうございます」

ルナとアーチャーさんも自分の位置に落ち着く。
アーチャーさんが話し始めて演奏会が始まる。

大聖堂だから、劇場とは違い観客席の明かりは落ちない。少し暗く見える感じだ。
こういう演奏会にも出てたけど、事故からずっと演奏会から離れていたから緊張している。笑顔を出しながら固まってる。

アーチャーさんが私を見たから、フルートを構える。大聖堂の中が静まり返る。

 ♪♪ ♪~♪♪・・・

アーチャーさんの声を捉えて合わせる。一緒に歌う。アーチャーさんの情景と一緒に歌う。
次はルナの声だ。一緒に歌う。ルナの情景と一緒に歌う。
大聖堂だから、音が空に昇っていくようだ。この場所なら願いが届くかもしれない。



初日が終わり二日目、そして最終日を迎える。

「あら? お父様がまだ来てないわ」

ルナが舞台袖でアーチャーさんを探してる。

「私達よりも先に出た筈よ」

私も探すけど見当たらない。

「どこかで寄り道してるのかしら」
「もう6時よ」

ルナと二人で慌ててる。アーチャーさんから連絡が無い。7時の開演に間に合うのだろうか。
ギリギリでアーチャーさんが走りこんできた。

「今日は二人にプレゼントがある」

アーチャーさんが楽しそうに言って、後から来た人達を見せるように横にずれた。ルナと私は同時に驚いてる。

「シド!」
「エリック!」

二人が居る。ルナがシドに駆け寄る。私は駆け寄ろうとして出来ない。動く足を動かしてもエリックが近づいてこない。

「祥子、驚いたかい?」

エリックが笑いながら私に近寄ってくる。

「エリックよね? 本物よね?」
「本物さ。ほら」

エリックが手を差し出したから触れた。エリックの手を両手で包んだ。

「でも、どうしたの? ウィーンの仕事のほうは? シドだって…」
「勿論、俺は仕事をしてきたさ。その足でこっちに飛んできたんだ」

シドが私に声を掛ける。

「祥子のせいですよ」
「私…何かしました?」
「思いがけないプレゼントを頂きました。ありがとう。勿論、私も仕事を済ませて来てますよ。エドナに後を頼んできています」

ルナがシドの腕を引っ張ってる。

「シドったら、何にも言ってくれないんだから」
「悪かった。君のお父さんから「内緒で」って口止めされていたから」
「もうっ、酷いわ。明日迄会えないと思ってたから驚いたわよ」

私がピンときて、アーチャーさんを見たら笑って頷いた。
エリックのバイオリンの音を聴いた時に思いついたんだ。

「さて、ルナ、祥子、彼にとびっきりの声と音を聴かせてあげようじゃないか」
「はい。お父様」
「はい。アーチャーさん」

車椅子が押されて、私達は舞台に出る。シドとエリックは客席に移動する。
アーチャーさんにシドとエリックの席を教えて貰う。

(エリックに私の音を聴いて貰える)

下手な音は聴かせたくない。私の持っている技術を全て出して聴いて貰うんだ。

 ♪♪♪~ ♪ ♪ ♪

ルナの声がシドに向かって流れていく。「シドと一緒に居たい」って。
私だってそうだ。「エリックと一緒に居たい」そう音に乗せている。

後半になってルナが私に伝えてきた。ルナの眼が客席を見て、私を見る。私も客席に視線を向ける。

(エリックが居ない。シドも)

ルナと「おかしいわね」と顔を見合わせていたら、アーチャーさんが話しだす。

「クリスマス前の今宵、声と音のプレゼント、いかがでしたでしょうか。ここで、ふたつ皆様にお許しを貰いたい。私も人の子であり、ルナの父親でもあります。ひとつ目のお許しは、私の可愛い娘にプレゼントをここで渡す事をお許し願いたい。皆様にもうひとつの音とルナの声を聴いて頂きたい」

拍手が起こり、シドがステージに出てきた。ルナと私は驚いて見てるしかなかった。

「祥子、フルートを」
「はい」

ルナのフルートをシドに手渡した。
シドがルナを(うなが)した。

 美女と野獣

シドの音とルナの声が隅々に響き渡っている。圧倒された。ここまで息の合った二人の声と音。

(シド、さすがです)

私にバトンタッチして、アーチャーさんの声とルナの声、フタツを乗せる。途中からシドも入ってきた。賑やかに楽しく。そして、もうひとつ別の音が入ってきた。

(チェロの音!)

