帰郷

文字数 1,471文字

 早朝、見知らぬ男と共に帰ってきた娘に和歌子の両親は驚いていたが、突然に復職を命ぜられてどうしようもなく、困り果てていた所を知り合いの警察官に助けてもらったと和歌子は言い訳をした。そして、その言い訳を裏付ける為、和歌子は荷物を置くと土谷と共に本来の勤め先である警察署へと向かった。
 和歌子の下宿先に届けられた不審物の一件は管轄が違っていたが、申し訳程度に存在している公安課の職員は和歌子が国際交流協会で何をしていたかについてを知っており、事件の事も既に把握していた。
「まさか、傭兵の護衛付きで戻ってくるとは、随分なご身分だな」
「何も知らない小娘をあの危険地帯に放り込んでおいて、ご挨拶ですね」
 この警察署で公安課にかかる業務の大部分を担っている坂上は、土谷の目付きが数カ月前、人材が欲しいと挨拶に来た時とは明らかに異なっている事に気付く。
「俺だって彼女の為に停職喰らって、ただで護衛やってるんですよ? そりゃぁ、人材が欲しいとは言いましたがね」
「悪かった。ただ働きだったとは知らなかったよ。それで、今日は何の用だ?」
 土谷から視線を逸らし、坂上は和歌子を見遣る。
「退職させていただきたいんです」
「そうか……怖気付いたと言えばそうだろうが、一般人の御田川さんじゃ、仕方ないな……必要な書類を書いてくれ」
 坂上は立ち上がり、応接室を出てゆく。
「はぁ……君の上司って、あれだったのか?」
 不愉快そうに表情を歪ませながら、土谷は和歌子に問いかけた。
「いえ、直接の上司はもっと人の好い総務の方でしたが……協会への出向を持ち掛けてきたのはあの人でした。なんとなく、公安課は近付きがたい雰囲気で、私も書類を触った記憶ないんですけど……」
 土谷さんの数段上を行くクソでしたね、と、和歌子が小声で呟くのを、土谷は確かに聞いた。
「退職っていうからには、印鑑ぐらいは持ってるんだろうな」
「多分、鞄に入っているとは思いますが……もし、持っていないと言ったら、どうなります?」
「呆れたな。後から郵送でも構わんが、二度手間だ、此処で書け」
 和歌子は差しだされたというよりは突き付けられたに等しい書面に署名し、一身上の都合により退職を希望しますとだけ記した。
「一身上か、便利な言葉だよな」
 土谷はいい加減にしろと言わんばかりに坂上を見遣る。
「傭兵、エスに肩入れするとは、お前も隠密失格だな」
「向いていないのは理解していますよ、俺は一人の人間を駒に出来るほど冷徹になれませんからね」
「出来損ないほど可愛く見えるってか?」
 土谷の眉間に不穏な皺が浮かぶのも構わず、坂上は鼻で笑って口を開く。
「確かに向いてないな。殺された石川警視はとんでもない方向音痴の女をエスにして、随分な好事家だとは思ったが……女に肩入れして殺されたわけじゃあないからな」
 和歌子は驚愕に息を呑み、土谷を見た。
「その割に、女の方はぞっこんだったようですから、世の中ってのは幸せなもんですよ……俺と違ってな」
 和歌子には土谷の発言の真意が分からなかった。
「それはそうと、御田川さん、書けたか?」
「えぇ、ご都合主義の文言詰め込んで、形式的に作った退職届が」
 皮肉を返しながら、和歌子はただ一言の事由を添えた紙を坂上に突き返す。
「これは総務の方に渡しておく……用が済んだらさっさと帰れ。此処は一般市民の居るべき場所じゃねえんだよ」
 坂上の言葉を受け、土谷は黙って和歌子の手を掴む。そして耳元で、こんな奴に礼を言う必要は無いと言ってその手を引いた。
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