#19 ゴシップ <祥子視点>

文字数 4,448文字

出国日が早まったのに、家族全員が見送りしてくれる。

「祥子、いつでも帰ってくるのよ。嫌な事あったら電話でも何でも寄こすのよ」
「お母さん、大丈夫だよ。結構日本に戻ってこれそうだし」
「そう。あ、ガドさんにも宜しくしてね」
「うん。伝えとく」

ガド爺が我が家ではガドさんになっている。
お父さんも少し心配そうに見てたが一言。

「お前、携帯持ってるよな」
「うん。どこにいても大丈夫だよ」
「そうだな」

娘の旅立ちを見送る図だよ。

「姉ちゃん、風邪薬持ったか?」
「入ってる。風邪薬と胃腸薬は必需品よ」
「帰ってくる時はお土産だからな」
「はいはい。アンタも今度会う時にはイイ男になっておくのよ」
「ほっとけ。姉ちゃんに言われたくない」

姉弟なんてこんなものだ。

「だけどなぁ、姉ちゃんが成功するのは俺も嬉しい」
「そう?」
「自慢出来る。だから頑張れ」
「うん」
「オトコの方もな。もしかして姉ちゃん国際結婚か?」
「ばっ、馬鹿っ!」

ヒトコト多い!

そんなこんなで、私は一人飛行機に乗り込んでウィーンに向かってる。
相変わらず居眠りもままならない。
二日も早く移動する理由って何だろう。



ウィーン国際空港で荷物のチェックを受けている間、係員の女性が私を見て何やら笑って話している。入国手続きでもそうだった。私を見て笑った。その笑いが嘲笑的なのに気づく。

何だろう。猫のぬいぐるみがバカにされた?

「祥子!」

名前を呼ばれて視線で探すと、ミリファが手を振って走ってくる。

「ミリファ。あなたが迎えに来てくれたの?」
「そうよ。私のほうがいいってシドに言われたから。あら、随分荷物あるのね」
「うん」
「まあいいわ。車で来てるから」

ミリファがカートを押していって、逃げる様に空港を後にした。

「ねぇ、ミリファ。私、皆に笑われてるみたい」

そう聞いたらミリファは運転しながら顔をしかめた。

「今は待ってね。後で説明するから」
「分かったわ」

私の新しい家につく。荷物を運び入れる。

「家の鍵はこれよ。確かに渡したわよ」
「受け取ったわ」

鍵を受け取って、家の中を確認する。後で必要な物を買い込まなくちゃ。

「家電は揃ってるのね。ベッドと机も、食器棚もある」
「寮の標準装備よ。足りない物は自分で買い足せばいいの」
「そう。布団とカーテンと食料を先に買ってこなくちゃ」
「帰りにまた車出すから一緒に買いに行きましょ」
「ありがとう。助かるわ」
「じゃ、練習所に行く前に私の家に寄って。何があったか説明するから」
「うん」

アパートからさほど離れていない一軒家に車が入る。同じ様な家が並んでいる。

「入って。今は誰も居ないから」
「お邪魔します」

ミリファに促されるままミリファの部屋に入った。
ロック歌手のポスターが貼られてる。クラッシックを演奏してても好みは色々だ。
ミリファがジュースと雑誌を何冊か持ってきた。

「上手く訳せるか自信ないけどね」
「何を? この雑誌?」
「そう。この雑誌ってゴシップ誌なの。噂をネタに色々とね。中には本当の事もあるんだけど」
「日本にも同じような雑誌あるわよ」

ミリファが雑誌を開く。

「祥子が日本に帰ってから出たヤツなの。ここ」

と指さされてもドイツ語だから分からない。ただ、私の写真が乗っていた。
ミリファが読んでくれる。

 シンデレラは夜もお仕事。クラッシック界に突然現れたシンデレラは、夜になると男を惑わす娼婦に変わる。わが国一の楽団のフルートトップの座を射止めたのも体を張って奉仕のお陰。そのお相手は楽団の年寄りから若き奏者まで。オリエンタルな魅力を武器に快楽へ誘う。

