#3 オリエンタル レディ <エリック視点>

文字数 8,057文字

ガド爺が興奮を一気に吐き出して、満足した様に大きく息を吸った。

「明日の新聞に祥子が載るぞ。公演前に手厳しくこき下ろしてくれたからの」
「俺達の時もあったなぁ」
「そうだったな」

俺と征司は顔を見合わせて(うなず)いた。

俺も書かれたが、征司のほうが辛辣(しんらつ)に書かれていた。

  日本人があの歴史ある由緒正しき劇場でソロを弾くとは…

愛国心のなせる技だ。お陰で俺なんかはまだ可愛く書かれていた。

  わが国が生んだ世界的指揮者の純正秘蔵っ子。その実力は本物か…

こんな風に書かれていたのだが、公演後の掌を返したコメントには、征司と二人で大笑いしたもんだ。

  その実力はお墨付。見事なまでの表現力とその技術に会場にいた全観客を魅了…

実力でコメントを勝ち取ったんだ。

祥子の音も絶賛される。断言できる。
ガド爺という大きな運をつかんだんだな。
ちょっと変わった爺さんだけど、棒を持たせるとその大きさが分かる。
俺達をここまで育ててくれた人だ。

俺はチェロだから、コンサートマスターの座を第一バイオリンの征司に持ってかれたが…それは仕方がないことだ。
実力で言えば俺のほうが上の筈だ。多分。…そうしておこう。
留学してきた当初の征司は、とっつき(にく)い日本人だったが、今じゃバカ話のひとつやふたつも言うようになってきた。俺のお陰だ。絶対そうだ。

おっと、昔の事を思い出してた。

俺は今日のボレロを聴いて驚いている。祥子のフルート。技術も凄いものだった。バレエなんか興味無かったのに、今日は自然と眼が追い駆けてた。バレエが面白いとも感じた。不思議だった。祥子の音が促したんだ。その音。その音が違うんだ。俺には分かる。違うのは音の出所だ。

「ガド爺、ひとつ聞いていいか?」

ガド爺がソーセージを口に放り込んでから、俺を見る。

「何じゃ?」
「祥子の楽器、他のフルートと違うのか?」
「いい所に気づいたな」

ガド爺が最後のワインを口にする。

「違う?」

征司が驚いた様に聞き返すから、俺は感じた事を口にする。

「違う。そう感じた。フルートなんだけど、どこか違うんだ。初めて聞く音だ」
「エリックはそう感じたか」

ガド爺がもったいぶって笑う。

「ガド爺、教えてくれよ」
「公演最終日に楽屋に遊びに来るんじゃ。見せてあげよう。征司もくるといい。さて、子供はもう寝る時間じゃ。お開きにするぞ」
「ガド爺、出し惜しみかよ~。あ~あ」



翌日、新聞に祥子の事が載っていた。

 バレエを魅了させる音を奏でたのは、祥子・苅谷。ガドリエル・シュナウトゥァー氏が密かに育てたオリエンタルレディ。彼女の奏でる音はバレエを惹き立て優しく響く。観客の誰もが一時の夢に酔いしれた…

(ガド爺、大笑いしてるんだろうな)

新聞を読みながらその顔が想像出来て笑ってしまった。

ガド爺が言ったバレエの最終日は明日。それまで待てそうになかった。祥子の音が聴きたいんだ。その音がどこから出ているのか知りたかった。
俺は今日のバレエも見たいと思ったが、チケットが取れなかった。

俺等の楽団の定期演奏会は三日後。こんなんじゃ身が入らない。それでも行かなきゃならない。

調律していたら、征司が近づいてきた。

「エリック。おはよう」
「やあ。征司」
「ガド爺からだ」

征司が明日のバレエのチケットを俺に手渡した。

「さすがガド爺だなぁ。VIP席じゃないか」
「いつものワガママじゃないのか」

征司が笑ってガド爺の真似をして右手を上げた。

「大ワガママだろなぁ」
「そうだな」

俺も右手を上げて笑った。

「エリック、新聞見たか?」
「見た。祥子の事出てたな」
「あぁ」
「嬉しいな」
「そうだ。嬉しい。ガド爺が認めた音だし」
「それに、征司と同じ日本人だ」
「あ…それは関係ない。いい音なんだよ」

誤魔化す様に言い換えた征司だが、同じ日本人が認められて嬉しいのだろう。

(素直じゃないなぁ)



「コーダ、散歩行くぞ」
 ウォン!

