矛盾

文字数 1,445文字

 土谷は和歌子の腕を掴むと、その背中を壁に押し付ける。
「マイルズ・マックイーン、いや、マイケル・ブラウソン、貴様の指示か」
 土谷は抜身のコンバットナイフを握り締め、目の前の大男に問う。
「何のことですか? それより、一体何が」
「リベルト・グリフォスとアンリエッタ・デュポン……いや、モハメド・アッザームとジャンヌ・マレシャルに俺達を襲撃しろと言ったのは、貴様か」
 二人の名前に、男の表情が強張る。
「取材と称して過激派構成員に接触し、皇族に対する襲撃を画策した挙句、拘束された不法滞在者を殺害……マイルズ・マックイーンはカトリック信者のラスタファリ主義者と聞いていたが、随分残虐な事をする……誰の差し金だ」
「其処まで知っているのなら、もう分っているのではありませんか」
「残念ながら、俺達の捜査能力は其処までだ」
「そうですか、それは良かった」
 言って男が取り出したのは、男の手には少し小さな回転式拳銃。
「完全菜食で不殺生の極みを行くラスタファリ主義者が殺人か」
「個人の思想と世界の理想は違います。我々は貴方方の様に国境に執着する右翼主義者からこの世界を解放し、取り戻さねばなりません」
「そりゃ滅茶苦茶だ。矛盾どころの騒ぎじゃない」
 土谷はナイフを握る手を緩め、緩やかにその刃物を自分の背後に抛る。
「……これが最後なら、聞かせてくれないか、貴様達は国境を無くした後、どんな世界を望んでいるんだ」
「全ての人々が貧しい土地に縛られる事の無い世界です」
「富に人々が殺到するとは思わないんだな」
「はい。人々が富を求めなければならない社会は、我々が終わらせます」
「どうやって」
「一握りの、人間を道具の様に使役する富裕層が、富を持つ必要の無い社会を作ります」
「どういう理屈だ」
「税金、賄賂、権力を誇示する装飾品、その全てが必要無い社会を作るのです。国境を撤廃し、支配層が必要ない社会を作るのです」
「そう……か」
 土谷の手は、安全装置の無い護身用の銃に伸びていた。
「まさか……まさかあなた達は、私達だけじゃなくて、その、支配者達にも、同じ銃口を向けるんですか?」
 和歌子が唐突に声を上げ、男の関心が和歌子に逸れる。
「それに……その銃口を突き付けられている私達は、国境という支配を支持する、支配者なんですか? 私達は、旅券と査証なしに海外に出る事は許されていない、飲み水を買うだけでも税金を徴収される、支配される側の人間だとしても?」
「それを支持することは」
 同じだ。そう言おうとした男の顔面に、強烈な衝撃と強い酸性の刺激が走る。しかも、それには程よい揮発性が有り、被弾直後には呼吸まで障害される。おまけにその液体は適度な粘性を持ち、着色剤が視界を悪くする。だが、容赦なく土谷の銃口はすぐに二発目を放ち、指先を粘性のある液体で鈍らせ、発砲を遅らせようとした。最後のナイフを抜くまでの時間稼ぎに。
 土谷はナイフを抜き、素早く男の両手を斬り付けた。発砲さえさせなければ優位に立てる、と。そして拾い上げた拳銃を手に取った土谷は、弾丸を全て床に打ち込んだ。
 狭い廊下に響き渡る割れんばかりの発砲音に、投げられたナイフを握り締めた和歌子は肩を竦ませる。
 全ての弾を失った銃を抛り捨てながら、土谷は振り返る。和歌子は行く手に何も無い事を確かめると、土谷のナイフを握ったまま警備課の控室へと走る。土谷はだめ押しに酸性の弾をもう一発男に打ち込み、和歌子の後を追った。
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