#22 関係 <エリック視点>

文字数 3,858文字

祥子が日本に戻ってから直ぐの事だった。
俺と征司に公演依頼があってその打ち合わせが終わった時、ミリファが部屋に入ってきた。

「征司、エリック、ちょっとこれ見て」

怒った様なミリファの口調だった。俺達はミリファの開く雑誌に視線を止める。

「「えっ?!」」

俺達はそのページの見出しに驚く事になった。

 ガラスのフルート吹きは、夜、娼婦に変わる

「これ、祥子の事か?」
「そうよ」

征司が驚いてミリファに確認した。俺はその先を読んでいる。

 シンデレラは夜もお仕事。クラッシック界に突然現れたシンデレラは、夜になると男を惑わす娼婦に変わる。わが国一の楽団のフルートトップの座を射止めたのも体を張って奉仕のお陰。そのお相手は楽団の年寄りから若き奏者まで。オリエンタルな魅力を武器に快楽へ誘う。

 バレエの公演中、ホテルの部屋に同楽団の男性奏者を招きいれ、一夜を過ごしているのをホテル従業員が目撃している。この男性とは頻繁に夜を共にしている模様。何度か送られている祥子の姿が見られていた。

「これ、俺の事だ」

普通に過ごしていた事が、祥子との関係をほのめかす事になってしまっていた。

「エリック、祥子とは」

ミリファが遠慮がちに俺に聞いた。

「何もない。この日は看病してただけなんだ。祥子に触れたのは熱を見た時だけ」
「そう」

征司がため息をついて口を開く。

「祥子の出現が意表をついていたから叩かれたんだな。暫くうるさくなるぞ」

ミリファが雑誌を閉じる。

「こんなでっちあげマトモに取る事は無いのよね。でも、どこからこんな話が出たのかしら。楽団の内情迄でちゃって」
「さあな。こんなのは誰かが少し漏らせば飛びついてくるものだから」
「まさか…」
「人を疑っちゃいけないぞ。アイツの事を考えてるのだろうけど」
「うん」

俺は二人の会話を聞きながら思っていた。

(ランスの奴か)

祥子が来て影響を受けたのはランスだ。祥子を引きずり落とそうとしているのかもしれない。

「エリックが祥子とくっついちゃえばいいのよ。ガセネタじゃなくてエリックだけの祥子だから娼婦なんかじゃないぞってさ」

ミリファの冗談みたいな声が聞こえてきて俺はドキリと大慌てになる。

「えっ? 俺? 俺が?(俺だけの祥子?!)」
「そうでしょ?」

(確かに俺は祥子に興味がある。祥子の音も好きだ。そして、祥子の事だって…)

祥子がコーダを撫ぜている姿が思い出され、祥子のフルートを吹いてる姿が思い出され、俺の前で花を活けてる姿も思い出される。そして、俺の音に感動してくれた顔。抱き寄せて揺れていた祥子から立ち昇っていた甘い香り。
俺の首から下げていたIDカードの裏に入っている花びらが目に入って、胸の奥が痛くなった。

 「約束だ。祥子とデュオする。絶対、いつかこの曲で」

「ミリファ。エリックをからかうんじゃないぞ」
「だって、ねぇ」

征司の声が耳に入って我に返る。

「お、俺…いや、祥子にだって選ぶ権利が…あるから」
「祥子だってエリックの事好きだと思うんだけどな」

ミリファの言葉にドキリとして上手くかわす言葉が思い浮かばなかった。そんな俺を見てか征司が口を開く。

「ミリファ。想像で言っちゃ駄目だ。こういう話は特に」
「本人同士だもんね」
「そう。そうだよ。俺の事はおいといていいんだから。なっ。ほら、パートの練習に戻らなきゃ」

そそくさと二人の前から逃げ出した。
これ以上居たらミリファに何言われるか…。



祥子の記事は毎週出ていた。祥子が居ない間に、祥子のイメージがどんどん悪くなっていくようだ。
そんな中、俺は征司と公演に出たり、単独でも演奏する為に出かけていた。
戻ってきてシドの部屋に行く。報告を終えたらシドが口を開く。

「エリック。ミューラー婦人が時間をくれと言ってきています。君の都合のいい時で構わないとの事だが、いつにしますか?」
「ミセス カノン・ミューラーですか?」
「そう。祥子の件だと思う」

シドも気になってたのか、雑誌の山が机の上にあった。

「なら、早いほうがいいでしょう。明日、彼女の時間に合わせます」
「分かりました。そう伝えておきますから」
「お願いします」
「エリックもこの雑誌読んでますよね」
「はい」

シドが雑誌の山に視線を投げてため息をついた。

「祥子をこんな事で潰されたくないのですが」
「祥子だったら大丈夫ですよ」
「…そうですね」

パートの練習部屋に戻りながらカノンを思い出して焦っている。

(俺から何を聞き出したいんだ?)



