転機

文字数 1,214文字

 土谷の車で自宅へと戻された和歌子は、仕事が見つかりそうだと両親に嘘を吐き、部屋にこもる口実とした。それから数時間の間、彼女は一人スーツケースへ必要な物品を詰め込み、パソコンを梱包し、自宅を発つ準備を整えた。それは下宿先を逃れたあの夜に似ていたが、嘘を吐き、ただ一人で荷物をまとめるのはただ虚しいだけの行動だった。
 しかもその間、彼女は何事も無いふりをして夕食を採り、風呂に入り、当たり前の日常をこなしていた。その全てが最後となる事の感慨に浸る事も出来ずに。
 そうして迎えた午前二時、家族の寝静まった頃、和歌子の携帯に見知らぬ番号からの着信が有った。
 ――春海和衛様のご依頼で連絡を差し上げました、桜井特別警備株式会社の西郷と申します。
 和歌子の警備を担当する西郷は、午前三時に和歌子の自宅に向かう旨を伝え、持ち出す荷物の運び出し方法などを彼女に伝えた。そして、家族の身の安全が保証出来ない場合、彼女の両親にも台湾への一時避難を促し、自分達が送り届ける旨を伝える。
 ――お支払いは全て春海様より指定が有りますので、そちらで負担して頂くものは有りません。
 和歌子は息を呑んだ。土谷が何故こうもするのか、と。だが、土谷にしてみれば、彼は全てを自身の責任と考えていた。しかし、時間は無情にも迫り、午前三時、和歌子は下宿先を脱した時と同じ様にスーツケースを抱え、人知れず自宅を去った。見知らぬ警備員の護衛の中、台所の食卓に桜井特別警備の担当者に通じる電話番号を残して。
 夜が明けた頃、不審な書置きと、和歌子と入れ違う様にポストに投函された脅迫文が彼女の両親の目に入り、彼女の去った自宅には緊急車両が駆け付けた。官舎となっている住宅で連絡を受けた土谷は第一報を受けて駆け付けた警察官と入れ替わる様に和歌子の自宅へと向かい、彼女の両親と対面する事となる。
 和歌子の両親に面会した土谷は、和歌子が過激な国境撤廃を唱える集団から殺害を宣言されている人物となっている事、和歌子は国際交流協会で内部情報を取り扱っていたが、その協会内が過激派の拠点と通じていた可能性が高い事、そして、彼女は公にされていない重要な事案に間接的に関係してしまった事を伝え、今は安全な場所へと避難している道中であると伝えた。
 和歌子の両親はこの期に及んで漸く、和歌子が協会を辞め、警察を辞めると言ったのかを理解し、命の危険に曝されている中で出て行けと言ってしまった事を後悔した。だが、そんな両親に対し、土谷は二人にも身の危険が迫っていると追い打ちを掛ける様な事実を伝えなければならなかった。
 二人はどれほどの間国を離れる事になるのかと案じていたが、土谷には前日エンリケが確保した橋本なる人物の逮捕によって、一連の事件の終着点が見え始めていた。だが、全てが終わるまでの見通しは立たず、彼はただ、警備保障会社を仲介役とした国外退避を促す事しか出来なかった。
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