退路

文字数 2,621文字

 その午後、イリーガルシェルターとなっているマンションの監視を切り上げて庁舎に戻った土谷とエンリケはそれぞれの仕事に就いていた。エンリケは待機と称して庁内に残り、生駒から不審な物品購入の履歴と物品の譲渡先についての情報を受け取ると共に、マイルズ以下不審な職員の動向をそれとなく探っていた。
 一方、土谷は午後から出勤する様に命令した和歌子と二人、洗濯室で溜まりに溜まった警備課職員の制服を片付けていた。
「厄介で、危ない事に首を突っ込みかけているのは分かるんですけど……書庫の整理は全然進んでませんし、この、途方もないお洗濯とアイロンがけ、どうしましょう」
 洗濯された物を干すハンガーが有る分だけは洗濯機に放り込んだが、洗濯する時点から洗濯婦に仕事を投げている職員も多く、一日では仕事が終わりそうになかった。また、洗濯こそ責任を持って個人で行ったところで、ドレスシャツのアイロンを洗濯婦に任せている職員も少なくない。
「もし、午前でも午後でも、始業が九時でも終業が七時でもいいなら、俺に合わせて出てくりゃあ一人にする事は無いし、俺が外に出る時には責任もってお前は送り帰すが……正直、全方向に問題しかねぇ以上、はっきりとした事は言えねぇな」
「山中記念病院の理事さんが襲撃された件もありましたし……巻き込まれて惨殺された大学生の女の子の件だって……」
 和歌子の推測に、土谷は息を呑んだ。
「そうだな……俺に出来る事が有るとしたら、さっさとこの問題を片付けて、書庫の片付けをする事だな」
「……そう、ですね。それにしても、土谷さん」
「ん?」
 防具を付けたままドラム式洗濯機に手を突っ込む土谷の姿を見ながら、和歌子は眉根を寄せる。
「その格好で、よくお洗濯出来ますね……重くないんですか、というか、動き辛くないんですか?」
 土谷は苦笑いを浮かべた。
「防具の重さには慣れてる。だが、動き辛くないかと言われたら……むしろ、この重労働を女一人に任せてんのかって気になるよ」
 和歌子は引き攣って乾いた笑いを浮かべ、返事に代える。
 そうして洗濯室の仕事が進む中、数枚の紙を手にしたエンリケが洗濯室の土谷を訪ねて現れる。土谷は受け取った紙面にざっと目を通し、エンリケを見た。
「福祉部調査課のリベルト・グリフォス、止めるなら、彼かもしれない」
 エンリケは土谷に耳打ちし、洗濯室を出てゆく。
「悪い、後は任せた」
 言って土谷は出入り口の脇に置いた丸椅子に腰掛け、エンリケから手渡されたそれを読み進める。
 一枚目に記されていたのは、交番に駆け込んだペルー人の青年から得た情報。土谷はその大部分を既に聞かされていたが、和歌子が襲われそうになった事で発覚した白紙の簿書の地図や福祉部の訪問リストと照会した結果、青年が関与していたイリーガルシェルターの所在地の候補をエンリケは絞り込んでいた。
 曰く、午前中に監視していたマンションに暮らしているのは四名、女子大生惨殺に関与した可能性の高い女性二人と、別の男が二人、男女別に部屋を借りて暮らしているという。その内の一人はBoまたはJoeと呼ばれる男で、彼はかつての韓国か北朝鮮かは分からないコリアで生まれ、豚小屋で育てられた過去が災いし、体が不自由で言葉もあまり話せない。また、その男の世話をしているのが、いくらかのスペイン語を話すBinzまたはVinceと呼ばれる男だという。そしてアパートには大柄で英語を話す黒人の男や、刺青をしたスペイン語を話す男、コリア系らしい若い男が出入りしているとあの青年は語っていた。
 更に、マンションとは別のイリーガルシェルターにも青年は関与しており、其処は主に刺青の男が自宅として使っていて、青年は其処に住んでいたという。そのイリーガルシェルターには二人の若者が居り、スペイン語とは違うが少し似た様な言葉を話す凶暴な少女と、日本人の様な、まだ子供の様にも見える男性が居り、日本人らしい男性は精神を患っている様子だったとも語られていた。
 続く紙面には、和歌子が居合わせた物騒な会話に関する調査の報告が記されていた。それによると和歌子が聞いたマイルズ・マックイーンの会話の相手は、庁内の防犯カメラの映像から福祉部調査課のリベルト・グリフォスの可能性が濃厚だとの事だった。加えて、そのリベルト・グリフォスに関して身元を調査した結果、それは偽名である事が判明し、相貌認証登録の照会を公安に依頼したところ、本名はモハメド・アッザームなるイギリス生まれの人物だという。しかも、モハメド・アッザームはいわゆる天皇制に反対する集会への参加が認められたとの事だった。
 更に紙面は続き、其処には土谷が調べられなかった不審な物品譲渡に関する記録についての概要が記されていた。調査の結果、印刷物の簿書に有った様に爆発物に転用可能な物品が複数購入されており、白紙の簿書の地図と合致する可能性の高いイリーガルシェルターに譲渡されている可能性が濃厚との事だった。
 そして最後の一枚には、日の丸掲揚中止に関する短い報告が有った。公安から出向している石川が独自に調査したところ、掲揚されなくなった国旗は損壊された状態でゴミ捨て場に放置されており、備品の棄損を理由に調査を行ったという。それに基づく防犯カメラ映像の確認を行った結果、石川が最後に国旗を確認した午前二時以降、外部に出た人物が判明し、その中には経理部会計課に所属するフランス領ポリネシア出身のセザール・リベルジャン、和歌子に危害を加えようとしていた人物が含まれていたとの事だった。
 石川曰く、保安部以外の人間が夜勤中に外出する事は珍しく、日の丸が消えた日、セザール・リベルジャンは再入館するまでの時間が短い事から、近隣のコンビニエンスストアへ行ったとも考えられない。その上、セザール・リベルジャンも所謂天皇制に反対する集会への出席が確認されている人物だという。
 土谷は紙の束をまとめて畳むと防具の下に滑り込ませる。すると端末が着信を告げた。
「リベルト・グリフォスが外出する。生駒と二人で追跡する」
「了解。俺も近い内に一度外に出る、何かあったら連絡してくれ」
「了解」
 通話を切り、土谷は洗濯を片付ける和歌子を見遣る。
 もし自分に何かあった時に彼女がどうすればよいか迷わないよう、警察の上司に伝えておかねばならない、と。
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