#6 招待 <祥子視点>

文字数 5,929文字

 ♪ピッピッピッ

着信音で目覚めた。この番号はガド爺だ。

「ハロー」
「祥子、おはよう。具合はどうじゃ?」
「おはようございます。今日はラクになってます。熱も下がったみたい」

抵抗無く起き上がれた。

「それは良かった。今日来れそうじゃな」
「はい。行きます。昨日チケット受け取りました」
「ワシ等からプレゼントじゃ。いい席じゃぞ」
「ありがとうございます。じっくり聴かせてもらいますね」
「ワシが振るんじゃ。良く聴いておくんじゃぞ」
「ガド爺が振るの?」
「当たり前じゃ。ワシはフラフラ出歩いとるが、征司達の楽団出身なのじゃぞ」
「え? そうなんですか?」
「知らなかったのか?」
「ごめんなさい」
「良い良い。じゃ、少し早めにおいで。楽屋に顔を出してやれば征司もエリックも喜ぶじゃろ。それと、フルートを持って来るんじゃぞ」
「フルート? どうして?」
「見せてやりたくての」
「エリックと征司には見せたけど」
「他の団員にじゃ」
「分かりました」
「また後でな」
「はい」

(硝子のフルートだから物珍しいのかなぁ)

チケットを出して時間を確認する。

「あら、14時からだ。急いで支度しなきゃ」

シャワーを浴びて着替えなきゃ。演奏会に出かけるとなると。

「確か普段着じゃ駄目だったっけ」

演奏会に来る人は結構着飾ってる。一種の社交場だから。

「スーツって感じでいいのかなぁ。演奏してた時のじゃドレスになっちゃうし」

デートの服装に困ってるみたいだ。

「あっ。こういう時の現地スタッフ」

緊張しながらフロントに電話を掛けて部屋に来て貰う。

「ごめんなさい。演奏会に招待されたんだけど、どの服がいいのか分からないので教えて貰えたらと思って」
「聞きに行かれるのですか?」
「はい」
「なら…これですね」

パーティドレスを選んでくれた。ガド爺から一着は用意するように言われて持ってきたヤツだ。

「どうもありがとう。助かりました」
「いえ。今日の演奏会って国内一の楽団ですね。楽しんで来て下さいね」
「ありがとう」

まずは腹ごしらえしなくちゃ。ドレスをハンガーにかけて、レストランに直行だ。
ここに来た当初はレストランでパンとコーヒーだけ頼んでいた。聞いてもドイツ語で返されて戸惑ったんだ。ホテルスタッフは皆英語ペラペラかと思ってたけど、ホテル内側のスタッフはカタコト英語の場合が多い。
今は少し慣れた。カタコト英語で頑張って、食事も食べられる様になった。日本人が一人で頑張ってるのに哀れを感じたのかもしれない。

トーストにスープを頼む。
一人で食べていたら視線が飛んで来ているのに気づく。

(変な格好だったかしら。でも、同じ感じの人も居るよ。何だろ?)

日本人は珍しいのかもしれない。
居づらくなって、そそくさと席を立って部屋に戻った。

「ゆっくり食べていられないなぁ。ルームサービスにすれば良かった」

服を着替える。化粧をしに鏡に向かう。

「あ、病み上がりの顔してたからか」

疲れきってる顔してたよ。でも、風邪が治ってる気がする。

「エリックに移ったんじゃないでしょうね」

口紅を塗りながら可笑しくなっている。

「まさか…ね」

髪の毛を整えてネックレスをつける。今日は演奏じゃないからブレスレットも着けて行けるし、マニキュアだって色付きが塗れる。これは私だけの(こだわ)りなんだ。演奏の時は気が散るからブレスレットはつけない。マニキュアも透明なものにしている。

バッグを出して中身を入れる。
演奏会に出かけるのにデートみたいだ。靴も変えなきゃ。



会場が分からなかったからタクシーを使う。ホテルスタッフが運転手と話してくれている。私が乗る前に、これ以上のお金を請求されたら断る様に念を押された。しつこかったら警察に電話しろとも。それを聞いて怖々(こわごわ)乗り込んだ。
英語は通じない運転手のようで、車内は無言。

