青年の苦悩

文字数 1,071文字

「……何をしている」
 入り組んだ建物の、複雑な廊下の一角。廃棄予定の段ボール箱の上に腰掛けた若い男に、保安部情報管理課警備係の土谷が声を掛ける。
 色素の乏しい白い肌と金髪が、その空間ではまるで幽霊にも似ていた青年は悲しげに土谷を見上げた。
「広報の職員なら、決議簿の類に用はないだろ? それとも何だ、上司にこっぴどく叱られでもしたか?」
 幽霊の様な青年は目を伏せる。
「こっちに来い」
 土谷は青年を促し、小会議室という名の空き部屋に向かう。
「待ってろ、何か買ってくる」
 申し訳程度の机と椅子が置かれた、半ば事務用品置き場と化している室内にまるで似つかわしくないコーラが持ち込まれたのはそれから程無くしての事だった。
「話なら聞いてやる、それでも飲め」
 青年はコーラを一口飲み下し、深い溜息を吐いた。
「……ボク、何してるのか、わからないです」
 土谷は専用端末を介して、青年の所属と業務内容を検索する。
「日本のボーカロイドが大好きで、留学までしました。なのに、どうして、日本で、ハラル認定を、進めているんでしょう……分からなくなりました」
 青年はコーラの黒い液体を眺めるまま俯いた。
「あー……そういう事か」
 土谷の端末に現れた検索結果曰く、彼の目の前の青年はフィンランド出身の広報部企画課職員であり、現在はイスラーム文化圏からの観光誘致や留学促進の事業に関わっているという。
「……悪い事は言わない、此処におたくさんの好きな日本なんてものはねぇんだ、実家に帰った方がいい」
 青年は顔を上げる。
「どういう事情で就職したのかは知らねぇが、故郷に帰って音楽でも作ったらどうだ? フィンランドには名の知れたバンドも多いと聞いた事があるが」
 青年は再び俯き、溜息を吐いた。
「留学のお金が、まだ借金です……」
「だったらこっちで別の仕事を探せばいい。オタクなショップもあるし、此処で今の企画に関わり続けるよりはずっとましだ……せっかく好きな国に来たのに、その文化のかけらも無い場所に居続ける必要は無い」
 青年は、何処か恨めしそうに土谷を見上げた。
「この国が嫌いになるくらいなら、世間体なんざ捨てちまえ。おたくさんの好きな物も、楽しい物も、この国らしさのある物は全て、此処にはねぇんだよ……分ったら事務所に戻れ。此処から先には面倒な書類が山積みだからな」
 土谷は紙コップを一つ残して会議室という名の物置部屋を後にする。
 残された青年は、更に深い溜息を吐いてコーラを飲み干した。何処で飲んでも、同じ味がすると思いながら。
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