#21 酒宴 <祥子視点>

文字数 3,660文字

翌日、エドナからシャンドリーが来たと連絡を受けて、エドナの事務所に駆け込んだ。

「エドナ、ちょっとシャンドリー借りていくわよ。シャンドリー、ついて来て」
「祥子、乱暴しちゃだめよ。シャンドリーは怪我人だから」
「ん? あら」

私を見てオドオドしているシャンドリーは、顔にアザがあったり、あちこちに絆創膏や包帯が巻かれていた。

「手荒なことはしないから。来て」
「…」

空いている練習室に入る。

「そこに座って」
「…はい」

向かい合って座る。

「あのね」

下を向いてたシャドリーはそのままビクリと体を震わせた。

「シャンドリー、ごめんね」

私が謝ったら驚いた顔で私を見て口を開く。

「…何故、何故、祥子が謝る? 僕が謝らなくてはならないのに」
「明確な理由が無いって事は、それランスにやられたんでしょ?」
「…」

シャンドリーは傷を私の視線から隠す様に腕を組んで視線を落とす。

「ランスがやったのなら、私に責任がある」
「祥子のせいじゃない。僕が…断らなかった。失敗したからこうなった」
「ランスと連絡取り合ってるの?」
「…」
「ランスと一緒なの?」
「…」
「楽団辞めたいの?」
「…」
「フルート辞めたいの?」
「…」
「フルート辞めるの?」
「…」
「ちょっとここで待ってて」
「…」

二本のフルートと楽譜を持ってくる。

「最後に合わせましょう。バッハのパルティータ第一楽章アルマンド。練習曲よね」
「…」

私の嫌いなこの曲も練習曲としてよく使われている。まさかこんな事態で使うとは思わなかったけど、掴んだのがこの曲だったから仕方が無い。

「シャンドリー、お願いするわ。最後に合わせましょう」
「…はい」

シャンドリーがフルートに手を伸ばす。

 ♪♪~♪♪♪~

二本のフルートの音が部屋に響いてる。シャンドリーは遅れ易い。それを引っ張っていく。

次の演奏会で、この曲を使って私は伝えなきゃならない。

聞いて頂戴。私の噂を。私の本当の事を。どうしてこうなったかを教えて頂戴。

最後の一音を吹き終えて気づく。シャンドリーがフルートを下ろして泣いていた。

「祥子。ごめんなさい。僕…」
「フルート、辞めたいの?」
「…辞めた…くない」
「エドナの所に戻りましょう」

歩きながらシャンドリーに伝えていく。こういう時の翻訳アプリなんだけど、時折変な翻訳になるのがまどろっこしい。

「今のあなたの気持ちで決断するのよ。あなたがランスについていくなら辞めていい。フルートを吹いていきたいなら辞めないで、ここに残って欲しい」
「…」
「私、シドに言われたの。「何か悩む事があったら、楽団の人間に頼ってもいいんだよ。皆、仲間だからね」って。それに顧問弁護士もいるって話よ」
「…はい」



その日の夜、エドナが私を夕食に招待してくれた。
その夕食のテーブルの上に並んでたワインやビールの数に目が点になった。

「エ、エドナ。この酒の数は何?!」
「だって飲むでしょ?」
「こんなに? 誰がこんなに飲むのよ!」
「祥子と私に決まってるじゃない」
「私も?!」
「そりゃそうよ~。ま、今日は大変な一日でした」
「そうだったけど」
「大事な話は後にしましょ。まずはこれ。ちょっと食べてみて」
「ポトフ?」
「あら、ポトフになっちゃった? 祥子呼ぶからってニクジャガってのに挑戦したんだけど」
「肉じゃが? どれどれ、いただきます」

キャベツも入ってないか? でも、懐かしい味がした。「ジャパニーズ クッキング」って本がテーブルに載っていた。

「あ。美味しい! エドナ、料理上手~。でも、キャベツは入れないで」
「え? キャベツ無しなの?」
「そう。でも、確かに肉ジャガの味。懐かしくて嬉しいよぉ」
「良かった。あとこれ、久々に見つけたのよ。トーフって言うんでしょ」

豆腐がそのままの四角でお皿に乗ってる。

「豆腐だ。嬉しいなぁ。久々に日本の味だ。あ、そだ。ちょっと待ってて。お湯沸かしててね」
「オーケー」

自分の家に戻って即席味噌汁を持ってくる。もちろん梅干も。

「これ、ミソスープって言うんだよ。飲んでみて」
「すごい色ね。泥水みたい」
「まぁまぁ。栄養は一杯あるんだよ。ダイズから出来てるんだもの」
「ダイズ? トーフと同じ?」
「そうよ」
「白くないのに?」
「そう。ミソはダイズを発酵させて茶色になるの」
「ふうん。不思議な香りがする。中身は何?」
「ワカメ。海草よ」
「…不思議な味がする。けど、まずいって事は無いわ」
「じゃ、こっちも試してみて」
「何コレ?」
「梅干って言うの。梅の実を塩で漬けた保存食ね」
「ん”っ! 祥子~、ダメ! これ、ダメ!」
「慣れちゃえば美味しいのに」

