死番

文字数 3,042文字

「Hello, I'm an employee of the International Friendship Association. Can you speak English of Spanish?」
(こんにちは、国際交流協会の者です。英語かスペイン語が話せますか?)
 通訳として先陣を切ったのは土谷だった。そして今、彼の目の前に居るのは、堀の深い顔立ちをした若い男。
「What are you doing?」
(何の用だ)
「I'm here because there may be a terrorist here」
(此処にテロリストが居ると聞いて)
「Terrorist? No! Do not be silly!」
(テロリストだ? ふざけるな!)
「But you stay illegally」
(でも、あなたは不法滞在者だ)
「There is no terrorist. Go back!」
(此処にテロリストなんていねぇ、帰れ!)
「I can't do that. We have the right to look there」
(それは出来ない。我々には此処を調べる権限が有る)
 土谷が最後の単語を言うか言わないかの瞬間、堀の深い顔立ちをした男、優菜やソヨンがビンズと呼ぶその男はナイフを引き抜いた。だが、それは彼にとって最悪の手段だった。拳銃を持ち歩けない国で唯一持てる武器は、土谷の餌食にしかならない。
 土谷は扉を蹴り込むと同時に大型のコンバットナイフを引き抜き、男を切りつける。土谷も防具は身に付けているが、弾丸に耐える事は出来ても刃物には極端な脆弱性を示す。だが、彼は刃物に対して防具など必要としていない。
 エンリケは土谷の背後を、数名の警察官を先導する形で通り過ぎてゆく。彼が向かうのは、地下室へと続く階段。逃げ場の無い戦場へ、歴戦の傭兵が突入するのだ。それに続いた生駒が向かうのは二階、更に続く吉田は物証の確保を目指し居間へと踏み込む。
「何してるの!」
 土谷が簡易な手錠でビンズと呼ばれる男の両手を後ろ手に止めて両足を拘束していると、その背後に甲高い悲鳴が聞こえた。それは、調査課から情報を得てこのイリーガルハウスを突き止めた保護課の山本優菜であり、その傍らにはユン・ソヨンの姿も有った。
「お願い、入れて、中には、中には女の子が!」
 アクリルの盾を手にした警察官と優菜が押し問答をしていると、突然、ソヨンが警察官に向け足を繰り出した。
「ぬわっ」
 テコンドーで鍛えられた勢いに一人の警察官が押された瞬間、優菜は傭兵と警察官の居る屋内に駆け込む。
「止めろ!」
 土谷は優菜を止めたかった。だが、捨て身で暴れる男を取り押さえる事しか出来なかった。
「くそっ」
 土谷は応援の警察官がソヨンを連行する奥で、まな板の上の魚の如く暴れまわる男を外に引き摺り出す事しか出来ない。
 その状況を利用して駆け込んだ優菜は、調査課の職員から聞かされた様に、アポルとサウラの部屋がある二階へと向かう。その廊下では、生駒がコンバットナイフを血塗れにしていた。
「なんてことを!」
 優菜はその状況に悲鳴を上げるが、生駒は返り血を浴びたヘルメットのバイザー越しに彼女を睨みつける。
 生駒を先頭に二階へと踏み込んだ三名は、三つの扉を同時に開けて踏み込もうとした。しかし、生駒が開いた場所は二人の女性が居るだけだったが、警察官の開けた扉の奥には男が居り、一方の警察官は至近距離でマグナム弾を二発浴びせられ、もう一方はテコンドーを経験しているらしいスンヒョンに蹴り飛ばされた。
 警察官も防具は身に付けていたが、弾丸が貫通しないだけで衝撃は生身の体に伝わり、動けなくなっていた。スンヒョンに襲撃された側も、不用意なまま物理的に吹き飛ばされた衝撃で動けなくなっている。生駒は二人の女が武装していない事を確認し、状況次第で一階への退避を目論んだが、警察官を吹き飛ばしたスンヒョンが部屋に現れ、コンバットナイフを抜く事になった。
 幸い、飛び蹴りや回し蹴りを繰り出されたところで、生駒の入った部屋にはそれを除けるだけの空間があったが、暴れる男を前に生駒は生け捕りを早々に諦め、その腕にナイフを一本突き立てた。だが、男は何らかの薬物を摂取していたのか、極度の興奮状態にあったのかは定かでないが、ナイフ一本では動きが止まらず、足を斬らなければ収まらないと判断した生駒は男の片足を刺し、ナイフの重量ごと頭に一撃を食らわせようとした。しかし、抵抗する男は予想外の動きに出てしまった為、柄で殴るはずの一撃は首筋への斬撃となり、生駒は返り血を浴びる羽目になったのだ。
「どうして保護課の職員が此処に居る」
「アポルは? サウラは? 此処に女の子が居たでしょう!」
 優菜は掴みかからんばかりの勢いで生駒に迫要とするが、生駒は血まみれのナイフを見せて制止する。
「おたくには関係ない」
「彼女達は私の担当よ! まさか、殺したんじゃないでしょうね!」
「この部屋は見ての通りだ。それより、此処には銃を所持した人間が居る、話は外で、待て!」
 優菜は生駒に背を向け、階段を駆け下りる。
「サウラ! アポル! どこ! どこにいるの!」
 優菜は殺される可能性など勘案せず、二人の名前を呼びながら、ある部屋の扉を開けた。
「アポル! サウラ!」
 二階を脱した二人は雨戸の閉め切られた洋間で肩を寄せ合っていた。
「ユナ、ユナ!」
 アポルは優菜に駆け寄り、優菜はアポルを抱き寄せた。
「よかった、無事で……」
「動くな!」
 優菜とアポルが再会を果たした直後、三人の女性に銃口が向けられた。それは、証拠品の確保を目指した吉田と、彼に先導を任せた二人の警察官。
「俗称アポルこと、氏名年齢国籍不詳の女性を発見」
 警察官が外部へと連絡し、その状況を補う様に、拳銃を構えたまま吉田は優菜に語り掛けた。
「山本さん、その女性から離れて下さい。その女性は、ナショナルホテル近辺で発生した殺人事件の重要参考人です」
「アポルはそんなことしない!」
「証拠がある。奥の女性、氏名他不詳の俗称サウラも山本記念病院理事の手帖を強奪した疑いがあります。さあ、こちらへ」
「ウソ言わないで!」
「嘘ではありません」
「ウソよ! あなた達は、外国人が嫌いなだけで」
 優菜の言葉は、一発の銃声に遮られた。アポルと優菜の陰に居たサウラは、二階の部屋で見つけた拳銃を手にしていた。しかも、適当に触っている内に安全装置が外れ、撃鉄が起きていた。
「だめ!」
 優菜は叫んだ。だが、サウラの拳銃が放った弾丸は警察官の胴に直撃していた。吉田はサウラに銃口を向け、無力化を図った。
 発砲音の直後、弾丸がめり込んだのは、飛び出した優菜の胴体。奇しくも、心臓を貫く一撃だった。
 それは誤射である。だが、吉田は冷静に本来の目的であるサウラを二発目で打ち抜いた。引き金が引けなくなればよいだけの、殺意の無い一撃だった。その光景を目の当たりにしてアポルは警察官に突進するが、脚に一撃を受けて倒れ伏す。
「今のは事故だ、証言する」
 アポルを撃った警察官は吉田に告げ、救急車の派遣を要請する。
 薄暗い室内では、脚を撃ち抜かれて叫ぶアポルの声と、サウラの優菜を呼ぶ声が繰り返された。
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