私が演奏してた劇場までは地下鉄で通っていた。ガド爺と一緒に乗って教えて貰ってから、寄り道はせず(出来ず)にひたすら往復していた。最終日の花束だらけで乗った時には注目を浴びてたっけ。
何日も居たのに、怖くてウィーン観光なんか出来なかった。度胸があれば良かったんだけど。
今だって携帯握りしめてタクシーの前を凝視している。

「Angekommen(着いたよ)」

車が止って運転手が何か言った。横を見ると大きな劇場があった。ここなんだろう。
運転手が紙に数字を書いた。財布を開けて渡す。戸が開いたからそそくさと下りた。

「Danke(ありがとう)」

運転手が無愛想に戸を閉めて走り去っていった。



チケットの劇場名と見比べる。一致してる。ぐるりと見渡して花屋を見つける。ガド爺と、エリックと、征司(私の中でもそう呼ぼう)の三人に。
店に入って言葉と奮闘(ふんとう)する事10分。小さい花束を三つ作って貰った。

劇場に入りまた大変だった。クロークで名前を聞かれて答えたら、花束とフルートケースを持っていかれた。預かり証みたいな券は貰ったんだけどよく分からない。あとでガド爺に聞いてみよう。お金とパスポートは手元のバッグにあるから大丈夫だ。
席を探すのにまた一苦労した。会場案内の人に聞いたら連れて行ってくれた。

「何て場違いな席」

最高の席です。VIP席って言うんだろう。椅子の素材が違う。この一角だけ他と仕切られてる。私の他にどんな人が来るんだろう。
座っているのも落ち着かなくて、楽屋に行く事にした。多分、こっち。

「関係者以外立ち入り禁止になってる」

通路で立ち往生している。どうしよう。ガド爺に来てくれって言われてるのだけど。

「そうだ。電話掛けよう。まだ大丈夫だよね」

財布を出してカードを出した。エリックと征司の連絡先が書いてあるカードだ。
そして迷う。どちらに掛けたらいいんだろう。

(やっぱり征司)

番号を押そうとして迷う。迷子みたいな姿見せたくない。こんなオドオドしてる姿なんか見せたら同じ日本人として恥ずかしく思われちゃうかも。
エリックの番号を押している。エリックだったら、外人だから恥ずかしく思わないだろう。

「Ja.(はい)」
「えっ?(ドイツ語!)あ…はろぉ~」

凄く情けない気がした。

(しまった。ガド爺に掛けりゃ良かったんだ。ガド爺だったら私の番号を登録してあるから、英語で出てくれたのに)

今更気づいても遅かった。電話の向こうが笑った。

「もしかして、祥子?」
「そう」
「来れたのか?」
「うん」
「どこに居る?」
「ロープの張ってある通路に居るの」
「迎えに行くからそこで待ってて」
「うん」

直ぐにエリックが来てくれた。ロープを外して入れてくれる。エリックにくっついて楽屋に向かう。

「そのまま入って来ちゃっても良かったんだよ」
「でも、関係者以外立ち入り禁止って」
「聞かれたら、俺や征司やガド爺の名前を出せば大丈夫さ。今の祥子だったら名前言えばパス出来る筈だ」
「何で?」
「ここの人達は音楽関係者ばかりだろ」
「そうだけど?」
「祥子はこの一週間で有名人になったんだ」
「え? ぁ…恥ずかしいよ」
「自慢しなきゃ」

そう言ってエリックが立ち止まるから、私も立ち止まる。エリックが私の額に手を当てる。ドキリとした。それよりも、エリックは私とキスした事を覚えてないのだろうか。照れも何もないように見える。

(キスなんて日常の挨拶程度なんだ)

