救助

文字数 1,690文字

 下り車線は混雑も無く、和歌子の乗車したバスは定刻通りに最寄りの停留所を通過し、和歌子は自宅に戻った。だが、戻った所で開口一番に飛び出したのは、心配していたという言葉ではなく、仕事は見つけたのかという言葉だった。
 和歌子はこのまま職業安定所に行って仕事を探す、何も無ければ工場のライン工でもなんでも探すとその場しのぎの言葉を返したが、工場のライン工など務まる訳が無いと罵倒され、だったらそこのコンビニの求人があると更に返したが、やはり警察の職を辞した事をなおも叱責された。
 和歌子は風呂に入る事を諦め、言い争うまま再び家を出る。年が明ければ税務申告の時期となり、官公庁からの求人が出始め、暫くの仕事は得られる。だが、彼女に残された期限はあまりにも短く、置かれている状況は危険極まりない物だった。
 市街地へ向かうバスを待ちながら、守衛の巡回がある商業施設での仕事であれば、その場しのぎにはならないかと考えていた。だが、次第に思考はぼやけ、酷い倦怠感に立っている事が辛くなる。昨夜、土谷の自宅で夜を明かしたとはいえ、十分に眠ったわけでもなければ、爆発事件の衝撃から生じた精神的疲労は全く解消されていない。だが、自宅で体を休める事は叶わず、次のバスが来るまでは辛抱しなければならない。
 すぐ近くが自宅だというのに、自分の部屋は被害を受けていないというのに、何故、座る事も叶わないのか。和歌子が鞄を抱えて蹲る様にしゃがみこんでいると、一台の車がその傍に停まる。
「大丈夫か?」
「土谷さん……」
「乗れ、話はそれからだ、良いから、早く!」
 急かされるまま、和歌子は後部座席に乗り込んだ。
「土谷さん、どうして」
「君の身に危険が迫っているかもしれない……それより、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないです……すぐ其処が家なのに、休めないんです」
「そりゃあ酷いな……」
「それより、どうして」
「あぁ……」
 土谷は不法滞在移民の支援者から押収した名簿が、過激派からの襲撃の対象になっている可能性の有る人物の名簿で、其処に和歌子の名が有った事を告げる。
「そんな……」
「全部俺の責任だ……当座逃げ込める安全な場所を用意したいところだが……」
 言いかけて、土谷の無線がけたたましく応答を求めた。
「こちら特務班土谷」
「土谷、お前、今何処に居る!」
「県道大池線を市街地に向けて走行中」
「御田川和歌子は!」
「一緒に居る」
「だったらいい、そのまま一緒に居ろ、彼女を含む数名の女性を含む複数人に殺害宣言が出された。出したのはアナーキズムの過激派、ワールドワイド・ポリターン。殺害宣言の対象には例の日系人傭兵、エンリケ・ヴァリエンテ・マサヨシ・リャヌラ・マルティネス本人と、その配偶者で靜谷学園大人文学部の助教、聡美・リャヌラ・飯塚も含まれている。協会関係者から情報が漏洩している可能性も高い」
「なんてこった……俺はこのまま一度市街地に向かう」
「出来れば警察署に行け」
「了解……状況が悪くなってきた、一度警察署の方に向かう。詳しい事はそっちで説明させてくれ」
 土谷は車を市街地へと走らせ、警察署の駐車場に車を止めた。だが、降りるよりも先に彼の携帯電話が着信を知らせた。しかも、もう鳴る事は無いと思っていた私用と公用の中間にあるあの携帯電話だった。
「……もしもし」
「土谷。もう知っているだろうが、大変な事になってしまったな」
「あぁ……エンリケ、奥さんもお前も無事か?」
「ああ」
「それで、今何処に」
「会社の独身寮だ。事情を説明して、数日間避難させてもらっている。だが、明日には此処を出る」
「そうだよな……しかし、どうして俺に連絡を」
「御田川さんの連絡先を俺は知らない。だが、彼女の名前も名簿に有ったと生駒から」
「だったら大丈夫だ、彼女は……俺と一緒に居る」
「そうか、それなら大丈夫だな」
「あぁ」
 通話が切れ、土谷は和歌子を振り向いた。
「土谷さん、もしかして……」
「エンリケ・リャヌラもターゲットにされているらしい。後は署の中で部屋を借りて詳しく話す」
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