#0 プレリュード <祥子視点>
文字数 5,746文字
待ち望んでいた日じゃなかった。
いい日なのに…。
「第65回卒業証書授与式を閉式致します」
卒業生が退場していく。講堂の片隅でフルート吹いて送り出している私が居る。
今日でお別れ。北見 先輩とお別れ。なのに私は祝わなきゃならない。
しまった。音抜けた。指揮者に睨 まれた。
集中しているのに、音が上 ずっている気がする。
北見 先輩を眼で追い駆けながら、また、音が抜ける。
泣いているんじゃない。卒業式の雰囲気に呑 まれている訳じゃない。ただ、自分の気持ちに押し潰されているだけ。
この気持ちが続く。
続いたって事は、ミスをし続けてたって事にもなる。
音楽室に戻って先輩達を迎える。
皆、口々に「卒業おめでとうございます」を言い、花束を渡す。
それで、お終 い。北見先輩に会えなくなる。
☆
帰り支度をして、私は北見先輩の思い出を辿 る。
こんな日の校舎は、いつもの暖かさや賑やかさがどこかに成りを潜めている。三年のクラスの廊下が静かすぎて足音が響く。六組の前で立ち止まる。北見先輩の席は教壇のまん前。休んだらそこにされてたって笑ってた。お陰で、前の戸が開いていれば北見先輩を見る事が出来た。
あれっ? 眼を擦 る。…違う。…座ってない。
教室を通り過ぎる。中庭に向かう。
★
北見先輩を初めて見たのは入学式。講堂の隅でバイオリンを弾いていた。
今日の私達みたいに。
北見先輩の弾くバイオリンの音が澄みきっていて、いいなぁって。
私はそのまま管弦楽部に入部した。
もちろん希望はバイオリン。北見先輩と一緒に弾けたらいいなって思ったから。不純な動機だ。
譜面 が読めるようになり、音階が弾けるようになり、曲が弾けるようになった時、私の体に異変が起きる。肩から首を痛めてしまった。
痛みでバイオリンを顎 (左頬の骨と言ったほうが分かりやすいか)と肩で挟んでいられなくなった。手を放した状態で挟んでいて、バイオリンが引っ張られても、びくともしないってのが理想らしいのだが、私はそこに行き着けなかった。
それでも続けたかった私に引導を渡したのは、事もあろうか北見先輩だった。
「これから先、同じ事を繰り返す様になるぞ。バイオリンは諦めたほうがいい」
「…はい」
北見先輩の事は収集済。三歳からバイオリンを習い始め、コンクールで賞をとる程の腕前。そんな人に引導を渡され、医者からも同じ事を言われていたから、続けたいなんて食い下がれなかった。
そのまま部を辞めたくなかった私は、楽器替えでフルートを選んだ。合同練習になるまではパート別練習だから、私は音楽室内の防音室の小部屋に籠 る事になる。
音階が吹け、腕の筋肉痛もなくなる頃には、金属のヒンヤリした感触に愛着を感じる様になってくる。もちろん、練習の隙を見て北見先輩のチェックは忘れない。
初めてのコンクールの合同練習で指摘される。
「苅谷 だけテンポが早い」
中断され怒られた。皆の前で、北見先輩の前で、恥ずかしかった。
その日は朝から「いい日になるんだろな」と少し浮かれていたのに。
部活が終ってから中庭で一人沈んでいた。
「どうしてなんだろ。ちゃんと譜面読んでるのに。曲だって何度もCD聞いて耳慣れしてるのに。折角の日なのに、こうなるなんて思いもしなかった」
♪~♪~♪~♪~♪~
自分の為に吹いている。こんな気分で吹いてて情けなくなってくる。
夕陽が赤く投げかけてきて、こんな曲じゃなければムードも盛り上がってくるのに。
突然、笑い声が漏れた様な響きが耳に入る。
(誰か居る?!)
