愛する故に

文字数 1,753文字

 暫くは休暇も無い状態で待機して居なければならないと覚悟はしていたが、気が休まらず落ち着きの無い日々が続き、戦場を経験してるはずのエンリケも疲労を隠し切れずに居た。
 そんな状況下でこの日も控室で待機を続けていたエンリケは、普段表には出していないロケットペンダントを引っ張り出し、内側の写真を眺めていた。入っている写真の一枚は結婚の記念に撮影した写真、無精髭を剃って正装した彼の姿と、打掛姿の妻が収められている。もう一枚は、昔飼っていた三毛猫によく似ているというぬいぐるみを持ってはにかむ、結婚する前の妻の写真である。
 彼の自宅はこの庁舎が有る場所からあまり離れているわけではないが、緊急の呼び出しも多い警備課に所属している事も有り、結婚早々に別居する事になった。だが、少し前まで彼の妻は定期的に彼の別居先を訪ね、洗濯や食事の支度といった家事を片付けるなどしていた。無論、各地への派遣が無い期間は長く一人で暮らしていた彼にとって家事は問題の無い事だったが、彼の為に何かしたいという妻の愛情の表れであった。しかし、協会にほど近い場所で放火事件が起こる前から、協会周辺の治安の悪化は著しく、暴漢に恋人を殺された彼は妻の来訪を断る様になっていた。
「エンリケ、いいか?」
 情報収集に当たっていた生駒に呼ばれ、エンリケはペンダントを仕舞って情報管理課のオフィスへと向かう。
「何か分かったか?」
「あぁ……石川さんが殺された件だが、セザール・リベルジャンが被疑者で間違いはなさそうだ」
「証拠が出たのか?」
「あぁ、昨日の一件で回収されたリベルジャンの着衣に残っていた香水の成分と、石川さんの肌に残っていた香水の成分が一致した。とは言え、リベルジャンは昨日の一件で気道熱傷を負っていて、暫く取り調べは出来そうにないが……鈴木凛の復讐は間違いが無かったらしい。で、その鈴木凛の方だが……死因は出血性ショックで確定、自宅から遺書は出ず、携帯電話の解析もしている様だが、あの遺書以外に犯行の動機になり得るものは無い。勿論、あの遺書は本人の筆跡で間違いなしだとさ」
 エンリケは深い溜息を吐き、幕引きになる事を理解する。加熱している報道を除いては。
「マイルズ・マックイーンとリベルト・グリフォスの方はどうだ?」
 生駒は肩を竦める。
「そちらが問題で、今は動きが無い。雑貨屋に対するテロについては、雑貨屋が店を閉めていて、近隣の店舗も暫く休業する店が出ている様だから、警察の警戒はしやすくなっている。ただ、爆発物の所在は分からないし、当日ぎりぎりまで警戒し続けるしかないのが実情だ……市松宮殿下の襲撃も同じくな」
「そうか……だが、あ大学生が殺された件は」
「そっちもまだ動きはない。何分、不法滞在者はDNAの任意登録なんて物も無いからな」
 エンリケは再び深い溜息を吐く。
「俺も来て早々、ろくな事が無くて気が滅入ってる……だが、やれる事はやっている、辛抱だよ」
「そうだな……」
 エンリケが立ち上がろうとした時、緊急の呼び出しが二人の端末に入る。協会庁舎から遠くない場所に位置するとある美容室の前で無許可のデモが行われ、美容室に火炎瓶が投げ込まれたとの事だった。幸いにして建物の硝子は割れていないが、周辺の商店や民家にまでデモ参加者が押し入っており、傭兵部隊が必要だと警察からの要請が有った。
「なんだって美容室なんかに」
「其処の美容室は日本語しか通じない」
「知ってるのか?」
「何度か行った事がある。スタイリストは日本語しか喋れないから、日本語の通じない客の髪は切れないと言っていた。当たり前の事だが、気に食わなかったんだろう、暴徒共には」
「滅茶苦茶だな」
 二人は装備を整えると、出動する数名の部隊と合流する。
「対人的に危害を加えている現場を見たら迷わず発砲しろ、性暴力に至ってはその場で殺しても構わん、実包を使え」
 傭兵を含む警備課を束ねる責任者は急行する公用車に向けて無慈悲な指示を出す。
「他人の家で流血沙汰は、勘弁願いたいんだがな」
 エンリケの隣で肩を竦めながら、生駒は頑丈な手袋の留め具を固定する。
「まったくだ」
 嘆かわしい思いを抱えながら、傭兵達は暴動の現場へと近付いて行った。
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