今日は帰りが少し遅くなった。家族がまだ帰ってきてなかったから、留守番だったレトリバーのコーダが俺に散歩を催促していた。
夜の散歩も楽しい。夜は冷え込むが、コーダには関係ないようだ。
夜だから公園には行かず、川ベりの散歩になる。

暫く歩いて行くと、祥子の姿が眼に入って来た。ホテルに戻るところなんだろう。俺に向かって歩いてきている。
コーダを引っ張って()かす。コーダが匂いを嗅ぎたいのを邪魔されてクーンと鳴いたが、祥子に向かって急かす。

(英語で声を掛けなきゃな)

「やあ、祥子。今、帰り?」

声を掛けたら、驚いて俺の顔をジッと見る。俺に気づいて笑った。

「エリックさん。こんばんは」

どうしてこう、日本人は丁寧に堅苦しいんだろう。

「「さん」はつけなくていいよ。もう友達だろ?」
「友達…そうね。あら」

コーダが尻尾を振って祥子の足元の匂いを嗅いでいた。

「こ、こら! コーダ!」

グイッとリードを引っ張っても動こうとしない。

「コーダって名前なんだ。きゃっ!」

コーダが急に頭を上げたから、祥子のスカートの中に頭が入っていた。スカートがめくれ上がった。

「コーダ!」
「あっ! やっ!」

大慌てで祥子がスカートを押さえてコーダから離れる。俺はコーダの首を押さえる。

「ごめん! 祥子、大丈夫?」
「だ、大丈夫」
「コーダ! 駄目じゃないか!」

少し羨ましかったけど、コーダに説教だ。コーダが座って頭をかしげた。
俺がコーダに向かい合ってしゃがんで説教してたら、俺の横に祥子がしゃがみこむ。

「コーダ。怒られちゃったね。私が驚いたから。ごめんね」

そう言ってコーダの前に手を出した。
コーダが祥子の手の匂いを嗅いでペロリと舐めた。

「頭撫ぜてもいい?」
「大丈夫だよ」

祥子はコーダの頭に手を動かしていって、ゆっくり撫ぜた。コーダは大人しく祥子に頭を撫ぜて貰っている。
その姿を見てドキリとしている。

(俺の…オリエンタルレディだ)

「散歩の途中?」
「そう。俺が一番早く家に帰ったから」
「コーダ、良かったね。あ…」

 コホコホ

祥子が咳をした。祥子の声がかすれているのに気づく。

「祥子、ここは気温差が激しいから必ず一枚持って出ないと駄目だよ。夏でもそうなんだ」

俺の上着を祥子に掛ける。

「ありがとう。昨日から喉痛くて風邪薬飲んでるのよ。だから大丈夫。エリックの方が風邪ひいちゃうよ」

(日本人ってヤツは…)

「いいから。祥子はフルートで喉使うだろ。俺は風邪引いてクシャミ出ても大丈夫だ。チェロだから。だから着てろ」

祥子が返そうとする手を押さえる。丁度、コーダも上着がずれないように口に咥えた。

「ありがとう」

 コホコホ

「ほら、さっさとホテルに帰らないと。明日が最後だってのに。折角、新聞が君の事、絶賛してるんだ。成功させて終わらせないと」
「そうね」
「コーダ、帰るぞ」
「えっ?」
「送ってく。俺の上着もあるし」
「ありがとう。頼もしいナイトが二人で送ってくれるんだ」
「二人?」
「ね、コーダ」
 ウォン!



祥子を送っていくと言う名目を作って、二人で並んで歩いている。おっと、コーダも居たな。

 コホコホ

時折、祥子が小さく咳をする。

「大丈夫?」
「うん。日本より寒いのね。先週迄、なんともなかったのに」
「疲れが出てるんだろ。ちゃんと寝てる?」
「公演前は緊張しちゃってるから」
「そっか。俺は興奮するほうだな」
「エリックは興奮するんだ」
「俺の音を聴いてくれって。いやでも聴いてもらうぞって。可笑しいだろ」
「うん。あら、ごめんね」

 コホコホ

「悪い。声出しちゃいけないな。喉、休ませてあげないと」
「平気よ。あ、エリック、あれ、あの木何て言うの?」
「どれ?」
「白い花が咲いてる木」
「あれはマロニエ。秋になると、こんくらいのトゲのある実が出来る」