息を止める。フルートからの音が途切れる。確かに誰か居る。私の後ろから近づいてくる。
「気づかれちゃったか」
「えっ?! 北見先輩!」
振り向いて確認すると、北見先輩が帰り支度して近づいてきている。
私の隣に座る。私は吹いてた曲が曲だけに恥ずかしくなっている。
「今日が苅谷の誕生日だったんだ」
「…はい」
余りにも恥ずかしくて私は北見先輩の顔を見るどころじゃなかった。
北見先輩は持っていたバイオリンケースを芝生に置いて、ケースを開ける。手入れされているバイオリンを取り出した。
「じゃ、俺から同じ曲をプレゼント。音を聞きながら頭の中で歌う様に。俺、歌うのは苦手だから」
そう言ってスッと弓を構えると、滑 らかに弾き出した。
♪~♪~♪~♪~♪~
北見先輩の弾く音が耳を転げ落ちてくる様な気がしている。この音を逃さずに、頭の中で歌う。北見先輩の弾くテンポが速くなったり遅くなったり。それに合わせて歌詞を歌う。
音が途切れ、辺りが静まり返る。北見先輩の音に全てが聞き惚 れていたかのように静かになっていた。私だって自然と北見先輩を見ていた。
「誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
「少し勉強になったんじゃないか?」
「えっ? 勉強ですか?」
「そう。今、俺の音に合わせて歌えたかい?」
「はい。テンポが速くなったり遅くなったりしてましたが」
私の返事を聞いて北見先輩は驚いた様な顔をした。
「苅谷は音を聞き取れているんだな。それなら練習の時、他の楽器の音も聞き取れているかな?」
「北見先輩の音はバッチリ聞こえています(しまった! 変な事言っちゃった)」
内心慌てている私を見てなのか、北見先輩は笑う。
「そうか。聞こえているなら、周りの音を良く聞いてテンポを掴むんだ。譜面通りじゃテンポは掴めない。指揮者にもよるからね。さっきの所、少し合わせてあげよう。俺の音に合わせて。いくよ」
「はいっ」
さっき怒られてた第ニ楽章の譜面を芝生に置いて、音が流れ出す。
♪~♪~♪~♪~♪~
北見先輩の音を逃さずに掴む。聞いて合わせる。合わせる。合わせる。
北見先輩と私の音が合う。性質の違う音なのに、密かに惹き合っている。反発もせず共振していく。
(うわぁ。気持ちいい!)
私の吹いていく音が広がっていく感じに襲われている。この譜面のイメージは森の中。朝日が射し込んできて、皆、起きろ、起きろ、起きろ! 森の中が息づいていく場面。
♪~♪~♪~♪~♪~
気づけば、第二楽章が終わっている。
「その感じ、忘れないように」
「はいっ。ありがとうございます」
北見先輩がバイオリンをケースに収める。ケースを閉じて私を見る。
「苅谷の吹く音はいいと思う。いい音がそのフルートから出されている」
「でも、このフルート、高い物じゃないんですよ」
近くの楽器店で一番安かったやつだ。北見先輩がそれを聞いて笑う。
「値段で音に違いが出るのは本当だ。だが、楽器は値段が高ければいい音が出る訳じゃない。演奏者がどう扱うかで音が変わる。苅谷の場合、そうだな、音に気持ちが込められてる。だから深みのある広がりで響くんだ。普通に音階をなぞってる吹きかたじゃないから、いい意味でミスが目立つんだ。折角いい音を持っているんだから、大事にしてやらないと」
「あ、ありがとうございます。…あの、聞いてもいいですか?」
「何?」
「どうやったら北見先輩みたいに、どんな曲でも上手に弾けるようになるんでしょうか?」
私の質問に北見先輩は怪訝 そうな顔をする。
「上手か? 俺の弾くのが?」
「はい。上手だと思います」
「俺は自分の音をまだ駄目だと思ってる」
「えっ? だってコンクールで賞取ってるじゃないですか」
「でも、まだ満足出来ないんだ。俺の音はこんなもんじゃない…筈なんだ」
「何だか贅沢 に聞こえます。あんなにいい音持っているのに」
「そうかな?」
北見先輩がスッと立ち上がって荷物を持つ。
「苅谷にも分かる時が来るかもしれないな。部活だけで終らせるのは、勿体無 い気がするんだけど」
「それはどういう意味で?」
「今度は好きな様に吹いてみるといい。じゃ、明日な。もう心配かけんなよ」
北見先輩は私の質問に答えないまま、ポンと私の肩を叩いて帰っていく。
残された私は北見先輩の言葉の意味を考える。
本気でフルートに向かったほうがいいって事なのだろうか?