私の後ろから響いてきている。この音、この音だ。エリックのチェロの音だ。

チェロの音が私とシドのフルートの音を包み込んで響かせていく。初めて合わせるアーチャーさんとルナの声なのに、エリックの音は丁寧に声を響かせて観客に届けていく。
音と声が大聖堂を揺るがしてる。そんな感じを受けていた。

曲が終っても、エリックのチェロの音が静かに流れていた。アーチャーさんが話し出す。

「今宵最後の曲に、今日迄一緒について来てくれた、祥子にもプレゼントを渡す事をお許し願いたい。「星に願いを」」

チェロの音が途切れ、アーチャーさんがタンと足を鳴らした。

 ♪♪♪♪・・・

(え?)

アーチャーさんの声が乗ってこない。私とエリックのデュオになっている。
私の後ろに居るエリックを見る事が出来ない。だけど、エリックの音が大丈夫だからと私の音をエスコートしてくれる。

エリックとの事が思い出されてきた。
ウィーンに来てガド爺に紹介された時。コーダの散歩で会った時。風邪で傍に付いてくれた時。楽屋の小部屋で抱き締められた時。硝子のフルートを壊された時。日本に帰る前に踊った時。ゴシップ記事を書かれた時。定期演奏会でエリックと繋がった時。フルートケースを貰った時。エアガンで襲われた時。ドラッグで捕まった時。別れた時。
花びら…。

(エリックとの約束)

こんなかたちで約束を果たせるとは思わなかった。
私はエリックの音に合わせてゾクゾクしている。「この音を超えてみたい」そう思っている私が居る。

曲が終わりになり、アーチャーさんが指を立てた。もう一度だ。アーチャーさんの指が動き、最初から。

アーチャーさんの声が乗ってくる。

「信じて、今宵の願いを。信じて、これからの事を。信じて、愛する人を。今宵の願いを叶えてあげよう」

アーチャーさんの声の情景が広がっていく。エリックと私の音が絡み合う。



「今日は驚いちゃったわ。まさかエリックに会えるなんて」
「俺だってアーチャーさんに呼ばれて驚いたんだよ」
「アーチャーさんが(たくら)んでいたのはこれだったなんて」
「いいプレゼントだ」
「最高よ。エリックとの約束も果たせたわ」
「約束…。祥子、君…」
「もう大丈夫よ。二度とエリックの事は忘れない」

エリックが車椅子を押すのを止めた。

「祥子は俺を許してくれるのか?」
「もう謝らないで。私は別れた後もあなたの事を想ってたの」
「祥子…」
「エリック。顔をみせて」
「あぁ」

エリックが私の前に来て、私の顔の高さにしゃがみこむ。

「Ich liebe Sie (愛してるわ)」

エリックの顔が驚いて私を見つめ、ゆっくりと口を開く。

「Ich liebe Sie auch (俺も愛してる)」

エリックがポケットから出した物を私の前に差し出す。

「これ、使っていいかい?」

私がフルートケースに忍ばせた小箱だ。やっぱりエリックが持ってたんだ。

「エリックがそうしたいなら」
「勿論だよ。俺は祥子と一緒に居たい」
「これでいいの?」
「これでいい。でも、まずはこれから」

エリックが小箱を開けた。中からキラリと光る物を取り出し、私の首に掛けてくれた。

「これなら演奏中でも大丈夫だろ?」

ネックレスに指輪が通ってる。エリックが忍ばせてた指輪だ。

「サイズも祥子の指に合わせて小さくしといたから」
「あら。知ってたの?」
「こっちに合わせただけなんだ」

そう言って、エリックは小箱から私が忍ばせてた指輪を、私の左手の薬指に通した。
小箱が私に渡されて、私は残されてるマリッジリングを取り出して、エリックの左手の薬指に通した。

「順番が逆になったけど、祥子、聞いてくれ」
「何?」
「上手く言えるか自信ないけど、征司から教わってきたんだ」
「ん?」

コホンと小さく咳払いをして、エリックは私を見る。

「祥子ヲ イッショウ マモリマス。ズット イッショニ イテホシイ。イテクレマスカ?」

エリックがたどたどしい日本語でプロポーズしてくれた。

「勿論よ。ありがとう!」



- DUO F I N -



フルートケースを送ってくれた方には演奏会のチケットを何枚か贈らせていただきました。
当日、楽屋のほうに寄っていただけて、直接お礼する事ができました。
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