俺は親指と人差し指で丸く円を作って、祥子に見せる。祥子がそれを見て笑う。

「トゲのある実が上から落っこちてくるの?」
「風のある日は気をつけて歩かなきゃならなくなる」
「痛そうね」

 コホコホ

「お喋りはここまで。ゆっくり休んで明日に備えろよ」

目の前にホテルがある。

「うん。エリック、ありがとう。あ、これも」

祥子が肩に掛けてた俺の上着を肩から滑り落として、俺に手渡す。

「ありがとう。温かかった。コーダもありがとね。またね」

コーダの頭を撫ぜて、祥子はホテルに向かう。

「あ、祥子。明日、また聴きに行くから」
「頑張らなくちゃ」

祥子が振り向いて笑った。俺とコーダは祥子がホテルの中に消える迄、見送っていた。

「あ…ハ…ショ。う~、まずいまずい。俺まで風邪引いちまう」

パッと上着を着た。祥子の温もりが残されていて、少し恥ずかしくなった。
祥子がフルートケースを持っていたのを思い出した。

「見せて貰えば良かったなぁ。まぁ、明日分かるからいいか。コーダ、帰るぞ」

明日が楽しみだ。



公演最終日だけあって早くから混雑していた。俺は早めに劇場に入り、楽屋に向かった。
丁度、楽屋入りする祥子を見つけて声を掛ける。

「祥子」
「あ、エリック」

 コホコホコホ

「やっぱり、風邪治りきってない。昨夜も緊張してたのか?」
「…うん」
「薬は?」
「飲んだ。だから大丈夫」

 コホコホコホ

「ほら。これ」

ここに来る前に買って来た飴を渡す。祥子がそれを見てヒトツ出して口に入れた。

「ありがとう」
「あと少しだから持ちこたえろよ」
「うん。聴いててね」
「もちろんさ」

ガド爺の来る気配を感じて早々にそこを後にする。冷やかされそうな気がしたからだ。
席を見つけると、征司が座っていた。

「征司、早かったな」
「時間あったから」
「早く聴きたかったんだろ」
「そうかな」

全くもって素直じゃない。
隣の席に腰を落ち着ける。



幕が開く。リズムが刻まれる、そしてフルート。

うん。完璧だ。完璧。初日よりも勢いがある。
最終日となれば、今迄の集大成が期待されてくる。祥子はそれに応えている。
驚く事に、今日はコンサートマスターがきちんと自分の役割を果たしている。
祥子の音を手中に収めている。祥子が合わせているのだろうけど。

ガド爺の棒も冴え渡っている。
俺等の観客席からはオーケストラは暗闇の中に見える。だが、祥子の位置は音から割り出せる。

祥子は風邪を引いているのを表にも出さないで奏でている。

最終日はカーテンコールにも時間を掛ける。バレエダンサーの挨拶があり、オーケストラにライトが当てられた。ガド爺に大喝采が起こり、祥子が紹介され、お辞儀をするとここでも大喝采が贈られた。

拍手が手拍子に変わる。

ダンサーが舞台に出てくる。ガド爺の指揮で、祥子のメロディーだけが響き渡った。基本のメロディーを一度だけであったが、それでも拍手喝采を受けた。

拍手の中に「祥子」と言う声も聞えていた。
俺はそれを聞いて嬉しくなっている。隣の征司もそう思っているだろう。

手拍子が鳴り止まない。これはどちらに向けられているかは歴然としていた。
これは祥子に対して贈られている。

ライトがガド爺と祥子に当たった。
手拍子が拍手に変わりガド爺が棒を上げた瞬間に、シン と静まり返った。

 ピノキオ 主題歌「When You Wish Upon A Star(星に願いを)」

 ♪~♪~♪~♪

フルで奏でるかと思ったら、途中で音が消えていった。
シンと静まり返った中にヒトツの拍手が起こると、全体で沸きあがる。
ガド爺が笑ってる様に見えた。祥子が後ろを向いて咳をした様だったが、すぐに体を戻す。
ガド爺が祥子に何か棒で伝えてる。もう一度棒を上げる。場内が静まり返る。

