出立

文字数 1,547文字

 多くの簿書が証拠品として押収され、不自然な空間の増えた書庫の中を整理する人間はもう居ない。
 九月末を待たずして協会を去った稲村の後任だった新しい簿書係長は、一連の大量逮捕によって身柄を拘束されたまま、新しい係長はまだ決まっていない。それどころか、保安部警備課の傭兵達も多くが本社への引き揚げや官公庁への復職によってこの支部を去り、この光景を眺める生駒もまた、今日を最後に所属する特殊警備保障会社へ引き揚げる事になっている。
 土谷が協会を去ってからというもの、この支部は崩壊の一途を辿った。その最大の要因は、保安部警備課の正職員だった橋本がエンリケ・リャヌラを殺害しようとした事。幸いにも、既に身の危険を察知していたエンリケは橋本の襲撃に耐え、橋本は生きたまま警察に引き渡された。それが終わりの始まりだった。
 事件後、既に協会を去ると決めていたエンリケは負傷した事を理由にすぐさま退職し、京極特殊警備保障の本社がある関西へと移ってしまった為、生駒はエンリケがその後どうしているのかを知らない。だが、逮捕された橋本は個人的に所持していた違法な改造拳銃に関する罪状を多少見逃すという警察からの提案を呑み、自信が関与していた過激派組織に関する情報を警察に全て提供した。
 その結果、石川警視殺害の容疑で既に逮捕が確定していたセザール・リベルジャンと、銃刀法違反に加え違法なアルカロイドを含有する大麻の売買で逮捕されたマイルズ・マックイーンを名乗っていたマイケル・ブラウソン、土谷と和歌子の襲撃に関与した二名の他、国籍を問わず複数の職員が過激派組織の支援者である事が判明し、彼等は何らかの理由によって警察が身柄を確保し、今に至る。
 そして、和歌子の下宿先に損壊された遺体の一部を遺棄した人物も、協会職員を名乗った事が災いし、相貌を隠し切れなかった結果、警察はコンビニエンスストアで行った電子決済から身元を割り出して逮捕する執念を見せた。
 無論、和歌子を含む複数の人物を名指しし、殺害を予告した集団の壊滅には至っていないが、一連の逮捕劇は全国に有る国際交流協会支部に対する強硬な捜査の契機となり、他の支部に於いても過激派と通じていた人物が特定され、その多くがテロの準備に関与したとして公安部の監視下に置かれたか、逮捕された。
 その逮捕劇を経て協会に残されているのは、過激派と内通していなかった職員、それも、過激派との関与など無いと思っていた職員だけ。だが、その職員の一部は、国際交流協会が過激派と内通して政府を打倒しようとしていた事実に失望し、既に協会を去り始めている。
 凛や優菜と親しかったアイシャもその一人で、彼女は生駒が派遣元に引き上げるより先に協会の職を辞し、故郷へと戻る飛行機を待って居た。彼女の両親は娘が国際機関の職員となった事を喜んでいた分、その帰国を残念がってはいたが、彼女の従兄は妹の様に可愛がっていた彼女の帰国を喜び、空港まで迎えに行くと言った。
 一方、反発する様に協会を飛び出し、危険な方向へと走り始めた物も居る。優菜と共に活動していた福祉部のユン・ソヨンは、直接的に過激派に関与し、その活動を幇助していたわけでは無かったが、一連の事件で同僚の多くが身柄を拘束された事に反発し、協会の職を辞して移民の人権擁護を訴える集団で活動を始めている。
 だが、この一連の事件における逮捕劇は正当な逮捕状が交付されたもので、日本人であっても容赦なく逮捕されているが、それを正しく受け止めていない集団は存在し、それら集団の過激化も懸念されはいる。
 そして生駒は、そうした集団の鎮圧にあたる傭兵部隊に志願すべく、間もなく協会を去る。
 この顛末を見届けられてよかったと思いながら。
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