私は第二楽章を初めから吹いていく。譜面に囚 われず、イメージを頭の中で描 いて自分の好きな様に。
♪~♪~♪~♪~♪~
驚いた。
北見先輩の音に合わせていた時よりも気持ちよかった。ソロだからかもしれない。
だけどソロじゃないんだ。これを全ての音と集約して広がる様に合わせなきゃ。
…そうか。
今日の私の音は「出る杭は打たれる」状態だったんだ。自己主張しすぎてたんだ。
★
その時の曲は最優秀賞をとった。
それから今日迄の間に二回、この場所で北見先輩の音と私の音が重なった。
私が曲を掴みきれなくて、北見先輩に頼み込んだんだ。北見先輩は快く引き受けてくれた。
北見先輩に対する憧れが「好き」に変わっていった。
☆
今日でお別れだ。北見先輩に「好き」を伝えられないままお別れだ。
北見先輩は東京の大学に進み、留学するって言っていた。
もう、会えない。
もう会えないから、私のこの気持ちを伝えたいのに、私は北見先輩との思い出が残っているこの場所に逃げてきている。
北見先輩だってもう帰っただろう。
中庭は午後の陽光 が射し込んで暖かだった。桜が最近の暖かさで花開いている。
北見先輩との思い出を追い駆けながら、地面に気がつく。青い絨毯 だ。
しゃがんで覗き込むようにして見る。小さくて青い花だ。
「何て言ったっけ。小 っちゃい時、花集めて花吹雪して遊んだっけ。えっと、えっと…そだ、イヌフグリだ」
小さな花が一面に咲き誇っている。中庭にはよく来ていたのに気がつかなかった。
辺りを見回すとそこかしこに咲いている。
「ここ暖かだもんね。あっ!」
指先で花を撫ぜたらコロンと花が落ちた。潔く落ちていく花を見て、私は驚いている。
「しまった。こんなに簡単に落ちちゃうんだっけ。そんな筈ないよな。そらっ…うわっ! ゴメン!」
隣の花に確認の様に指先を当てたら、またコロンと落ちる。指で摘んで取ったと記憶にあるんだけど。
落ちた花を摘んで元の様に乗せてみる。
「酷 い事しちゃった。折角、春を先取りしてたんだろうに」
♪~♪~♪~♪~♪~
「えっ?!(北見先輩?)」
私の居る中庭にバイオリンの音が響き渡る。それも誕生日の曲。
大慌てで立ち上がり音のするほうに振り向くと、バイオリンを弾いてる北見先輩が居る。
「北見先輩! どうしてここに?」
とっくに帰ったかと思ってた。
バイオリンの音が途切れ、北見先輩が私を見る。私はすかさず北見先輩の制服の第二ボタンに視線を走らす。大丈夫だ。付いている。確認して、ホッとしている私だった。
というのも、卒業式に好きな人の第二ボタンが貰えれば両思いのシルシ。
「探してた。多分、ここに居ると思って来たら居た」
「私を探してた?」
「苅谷には、謝らなきゃならないと思っていたから」
「謝る? 私に?」
「そう」
「どうしてですか? 北見先輩が謝る必要ないですよ」
「いや。あるんだ」
何で北見先輩が?
