#35 おまじない <祥子視点>

文字数 3,020文字

柔らかい感触が頬にあって眼が覚めた。

「ん?」

ブロンドの髪の毛が私の肩の所に納まっている。エリックの頭を私が抱え込んでいる。エリックの寝息が私の肌にかかっている。ドキドキしてきた。
この人はランスじゃない。私を大切に想ってくれる人だ。昨夜だって無理強いしなかった。私の肌に手が()れていたのに。

「ぁ…」

ゆっくりエリックの頭が動いて、私の首筋にキスをしてきた。ゾクリとしながら体が震えてくる。

(どうして? 何で体が震えちゃうの?! エリックなのに、エリックなのに! まだ怖いの?!)

「ごめんなさい」
「祥子、おはよう」
「…おはよう」
「ぅっ」

エリックの頭が離れようとするから、慌てて腕で押さえつけた。今、情けない顔を見られたくない。
しまった。胸に押し付けちゃってる。
エリックの手がパジャマを捲り上げる。震えながらも体が固まって動かない。エリックの手が私に触れる。

「や、やめっ! あはははは」

くすぐってくる。

「やめ、やめてっ! あはははは」

容赦なく脇腹をくすぐってくる。

「もう、やめて、エリックやめてぇ! あはははは、ぁっ!」

私の力が抜けたところに、エリックが私の首筋にキスをしてきた。何度も。
私の手がエリックの髪の毛を(もてあそ)んでる。自然に、自然にそうしていた。
いつの間にかくすぐるのが止まってたのに気づけなかった。

エリックが体をずらして私の顔と合わせる。嬉しそうな顔と向き合ってる。

「震えが止った」
「うん」
「でも、起きないと」

そう言ってエリックが起き上がり、私に背中を向けた。

「どうしたの?」
「いや。何でもないから」

察しがついた。

「ふざけるからよ。私、着替えてくるね」

そそくさと着替えを持って部屋を移動した。でも、私は嬉しかった。エリックに触れられてたのに震えが止まってた。



アパートを出る時に躊躇(ちゅうちょ)してる。

「祥子、ちょっと眼を閉じて」
「こう? おわっ!」

エリックが私の両手を掴んで引っ張った。
アパートから一歩踏み出せた。振り返ったら、玄関の扉が閉まった。

「ほら、出発」
「うん」



皆に「大丈夫ですか?」なんて声を掛けられて、本当の理由は言えなかった。
言いふらせるものじゃない。ただ、頬の二本の傷は化粧してても分かるから、「転んだ時に引っ掻いちゃった」と誤魔化(ごまか)した。

ミリファを見つけて駆け寄る。

「ミリファ。おはよう」
「良くなった?」
「心配かけてごめんね。征司に「心配かけんなよ」って言われて、ミリファ達が凄く心配してくれてるのが分かって。もう大丈夫。ありがとう」
「良かった」

軽くミリファの頬にキスをしたら、ミリファが驚いた。

「祥子がキスするなんて」
「勉強したのよ。お礼でもしていいって」
「そうね。征司にもお礼してくれたのね。ありがと」
「あ、お礼だけよ。征司にはお礼のキスだけしかしてないわよ」
「知ってるわ。征司が言ってた」

何でも話してるのよ。と言う様にミリファが目配せした。



映画挿入曲の練習に力が入る。昨日休んだから私が遅れてる。練習しながら思っていた。この部屋に居る皆、外国人だ。国が違う外国人だ。でも、私を傷つける訳じゃない。
外人ってフィルターを私が掛けていたから皆を怖がっていたんだ。

(ランスだけを怖がればいいんだ)

征司と話して高校の時を思い出した。
「心配かけんなよ」この一言でいつも頑張れた。昨夜、その言葉を貰ってドキリとした。あえて征司を先輩に位置づけた私が居た。単なる憧れてた先輩。
征司はミリファの彼。今更、私は征司を恋愛対象にしない。私にはエリックが居る。

「祥子、シドの所に来るようにって」
「分かったわ。ありがと」

エドナが呼びに来て我に返った。一緒にシドの部屋に向かいながらエドナが私の顔を見る。

「祥子、大丈夫? 頬の傷、エリックに?」

思わず笑ってしまった。エリックに暴力振るわれたと思われた?