「えっ? 何、それ?! わ、私、そんな事してない!」
「分かってるわよ。でも、ここ」

 バレエの公演中、ホテルの部屋に同楽団の男性奏者を招きいれ、一夜を過ごしているのをホテル従業員が目撃している。この男性とは頻繁に夜を共にしている模様。何度か送られている祥子の姿が見られていた。

「これ、エリックの事よね?」
「そう。そうだけど、あの時は風邪ひいてて看病に来てくれた。それだけなのに」
「部屋の中迄見られないからこうなるのよ。祥子、ちょっと軽率だったわね」
「…うん」

ミリファにビシッと言われて立場が無い気がした。エリックにも迷惑かけてる。

「エリックも軽率だったのよ。続き読むわ」

 滞在中、他の男性と食事後、公園内でデートしているのを目撃されている。公園内にフルートの音が響き渡り、祥子と男性が甘い密会をしていた。シンデレラは自分の地位を確立するまで何人の男を惑わしていくのだろうか。

「と、まぁ、噂好きの妄想を(あお)ってるんだけど。この男性って?」
「シド。練習で遅くなったから食事したの」
「祥子はいきなり有名になったから目立つのよ。気をつけなきゃ」
「…うん」
「こんなのに負けちゃ駄目よ」
「うん。ありがとう」
「後の雑誌はこの話題を面白可笑しく吹聴してるの」

 シンデレラを待つ男達。
 ガラスのフルートは嫉妬で壊された?
 シンデレラの住む家は豪華な一軒家か?
 日本人男性とどちらがお好み?

私の居ない間に、私はこの国で娼婦になっていた。

「ミリファ、楽団の皆は?」

恐る恐る聞いてみた。

「こんなゴシップ信じないわよ。皆が皆って訳じゃないけど。エリックも否定してたし、征司だってガド爺だってシドだって」

ミリファが庇うように言ってくれたが、ミリファの顔は苦虫を噛み潰した様だった。男女間のゴシップだから面白がられているのだろう。

「日程を早めたのは、空港で祥子が巻き込まれない様にする為だったのよ。嗅ぎ付けられても、私が迎えに行けばネタにもならないって訳。密かに入国って位よね」
「そうね」
「暫くは周りがウルサくなるわよ。覚悟しとくのよ。悪い事してないんだから、堂々とね。弱気を見せたら更に増長するから。分かった?」
「うん」

ミリファは私よりも年下なのに頼りになる。一人でも女性の友達が居れば心強い。
征司と付き合ってるから知り合えた。ありがたかった。

「こんなになってたなんて、思ってもみなかった」
「そうでしょ。でも、ゴシップ誌に名前が出るのも有名なシルシなのよ」
「そうなんだろうけど、変なイメージは困る」
「まぁね。じゃ、練習所に行くわよ」

ミリファと一緒に地下鉄に乗って移動する。そこで実感した。目配せして笑ってたり、あからさまに「今日の男は居ないんだ」って声も交わされていた。次第に皆が皆、私の事を笑っている様に感じてきた。