習慣の違いなんだろう。

「熱は下がったね」
「もう大丈夫よ。エリックに移したから」

エリックの手が離れた。エリックが私を見て眼を細めた。優しく笑った感じがした。

「俺は移されて無いよ。でも良かった。無理かと思ってたから」
「聴きたかったの」
「よし。最高の音を聴かせてあげよう。ほら、ここが楽屋」

戸を開けられて驚く。今迄の所とは違う。部屋の広さもそうだけど、小さな小部屋まである。多分、それぞれのパートのトップ奏者用なんだろうけど。

空気が張り詰めている。本番前の緊張感だ。それが()し掛かってくる。部外者の私が入ってきても(とが)められる事もなく、視線だけ送ってそのまま自分の事に係りっきりになっている。

「俺等の楽団は本番に強いから。本番には最高の音を皆出せる。プロの集団だ」

周りを見渡している私にエリックが囁いた。
ひとつの小部屋の前で止る。エリックが小さな窓から中を覗く。

「ドップリ浸ってる」
「 ? 」

エリックが指で私にも覗けと言っているから、エリックと一緒に覗き込む。中には椅子に座ってイヤホンつけている征司が居た。

「今日の楽曲のリハ(リハーサル)の音を聴いてるんだ。征司はコンマス(コンサートマスター)だから、全体を引っ張らなきゃならない。リハの音で最終調整のポイントをチェックしてるんだ」
「そっか。大変なんだね (これじゃ電話しても気づかれないや)」
「征司も皆も緊張してるから、何かに集中してるんだ」
「そうね。じゃぁ、エリックは? 私の相手してていいの?」

エリックだって本番前なんだ。私が呼びつけて邪魔しちゃってる。

「ん? 俺?」
「そうよ。エリックだってこれから本番でしょ」
「大丈夫さ。俺の緊張は舞台に向かう直前に襲ってくる。今は興奮してるから動いてたほうがいい」

そう言って征司の部屋から離れて外に向かう。

「さて、ガド爺の部屋は特別だから」

楽屋を出て傍の部屋の戸を叩く。中から聞き慣れた声が響いた。私は身構える。隣のエリックが笑った。
戸が開けられて。きたっ!

「祥子! よく来た!」

抱きつかれる前に両手で阻止。

「ガド爺、それは無し」

ガド爺の両手が私の両手を掴む。痛い位の握手になる。握手をしながらガド爺がエリックに眼を止める。

「それは残念じゃ。エリックが連れてきたのか」
「俺が適任だったようで」

エリックの言葉にガド爺は納得したように悪戯っぽく眼を動かした。

「そうじゃな。エリックじゃったら本番前でも動けるか。で、祥子、楽屋を覗いてきたのかな?」
「はい。もう緊張感一杯」
「そうじゃろ。どこも同じなんじゃ。ところで祥子、フルートは?」
「持って来ました。でも、クロークで取られちゃって」
「いいんじゃ。帰る時には戻ってくるから安心してていい。大丈夫じゃ」