「やだ、エドナ。エリックはそんな事しないわ」
「冗談よ。シドから聞いてるわ」
「…全く。皆して私をからかうんだから」

エドナが笑いながらシドの部屋の戸を開けてくれた。

「エドナ、ありがと」
「じゃね」

エドナが戸を閉めて、私はシドの前に行く。

「シド、おはようございます」
「祥子、おはよう。今日は大丈夫そうだね」
「はい。ご心配お掛けしました。もう、大丈夫です」
「ですが、身の周りに気をつけて下さいよ」
「はい」

言われて気を引き締めた。

「昨日、征司達から聞いて警察に連絡しています」
「ランスの居場所は分からないのでしょうか」
「昨夜、祥子の家の周りをうろついてた自転車の男を捕まえたそうですよ。ランスがドラッグを餌に動かしてたようです」
「昨夜も居たんですか」
「昨日は休んでて良かったって事ですよ。祥子には運がついていますね」

そう言ってシドが笑った。
ホッとした。捕まったとなれば、暫く同じ行動はしない筈だ。

「良運なんでしょうか」
「きっとね。ですが、今回はおもちゃによるものなので、祥子の周りを四六時中、監視する訳にはいかないのが現状です」
「はい」

シドが、アパートに入る清掃業者や、配管工事等のスケジュールを見せる。

「業者は古くからのつきあいなんですが、油断はしないように。アパートに業者が入ってると思ったら家の中に居て下さい」
「はい」
「各家の扉を叩く事は絶対に無いので、叩かれても開けなくていいですよ」
「はい。あら。今日、清掃業者が入るんですね」
「これと同じ紙が玄関のトコに貼ってあると思ったのですが」
「あ、そうでした」

いつも読まずに素通りしてました。うっかり忘れてたように笑って誤魔化した。
アパートの玄関や階段が定期的に綺麗になってたのを思い出した。私は一ヶ月毎に掃除当番が来るのかと思っていたんだ。
シドが喋リ出したから、注意を向ける。

「あとは、郵便ですね。荷物の受け取りには気をつけて。警察もそうですよ。ID(識別カード)を見せられても、登録(認証)番号も確認するように」
「分かりました」
「些細な事でもあったら連絡下さい。エドナにでもいいですよ」
「はい。ありがとうございました」

お礼を言ったらシドが聞いてくる。

「映画の挿入曲はどうですか?」
「いい曲ですね。早く皆と合わせたいです。昨日休んだからその遅れを取り戻すのに必死です」
「頼もしいですね。祥子にはこの後、仕事が山積みですよ」
「程よくにして下さいね」
「そうしましょう」



映画のイメージと格闘していた。
どんな風に映像と音が合わさるのだろう。封切りされるのが待ち遠しい。絶対見に行くんだ。
明後日がレコーディングになる。観客がその場に居ない演奏は気持ちに余裕があるからラクだ。
音の失敗は許されないのはどんな演奏でも同じだけど。

お昼をエリックと食べた。ふと、エリックの左手に気づく。掌の傷。あの夜、私は自分の事で一杯で、エリックの怪我を忘れてた。

「エリック」
「なんだい」
「左手見せて」

パッとエリックが掌に視線をやって、気づいた様に握って私に差し出した。

「はい。左手」

受け取ったエリックの左手の握られた指を一本ずつ解いていく。
小さい丸いカサブタが私の眼に入る。

「ごめんね。痛かったでしょう」
「この位平気さ」
「このまま開いてて」
「 ? 」
「イタイノ イタイノ トンデイケ」

私の指をエリックの傷口に軽く添えて、ゆっくりと撫ぜるように動かした。
エリックが不思議そうな顔をして聞く。

「何したんだ?」
「早く治るおまじない。痛みが飛んでいくおまじないよ」
「そうか。ありがとう。これなら直ぐ治りそうだ」
「でしょ」


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