私が北見先輩に謝る事だったら一杯出てくる。それよりも、今、北見先輩に「好き」と伝えられる。
…だめだ。そう簡単に言えない。
混乱している私に、北見先輩は頭を下げている。
「あっ! せ、先輩!」
「ごめんな。苅谷にバイオリンを諦めさせた」
「えっ? …あ、あれ」
北見先輩が頭を戻す。私を見る。
「俺が決める事じゃなかった。ごめんな」
「いいんです。あの時、北見先輩、理由も言ってくれたじゃないですか。お医者さんも「癖になる」って言ってたから諦めが付いたんです。あのまま続けてたら、今頃、部に居ないと思います。だから、北見先輩は謝らなくていいんです」
「だが」
「いいんです!」
「でもな。苅谷のフルートの音がどんどん良くなっていくのを聞いてて後悔してたんだ。もし苅谷がバイオリンを続けていたら、どんな音になっていたんだろうって。もしかすると、俺の音すら超えてしまうんじゃないかって」
「えっ? 北見先輩、それは買いかぶりすぎです。私は北見先輩の音にすら近づけませんよ」
「俺は苅谷の音が好きだ」
私の音が好き。私本人じゃないけど北見先輩が「好き」と言ってくれた。私も言いたい。北見先輩の音が好きだ。けど、私は北見先輩本人に「好き」と言いたい。北見先輩本人に。
…言えないよ。本人に「好き」なんて言えない。
「音」じゃなくて「事」だったら良かったのに。
「私も北見先輩の音が好きです」
北見先輩が笑う。
「ありがとう。ひとつリクエストしていいかな? 誕生日の曲」
「あれっ? 北見先輩、今日?」
「そうなんだ」
「はい」
ケースからフルートを出す。楽器は値段じゃないって北見先輩に言われたから、私のフルートは一年の時に買った一番安かった物のままだ。
♪~♪~♪~♪~♪~
「北見先輩、誕生日おめでとうございます」
「ありがとう。苅谷の音が最後に聞けて嬉しいよ」
「あ…北見先輩」
「何?」
これで最後になると気づいた私は、勇気を出そうとして、言葉に詰まる。
「あ…わっ、わっ…私…(ダメだ。言えない)…わっ!」
「うわっ!」
言葉に詰まってるところに、一陣の風が吹き荒れた。
桜の花びらが舞い踊り、地面から青いイヌフグリの花が一斉に舞い上がって渦を巻く。
その光景に北見先輩と私は固唾 を呑んで見惚 れていたんだと思う。
私の横で北見先輩が呟く。
「春…一番なのかな」
北見先輩がバイオリンを構える。
「「春」苅谷も一緒に」
「はい」
楽譜を引っ張りだして譜面に目を走らす。フルートを口に当てる。
北見先輩の音が軽やかに滑り出し、私の音がそれに加わる。お互いの音が追い駆けっこをしているように弾 けていく。
♪~♪~♪~♪~♪~
暖かい陽光の下、時折悪戯 な風が青い波を作り出す。
このまま吹いていたい。ここで北見先輩と一緒に居たい。
そして伝えたい。
…無理だ。…伝えるなんて出来ない。(わっ!)
突風が地面から青い花飛礫 を私の背中にぶつけてきた。
私の口が開く。出てきたのはフルートの音じゃない、自分の声。
「北見先輩。私は北見先輩の事が好きです」
音を奏でながら、北見先輩の顔が驚いて私を見る。笑顔になる。
「ありがとう」
私はフルートを口に当てる。もう一度北見先輩の音に合わせる。二つの音が広がっていく。重なり合って一つに。この曲が終わるまで…一緒に。
♪~♪~♪~♪~♪~
青いうねりが私の足元で留 まっている。
- #0 F I N -
部活なので楽器は学校レンタル。
クラリネット等のリード(吹き口に装着する)部分は各自購入。
楽器に慣れてきた頃に購入するか決めてましたね。
いい日なのに…。
「第65回卒業証書授与式を閉式致します」
卒業生が退場していく。講堂の片隅でフルート吹いて送り出している私が居る。
今日でお別れ。
しまった。音抜けた。指揮者に
集中しているのに、音が
泣いているんじゃない。卒業式の雰囲気に
この気持ちが続く。
続いたって事は、ミスをし続けてたって事にもなる。
音楽室に戻って先輩達を迎える。
皆、口々に「卒業おめでとうございます」を言い、花束を渡す。
それで、お
☆
帰り支度をして、私は北見先輩の思い出を
