逸脱

文字数 1,812文字

 簿書係長からの命令を受け、土谷が一人書庫の片付けに当たっていた午前十一時頃、移民の子供がパンを盗んだ事を警察に通報したパン屋が暴徒に襲撃される事件が起こったと、警備課の傭兵達が出動した。
 その店は以前から移民の子供達による窃盗被害を相次いで受けており、警察も重点的に巡回し、防犯カメラの映像から犯人を特定するなどしていたという。それは店主にとって当たり前の行動で、警察も何ら間違った事はしていなかったが、暴徒達は、貧しく食事が得られない自分たちにパンを恵まず警察を呼ぶとは何事かと怒り狂っていた。
 土谷は情報だけを聞いているに過ぎないが、店舗での販売が度重なる窃盗で困難となり、移動販売を中心にした対面販売に切り替えたところ、車両ごと強奪されたという事件も近隣では発生している。それだけではない、この数年で食料品や衣料品を扱う店は万引きというにも大胆な窃盗に対する対策を考えあぐねた結果、正当な身分証を持たない人間を入店させない会員制の販売に切り替え、店舗の硝子を強化硝子にするなど防犯対策を強いられるようになった。
 ボディアーマーとヘルメットを身に着け、実包を込めた拳銃と数本のナイフを装備した上で簿書の整理に当たる土谷は、もし、現政権に抵抗するゲリラが組織されたというのであれば、もはや英霊の誉れさえも捨てて加担してしまうだろうと思いを馳せながら、紙の束に満たされたコンテナを積み上げる。後ひと箱を積み上げたら運び出しだと再び脚立に足を掛けたところで、土谷の端末に緊急連絡が入った。
 駅前前如月通りで爆発が起こった、と。
 土谷が聞かされた情報によれば、電動車椅子に乗った若い男性が閉店している店舗へ執拗に入ろうとしており、警戒中の警察官が声を掛けたという。だが、男は言葉が分からないのか、喚き声を上げる事は有っても質問には答えられなかった。また、電動車椅子のバッテリーに細工されている可能性が高いと情報を得ていた警察官は男を車椅子から降ろそうとしたが、特殊なベルトで体が固定されており降ろす事が出来ず、結果的に爆発物が起動し、周辺の警察官が巻き込まれたとの事だった。
 幸いにして周辺の店舗は営業を止めており、通行人も職質段階で追い払われた為、至近距離で爆発に巻き込まれはしなかった。また、巻き込まれたとはいえテロ対策に当たっていた警察官の装備は堅牢で、怪我人こそ出たが命にかかわるほどの重傷を負った者は居ない。ただ、車椅子に縛り付けられていた若い男性は死亡が確認されたとも語られた。
 土谷は誰も居ない書庫で一人舌打ちした。会話を盗聴する事まで出来たところで、物証も無ければ正当な証拠は何ら無く、結局は犠牲者が出てしまう。警察や国防が諜報員を抱えていても、何も手出しが出来ない事への苛立ちが、彼の感情に追い打ちをかけた。此処まで分っていて何も出来ないくらいなら、自分が傭兵になった意味など無い、と。
 そんな感情を噛み殺しながら廃棄予定の簿書に手を伸ばした時、再び土谷の端末が通知を示す。見ると、監視対象になっている福祉部の山本優菜が庁舎を出たと位置情報が知らせている。
 土谷は再び舌打ちし、書架から駐車場へと向かう。単騎行動はしたくなかったが、残っているのは彼一人だった。
 土谷が追いかける優菜は同僚のユン・ソヨンと共に、あのイリーガルシェルターへと向かう。
「こんにちは! IFAのユナです!」
 整備不良も極まり、扉の開閉が中途半端なまま動き出すエレベーターを降りた優菜は二人の男が居た部屋の扉を叩く。だが、返事は無かった。
「ハロー? アイム・ソヨン。ハロー?」
 ソヨンはアポルとサウラが暮らす部屋の扉を叩くが、返事は無い。
 ソヨンと優菜は顔を見合わせる。優菜は肩を震わせ、涙を零した。
「どうして……体の不自由なジョーが……ビンズはいったい何をしていたの……」
 ソヨンは首を振り、優菜を抱き寄せる。
「分からない。利用されたのよ」
「どうしたらいいのかしら……アポルとサウラも、何かに巻き込まれていないか、心配だわ」
「ユナ、気持ちは分かる。だけど、まずは、報告しましょう。調査のリベルトなら、何か、知っているかもしれないわ」
 ソヨンは優菜を促し、階段を降りる。それまでのやり取りが土谷に盗聴されていた事も、彼がこれからもう一つのイリーガルシェルターに向かおうとしている事も知らずに。
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