#17 ヨリ <祥子視点>

文字数 2,852文字

日本には朝の8時過ぎに着いた。定刻よりも早かった。飛行機の中で寝るのは慣れないと辛い。寝返りはうてないし、脚だって伸ばせない。それに、空を飛んでるのが不安をもたらす。熟睡出来なかった。眠い。
荷物を拾い集めて、最後のチェックを受ける。戸を抜ければ…。

「苅谷さん、お帰りなさい。今日帰国されると聞いて待ってたんですよ。ウィーンでの活躍は日本にも届いていますよ」

顔馴染みになりつつある雑誌記者の花崎さんだ。丁度、芸能人が帰って来るのか、他の出口に報道陣やらファンの人山があって、私は花崎さんがいても背景みたいに動いていける。眠い頭で受け答えしつつ宅配カウンターに向かう。

「こちらにも現地の記事届いていますよ。絶賛されてましたね。追加公演の記事を読んで気づいたんですが、いつものフルートどうしたんですか? 傷が出来たと書いてありましたけど」

一気に眼が覚めた。フルートケースはスーツケースの中だ。いつもは肌身離さず手荷物扱いだが、今回はそう出来なかった。

「えっ? あ、それ、その記事って今出てきます?」
「ありますよ」
「見せて下さい!」

花崎さんがタブレットを取り出して私に渡す。今はどこに居ても記事が取り出せる。そんな便利な世の中だ。画面を読んでいく。ドイツ語の横に日本語で訳が表示されている。

 シンデレラはガラスのフルートをどこに落とした?
ボレロ 追加公演。祥子・苅谷のフルートの音は、前回とは異なった音となった。確かにバレエを魅了させるに値する音ではあった。だが、耳の肥えたこの街の人間にどのように届いたことだろうか。

硝子だから吹いていたんじゃない。あのフルートが好きだったから、あの音が好きだったから…聴いて貰いたかっただけ…だった。それが当たり前になっていたから、今、こうなっているんだ。

「苅谷さん?」
「あっ、は、はい。ありがとうございました」

タブレットを花崎さんに返す。
宅配カウンターで荷物を送る手続きをしていく。代金を支払って今度は自分が帰る為に電車の切符を買いに行く。花崎さんが横に着いてくる。

「この後少しお話伺えませんか?」
「ごめんなさい。今は時差ボケしちゃってて」
「なら、今回の感想位でいいので」
「…」

帰国前にシドから受け取っている資料の中に書いてあった。インタビューは控えてって。

「フルートが傷ついたって言うのは本当なんですか?」
「本当です」
「フルートトップに抜擢されてどんな気持ちですか?」
「驚いてます」
「硝子のフルートはこれから先、吹かないんですか?」
「吹きたくても吹けないんです。元に戻っただけです。すみません。電車の時間があるので失礼します」

逃げる様に改札を通った。ここからは一人になれる。電車の中で爆睡していた。



家に帰ってこんなにホッとしたのは初めてだった。両親の顔を見て嬉しくなり、あんなに邪魔だった弟だって可愛いと思える。
なんたって日本語で通じるのがありがたい。
今は何も考えずに寝ていよう。
「起こさないで」と伝えて自分の部屋で寝ていた。お腹が空いたり必要以外では動かなかった。無気力で、何もしたくない。

翌日、荷物と共にフルートが戻ってくる。
手入れをしてから体と頭を元に戻していく。時差ボケって馬鹿にできない。
スケジュールの中に税金や保険等について征司からメモが入っていた。公的な手続きは時間がかかるから直ぐに動く様にって書いてあった。

「あ~、めんどくさい。手続き必要なのか」

ウィーンで暮らす事になっちゃった、と両親に話したら、家族総出で大騒ぎになる。何が必要なんだ、食べ物は、服は、家具は。

「家具とかは必要ないって。電化製品だってプラグが違うから日本から持っていけないし、お金と暫くの間の服だけでいいって」

この一言で「な~んだ」と盛り下がった。

日本を離れる迄1ヶ月ある。手続きの関係で時間を取ってくれたんだ。その合間に日本での公演も入っていた。その為に練習は欠かせない。今迄通っていた音楽教室を借りての練習になる。

そんな中、一本の電話が入る。

「はい。苅谷です」
「あ、俺。棚倉(たなくら)。覚えてる?」
「え? あ…お久しぶりです」

番号が変わっていたから思い出すのも時間が掛かった。前に付き合ってた人だ。合コンで知り合って、二股かけられてて振られたんだ。

「良かった。忘れられちゃったかと思った」

今迄忘れてたんだけど。

「何でしょうか?」
「祥子ちゃんが帰って来たって知ってね。久しぶりに会いたくなった。今日、会おうよ。いつもの場所で待ってるから」

待ってたのはいつも私だったよ。

「練習したいから無理」
「10時に待ってる。それなら練習終わってるだろ」
「え、あ…無」
「会おう。じゃ、10時にいつもの場所で」
「ちょっ」

私の返事を聞かずに通話が切れる。

「相変わらず他人(ひと)の都合を考えないんだから」

なのに、私を引っ張ってくれてたと勘違いしてたんだ。早い話、自己中じゃないか。

「ま、いっか。暇潰し」

なんて言い訳つけて嬉しくなってる。私は馬鹿なのかもしれないな。
この人に振られてからフルートを始めたんだった。
真面目に練習をして、少し早く待ち合わせのいつもの場所に着いた。

「祥子ちゃん、早かったね」
「あら」

珍しい。初めて私を待ってたんじゃないか? 二人で居酒屋に入る。お決まりのコースだ。

「なぁ、祥子ちゃん。凄く有名になったよな。ウィーンの楽団に迎え入れられたんだってな。すげぇよなぁ」
(じゅん)、そんな大きな声で言わないでよ。ここだから知られてないけど、恥ずかしい」
「でも、すげぇ。CDだって出てるし雑誌にだってなぁ」
「だから、潤!」

二人の時間を過ごし、お決まりだと潤の部屋行きだが、今日は駅に向かう。それは譲れない。潤は元彼の関係なのだから。
並んで歩いていたら、付き合っていた頃の様に、潤が私の腰に腕を回してきた。

「俺とヨリ戻さないか? 俺、祥子ちゃん一人に決めるから」

 ・・ドキ

振られたとは言え、好きだった人だ。過去だけど、好きだった人だ。その人からヨリを戻そうって言われたんだ。

 「別れた彼氏とヨリを戻すみたいに…」

エリックの声が浮かび上がった。そうだ。今、私がヨリを戻すのは。

「潤、ごめんね。私、別の物とヨリを戻さなきゃならないのよ。それが一番大事なの」
「折角のデートだったんだけどな」

デートって単なる友達でも色々と思惑があるんだ。親密だからデートって訳じゃないんだ。人それぞれの捉え方でデートって使うんだ。好きな人と偶然会って立ち話もデートだなんて浮かれて言ってたっけ。

「それに、私、来月からウィーンで暮らすのよ。だからね」
「そ~か。それは残念」

潤と別れて電車に揺られながら、エリックの声を思い出していた。英語で喋る声のトーンとドイツ語の時のトーン。同じエリックの声なのに違うトーン。
エリックから離れているから、こんなに思い出せているのかもしれない。
今は恋している暇は無いのだけど、それを乗り越えたら、エリックに恋するのかもしれない。
少し、胸が痛くなった。エリックを思い出して痛くなった。

- #17 F I N -
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