こんな日の校舎は、いつもの暖かさや賑やかさがどこかに成りを潜めている。三年のクラスの廊下が静かすぎて足音が響く。六組の前で立ち止まる。北見先輩の席は教壇のまん前。休んだらそこにされてたって笑ってた。お陰で、前の戸が開いていれば北見先輩を見る事が出来た。
あれっ? 眼を
教室を通り過ぎる。中庭に向かう。
★
北見先輩を初めて見たのは入学式。講堂の隅でバイオリンを弾いていた。
今日の私達みたいに。
北見先輩の弾くバイオリンの音が澄みきっていて、いいなぁって。
私はそのまま管弦楽部に入部した。
もちろん希望はバイオリン。北見先輩と一緒に弾けたらいいなって思ったから。不純な動機だ。
痛みでバイオリンを
それでも続けたかった私に引導を渡したのは、事もあろうか北見先輩だった。
「これから先、同じ事を繰り返す様になるぞ。バイオリンは諦めたほうがいい」
「…はい」
北見先輩の事は収集済。三歳からバイオリンを習い始め、コンクールで賞をとる程の腕前。そんな人に引導を渡され、医者からも同じ事を言われていたから、続けたいなんて食い下がれなかった。
そのまま部を辞めたくなかった私は、楽器替えでフルートを選んだ。合同練習になるまではパート別練習だから、私は音楽室内の防音室の小部屋に
音階が吹け、腕の筋肉痛もなくなる頃には、金属のヒンヤリした感触に愛着を感じる様になってくる。もちろん、練習の隙を見て北見先輩のチェックは忘れない。
初めてのコンクールの合同練習で指摘される。
「
中断され怒られた。皆の前で、北見先輩の前で、恥ずかしかった。
その日は朝から「いい日になるんだろな」と少し浮かれていたのに。
部活が終ってから中庭で一人沈んでいた。
「どうしてなんだろ。ちゃんと譜面読んでるのに。曲だって何度もCD聞いて耳慣れしてるのに。折角の日なのに、こうなるなんて思いもしなかった」
♪~♪~♪~♪~♪~
自分の為に吹いている。こんな気分で吹いてて情けなくなってくる。
夕陽が赤く投げかけてきて、こんな曲じゃなければムードも盛り上がってくるのに。
突然、笑い声が漏れた様な響きが耳に入る。
(誰か居る?!)
息を止める。フルートからの音が途切れる。確かに誰か居る。私の後ろから近づいてくる。
「気づかれちゃったか」
「えっ?! 北見先輩!」
振り向いて確認すると、北見先輩が帰り支度して近づいてきている。
私の隣に座る。私は吹いてた曲が曲だけに恥ずかしくなっている。
「今日が苅谷の誕生日だったんだ」
「…はい」
余りにも恥ずかしくて私は北見先輩の顔を見るどころじゃなかった。
北見先輩は持っていたバイオリンケースを芝生に置いて、ケースを開ける。手入れされているバイオリンを取り出した。
「じゃ、俺から同じ曲をプレゼント。音を聞きながら頭の中で歌う様に。俺、歌うのは苦手だから」
そう言ってスッと弓を構えると、
♪~♪~♪~♪~♪~
北見先輩の弾く音が耳を転げ落ちてくる様な気がしている。この音を逃さずに、頭の中で歌う。北見先輩の弾くテンポが速くなったり遅くなったり。それに合わせて歌詞を歌う。
音が途切れ、辺りが静まり返る。北見先輩の音に全てが聞き
「誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」
「少し勉強になったんじゃないか?」
「えっ? 勉強ですか?」
「そう。今、俺の音に合わせて歌えたかい?」
「はい。テンポが速くなったり遅くなったりしてましたが」
私の返事を聞いて北見先輩は驚いた様な顔をした。
「苅谷は音を聞き取れているんだな。それなら練習の時、他の楽器の音も聞き取れているかな?」
「北見先輩の音はバッチリ聞こえています(しまった! 変な事言っちゃった)」
内心慌てている私を見てなのか、北見先輩は笑う。
「そうか。聞こえているなら、周りの音を良く聞いてテンポを掴むんだ。譜面通りじゃテンポは掴めない。指揮者にもよるからね。さっきの所、少し合わせてあげよう。俺の音に合わせて。いくよ」
「はいっ」
さっき怒られてた第ニ楽章の譜面を芝生に置いて、音が流れ出す。
♪~♪~♪~♪~♪~
北見先輩の音を逃さずに掴む。聞いて合わせる。合わせる。合わせる。
北見先輩と私の音が合う。性質の違う音なのに、密かに惹き合っている。反発もせず共振していく。
(うわぁ。気持ちいい!)
