残骸

文字数 1,529文字

 路上には、掲げられていた看板や鈍器の様な物、投げ込まれずに割れて炎上した火炎瓶の残骸や、無数の血痕が残されていた。
 雨戸を閉め切って暴動の終息を待っていた聡美は、一夜明けてもなお残されたその凄惨な光景に、一発の核爆弾が起こした惨劇よりも、無数の暴徒が引き起こす暴動の方が今や脅威だと思いながら、おそらくはあの日各地で起こったであろう暴動の鎮圧に出動した夫の無事を祈っていた。
 聡美の胸を痛ませるその暴動は、民間人に対する核兵器使用の過去を反省するはずの八月六日、現政権への抗議として行われた物だった。この十数年間、平和民衆党が政権与党となってからは平和を祈念する事に乗じた過激なデモ活動は鳴りを潜めていたが、昨年末の選挙で多数派に復帰した自由国民党と、極右政党の日本再興党の連合が政権を担う様になったこの年は、かつての抗議活動を遥かに超える暴動が発生した。
 それは自由国民党連立政権が核武装を宣言したからではなく、力による安定へと舵を切ったからである。
 事の発端は四半世紀前には軍拡を続けていた中国共産党政権が、感染症の拡大と経済的打撃、そしてその他の強硬策に対する反発によって揺らいだ挙句、いくつかの災害や新たな感染症の流行が同時多発的に発生した事で壊滅し、世界情勢が大きく変わった事だった。中国大陸の政変による秩序の変化は世界を変えたが、同じ頃、感染症や政権への不満が爆発したロシアでも情勢が大きく変わり、政権が対外的な挑発行動に軍事力を裂けなくなったことで、日本は一時的に多くの脅威から解放されたのだ。
 その一時的な開放は、当時の政権与党の政策に一定の不満が有った日本の政権交代を実現させた。しかし、政権交代は事実上の国有軍だった自衛隊を縮小させて国防部に改編し、外国人への優遇が公式に認められる様になり、結局は政権の復帰を見る事になった。
 ところが、外国人への過度の優遇措置の見直しは断行された物の、一部の平和主義者からの反発によって自衛隊の再拡大は見送られた。しかし、その代替案の様に推進されたのが、国防部に情報通信に特化した非戦闘部門を設置する事と、防衛を民間に委託するという方針だった。
 その方針が固められたところで、再び政権交代が起こった為、一時は国防部の改編や防衛の民間委託も白紙撤回かと目されていたが、再び政権交代により与党となった平和民衆党は、戦わない軍の創設は平和の礎として国防部情報科を設置し、官僚の利権が構築されつつあった防衛の民間委託、つまり傭兵を育てる特殊警備会社の設立と活動に対する法案成立には力を注いだ。
 そして昨年末、極右政党との連立政権で復帰した自由国民党は、一部支持者からは負の遺産と指摘されていた自衛隊の改編を逆手に取り、国防部情報科をサイバー空間におけるテロ対策の要として運用し、個別秘密化するテロ行為や無秩序に流入する不法滞在者のネットワーク掌握に回した。
 更に大規模な掃討作戦では壊滅出来ない小規模な過激派組織への対応を、同じく負の遺産と目されていた特殊警備会社の傭兵達を主力とした作戦で実行し、事実上の国有軍が国民を巻き込みかねないゲリラ戦に関与しない状況を作り上げた。これは傭兵達が必ずしも日本人出ない事を利用した、政権の批判回避策でもあった。
 ――傭兵は現代の憲兵だ。
 聡美には心無い言葉の刻まれた看板が、投げ込まれなかった火炎瓶に焦がされたまま路上に放置されている。聡美はその火炎瓶の残骸に、私の夫に、この子の父親に、憲兵の仕事をさせているのは何処の誰だ、と、溜息を吐く。力でしか対抗する事の出来ない、話し合いにならない集団を、どうやって鎮圧するのか、聡美には分からなかった。
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