開戦

文字数 1,462文字

 十二月も近くなったその日、和歌子は台湾のとある街に有るアパートの一室で、翌朝発送する予定の荷物の詰まった箱を背に座っていた。
 聡美と共に台湾へと渡った和歌子は、現地で暮らす日本人漫画家のアシスタントとして暫く働き、日本の雑貨を現地で販売する仕事を始めていた。その収入は暮らして行くに十分とは言い難い物だったが、アパートは土谷が手配した警備会社を通して借りられたもので、和歌子に請求されるのは光熱費をはじめとした公共料金だけ。しかも、それらは細々とした商売や、月に数日出勤するアシスタントの日当、現地で言論活動を継続する論客が配信する動画の製作補助といった稼ぎで大部分が賄えていた。
 一方、文筆活動は日本の情勢が不安定になった事で出版が見送りとなってしまったが、日本人漫画家の知恵を借り、広告収入を得られる形での公開に乗り出している。和歌子にとって土谷と自分を結ぶただ一つのよすがであるその罪を背負う為、今は数字の推移を見守っている。
 そんなその夜、和歌子はインターネット上に配信された衝撃的な映像を見つけた。
 それは新嘗祭の行われる神聖な夜、皇居へと続く二重橋のたもとに暴徒が集結し、その暴徒の鎮圧に傭兵部隊が駆り出されている様子を収めた物だった。映像に有ったのは、既に倒れ伏した暴徒の姿と、環境迷彩に溶け込みながら姿を消してゆく傭兵の影だったが、其処で何が行われようとしたのか、何が行われたのかは、薄暗い映像からも明白だった。
 和歌子は転がる骸を遠く映したその映像に、爆撃機も核爆弾も必要の無い戦争を思い描く。そして、言論活動に乗り出した事で知った、戦争を突き詰めていけば結局は原始的な手段に戻っていくと考える言説に思いを馳せる。これが戦争か、と。何より、小規模な集団が秘密裏に行動する事が国家が揺るがすという事実は、彼女が関与してしまった市松宮襲撃未遂事件でも、先頃発生した首相公邸爆破事件でも明らかだった。
 この二重橋の惨劇の三日前に発生した首相公邸爆破事件は、警察が察知する事の出来なかったテロだったのである。国際交流協会のとある支部を拠点とした市松宮襲撃計画は、協会という集団が拠点だった故に諜報活動が可能になっていたが、首相公邸爆破事件の実行を宣言した無政府主義の国境撤廃主義集団は、関東のとある外国人の、それも不法滞在者が多く暮らす地域でハウスシェアをしていた若者達だったのだ。
 奇しくも、入国管理局が拘束している外国人の身柄を解放したり、不法滞在者や違法入国者に対する保護を実行に移そうとしていた白鳥首相は、そうした無秩序によって日本へやって来た集団により、政府の長である事を許されず殺害されたのだ。マスメディアでは白鳥政権を良く思っていない極右の暴力集団の仕業とも報道されていたが、実際は皮肉な結果だった。
 一国の首相が無政府主義者に殺害され、個々の国会議員や地方議員に対する殺害予告が続発している状況を、和歌子は肌で感じる事が出来ない。しかし、それが正常な状況ではない事は確かだった。だが、それでも新嘗祭が予定通り行われている事に、和歌子はまだ大丈夫だろうと思っていた。金銭と戦力の等価交換の原則さえも捨てた傭兵達が動員されながら、なおも暴徒が尽く鎮圧されている状況は、自分の愛した国が見捨てられていない事の証明だ、と。
 ただ、日本の混乱は彼女を脅かす集団の壊滅を遅らせる。既に帰国してしまった両親の事を案じながら、帰国が少し遠のいてしまった事だけが、彼女にとって残念な知らせだった。
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