#18 一から <祥子視点>

文字数 3,081文字

日本での公演を控えて顔合わせに出かける。
何度か合わせた事のある楽団だから癖は分かる。指揮者だって顔馴染み。
だから聞かれる。

「硝子のフルートはもう吹かないんですか?」
「傷出来たって話は本当ですか?」
「もう一本同じの作って貰えばいいのに」

同じの…か。
あのフルートはCM(コマーシャル)のBGM用に吹いた関係で贈られた物だ。贈り物をもう一度下さいなんて言えない。

ブラームス 交響曲第4番ホ短調
チャイコフスキー ピアノ協奏曲第2番ト長調

楽譜が渡され、イメージ合わせを行って終わる。
どちらにもフルートのソロが入っている。吹いてて何か物足りない気がしていた。

(いち)からやり直しだ。

そう思った私は、初めてフルートを手にした高校に連絡を入れた。見学させて欲しいと頼んだら快く承知してくれた。

翌日、練習を終えて高校に行った。何年も経ってるから知っている先生は数人いればいいほうだろう。
あの当時、綺麗に映っていた校舎が汚れた感じに見える。来客受付をしたら顧問の先生が来た。初対面の挨拶をかわし、音楽室に向かう。懐かしい放課後の雑踏の中、管弦楽の音が聞こえてくる。私もそこに居たんだ。
前もって知らされていたのか、私が音楽室に入ると音が消えた。
皆の視線が痛かった。ここに居るのは私よりも何年も年下の若者だ。世代の違いを一瞬感じた。

(おかしい。何故、こんな状態に?)

質問攻めになっている。これからの人達を前に私がウンチクを語っていいのだろうか。
私は気持ちの切り替えをしようと思って来たのに。

「値段の高い楽器を使うといい音が出るんでしょうか?」

そう質問してきた子がいた。

「私も似たような事を先輩だった北見さんに聞いたのよ。北見さんはこう答えたの。「値段で音に違いが出るのは本当だ。だが、楽器は値段が高ければいい音が出る訳じゃない。演奏者がどう扱うかで音が変わる」って。だから、私のフルートはココの部活で使っていた物なのよ」
「硝子のフルートは?」
「あれは傷ついちゃったの。硝子だから傷ヒトツで致命傷になるから今は使えないのよ。あれは頂いた物だったから大切にしていたのだけど」
「あの音好きでした。もう聞けないのは残念です」
「ありがとう」

一曲頼まれて吹いた。
音楽室に響く自分の音を耳に受けて背筋が寒くなった。この音は学生の出せる音じゃない。私はプロになっていたんだ。

練習が再開されて、私は楽器を見て歩く。この音が(まと)まってひとつの交響曲になるんだ。
バイオリンが眼に入る。私があきらめた楽器。

「ちょっと貸してくれる?」
「えっ? あ、どうぞ」

驚いた顔をして貸してくれた。私がバイオリンを弾いていたのは誰も知らないんだ。
弓の持ち方を覚えてた。構えも大丈夫。弦に弓を当てて軽く滑らす。

 ♪~ ♪♪♪♪♪・・・

バイオリンの音だ。ここに居る皆と同じ音が出せてる。征司の音とは全然違うけど、気持ちいい。音が流れるのが分かる。ぞくぞくしてくる。

「きらきら星」を最後迄弾いてる。バイオリンを下ろすと皆が驚いて私を見ていた。

「苅谷さんはバイオリンも弾けたんですね」
「入部して暫くはバイオリンだったのよ。でも首痛めてね。フルートに移ったの」

私は急いでお礼を言って高校を後にした。その足で自分の練習に戻る。
バイオリンが弾けた感動を引きずって、フルートのリッププレートに唇をつけた。

(冷たい)