「祥子、落ち着いて」

ミリファが私の腕を掴んだ。うっかり握り(こぶし)になっていた。

「だ、大丈夫。でも、(つら)い」

練習所に着いてからも好奇の眼に晒されていた。表立って無いのが幾分救いだった。

シドに挨拶をして簡単に説明を受けてから、シドの部屋を後にする。

「じゃね。祥子、帰り一緒に帰りましょ」
「うん」

ミリファがクラリネットパートの部屋に入っていった。
私は自分の部屋の戸が開けられないでいる。中に人の気配がしてる。皆来て練習してる。

…入らなきゃ。

 ガチャッ

一斉に皆の視線が私に向けられた。予想は付いた。だけど、その視線が痛い。

「祥子、お帰りなさい。皆待ってました」
「お久しぶりです」

アガシが何とか笑って迎えてくれた。皆の表情は戸惑っていた。私も含めて四人。たった四人なのに、統率出来ない。

「祥子、俺も祥子をトップに推したって…まぁ色々と書かれました」

アガシが頭を掻きながら照れた感じで私に言った。

「ごめんなさい。迷惑かけました」
「で、本当のトコロどうなんですか? 通訳しますよ」

リサが口を挟んだ。彼女はイギリス人のお母さんだ。確か男の子が一人。
リサの声に皆はビクっとしたけど、皆の聞きたい事だったようだ。

「あれを信じたかったら信じればいいわ。私はでっちあげなんかに負けないつもりよ。もし、風邪の看病に来てくれた人にそんな獣まがいの事をしてたら、ホテルドクターの立場は無いわね。私は熱出してそんな事する気力も無かったもの」

リサがドイツ語で私の言った事を通訳しながら皆に伝えてくれる。

「それに、食事を一緒にしたからって、それが一夜のドラマの始まりになるのもおかしいわ。公園でフルート吹いて、それを聞いて貰って悪いの? 皆も覚えがあるんじゃない? 私、自分の体は大事にしたいもの」
「ね。だから言ったでしょ? 突然抜きでてくると叩かれるもんだって。あれはゴシップ。祥子の実力を知っているのなら、噂を鵜呑みにしちゃ駄目よ。祥子がすること全てがゴシップに書かれちゃうんだから」

リサが納得させるように言った。
そうだ、ドイツ語も覚えていかなきゃ。今のだってリサが居たから収まったんだ。アガシも少しは英語が出来るが、シャンドリーは携帯片手だ。

「噂に踊らされてますね。別に祥子じゃなくても私達が普通にしてる事なのにね。それだけ世間が祥子に注目しているんですよ」
「リサ、ありがとう」
「いいえ。女同士ですから。困った時はお互い様ですよ」
「さて、久々に皆が揃ったことですし、祥子、どうします?」

アガシが聞いてきたから自分の立場を思い出す。

「えっ? あ、翻訳、翻訳」

日本語からドイツ語に変換して。発音が変だけど、伝えなきゃ。

「聞いて下さい。私の音、やっと(つか)めました」

フルートケースを開けた。隅にはエリックと約束した時の花びらが封筒に入っている。エリックとデュオする約束の花びらだ。もう、いつでも約束は果たせる。

リッププレートを拭いてから息を吹き込んでいく。

 ♪~♪~♪♪♪~

吹き終わって…静まったままだ。

「え? あ、あの…(失敗した?)」

私が声を出したら、皆が我に返ったように拍手がおこる。

「こないだよりずっと…いや、全然違うわ。違うのに祥子の音…祥子の音だって分かります」

リサが言った。隣に座ってたアガシが頷く。

「最高ですよ。硝子も良かったが、こっちはそれ以上に最高です」
「僕はこの音が好きです。前よりもずっと」

シャンドリーがたどたどしく英語で伝えてくれた。
今は嫌な噂を忘れていられそうだ。

「あ、そうだ。次の定期演奏会は? 打ち合わせ終わったんですよね」
「そうです。祥子の楽譜はこれです」

アガシが楽譜の束をくれた。楽譜に眼を通す。

バッハ 無伴奏フルート パルティータ
マーラー 第9交響曲
モーツアルト フルート四重奏曲ニ長調(フルート、バイオリン、ヴィオラ、チェロ)

「…え? 何この選曲…」

フルートがメインになっている。第9交響曲だって大きいソロがある。

「ガド爺ったら」

私が呟いたらアガシが訂正する。

「指揮者はカルシーニ・バッソ。ガド爺じゃないですよ」
「どうして? ガド爺がここの専属でしょ?」
「ガド爺は海外公演中。今回は外からの指揮者。ここ出身ですけどね」
「じゃ、何で?」

この選曲は明らかに私を試している。リサが答える。

「多分、祥子のゴシップを音で跳ね飛ばそうと考えてるんだと思うわ。今度の演奏会は別の意味で観客が集まると思うんですよ。音楽のABCも知らない人達もくるはずですから」
「…そうね」

ゴシップの元を見たいってのは人種が違っても同じなんだ。

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