と、口の中に梅干を放り込んで酸っぱい顔して大笑い。

「日本食は健康食って、ちょっとしたブームなのよ。祥子が隣だから教えて貰わなきゃ」
「私、料理は苦手よ。食べるの専門だったから」
「本の説明なら出来るでしょ?」
「その位なら任せて」

食事をしながら、衛星放送で日本の番組が流れてるのを知り、日本の食材を置いてるお店を教えて貰う。

片付けを手伝いながら聞いてみる。

「エドナは楽団の事に詳しいよね。ヒトツ聞いていい?」
「いいわよ。リサに比べたらまだまだだけどね」
「人間関係って話じゃないのよ。あのね、ランスのフルートの音ってどうだったのか知りたくて」
「ランスの音?」
「そう。トップに相応(ふさわ)しい音だとは思うけど」
「私は音に詳しくないから言えないわね。演奏会の録音があるからそれ聞いてみたら?」
「借りられるの?」
「勿論よ。明日聞いてみる?」
「うん。早ければ早いほどいいわ。でも、ここ最近のじゃなくて1年位前のがいいわ」
「分かったわ。明日、私の所に来て。場所教えるから」
「ありがとう」
「手伝ってくれてありがと。後は心ゆくまで飲みましょ」

「って、ちょっと。私にも練習ってのがあるんだけど」
「今日はいいじゃない」
「手入れはしないと」
「ここでしたら? いいわよ。その間に今日の事話してあげるから」
「分かった。じゃ、ここでする」

家に戻ってフルートケースを持ってくる。テーブルの上にお酒とつまみとフルートってのも変な感じ。

「ふ~ん。これがフルートなんだ。触ってもいい?」
「組み立てるね」

カチャカチャと組み立ててエドナに渡す。

「こうやって吹くのよね」
「そう」

エドナに持ち方を教える。

「結構重いのね。腕が痛くなっちゃうね」
「初めの頃は腕も痛いし肩も凝っちゃって大変だったのよ」
「分かる気がする。ありがとう」

フルートが私の手に戻ってくる。

「練習がてら一曲リクエストあれば」
「そう? じゃ、日本の曲でよくオコトで弾く曲あるじゃない。あれ吹いて」
「オコト?」
「長い弦が何本か張ってあって地面に置いて着物きた女性が爪で弾く楽器よ。オコトって言うんでしょ?」
「あ、琴ね」

琴でよく弾かれる日本の曲は さくら さくら だ。

「曲が違ってたら言って」

 ♪♪♪~♪♪♪~♪♪♪♪♪♪♪♪~

吹いていたら日本が恋しくなってくる。

エドナが静かに聴き入ってくれる。曲が終わると拍手をくれた。

「祥子の音をタダで聴けちゃうなんてラッキーだわ」
「大袈裟よ」
「ミューラーさんが祥子のスポンサーになったらタダでなんて頼めないもの」
「大丈夫。友達価格でタダよ。いつでも言って」
「わぁ! それは嬉しいわ」

フルートを分解して傷のチェックして掃除を始める。ずっと繰り返してきたことだから身に染み付いた様に手際よく出来る。

「終わった。エドナ、お待たせ。心置きなく飲めるわよ」
「待ってました」

瓶ビールが置かれちゃった。

「一本そのまま?」
「勿論よ」

とんでもない酒宴に招待された気がする。飲み始めて、エドナが話し出す。

「シャンドリーは暫くの間休みよ」
「休み?」
「そうよ。フルートは辞めないって言ったわ」
「良かった」
「夜訪ねて来た時は、ランスに電話で呼び出されたそうよ」
「何で断らなかったのかしら」
「ランスの怖さを知ってるのよ」
「何かされてたって事? 今日の姿みたいに…」
「そうね。演奏会直前になると、シャンドリーだけは生傷が絶えなかったのよ。聞いても答えないし。アガシがランスに殴られたと言ってきて、初めて私達が知る事になったのよ。パート内部って閉鎖的だから私達事務のほうには分からない事が多いのよ」
「パートの中迄は分からないか」
「そうよ。で、シャンドリーの件はランスの件と関係しちゃうからシドに任せたの。彼ならいいように取り計らってくれるから」
「そうね。シドなら安心ね」
「辞めるって言う位だから、ランスから逃げようとしてるのかもね」
「そうだといいわね」
「でも、祥子も凄いわね」
「どうして?」
「辞める人を引き止めたトップって居ないわよ」
「明確な理由も無かったし、嫌で辞めたいって事じゃなかったから」
「ランスの件だけだったしね」
「この楽団に居るだけあって、技術は確かだし」
「そりゃ、国内一を誇ってますから。今年の募集は基準に満たないって全員落とされたから」
「厳しいのね」
「海外でだって一流よ」

そんな楽団に潜り込んでる私は…。
ガド爺のお陰だ。せめてガド爺の期待には応えないと。

酒宴が続いていく。


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