全方位への配慮

文字数 1,406文字

 東京で起こった回教寺院への襲撃を受け、広報部では協会が全ての宗教と人種を尊重する活動に力を注いでいる事を再度周知するべく、行動が始まっていた。企画課の凛はその動画制作に従事し、何度かの作り直しを行っていた。
 彼女は当初、視覚的な分かり易さを重視し宗教のシンボルマークを用いた動画を提案したが、提示する順番で問題が起こってはいけないからとその案は却下された。だが、全ての宗教といっても当事者には理解されないと食い下がり、歴史的な成立の順序で紹介する事を提案し、アイシャとマイルズはそれに賛同して考証作業を手伝う事となった。
 凛の動画は簡便なスライドショーの形式で作成し、投稿可能な動画に変換して公開する事で時間の短縮を図る算段である。その内容の確認も広報部長に一任され、許可が下り次第公開する事が決定していたが、凛は保安部部の反応が気懸りだった。広報部長も企画課長も保安部は無関係だと断言したが、実際の警備で疲弊している職員を知る彼女は納得がいかず、昼休憩を待って知り合いを探した。
「石川さん、お昼休みにごめんなさい、ちょっと、見ていただきたい物が有るんです」
 保安部の休憩場所に顔を出した凛は石川を呼び止めた。
「何かありましたか?」
「その、この騒動の為に動画を作ったのですが、保安部の方にも、一応見ていただきたくて……また、過激派を刺激する様な事があったら、申し訳ないので」
「課長や部長の確認は?」
「保安部は無関係と仰るのですが、私には、そう、思えなくて……」
「そうですか。じゃあ、情報課の事務所を借りましょう、其処ならお昼も取れますし」
「すみません」
「構いませんよ」
 縮こまる凛に石川は優しく言って情報管理課の事務所へと向かう。
 衝立に仕切られた殺風景な空間に二人は腰を下ろし、石川は庁内のデータサーバーにある凛が作ったスライドショーのデータを呼び出した。
「宗教のシンボルは、成立した年代が古い順番にしています」
「其処まで配慮しているなら問題ないと思いますよ」
「ただ……」
 石川は口籠って項垂れる凛を見遣る。
「全部の宗教を平等にとか、なんだか、八方美人みたいで……」
「確かに、上手くやろうとすればするほど、葛藤もありますよね。しかし、そうやってどうにかしようとするのが、この協会の役目なのですから、間違ってはいませんよ」
「……そこのシンボルに、神道が無くても、ですか」
 凛は恨めしげに石川を見つめ、同意を求めていた。だが、石川は目を伏せる。
「此処では、あまり日本という物は、何故だか尊重されていない、それは私も認めます。ただ……今回の騒動は、イスラム教に対する差別が無い事を明言出来ていれば、私は問題無いと思います。神道といいますか、日本は古くからイスラム教徒の多い中東諸国との外交関係があまり険悪ではありませんでしたからね」
 凛は押し黙るが、石川もまた、理不尽さを押し殺す様に、自分に言い聞かせる様な口ぶりだった。
「……保安部的に問題が無いなら、これを提出します。ごめんなさい、お昼休みに」
「いいえ。頑張って下さいね」
「ありがとうございました」
 凛は頭を下げ、足早に事務所から出て行った。
 石川は溜息を吐き、端末の電源を落としながら暗澹たる思いを昼食と共に飲み下した。
 この国の人間達は、いつになったら、これが危機的状態だと気付けるのだろうか、と。
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