そう言ってガド爺は目配せした。不安が(よぎ)る。ガド爺の事だ。何かワガママを言ったんじゃ…。ワガママと言えば。

「あっ。そうだ。とても良い席を取って下さったんですね。ありがとうございます。場違いみたいで」
「居づらいよな」

エリックが笑って付け足した。ガド爺が笑う。

「祥子には良い席じゃ。それだけの価値はあるのじゃ」
「慣れる迄緊張するけど、確かにいい席だからね」
「ありがとうございます」

部屋に短くベルの音が響いた。

「おっと。そろそろじゃ。祥子、じっくり聴いておくのじゃぞ」
「はい」
「エリック、暫しの時間、頼むぞ」
「任しとけ」
「じゃ、後でじゃ」

エリックと私がガド爺の部屋から出たら、楽屋口から人が出て行き始めてた。
私はエリックに腕を捕まれて楽屋に戻る。
小部屋の前である事に遭遇している。

「あら」

キスしてる人がいる。

「おやおや。いつもお熱い事で」

エリックの茶化す声がして、キスしてた二人の顔が離れる。

「ほっとけ。あ、祥子、聴きに来たのか」

キスしてたのは征司だったりする訳で。お相手の女性はここの団員だろう。
女性が私に顔を向ける。ドイツ語が交差する。

「WHO?(誰?)」
「Sie ist Shoko. Flötenspieler.(彼女は祥子。フルート奏者)」

征司が答えてる傍で女性はピンときたらしい。

「Sie stand in der Zeitung. Seiji, das gleiche Japan wie du.(新聞に載ってた子ね。征司、あなたと同じ日本人)」
「Ja.(そうだ)」

女性が征司から腕を離し私に近づいてくる。ヨーロッパ美人って言うんだろうか。ホリの深い目鼻立ちのはっきりした人だ。

「私、ミリファ・ガリアよ。ここでクラリネット トップよ。よろしくね」

英語で挨拶されて手を差し出された。

「祥子・苅谷です。よろしく」

軽く握手したら、ミリファは直ぐに征司に向き直ってドイツ語で話し始める。私の腕が引っ張られる。

「お邪魔、お邪魔」
「あ、うん」

ミリファがまた征司とキスしているのを眼にして、唖然とした私の目の前で戸が閉まった。

(戸? 戸が閉まる?)

慌ててどこに居るのか確認する。小さな部屋の中にエリックと二人で居た。エリック専用の部屋なんだろう。
唾を飲み込んでる私が居る。
どことなく険しい表情のエリックが私を見て椅子に座った。

「いいの? そろそろ出番」
「俺等トップは後のほうで出ればいいんだ。あと10分はある」
「わ、私、席に戻ったほうがいいよね」
「いや。もう少し、ここに居てくれないか?」
「う、うん」

エリックが勧める椅子に座る。そんな私を見ていたエリックの表情が和らいだ。

「いつもなら緊張のピークなんだけど、今日は大丈夫だ」
「 ? 」
「祥子が居るからかな」

そう言いながらもエリックの左手は左膝をギュッと握っている。左腕を掴んでいる右手だって指が食い込んでるのが服の皺で分かった。

エリックだって征司だって私と同じなんだ。本番前は緊張するんだ。征司のキスだって緊張をほぐす為なんだろうし。

征司がキスしてるのを見ても何とも思わなかった私に気づく。征司に彼女が居る。そんな事は当たり前の様に思えた。私だって居たんだ。私と征司は日本での事なんか関係なく友達なんだ。「はじめまして」から始まったんだ。エリックとも「はじめまして」から始まったんだ。異国の友達だ。
嬉しくなった。

「はじめまして」
「えっ? 何?」

日本語が出ていた。エリックが聞き返す。

「私、嬉しくなってるの」
「どうして?」
「音楽を始めて、ウィーンに来て、エリックや征司と友達になれて嬉しいの。早く音が聴きたくなってる」

 ♪ ピーッ

短い音が響き渡り、エリックは目を閉じて大きく息を吸い込んだ。目を開けて笑った。

「そうか。じゃ、最高の音を奏でなきゃな。時間だ」
「楽しみにしてるね」

エリックが先に立ち上がり、私の前で私が立ち上がるのを待っている。

「きゃぁ!」

私が立ち上がったら、エリックが抱き締めてきた。エリックが私の耳元で笑う。

「ガド爺と同じ反応か」
「エ、エリック!」
「何だろ…日本の香りなのかな。…いい香りだ」

大きく息を吸い込むエリックの指が小刻みに震えているのに気づく。私は静かにドキドキと戦っている。

「悪い。祥子、ありがとう。行かなきゃ」

エリックの腕が離されて、私は顔を見られないように急いで部屋から出た。
征司とミリファが楽屋から出ていくところだった。

「おっと、急がなきゃ」

私の後ろにいたエリックが走り出す。私を抜いて振り向いた。ドキリとしながら私はエリックを見る。エリックが親指を立てた。

「最高の音、聴いててくれよ」
「うん」


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