#26 幸せ <祥子視点>

文字数 1,944文字

日本より夏は過ごし易い。マロニエのわさわさと生い茂った葉の影が涼しさを提供してくれている。

「エリックが教えてくれたんだ」
「マロニエ?」
「そう」

昼食を取った後で公園のベンチに座ってる。私がマロニエの木を見上げると、エリックも同じように見上げた。
葉の隙間から陽光(ようこう)が時折私達を包む。

「祥子もドイツ語上手くなってきたね」
「自分の気持ちを話す時はまだ英語に頼っちゃってる。今だって」
「誰に習ってるんだっけ?」
「ミリファとエドナよ。でも、一番の先生はユンナなのよ」
「ユンナ? あぁ、彼女か」

エリックが笑う。ユンナは私と同じアパートに住んでいて、楽団の事務をしている。
ユンナは日本で言う「オタク」だった。
私の持っていたマンガに興味を示し、そこから仲良くなった。



ある夜、私が帰宅したら、奥の扉が開いてユンナが顔を出した。

「祥子、ちょっと見て欲しいの」

ユンナが日本語で話しかけてきた。

「ユンナ、何?」
「来て来て」

手招きされて初めてユンナの家に足を踏み入れた私は、部屋に置いてある物にたじろいでしまった。

「うわぁ…(もしかして)」

アニメのポスターやグッズ、ビデオ、雑誌や単行本、ゲームもあった。確かに綺麗に整理されていて、むさくるしいと言う感じじゃない。ないんだけど…。
圧倒されてる私に恥ずかしそうにユンナが言う。

「可笑しい…かな? 日本でこんな人達が居るよね。オタクって言うんだっけ?」
「う、うん」
「…変かな?」

私が唖然(あぜん)としてたからユンナが言った。その声を聞いて我に返った。

「いえ。大丈夫よ。ユンナ程じゃないけど私もアニメ好きだし」
「そう? 良かった」

日本のアニメは海外でも人気がある。それがこの部屋を見て(うなず)けた。見渡して気づく。

「あら。ユンナったら、こんなレアな物手に入れたんだ」

確か日本で数体しか作られなくて、オークションで出てきたらラッキーってフィギュア。
ユンナが嬉しそうに見せてくれた。

「そうなの。結構高かったのよ」
「いくら?」
「これだけ」

ユンナの立てた指の数…って、これにそれだけ払ったの?! 触れない。

「凄いのね。日本のアニメを好きでいてくれて私も嬉しいわ」
「良かった。祥子に嫌われちゃったらどうしようかと思ってたんだ」
「何で?」
「だって、折角日本から来てるんだもの。情報ゲット出来るでしょ」
「あ、そうね」

(アニメ情報源ですか…)

「こんなだから、私、日本語勉強したのよ。こっちでも翻訳されてるマンガが売ってるけど、フキダシが大きくなっちゃったり、意味が簡略されちゃうのよ。だから本物が読みたかったの」
「好きな物の為になら勉強出来るね」
「そうなの。でね、今度、同じ趣味の仲間が集まるのよ。それに着ていく服、作ったのよ」
「え? 服?」

(コ、コスプレですか?!)

ユンナが寝室からハンガーに掛かってる服を持ってきた。
確か、魔女の宅急便のキキ。猫のジジも居る。

「これにホウキかデッキブラシかで迷ってるのよ。どっちがいいかしら?」
「そうねぇ。ウケ狙うならデッキブラシよね。でも、普通にホウキにして大きいカバンをナナメ掛けにしたら可愛いと思うよ」
「そう? じゃ、そうしよっと。大きいカバンってあったかなぁ。作らなくちゃ駄目かなぁ」

ユンナが自分の世界に入りそうだったから、引き止めなきゃと聞いてみる。

「そう言う集まりってどうやって知るの?」
「ネットよ」
「なるほど」
「結構居るのよ。今は日本のアニメが流行ってるわよ。日本のアニメって線が綺麗で、可愛いのよ。お話に人間味があるからかなぁ。親しみ易いのよ」
「いつも仮装するの?」
「そうよ。アニメの登場人物になりきるの。楽しいのよ。先月はハムスターの着ぐるみ着たわよ」
「ハムスター?」
「そう。待ってて。確かこの辺にしまったのよ」

と、ゴソゴソと着ぐるみ登場。

「知ってる。ハムちゃんだ」
「そうよ~。祥子も知ってるのね」
「…(ユンナ程じゃないと思う)」

ユンナが着ぐるみを着こんでなりきってる。

「来月はこっちなのよ。男装しちゃうのよ」

と、ゲームを引っ張り出して、そのファンブックを私に開いてみせる。

「…」
「また、祥子に聞くと思うわ。そしたらお願いね」
「う、うん」

その縁があって、日本語からドイツ語への勉強をさせて貰っている。
だけど、ユンナが普通の状態じゃないと駄目なんだ。ちょっとアニメの新作を口走ろうものなら、脱線しちゃう。



ユンナの事を思い出してたら可笑しくなった。どこでも人間って同じなんだな。

日本を離れていろいろあったけど、少し寂しく思うけど、仕事があって、趣味があって、生活があって、家族が居て、友達が居て、恋人が…居る。

「エリック」
「何?」
「今が一番幸せな感じ」
「今だけじゃなく、続けていきたいね」
「うん」

キラッと光が私の顔を照らした。


- #26 F I N -
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