残響

文字数 1,311文字

 危険な事は承知の上だった。
 八月十五日の護国神社には、平和活動と称して暴徒が押し掛ける事は予想されていた。だが、それでも和歌子はその日に其処へ行かなければ気が済まなかった。
 数日前、博多の港へと戻った和歌子は、あの日と同じびいどろの風鈴柄の浴衣を着て、金魚の泳ぐ日傘を手に、あの時とは違う手荷物検査を受けながらバスに乗った。到着してからも、敷地に入るまでには再び身体検査を受け、もはや芳名帳ですらなくなった名簿に氏名や来訪理由を記入する。
 境内に進むと、其処にはあの日と同じ厳かな祭りの風景が広がっていた。ただ違っているのは、制服姿の警察官や、銃を手にした傭兵と思しき警備員の姿が有った事。
 参拝する人々が何を祈っているのかは分からない。自分の先祖の御霊を訪ねているのか、この国の英霊への敬意を示す為か、集まった人々の様子は一定していない。そんな列の中、和歌子が願うのは思いを寄せた男の無事。それを此処で願う事が正しいのか、和歌子には分からなかった。彼が望んでいたのは、この国に殉ずる事だったのだから。ただ、それでも自分を守ろうとしてくれたただ一人の人間の無事を祈らずにはいられなかった。
 人の集まる賑やかさに反し、凛とした空気の張り詰めた敷地内。和歌子が顔を上げると、銃を構えた警備員の姿が有った。その男の眼差しは鋭い一方、何処かに悲しみを湛えていた。それは何の罪も無い参拝客を懐疑的に監視する事への罪悪感かもしれない。和歌子はそんな事を考えるまま、あの日と同じ様に境内を少し離れた広場へと向かう。
 境内よりも人の出入りの管理が甘い広場には、あからさまに武装した傭兵が配備されていた。そして彼等の眸もまた、和歌子の目には悲しげに見えた。
 広場にはあの日と同じ様に露店が出ていたが、その様子は少し異なっていた。軽食の屋台は無く、子供達を喜ばせる綿菓子の屋台も出てはいなかった。熱源を使う事を禁止されたか、あるいは、其処をきっかけにした騒動を避けようと、店主が店を出さなかったのかは判然としない。それでもあの時と同じ様に、特産の果物を使ったジュースの屋台は出ていた。
 和歌子は一人分のジュースを手に、あの日と同じ木陰へと進む。
「あの、落とされましたよ」
 警備員の一人が、和歌子の後を追って声を掛ける。
「え……」
 振り返った和歌子が見た警備員の手には、桜模様のガラスビーズで作られたブレスレットが有った。
「貴女のですよね」
「え、えぇ……」
 銃を携えた男の武骨な手袋越しに、その手が和歌子の手を取った。だが、和歌子の眸が捉えていたのは、ヘルメットのシェードの向こうにあるその眸。
 この場所で、切れ味の良い真剣の様な鋭さと真摯さを見せたあの眸。
「お気を付けて」
 警備員は背を向ける。
「貴方も、どうか……」
 和歌子はただ立ち尽くしていた。時計と共に身に付けている事の多かったブレスレットの事を、まだ覚えていてくれたのだという事に。
 彼が生きる道を選んでくれたのだという事に。
 また巡ってきた夏の盛り、短い命を燃やす蝉の声がこの想いを伝えてくれればと願いながら、彼女は男の背中を見送った。
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