冷やりとした感触が唇に伝わった。ゆっくり息を吹き込んでいく。

 ♪~♪~♪~♪~

吹ける。バイオリンとは違うフルートの音。私の音、私の音だ。気持ちいい。この音、思い出した。

 ♪~♪~♪~♪~

「星に願いを」を吹いている。

人形に魂を。人形を可愛い子供に。どうかこの子を動かして。この子に魂を。
私のイメージする情景を音が受け止めてくれている。

フルートを始めた時からコンクールで金賞を取った時迄の事が思い出されてくる。
このフルートだから出せる音。全てを載せられる音。このフルートの最高の音。

交響曲第4番ホ短調 の楽譜を並べてイメージを確認する。音を出す。

 ♪~♪~♪~♪~

思い通りの情景を載せられる。通しで吹いて練習なのに最高に気持ちいい。
このフルートならではの音を聴いて欲しい。

終わったのにフルートを唇から離すのが勿体無い気がしている。
ゆっくりと唇から離していく。
大きな深呼吸をしていた。このフルートの音に私は満足出来た。観客がどう思おうが、このフルートの最高の音を奏でる事が出来る。

自信が戻ってきた気がする。興奮してたんだと思う。私は携帯を引っ張り出している。
こっちが夜なら向こうは昼過ぎ。

「ハロー」

ガタガタという音と戸が閉まる音が耳に入ってから、声が聞こえてくる。

「祥子だね。どうした?」
「フルートと仲良しに戻ったの」
「おめでとう。ってのも変だけど、良かったね」

電話の遠い向こうで、エリックが喜んでくれている。

「うん。ありがとう。エリックのお陰よ」
「そう?」
「うん。エリックのお陰」
「なら、早く聴かせて貰いたいな」
「待っててね」
「早く祥子に会いたい」

ドキッとした。今、何でエリックに電話掛けているのだろう。嬉しかったから?

「祥子?」
「あっ、はいはい。そうだ。エリックは日本の物で興味ある物って何?」
「日本の物?」
「そう。エリックにお礼したいの。何でもいいわよ。言って」

暫く間があいてからエリックの声が入ってくる。

「祥子の着物姿が見たい」
「き、着物?」
「そう。女性は皆持ってるんだろ?」

芸者さんや舞妓さんとごっちゃになってる?
日本のイメージってサムライとニンジャとゲイシャなんだろうか。

「エリック。日本人だからって誰でも着物を持ってる訳じゃないのよ」
「そうなのか?」
「そう。私は持ってない」
「持ってないのか」
「うん。持ってない。浴衣だったらあるけど」
「浴衣? それ何?」
「着物を簡単にしたやつ。着物みたいに派手じゃないけどね」
「じゃ、その浴衣ってモノを見てみたい」
「うん。分かった。戻ったら楽しみにしてて」
「楽しみに待ってる」

その「待ってる」は私を? それとも浴衣? なんて頭を()ぎったから大慌て。

「エリック、もしかして今、忙しかった?」
「大丈夫。自分の部屋に入ってるから」
「ごめんね。つまらない用件で邪魔しちゃった」
「祥子だったら大歓迎さ。久々だし」
「ありがとう。嬉しくて誰かに言いたかったの。でも、そろそろ切るね」
「あぁ。体に気をつけて。またな」

用件だけ言って一方的に切った気がしてる。
でも、嬉しいのはエリックと喋ったからかもしれない。



日本での公演は最高の出来栄えだった。

「元に戻ったな。ワシはこの音も硝子の音も大好きじゃ」

ガド爺に言われて嬉しくなった。ガド爺のお墨付き程心強いモノは無い。
この音をウィーンで聴いて貰うんだ。

日本に居られる時間も残りわずかになってきた。諸手続きで忙しい。服とかは纏めて一気に手荷物で持って行く事にする。

シドから電話が掛かる。

「突然ですみませんが、2日早くウィーンに戻って来れますか?」
「はい。手続きも明日で終わるから大丈夫ですが」
「では、搭乗便の変更しておくので、確認願います」
「分かりました。何かあったんですか?」
「理由はこちらに来れば分かると思います」
「スケジュールに追加が入ったんですか?」
「いや。そんな事ではないのですが。それと、ガド爺から聞いてます。祥子の音、私も早く聴きたいです。ガド爺は大喜びでしたよ。良かったですね」
「ありがとうございます」
「空港に迎えに行きますから、荷物ピックアップしたら待っててくださいね」
「はい。分かりました」

私が知りたい事から上手くはぐらかされた気がした。

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