私の吹いていく音が広がっていく感じに襲われている。この譜面のイメージは森の中。朝日が射し込んできて、皆、起きろ、起きろ、起きろ! 森の中が息づいていく場面。
♪~♪~♪~♪~♪~
気づけば、第二楽章が終わっている。
「その感じ、忘れないように」
「はいっ。ありがとうございます」
北見先輩がバイオリンをケースに収める。ケースを閉じて私を見る。
「苅谷の吹く音はいいと思う。いい音がそのフルートから出されている」
「でも、このフルート、高い物じゃないんですよ」
近くの楽器店で一番安かったやつだ。北見先輩がそれを聞いて笑う。
「値段で音に違いが出るのは本当だ。だが、楽器は値段が高ければいい音が出る訳じゃない。演奏者がどう扱うかで音が変わる。苅谷の場合、そうだな、音に気持ちが込められてる。だから深みのある広がりで響くんだ。普通に音階をなぞってる吹きかたじゃないから、いい意味でミスが目立つんだ。折角いい音を持っているんだから、大事にしてやらないと」
「あ、ありがとうございます。…あの、聞いてもいいですか?」
「何?」
「どうやったら北見先輩みたいに、どんな曲でも上手に弾けるようになるんでしょうか?」
私の質問に北見先輩は
「上手か? 俺の弾くのが?」
「はい。上手だと思います」
「俺は自分の音をまだ駄目だと思ってる」
「えっ? だってコンクールで賞取ってるじゃないですか」
「でも、まだ満足出来ないんだ。俺の音はこんなもんじゃない…筈なんだ」
「何だか
「そうかな?」
北見先輩がスッと立ち上がって荷物を持つ。
「苅谷にも分かる時が来るかもしれないな。部活だけで終らせるのは、
「それはどういう意味で?」
「今度は好きな様に吹いてみるといい。じゃ、明日な。もう心配かけんなよ」
北見先輩は私の質問に答えないまま、ポンと私の肩を叩いて帰っていく。
残された私は北見先輩の言葉の意味を考える。
本気でフルートに向かったほうがいいって事なのだろうか?
私は第二楽章を初めから吹いていく。譜面に
♪~♪~♪~♪~♪~
驚いた。
北見先輩の音に合わせていた時よりも気持ちよかった。ソロだからかもしれない。
だけどソロじゃないんだ。これを全ての音と集約して広がる様に合わせなきゃ。
…そうか。
今日の私の音は「出る杭は打たれる」状態だったんだ。自己主張しすぎてたんだ。
★
その時の曲は最優秀賞をとった。
それから今日迄の間に二回、この場所で北見先輩の音と私の音が重なった。
私が曲を掴みきれなくて、北見先輩に頼み込んだんだ。北見先輩は快く引き受けてくれた。
北見先輩に対する憧れが「好き」に変わっていった。
☆
今日でお別れだ。北見先輩に「好き」を伝えられないままお別れだ。
北見先輩は東京の大学に進み、留学するって言っていた。
もう、会えない。
もう会えないから、私のこの気持ちを伝えたいのに、私は北見先輩との思い出が残っているこの場所に逃げてきている。
北見先輩だってもう帰っただろう。
中庭は午後の
北見先輩との思い出を追い駆けながら、地面に気がつく。青い
しゃがんで覗き込むようにして見る。小さくて青い花だ。
「何て言ったっけ。
小さな花が一面に咲き誇っている。中庭にはよく来ていたのに気がつかなかった。
辺りを見回すとそこかしこに咲いている。
「ここ暖かだもんね。あっ!」
指先で花を撫ぜたらコロンと花が落ちた。潔く落ちていく花を見て、私は驚いている。
「しまった。こんなに簡単に落ちちゃうんだっけ。そんな筈ないよな。そらっ…うわっ! ゴメン!」
隣の花に確認の様に指先を当てたら、またコロンと落ちる。指で摘んで取ったと記憶にあるんだけど。
落ちた花を摘んで元の様に乗せてみる。
「
♪~♪~♪~♪~♪~
「えっ?!(北見先輩?)」
私の居る中庭にバイオリンの音が響き渡る。それも誕生日の曲。
大慌てで立ち上がり音のするほうに振り向くと、バイオリンを弾いてる北見先輩が居る。
「北見先輩! どうしてここに?」
とっくに帰ったかと思ってた。
バイオリンの音が途切れ、北見先輩が私を見る。私はすかさず北見先輩の制服の第二ボタンに視線を走らす。大丈夫だ。付いている。確認して、ホッとしている私だった。
というのも、卒業式に好きな人の第二ボタンが貰えれば両思いのシルシ。
「探してた。多分、ここに居ると思って来たら居た」
「私を探してた?」
「苅谷には、謝らなきゃならないと思っていたから」
「謝る? 私に?」
「そう」
「どうしてですか? 北見先輩が謝る必要ないですよ」
「いや。あるんだ」
何で北見先輩が?
