曲解

文字数 2,274文字

 情報管理部の事務所には電子情報を集積したサーバーマシンと予備機が一台ある程度で、備品らしい備品は無く、衝立で四畳半ほどに区切られた空間が土谷達の仕事場所だった。
「また喧しいのが来ちまったな……連絡が入ったら其処のテンプレ通りに情報を聴いてくれ、黙らせてくる」
 土谷は和歌子に仕事を任せ、扉一枚で隔てられた廊下で騒ぐ職員の鎮圧に向かう。
 和歌子は深い溜息を吐きながら、予備のヘッドセットを身に着けた。
「移住者を差別するな! 宗教施設への取り調べをするな!」
 権威ある国際機関の庁舎内には似つかわしくない怒号の扉う廊下へ、土谷はヘルメットを装備して踏み出す。
「移住の自由を認めろ! 宗教の自由を認めろ!」
 先頭に立って日本語のシュプレヒコールを上げていたのは、福祉部保護課の山本優菜だった。
「正当な任務遂行を妨害しないで下さい。繰り返します、正当な任務遂行の妨害を、今すぐ止めて下さい」
 土谷は小型の拡声器を通して冷徹な指示を告げるが、シュプレヒコールが止む事は無く、事務所の奥に入らんとする職員と警備に当たる職員の押し問答は終わらない。
「土谷、戻れ! 強制執行だ!」
 警備に当たる職員の一人、永田は武力行使をほのめかし、土谷は舌打ちしながら室内へと戻る。そして、奥まった場所にある情報管理部の作業場所に走り込んだ。
「強制執行だ、脱出するぞ」
 物々しい様子に和歌子は何かを察し、通勤鞄のリュックを背負って土谷に従い、室内から室内へと降りる簡易な階段を梯子の要領で降りる。その間にも騒ぎの起こっている廊下では催涙ガスが噴射され、優菜を含む職員達は退散させられていく。
「少なくともモスクからの情報は把握出来たし、ここらへんで一番影響力のあるイスラム教の指導者が、ごく真っ当だと分かっただけ今日の仕事だ」
 酸性の液体を内包した特殊な弾丸を備える護身用の拳銃を抜き身にした土谷は一階の廊下を進み、和歌子を安全な出口へと連れて行く。
 この騒動の発端は二日前、東京にある回教寺院(モスク)が襲撃された事だった。
 最近交代したその寺院の責任者である宗教的な指導者が、不法滞在の信徒がモスクに入る事を拒んだ事が地球市民運動の過激派の反発につながったのだ。更に悪い事に、地球市民運動家のおよそ半数は宗教に対しても反感が強く、無宗教と無政府を実現した国境なき世界が真の世界平和をもたらすと喧伝している。その結果、無宗教系の過激派は礼拝中にモスクの襲撃を計画したが、同時にモスクへの立ち入りを拒絶された不法滞在者の信徒の一人が同じ日に同じモスクへの襲撃を計画し、二つの事件が同時に発生した。
 テレビ放送やラジオ放送では宗教指導者の真っ当な意見が報道されず、多くの国民はかつて過激派が世界をかき乱したイスラム教徒が、再び過激化したのだと恐れをなし、一部の保守過激派の行動主義団体が宗教排斥を訴える街宣に乗り出すなど、事態は思わぬ方向へと過熱している。
 前日に開かれた緊急総会により、国際交流協会日本支部は宗教施設の自由な利用を呼び掛けると決議したが、事態を重く受け止めた警察と警察に職員を派遣している特殊警備保障会社の重役は実態調査を決定し、協会保安部警備課は職員たちに各宗教施設の責任者への事情聴取を指示した。
 この調査自体は違法性をその場で追及する物ではなく、不法滞在者に対する対応や過激思想を持った信徒への対応について責任者に尋ね、個々の施設についての対応は別途警察側が検討する方針であったが、それを理解しない協会職員は調査を実行する保安部に抗議し、庁舎内でのデモ活動を起こしている。
「イスラム教だけじゃない、キリスト教の教会も、東南アジアの小乗仏教の坊さんも、法律をそんじゅするなら正当な入国手段を支持している。それを殊更イスラム教に対する排斥だと言って騒がれちゃ、堪ったもんじゃねぇ」
 保安部職員しか通れない認証を経て、二人は地下へと降りる。半地下になっている裏手の部分とは異なり、協会庁舎の正面玄関の地下には駐車場が広がっていた。そして其処には機関銃を携えた職員が待機している。
「土谷、どうした」
「中のデモ隊が一向に収まらないんで永田さんが鎮圧に乗り出した。彼女を安全な自宅まで送り届けるが、問題は無いか」
「構わない」
 土谷は機関銃を携えた重装備のエンリケに、一冊の帳面を手渡す。
「脱出時点で回収出来た情報だ。預かってくれ」
「分った」
「行くぞ」
 土谷は振り返り、機関銃を構えるエンリケの巣g谷強張った表情で立ち尽くす和歌子を促し、駐車されている乗用車の一台へと向かう。一見すれば田舎町の何処にでも有るシルバーのセダンだが、防弾硝子とアサルトライフルの直撃にも耐え得る車体を備えた特殊仕様で作られた自動車である。
「火炎瓶程度なら耐えられる、何が有ってもじっとして居ろ」
 土谷は助手席の床にヘルメットを隠し、通信を有効にする。
「マンションの車寄せに停めてやるから、今日は一日引き籠ってろ」
「はい……」
 サイドブレーキが解除され、車体が緩慢に動き出す。非常時ではあるが、車両自体は至って平穏に公道へと進む。
「明日は休暇だと係長に言っておくが、暫く来なくていいぞ。あの馬鹿共が状況を理解するには、三日じゃ足りねえだろうよ」
 土谷の言葉に、和歌子は溜息を吐いた。
「死にたくもなりますよね……こんな所じゃ」
 和歌子は死を選んでしまった青年に思いを馳せた。
 彼の愛した国は、こんな国ではない、と。
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