 ドヴォルザーク 交響曲第9番ホ短調 「新世界より」第2楽章「家路」だ。

 ♪~♪~♪~♪

この曲で終わりだ。そう伝えてきている。

  ありがとう。私は日本に帰るけど、今日の事は忘れません。ありがとう。

祥子が伝えてきている。



大喝采が一転して観客の移動する音に変わる。
征司と俺は急いで楽屋に向かう。途中、預けておいた花束を受け取る。征司も準備していたようだ。

「エリックも用意してたのか」
「当たり前さ」

ガド爺と祥子に。征司だって二つ抱えてるから、同じだ。

二人で楽屋に行くと、廊下で女の子から花束を受け取っている祥子を見つけた。笑顔を見せていたが青白い顔をしていた。女の子が帰るのを待って声を掛ける。

「祥子」

祥子が花束を抱えて俺達のほうに向き直った時に、俺はグイッと花束を祥子に押し付ける。

「わっ! エリック」
「最高だった」
「ありがとう!」

花束に埋もれた祥子が綺麗に見える。
俺の後ろに居た征司が花束を祥子に差し出す。

「苅谷さん、良かった。大成功だな」
「北見さん。聴きにきてくれたんですね。ありがとうございます」

祥子と征司が日本語で喋る。俺には何言ってんだか分からないが、祥子は征司と喋るのに丁寧に話しかけている気がする。目上だからなのかもしれないが。

(日本人って面倒な事するんだな)

「なぁ、悪いんだが、俺の居るトコでは英語にしてくれよ。仲間外れされてるみたいで嫌だ。それに、何でファミリーネーム(苗字)なんだ? 友達じゃないか。祥子、征司でいいじゃないか。日本人は堅苦しいぞ」

祥子と征司が同時に俺を見て慌ててる。もしかすると照れているのかもしれない。

「そうか。それは悪かった。じゃ、えと…祥子、エリックが居る時は英語で」
「分かった」

 コホッゴホッ

「「大丈夫か?」」
「大丈夫。緊張、解けたから」

 ゴホッゴホッゴホッ

祥子が花束を抱えてた手に隠れていたタオルを出して口に当てる。咳が治まってから、笑って俺達に言う。

「大丈夫。そうだ。私のフルートを見たいってガド爺から聞いてたのよ。来て」

楽屋に入り奥に向かう。テーブルの上に花束を置いて、祥子はフルートを持ってきてタオルの上に置いた。

「どうぞ」
「これって」

征司が驚いた様に呟いて俺を見た。俺にも見ただけで分かった。

「硝子だね」
「そう。硝子です。日本の硝子メーカーと楽器メーカーが共同開発して私にくれました。私だけの一本です」

俺が初めての音と感じたのは、材質の違う楽器から奏でられた音だったからだ。

「曇っちゃうのが外から分かるのは嫌だからって、色つけて貰ったんですよ。強化硝子だから丈夫なんですよ」

俺達に触らせてくれてから、丁寧に分解していく。
ケースを開ける。ケースの中にもう一本。こちらは使い込まれた金属のフルートが入っている。

「何かの時の予備です。その辺で売ってる一番安い物なんですよ」

そう言って、硝子のフルートをしまいケースを閉じた。
ドタドタとガド爺が入って来た。一直線に祥子に体当たりで抱きつく。

「きゃぁ! ガド爺! だから、それはぁ~!」
「おお~っと。でもいいじゃろ。ワシは嬉しくてたまらんのじゃ。祥子、君は征司とエリックに近づいたんじゃ。よくやった。よくやった」
「ガド爺~! だからぁ!」

 ゴホッゴホゴホ

「おっと、すまんすまん」

ガド爺がゆっくりと祥子を放す。

「祥子、追加公演じゃ。その後、国内各地を回る」
「えっ? えっ? それ、話が違う!」
「祥子が絶賛されたから、各地からオファーが来たのじゃ」
「で、でも」
「さて、これから忙しくなるぞ。ワシのスケジュールも調整し直さなきゃ」
「ちょっと待って。私、そんなに長く滞在する予定じゃなかったから」
「一度日本に行って直ぐ帰って来なさい。祥子はここの住人になるんじゃ」
「えっ?! ええ~?!」

驚いている祥子を他所に、ガド爺が俺達に気づく。

「祥子は受け入れられたんじゃ」
「ガド爺の耳、万歳だな。今日も最高だった」

ガド爺に花束を渡す。征司も持ってた花束を渡す。

「最終日に楽団迄成長するとは思いませんでした」
「ありがとな。エリックと征司も今の位置で満足するんじゃないぞ。祥子みたいな新人に追い越されるんじゃないぞ」
「もちろんだ。なぁ、征司」
「あぁ。今だって満足してないから」

ガド爺が満足そうに、俺達の肩を叩く。

「さて、スケジュールの調整、調整っと。祥子、着替え終わったらワシの所に来るんじゃ」
「はい」

横で指を折りながらブツブツと言っていた祥子が気のない返事を返した。
ガド爺が勇んで楽屋を出て行った。

征司が呆れた顔で俺に言う。

「ガド爺、生き生きしてるな」
「確かにな。こりゃ大変だ」
「俺達の時以上じゃないか」
「そりゃ、レディのほうが良いに決ってるじゃないか」
「そんなもんなのか」
「こうなったら、ガド爺を止める事は出来ないな。祥子、諦めろ」