私が北見先輩に謝る事だったら一杯出てくる。それよりも、今、北見先輩に「好き」と伝えられる。
…だめだ。そう簡単に言えない。
混乱している私に、北見先輩は頭を下げている。
「あっ! せ、先輩!」
「ごめんな。苅谷にバイオリンを諦めさせた」
「えっ? …あ、あれ」
北見先輩が頭を戻す。私を見る。
「俺が決める事じゃなかった。ごめんな」
「いいんです。あの時、北見先輩、理由も言ってくれたじゃないですか。お医者さんも「癖になる」って言ってたから諦めが付いたんです。あのまま続けてたら、今頃、部に居ないと思います。だから、北見先輩は謝らなくていいんです」
「だが」
「いいんです!」
「でもな。苅谷のフルートの音がどんどん良くなっていくのを聞いてて後悔してたんだ。もし苅谷がバイオリンを続けていたら、どんな音になっていたんだろうって。もしかすると、俺の音すら超えてしまうんじゃないかって」
「えっ? 北見先輩、それは買いかぶりすぎです。私は北見先輩の音にすら近づけませんよ」
「俺は苅谷の音が好きだ」
私の音が好き。私本人じゃないけど北見先輩が「好き」と言ってくれた。私も言いたい。北見先輩の音が好きだ。けど、私は北見先輩本人に「好き」と言いたい。北見先輩本人に。
…言えないよ。本人に「好き」なんて言えない。
「音」じゃなくて「事」だったら良かったのに。
「私も北見先輩の音が好きです」
北見先輩が笑う。
「ありがとう。ひとつリクエストしていいかな? 誕生日の曲」
「あれっ? 北見先輩、今日?」
「そうなんだ」
「はい」
ケースからフルートを出す。楽器は値段じゃないって北見先輩に言われたから、私のフルートは一年の時に買った一番安かった物のままだ。
♪~♪~♪~♪~♪~
「北見先輩、誕生日おめでとうございます」
「ありがとう。苅谷の音が最後に聞けて嬉しいよ」
「あ…北見先輩」
「何?」
これで最後になると気づいた私は、勇気を出そうとして、言葉に詰まる。
「あ…わっ、わっ…私…(ダメだ。言えない)…わっ!」
「うわっ!」
言葉に詰まってるところに、一陣の風が吹き荒れた。
桜の花びらが舞い踊り、地面から青いイヌフグリの花が一斉に舞い上がって渦を巻く。
その光景に北見先輩と私は
私の横で北見先輩が呟く。
「春…一番なのかな」
北見先輩がバイオリンを構える。
「「春」苅谷も一緒に」
「はい」
楽譜を引っ張りだして譜面に目を走らす。フルートを口に当てる。
北見先輩の音が軽やかに滑り出し、私の音がそれに加わる。お互いの音が追い駆けっこをしているように
♪~♪~♪~♪~♪~
暖かい陽光の下、時折
このまま吹いていたい。ここで北見先輩と一緒に居たい。
そして伝えたい。
…無理だ。…伝えるなんて出来ない。(わっ!)
突風が地面から青い
私の口が開く。出てきたのはフルートの音じゃない、自分の声。
「北見先輩。私は北見先輩の事が好きです」
音を奏でながら、北見先輩の顔が驚いて私を見る。笑顔になる。
「ありがとう」
私はフルートを口に当てる。もう一度北見先輩の音に合わせる。二つの音が広がっていく。重なり合って一つに。この曲が終わるまで…一緒に。
♪~♪~♪~♪~♪~
青いうねりが私の足元で
- #0 F I N -
部活なので楽器は学校レンタル。
クラリネット等のリード(吹き口に装着する)部分は各自購入。
楽器に慣れてきた頃に購入するか決めてましたね。
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