正解の無い正しさ

文字数 1,945文字

 警察が協会に駆け付けたその翌日、広報部企画課職員のミーカ・タヒティネンが建物内で死亡したと正式に告知がなされた。死因は伏せられていたが、彼のロッカーに遺書とみられるフィンランド語の書き置きが残されていた事から、協会内では自殺したのではないかと噂が立っていた。
「自分から死ぬとは、最低です」
 凛とアイシャがミーカは何故死んだのかと悲嘆に暮れている中、マイルズは憤りすら露わにしていた。
「自分の体や命を、なんだと思っていたのでしょうか……しかも、あの会議室は、今日、私達が大切なプレゼンテーションをする部屋だというのに」
 凛とアイシャは顔を見合わせた。マイルズが敬虔なカトリック信者のジャマイカ人である事は理解して居たが、近しい人間の死に際してまで信仰に基づく感情が優先される事が二人には理解出来なかった。
「……人が亡くなったお部屋で説明会をするのは、よくないです。マイルズさん、六階の大会議室に会場を変更できますか?」
 アイシャは悲しげな表情を浮かべ、マイルズに問い掛ける。
「会議室が使えるなら、問題はありません。確認します」
 マイルズは淡々と総務部に内線連絡を入れ、説明会の会場変更を申し出た。幸いにして六階の大会議室に使用予定は無いとの事だった。
「説明会はお昼からだし、間に合いますよね……」
 凛は沈痛な面持ちのまま立ち上がり、会議室へと向かった。
 ミーカを失ったチームの三人が本来の会場だった四階の会議室に入ると、ちょうどミーカが最期を遂げた場所に花束が置かれていた。白い百合と薔薇に青いルピナスが組み合わされたそれは、彼の生まれた国の国旗を思わせる物だった。そしてその傍らには、彼が愛した日本のキャラクターがデザインされたパッケージのキャンディと、黒いグミが手向けられていた。
「……準備、急ぎましょう」
 アイシャは感傷的にその光景を見つめる凛を促し、配置した資料の束の回収を始める。マイルズは既に配布予定のペットボトル飲料を段ボールにまとめ、運び出しを始めていた。
 そうして六階の大会議室が整えられたのは、正午を回った頃の事。企画課の三人は短い休憩を取り、説明会に備える事となった。その休憩に向かう途中、食堂の傍に有る掲示板を中心に、小さな人だかりが出来ていた。
「なにかしら」
 アイシャは人の隙間を縫って掲示物を覗き込む。日本語と英語が併記されたそれは辞令で、職員が一人解雇された事を告げていた。
「警備課の職員が一人、解雇されたそうです」
 凛とマイルズの許に戻ったアイシャの言葉は、二人にとって衝撃的な物だった。
「理由は、宗教的価値観のキョウヨウだそうです……私、彼を知っています。彼は、とても熱心に神様を愛していました。ただ、ちょっと、厳しすぎるのが、よくなかったです」
「そんな事も、有るんですね……」
 凛は、国際交流協会とはとても寛容な組織だと考えていた。それ故、宗教上の問題で解雇される人間が出た事に驚きを隠せなかった。
「でも……確かに、日本国憲法は信教の自由を保障していますし」
「憲法なんて、無意味ですよ、ミズ・スズキ」
「え……」
「大切なのは、互いを尊重する事です。それより、早く休憩を取らなければ、休めませんよ」
 不条理に納得しようとして言葉を紡いだ凛は、目を丸くするしかなかった。
「リン、マイルズの言う通りよ。彼はちょっとガンコだった、それが、よくなかった。お昼ごはん、食べましょう」
 アイシャに促されるまま、凛は食堂へと向かう。ミーカを欠いてもなお代わり映えのしないヴィーガン料理の昼食を採る為に。
「キアイ入れる日は、やっぱりカレーよね」
「そうですね、スパイスが効いていると、元気になりますし」
 食堂で提供されるのは、宗教的な問題を全て解決した完全菜食者向けの料理である。凛は話を合わせてぎこちなく笑みを浮かべながら、日本人の思うカレーとはかなり異なった、スープに近い豆のカレーを口にする。辛みは抑えられているが、動物性の油脂の一切が排されたそれは、さながら辛い汁であった。
「そういえば、警備部の制服の人を、食堂で見た覚えが無いんですけど、あの人達って、お弁当とかとってらっしゃるんでしょうか」
 カレーの味気なさを誤魔化す様に、凛は素朴な疑問を口にした。
「防犯上の理由で、食堂の利用は原則としてしないようにしているそうですよ」
 凛の疑問に答えたのはマイルズだった。
「そう、なんですか。大変ですね、警備って」
「そうです。早く、警備部のいらない世界になって欲しいです」
「ですよ、ね……」
 凛は無理矢理同調する様に言葉を紡ぎ出した。いつも、こうやって同調する事しか出来ないと悔しさを滲ませながら。
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