終焉

文字数 2,876文字

 地下室に向かったエンリケは、其処に留まる二人の若者に、英語かスペイン語が分かるかと尋ねた。だが、その質問が終わるよりも先に、髪を赤く染めた少女がエンリケに蹴りかかった。防具の分機動性は落ちるが、そう大柄でもないエンリケはそれをかわし、後ろの警察官は迷わずその少女に発砲した。
 エンリケは部屋の隅で蹲る青年がおそらく日本人だと警察官に告げ、脚を撃たれて悶絶する少女を地下室から引き摺りだした。緊急の発砲とは言え、当たり所が悪く、止血処置が必要だった。他方、残る警察官は日本人らしき男に大丈夫かと声を掛けた。ところが、部屋の隅に居た男は拳銃を抱えており、至近距離から二人の警察官は弾丸を受けた。
 警察官を撃った男は奇声を上げながら、地下室の階段を駆け上がる。
 ――精神を病んでいる様子だった。
 保護されたペルー人青年の言葉を思い出したエンリケは迷わず近くの扉を開け、廊下の直線から外れる。
 だが、乱射される弾から逃れた室内に居たのは、エンリケが最も顔を合わせたくなかった男だった。
〈パブロ……お前が、パブロ・クリスチャン・ガルシア・ゴメスか〉
〈まだ日本に居たんだな、ヴァリエンテ〉
 壊れた雨戸の隙間から差し込む光に照らされる刺青は、エンリケにとって見覚えのある物だった。
〈何故お前が此処に居る〉
 乱射されていた発砲音は、衝撃に耐えた警察官の放った一発の弾丸によって永遠に鎮圧された。
〈上の命令だ〉
〈傭兵部隊じゃないようだな〉
〈あれは三年前だった……フランスの部隊に居た時、友軍の誤爆の巻き添えを喰らったんだ〉
 パブロ・ガルシアはエンリケに用心棒の仕事を勧め、彼が傭兵を志した時には仲介人を紹介した人物であり、彼自身もまた用心棒から外国人部隊へと転職を繰り返した傭兵だった。だが、彼は三年前にフランスの外国人部隊での任務中、友軍の爆撃に巻き込まれて負傷した。
〈それが何故、此処に〉
〈国家なんてものに愛想が尽きたからだよ。敵を殲滅する為には、友軍の兵士が残っていようがお構いなしに爆弾を落として、死人を出そうが知らん顔をする、そういう国家に嫌気が差したんだよ!〉
 エンリケの額に、マグナム弾を装填した拳銃の照星が向けられる。ヘルメットを装備していても、至近距離から高火力で銃撃されれば、おそらく助からない。
〈だからと言って、民間人を殺害し、国家元首に楯突くのか? それも、お前を見殺しにした国とは別の国で!〉
 刹那、パブロの銃口がエンリケの手元に向けられる。エンリケはフランジブル弾しか込められていない銃を抛り捨てるが、抛り捨てた拳銃に、高火力の弾丸がめり込んだ。
〈お前に何が分かる! 日本の傭兵部隊でぬくぬくと守られていただけのお前に、国家が人間を切り捨てる事の何が分かる!〉
〈あぁ、俺には分からないよ! その怒りの矛先を、罪の無い人間に向ける連中の事なんざな!〉
 叫び、エンリケは予備の銃を手に取った。先程の拳銃とは違い、鉛の実包が装填されている。
〈それどころか、状況を理解して居るかも怪しい人間に自爆テロをさせて、一体何がしたいんだ。 国境を無くしたところで、言葉の通じない人間が世界中で衝突し続けるだけじゃないか。その上、教育どころか言語の獲得まで否定した連中が暴れ回って、街中がどれだけ迷惑していると思っている!〉
 大学の広場で行われていた炊き出しが襲撃された事件の鎮圧に加勢した事で、エンリケの不法滞在移民に対する嫌悪は頂点に達していた。
〈お前は貨物船に忍び込んで勝手に上陸しておきながら、過酷な移動を強いられて逃げて来たと喚き、保護されるべきだと役人を脅し、真面目に生きている人達から財産だけでなく命まで奪う、そんな連中に手を貸しているんだぞ? お前がいくら国に見捨てられたからと言って、此処はお前を見捨てた国ではない! お前の様な人間に壊される筋合いはない!〉
〈文句だったらお前達のプレジデントに言いな! お前達のプレジデントはそういう貨物船からやって来た人間を保護している。荒れた海に囲まれたこの国の国境を自由にしてくれている、此処さえ押さえる事が出来たなら、俺達は成功するんだ、国境の無い世界の実現に!〉
〈そんな物は間違っている。一つの国でさえ、かつてのチャイナがあぁなった様に、国民を見捨てる事だってある。だが、一つの国である程度の集団をまとめ、富の再分配をする事以外に、富める者と貧しい者の格差を是正する術は無い! 日本だって散々に格差が有ると言われているが、こうなる前は、働けない人間に対する保証がそれなりに有って、ストリートに子供が溢れる様な事は無かった。それは国が、国境のある集団として、ある程度まとまった人数の人間を管理していたからだ! その庇護を失ったら、一体どうなる!〉
〈国の庇護? 貴様の脳味噌には花でも咲いてんのか! 国なんて概念があるから戦争が起こるんだ!〉
〈だが、その概念があるからこそ、人間は同じ言葉で話し、一定の集団が成り立つ。人間は何の集団も作らずに生活出来るほど強靭な生物では無い!〉
 同じ言葉。その一言がパブロに突き刺さった時、彼はあの少女に思い至る。
 銃口をエンリケに突き付けたまま、パブロは廊下を覗き、目を瞠った。
 少年が乱射した弾丸の一発によって命を絶たれた亡骸が横たわっていた。
〈マリー……〉
 エンリケは眉を顰めた。あの少女の名がマリーであると知ると同時に、その生死を知った事で。
〈俺は……〉
 パブロは力無くエンリケから銃口を逸らした。
〈俺は……ただ一人、言葉の通じる人間を殺してまで……彼女を巻き込んで、貴族を殺してまで……何がしたかったんだろうな……いずれ、こうなるはずだったのに〉
 エンリケは首を振った。
〈パブロ〉
〈そうだ、俺は結局のところ、彼女を使ってイチマツノミヤを殺そうとしていた。彼女も殺される事は覚悟していた。なのに、何故、今此処で彼女を殺されて、俺は、こんな風に思うんだ〉
〈おい、パブロ〉
〈……俺は考えていなかった。ただ、イチマツノミヤを殺せば、この国はフラットになる、解放される、そう思っていた。だが……結局のところ、もしそれを実現したとしても、俺は……彼女の望みを叶えてはやれなかっただろう。世界中の人に“かれーぱん”を食べさせるどころか……〉
 銃口が、パブロ自身に向けられる。
〈やめろ!〉
〈俺は一体、何がしたかったんだろうな〉
 エンリケにそれを止める術は無かった。ただ、目を覆うような死に様を見届ける事しか出来なかった。
「エンリケ! エンリケ!」
 分厚い扉の向こうから、彼を呼ぶ声がその鼓膜に届く。
「此処だ!」
 言って、エンリケは扉を開けた。
 土谷はエンリケの無事と、凄惨な死体を同時に目撃し、絶句する。
「俺は無事だ……細かい事は後で教えてやる。ただ、テロの首謀者は……自殺した」
 土谷は震える息を吐き、エンリケを見た。
「……戻ろう。警察が、話を聞きたがっている」
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