厳かな縁日

文字数 2,769文字

 ――どうせ当分仕事にならねぇんだし、いい所に連れて行ってやるよ。
 その昼下がり、和歌子は涼しげなびいどろの風鈴模様の浴衣を着て、マンションの玄関に居た。内部の通路を経て協会庁舎を脱するという非日常の直後、土谷は車の後部座席に居た彼女に外出の約束を取り付けていたのだ。
「へぇ、そんな風にお洒落も出来るんだな」
 和歌子を迎えに来た土谷は、いつも通り挨拶代わりの軽口を叩いた。
「私の仕事は、事務員という名の肉体労働ですから……それより、土谷さんこそ、防具付けてないのがなんだか妙に見えます」
 土谷にしてみれば、髪は安物のクリップで雑に留めただけが当たり前だった和歌子の、丁寧に髪を結っている姿を知らず、和歌子にしてみれば土谷の肌が、首筋が、随分と白い事を知らなかった。
「この近くからもシャトルバスが出ている。行くぞ」
 土谷は建物の外へと進み、正午を少し過ぎた強い日差しの照り付ける路地を進んだ。向かう先はバス会社の営業所、シャトルバスの発着点の一つとなっている場所だった。和歌子はその後を、金魚の泳ぐ日傘をさして追いかける。
 二人の乗ったバスは二車線の道路を出て広い幹線道路へと向かい、中心部から少し離れた場所へと向かう。静かな森に囲まれたその場所には、多くの人が集まっていた。
 入場口では身体検査が行われ、訪れる人は芳名帳という名の管理名簿に署名をする。その奥で行われていたのは、鮮やかでありながら厳かな祭りだった。
「本当は夜に見た方が綺麗なんだがな……今は物騒でそんな事が出来ない。嘆かわしいもんだ」
 土谷の言葉に、和歌子は提灯を見上げた。
 協会に出向を命ぜられるまでは此処から離れた沿岸部の実家に暮らしており、一度は来てみたいと思いながら、叶わなかった祭り。図らずも来る事になった時には、一番見たかった景色が見られなかった祭り。
「……命懸けで守って下さったこの国を……私は今、誇らしく思えない」
 和歌子が足を止めて呟いた言葉に、土谷は振り返る。
「そうだな。俺達の、少し上の世代の連中がした事は……無数の犠牲によって守られたこの国を、全て壊す為の愚行だった……俺達が止めようとしても、あの時の俺達には、どうする事も出来なかった……」
 同じ政党が長期間政権を任される事は、利権の構築と腐敗につながる。それは何度となく繰り返されてきた事だが、熱望された政権交代が良い方向に向かない事も、また繰り返されてしまった。だが、ただ一つ違っていたのは、交代した政権は大多数の国民にとって一見好ましい政策を実現させた事で、一部の危機意識の高い国民が望まなかった政策を全て実行した事であろう。しかも、土谷はその愚行を止める術が無く、大人達を恨む事しか出来なかった。
「それでも、俺はまだ守りたい。この命に代えてでも、だ」
 言って、土谷は歩き出す。和歌子はその言葉が帯びる意味に、体の芯が凍える様な悪寒を覚えながら、彼の後を追いかけた。
 多くの犠牲を以て終結した大戦から一世紀、参拝に訪れているのは皆戦争を知らない世代であるが、不思議と若い世代の参拝者が多い。土谷と和歌子もそんな若者の一人として、幾多の英霊の御霊に祈りを捧げた。そして来た道を引き返し、境内に隣接する広場に設けられた露店へと向かう。
「何か買うか?」
「そうですね……何か飲みたいです」
 露店が集う会場は殊の外人出が少なく、どの店も行列というほど人は並んでいなかった。
「……桃のジュース買ってきます。土谷さんも飲みますか?」
「え、あぁ」
「それじゃあ買ってきますね。この前のココアのお礼です」
 そう言って和歌子は露店の並ぶ方へと進んでいった。
「そんなに高い物を買った覚えは無いんだがな……」
 土谷は呟きながら、空を見上げた。
 暫くして、和歌子は二つのカップを手に彼の元へと戻ってきた。彼はその時、おそらく今日初めて彼女の顔をはっきりと見た。薄化粧の表情はどことなく人形の様なすまし顔で、しかし、非日常の極みであるあの庁舎で見るよりも自然体な、不思議な表情に見えた。
「ありがとう」
 土谷の長い指が、片側のカップを掴んで和歌子の手を解放する。
 二人はそのまま、広場の端の木陰に向かった。
「……本当は」
 土谷の唐突に発せられた言葉に、和歌子は彼の顔を見上げた。
「本当は、国防部に行きたかったんだ」
 和歌子は目を瞠った。
「ただ、俺の親は強烈な反戦主義者で、警察官になる事すら許してはくれなかった」
「それで……警備会社に」
「あぁ、会社だったからな、就職って建前だよ。中学の頃から抜刀術の師範にもついてたし……ただ、その時は、普通の警備会社だった。デパートの中とか、そういう場所を巡回するだけのな」
「でも、それがどうして……」
「親が鬼籍に入ったんだ。どうも、うちの家系は早死にらしい」
 和歌子は息を呑んだ。少しずつ、土谷の存在が遠ざかる様で。
「保証人というか、連絡先になってもらった親戚には反対されたが……属する限り死ぬまで保証付きだからと言って、今の会社に移って、今に至ったんだ」
 土谷は遠くを見つめたまま、言葉を続ける。
「……正式な軍人ってわけじゃないが、もし、今この職に殉ずる事があれば、英霊と呼ばれるらしい」
 和歌子は眉を顰めた。だが、言葉には出来なかった。彼の決意は、きっと尊いのだ、と。
「……俺はこの国がずっとこの国であって欲しい。君も、そう思うか」
 協会庁舎で見せる豪胆さとはまるで違う、切れ味の良い真剣の様な眼差しに、和歌子は息を呑んだ。
 その眸は悲しげでありながら、彼女が今までに見た事の無い光を宿していた。
「それは、当然じゃないですか。私だって……私だって、もっと頑丈な人間なら、きっと国防に行っていました」
 土谷はこの日初めて笑った。和歌子には、酷く悲しげな笑顔で。
「そうか。それが、言論活動に首を突っ込んでいた理由か」
「えぇ。今は、立場的に、控えていますけど……私に出来る事は、きっと、それだけですから」
 和歌子は悲壮な眼差しを湛え、土谷を見上げた。その刹那、彼女の携帯電話が電子メールの着信を告げる。
「ん? 電話か?」
「あ、いえ……」
 和歌子は巾着袋の底から携帯電話を取り出し、通知を見た。
「あ、あぁぁ」
 言葉にならない悲鳴を上げる和歌子を訝しみ、土谷は思わず画面を覗き込む。
「文学賞ってほどじゃ、ないんですけど、コンテスト……入賞しちゃいました」
 二人は顔を見合わせる。
「そんな趣味が有ったのか?」
「本業というか……言論活動もどきは、この延長というか……とにかく、入賞しちゃいました」
 控えめに興奮する和歌子に土谷は穏やかに笑って告げた。おめでとう、と。
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