「でも、でもさぁ」

祥子がぼやいた。



俺は、今晩もコーダを散歩に連れ出す。既に散歩に行ってたコーダだが、スペシャルサービスだと思ったらしく喜んで歩いて行く。

昨日と同じコースだ。もしかすると祥子に会えるかもしれない。そう思っていた。

暫くコーダの要求通りに歩き続ける。昨夜、祥子と会った場所を通り過ぎている。
俺が諦めかけて「帰ろう」と言おうとした時、コーダが立ち止まって前を見た。そして、わき目もふらず俺を引っ張って行く。
一人の女性の…花束だらけの女性の前で止って座った。祥子だ。
尻尾が地面をパタパタと勢いよく掃除していた。

祥子がコーダに気づく。

「コーダ。こんばんは」
「祥子、俺も居るんだけどな」
「エリック、こんばんは」
「あぁ。すごい花束だね」

両手に抱え、背中のリュックにも花束が刺さっていた。肩から下げていたカバンも口が開いていて花束が顔を出している。

「花屋さんみたいよ。でも、嬉しい」

そう言って花束の匂いを嗅ぐ様に顔を寄せる。

 ゴホッゴホゴホ

「大丈夫?」
「花の香りがきつい気がする」
「持つよ」
「この位大丈夫」

(…全く)

「日本人ってどうして親切を素直に受けないのかな」

そう言ったら、祥子が恥ずかしそうに言う。

「外国に行ったら「人を見たら泥棒と思え」って」
「はぁ?」
「親切そうにして騙されるから、気をつけろって」
「海外旅行の注意事項ってやつ?」
「そう」

(全く! 全く!)

「祥子と俺は友達だろ? 騙さないよ。だから持つよ」
「平気よ」
「また」
「ごめんなさい。日本だと断るのも美徳って慣習もあるのよ」
「変なの。じゃ、理由あればいいんだな。祥子は風邪をひいてるから俺が持つ。ならいいだろ?」
「負けたわ。お願いね」
「まかせろ」

祥子から花束を受け取る。

「これだけの人が祥子の音を認めたんだな」
「…ありがとう」

嬉しそうな笑顔だったんだけど、どこか辛そうなのに気づく。
祥子がコーダのリードを持って歩き始めたが、俺達の歩く速さは昨夜よりもゆっくりだった。

 ゴホッゴホゴホ

祥子の重い咳が足音と一緒に響いた。



「部屋迄持って行く」
「…ありがとう」

素直に俺の親切を受けてくれたのに可笑しくなってしまう。
俺はコーダをベルマンに預けホテルの中に入る。
部屋にも花束が届いていた。俺はその横に持って来た花束を置いた。祥子が荷物を置き、そのまま椅子に座り込んだ。

俺は祥子に近づいて額に手を当てる。熱だけじゃない。汗をかいている。

「こんな状態で…」

言葉が続けられない。

 聴きに来る人がいる限り最高の音を奏でたい

祥子も俺と同じ音楽家なんだ。
口を開こうとした祥子を留める。

「良く頑張ったな」

そう声をかけたら、嬉しそうに笑った。

「祥子、ホテルドクター呼ぶからベッドに寝ておけ」

頷いたのを見て、大急ぎでフロントに電話を掛けた。受話器を置いたら、浴室から着替えた祥子が出てきた。

「あ、俺が居たから…悪かった。今ドクターが来てくれるから」
「ありがとう」

祥子がベッドに入って直ぐに部屋の呼び鈴が鳴った。
ドクターが診察して薬が出される。

部屋の中は祥子と俺だけになる。俺は忘れてた事を思い出す。

「あ、俺、コーダ預けたままだ。帰らなきゃ」
「エリック。どうもありがとう」

(帰りたくない。祥子が心配だ)

「お、俺、直ぐ戻ってくる。戻ってくるから(俺、何を?!)」
「えっ?」

祥子が驚いて起き上がろうとするのを止める様に言い訳をする。

「心配なんだ。友達…そう、友達だから。だから心配なんだ」
「ありがとう。フロントに伝えておくから、部屋開けて貰って」
「分かった。ありがとう」

大急ぎで待ちくたびれてたコーダを家に急かし、折り返して祥子の部屋に戻った。
祥子はベッドの中で眠っていた。


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