翌日、昼前にカノンと会った。呼び出されたホテルの部屋で、ミューラー家の財力の前に驚き、その関心が祥子に向けられているのが少し羨ましくなった。

「エリック・ランガー、この雑誌を読んでいますか?」

言わずと知れた、祥子のゴシップが連載されている雑誌が積まれている。

「はい」
「祥子はこういう女性なのですか?」
「違います」

はっきりと否定した。言い訳みたいな理由は要らない。一言言えばいい。

「なら、ここに出てくる男性はどなたかご存知なのかしら?」

言っていいのか迷った。下手に言って祥子のチャンスを潰してしまうかもしれない。
だけど、そこに出てくるのは…。

「ほとんど私の事です」
「そう。では、残りの男性はどなたなのかしら?」
「シドと征司なら祥子と一緒に食事をしています」

カノンが笑う。

「あなたは祥子を支えていましたね。通訳してたりね」
「はい」
「あなたは祥子の事好きなのかしら?」
「…」

ドキリとした。祥子本人じゃなく、他の人にこんなにはっきり確認されるのは変な気がした。
答えるのを躊躇していたら、カノンが俺の顔を見て笑った。

「あらあら、私迄ゴシップ記者になっちゃってるわね。そんなのは本人の秘密ね」
「すみません」
「良いのよ。オバサンの戯言(ざれごと)よ。分かったわ。どうもありがとう」
「いえ」
「あなたが最初に「分かりません」と答えたら、私の中で祥子はふしだらな女性になっていたわよ。ゴシップ記事は色々な妄想をかきたてるからね」
「祥子はそんな女性じゃないです」
「安心したわ。祥子が戻ってくるのを心待ちにしてましょう。次で私も決断しますから」
「祥子のバックアップですか?」
「そうよ。祥子の音に惚れたのよ。エリック、あなたの音にも惚れたんだけど出遅れちゃってね。先にあちらさんがあなたを指名しちゃったのよ。あちらさんに何かあったら今度は逃さないつもりよ」
「それは光栄です」

経済界の裏側は奥が深いのを垣間見た気がした。複数のスポンサーがついていても、スポンサー同士の好き嫌いはあるものだ。

「今、ノーマークの祥子を私の手中に収めたいのよ。先日、祥子に脅しをかけたけど、少しでも応えてくれるのなら、音が少し悪かろうがいただくつもりよ。ただ、こんなゴシップに負けたり、音に変化が見られないのならそこまでよ」
「祥子は応えますよ。絶対」
「そうであって欲しいわ」

カノンが指を組み合わせて俺を見て笑った。
俺の祥子に対する気持ちが見透かされた様で俺は視線を外す。



定期演奏会の曲目が知らされる。今回の指揮はガド爺じゃない。
カルシーニから楽譜が渡される。

マーラー 第9交響曲
モーツアルト フルート四重奏曲ニ長調(フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)

「二曲だけか?」

確認しても三曲目の楽譜は無い。
征司が横で囁く。

「バッハ 無伴奏フルート パルティータ が祥子の為に用意されてる。一番最初に演奏させるそうだ」
「そうすると、今度の演奏会は祥子の独り舞台になるって事か」
「カルシーニは楽団の名誉を重んじる人だからな」

カルシーニのイメージ合わせが終わり、パートの練習に入る。

 ♪♪♪

俺の携帯に着信が入る。祥子の番号だ。

「悪い。ちょっと休憩」

皆を休憩にさせてから、通話ボタンを押す。

「ハロー」

向こうから祥子の声だ。どことなく明るい祥子の声だった。
俺は大急ぎで自分の小部屋を開けて入る。他の人に聞かれたくなかった。

「祥子だね。どうした?」
「フルートと仲良しに戻ったの」
「おめでとう。ってのも変だけど、良かったね」

こっちではトンデモナイ事になっているんだよ。とは言えない。今は祥子の喜んでいるのを壊しちゃいけない。それに、俺は祥子の電話を受けて嬉しいんだ。

「うん。ありがとう。エリックのお陰だよ」
「そう?」
「うん。エリックのお陰」
「なら、早く聞かせて貰いたいな」
「待っててね」
「早く祥子に会いたい」

祥子の声を聞いて嬉しくなっている。だから自然と「会いたい」が口から出ていった。
祥子との通話が切れても俺は携帯を握り締めていたりする。

「おっと。練習再開しなきゃ」

顔を叩いて気を引き締めた。



祥子が戻ってきた。言葉はかわしたけれど、今は行動を自粛するようにシドに言われている。確かに、どこからか見られている感じを受けている。
祥子はパートを纏めるのと、次の演奏会のイメージを掴むのに苦労しているみたいだ。忙しい程、ゴシップの事を考える暇もなくていいのかもしれないが。

二度目のモーツアルトの合同練習の時、祥子の音が変わった事に気づく。この音なら硝子のフルートの音と並べる。いや、それ以上の聴かせる音になっていた。二種類のフルートの音を祥子は自分のものにしたんだ。俺はこの音と早く合わせたくなっている。演奏会でも、個人的にも。
カルシーニがOKを出し、祥子はそれを聞いても無表情だった。祥子が何か企んでる気がした。

プライベートでのお誘いは出来ないままだ。今は祥子に余計な事で気を使わせたくない。

最近、ヘンリーが祥子にちょっかいを出しているのが気になっている。


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